ある日の午後

2023-03-16 14:34:21 | 森山良子
ある日の午後





名前も知らぬ
白い花びら 舞い散る午後でした
あなたのそばを
つかず 離れず 歩いた道でした
愛していることに
心はいっぱいでも
なぜか ふたりは ルルル
古いお寺の
いわれなんか話すばかり
それでもいつか
肩にやさしい あなたの手を感じ
川のほとりに
釣り人たちが 静かな午後でした

愛していることに
心もいっぱいなら
人影さけて ルルル
くちづけぐらい
できたはずの五月の風
手紙のなかで
伝えた気持 会えば頬がもえる
都忘れの
花がいとしく 胸打つ午後でした
胸打つ午後でした





人と人との関係というのは、一度拗れると、なかなか元に戻るのは難しいものです。

親子、兄弟といった血縁関係でさえもそうなのですから、友人、恋人、夫婦のように基本的には他人からスタートした関係などではなおのことだと思います。

ところで人間関係において、拗れるというのは、常態的に素直なやり取りが出来なくなってしまう関係のことで、一時的に招く誤解とか思い違いとは、そもそも違います。

ですから、元に戻すというのは最初まで戻らないといけないということです。

しかも、自分だけではなく、相手と共に・・・・・

これは容易ではありませんし、寧ろ殆んど無理のような気がします。

だから、人間関係においては拗れたからと言って何時までもクヨクヨしたり悲しんだりはしないことです。

出会いがあるから別れがあるのだし、別れがあるからもっと素敵な出会いを見つけられる・・・・・かもしれない。

わたしが両手をひろげても、

お空はちっともとべないが、

とべる小鳥はわたしのように、

地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、

きれいな音はでないけど、

あの鳴るすずはわたしのように、

たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、

みんなちがって、みんないい。
            
 金子みすゞ


もともと人は違った人格、

すずと、小鳥と、それからわたし、

みんなちがって、みんないい。

そんなことを思った、ある日の午後・・・。





















































































































































































































































































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