7/28
「羇旅をして思いを述べるその羇旅はいまと違えりいかな思いで(羇旅タビに思ひを發ノぶ〔羇旅:九十首→四首、人麻呂集。三十四首、悲別歌、人麻呂集外。四十九首、人麻呂集外。十首、問答歌、人麻呂集外。〕)」
「度会ワタライの大川の辺ベの若久木我が久ならば妹恋ひむかも(#12.3127)」
「度会の大川辺りの若久木旅長くなりゃ妻焦がれるか()」
「我妹子を夢に見え来(こ)と大和道の渡り瀬ごとに手向そ吾(あ)がする(#12.3128)」
「吾妹子が夢に来るから大和路の渡る瀬ごとにわれは迎えり()」
「桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散りゆく(#12.3129)」
「桜花咲いたら散ると見るように誰かもここに来ては去り行く()」
「豊国の企玖キクの浜松心いたく何しか妹に相言ひそめけむ(#12.3130)」
「豊国の企玖キクの浜松心痛しどうして妻に声かけたのかな()」
「この四首人麻呂歌集に出るという旅であるのか軽い感じだ(右ノ四首ハ、柿本朝臣人麿集ニ出ヅ)」
「()」
7/27
「なでしこに続いて男子も勝利する幸先がよし後も期待す()」
「週末に番組などを調べては気持ちを入れん応援だけど()」
「昨日今日弁当手製のうな重を持っていきたりチンしてたべる()」
「いろいろと取りざたされる鰻だが需給バランス追いつかぬらし()」
「鰻には目がない茂吉かわいがるマンボウも入る彼方の岸に()」
7/27
「ただ独り寝ヌれど寝ネかねて白妙の袖を笠に着濡れつつそ来し(#12.3123)」
「ただ独り寝れど寝られず白妙の袖を笠にし濡れながら来た()」
「雨も降り夜も更けにけり今更に君去イなめやも紐解き設マけな(#12.3124 右二首。)」
「雨も降り夜もふけました今更にあなた帰れぬ紐解きしよう()」
「久かたの雨の降る日を我が門に蓑笠ミノカサ着ずて来ケる人や誰(#12.3125)」
「久方の雨が降る日をわが門に蓑傘つけずに来た人は誰()」
「纏向マキムクの痛足アナシの山に雲居つつ雨は降れども濡れつつそ来コし(#12.3126 右二首)」
「巻向の痛足アナシの山に雲かかり雨が降っても濡れながら来た()」
7/26
古事記の世界解釈に構造主義を利用できないかと考えてみる。すでにフランソワ・マセさんの著作があり、その焼き直しでは面白くはないが、スッキリとした神話解釈を自分自身でしてみたいと思う。
そのための道具として構造主義というものをとらえなおす必要があり、正しい運用をしたいなどと、つい思ってしまう。
こう考えることはすでに負け組の発想で、勝ち組なら自分流の構造主義手法を適当に作り出し、自分流の古事記解釈をまずやるだろう。
そういう才能はないので構造主義をとりあえず知る必要があると思い、そのテキストとして「はじめての構造主義」を選んだ。その中に構造主義のルーツは遠近法で数学を媒介にして、構造主義に発展するとある。遠近法とは、見え方と在り方のことをいっているのだろうが、よくはわからない。
構造主義を考えているとシステム分析にあるオブジェクト指向という考え方に似ているようにも思える。案外、この手法を推し進めることが構造主義の近道かもしれないなどと思う。つまり、オブジェクトの存在(在り方)、オブジェクト相互の関係、オブジェクトの作り出す秩序、オブジェクト間の通信、ユーザーインタフェース(見え方)、システムテスト等を分析することにより、現実世界のある部分を射影するのである。
7/26
「明日よりは恋ひつつあらむ今宵だに早く初夜ヨイより紐解け我妹(#12.3119)」
「明日から恋いこがれよう今宵さえ早くに寝よう服脱げ吾妹()」
「今更に寝めや我が背子新夜アラタヨの一夜もおちず夢に見えこそ(#12.3120 右二首。)」
「今更に寝なくもあなた来る夜毎絶えることなく夢に見てほし()」
「我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつそ見し雨の降らくに(#12.3121)」
「わが彼氏使いを待つと笠もせず外で見ている雨が降るのに()」
「心なき雨にもあるか人目守モり乏トモしき妹に今日だに逢はむを(#12.3122 右二首。)」
「心ない雨であります人目避けかわいい妻に今日こそ逢おうと()」