暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

阪井楊子 ジャズヴォーカルライブ 於; おでんの成田屋

2012年01月24日 23時23分52秒 | ジャズ


Sun. 9 jan. 2012 

於; 大阪西成おでん成田屋

17:00 - 19:30

阪井楊子(vo)  大野浩司 (g)  西川サトシ(b) 松田順司(ds)


1. On The Street Where You Live
2. Lover Come Back To Me
3. Love For Sale
4. Song For You
5. Night & Day

Pause

6. Beutiful Love (instrumental)
7. Fly Me To The Moon
8. Come Rain Or Come Shine
9 For Once In My Life
10 You've Got A Friend
11 Almost Like Being Love


ジャンジャン横丁の猫町JAZZ横丁もしくはSwing MASA JAZZ HOUSEというギャラリーに入ったら自分の本籍地近くに住んでいる青年かオジサンかというような年代の人から一枚のCDを紹介された。 そしてこのギャラリーの管理人というか店番というかの山賀さんと一緒に聴いたのがその青年かオジサンかの人がこの前買ったCDで、その初めの2曲ほどを聴いてこの人の喉と英語の発音にライブに行っても良いと思わせるものがあった。 つまり持って生まれた資質プラスそれを自分の体を楽器として歌唱に使うトレーニングを施したものの作品としてハスキーさと喉の太さに興味が惹かれたということだろう。 近年ジャズヴォーカルの声の質がオーディオヴィジュアル化されたメディア形態の中で大きく変わり歌唱というより容貌の方に重点を置いたものになり、そうなると自然とスリムな体つきで喉の細い歌手が登場することが多くなっている。 我々が聴いて来た、50年代、60年代のビヤダルもしくは淫売宿の女将さん然とした風貌で太い喉をもつような歌手はもうあまり期待できそうにない。 それはジャズに限ったことではない。 クラシックの世界しかりであるのだから世界的傾向でもある。 結局は歌を聴くのか顔を見に行くのかということにもなるのだがここではライブで歌を繋ぐ語りもその要素に入るかもしれない。 

何年も前に、アメリカで多分ゴスペル、R&Bを主に修行して歌っていた様な大阪の女性がジャズヴォーカルとして出したCDを聴いたのだが、その語りの関西弁が好評でテレビなどのメディアでも喧伝されていたけれどCD作品ではその英語の少々下品な発音に失望し聴く意欲が失せたことがあるから、それなら日本語、若しくは関西弁で歌えばいいのにと思ったことがあるのだが、この人阪井楊子は上記のスタンダードナンバーの多い演目を癖のない抑揚発音で無難にこなしていた。 

寒風吹きすさぶ外気とは透明のビニールシートだけでへだてられた、外とは「いけいけ」のおでん屋、成田屋に入ったら各自自分で棚から持ってきた缶ビールや酎ハイでおでんを肴にジャズを聴く20人ほどの客で一杯だった。 近所の商店のご隠居さん然とした老人が何人か赤い顔をして2の「恋人よ我に帰れ」をナツメロとして聞く姿は西成のおでん屋に相応しくもあり、ジャズをしばしば特権化し付加価値をふっかけて高いチャージをとるクラブがあることからすればここではある種、ジャズを先祖がえりした形態にもどすような投げ銭ベースのジャズ本来の猥雑さをそなえ場所といい形態といい適切なものである。 外を自転車を押して歩く人もビニールシートを上げて覗いていくようでもあり、この日は近所の今宮恵比寿の「本えびす」の前日「宵えびす」にもあたり福笹に縁起物の俵や鯛をつけた「えべっさん」の笹を持って通り過ぎる人たちも見える景気の良い、縁起のいいコンサートでもあるのだ。

ジャズスタンダードやボサノバに加えカーペンターズでよく聴かれた当時由井正雪ばりの髪で歌っていたレオン・ラッセルの4、ジェームス・テーラーが得意としたキャロル・キングの10などがそのころスティービー・ワンダーが歌った9と並んでポップジャンルからのスタンダードになったものとしてなんでも取り込むジャズの本領を発揮している。 バックのトリオは無難なサポート、ソロ、チェースと進めてシンガーのスキャットにもよく絡んでいる。 2セットが済んで廻って来た缶に幾ばくかの投げ銭をして出たら外の寒気がおでんとジャズの熱気でほてった頬に気持ちがよかった。

10日大阪に帰省したのだが、、、、(5)ジャンジャン横丁、千成屋コーヒー店で

2012年01月24日 09時58分45秒 | 日常

ジャンジャン横丁をあるいていてちょっと向こうの猫町JAZZ横丁もしくはSwing MASA JAZZ HOUSEというギャラリーで聞いていたこの日のジャズ・ヴォーカルライブの会場、おでんの成田屋の場所を聞こうと思い、レトロな風貌のある千成屋コーヒー店に入った。 中は想像の通りほぼ半世紀以上前の喫茶店の様子であり、トレンディーな娘達の影も皆目ない落ち着けるまとまな店だった。 スターバックなどに行かない人間がここで新聞を読み、テレビで相撲中継を見る、というような場所だ。 今はレトロというとわざとそういう内装、雰囲気を「クリエイト」して作り出すのだが、ここはかつて大昔につくられたものをそのまま続けているだけの、日々が通り過ぎて周りが変わっていく中にそのまま依然として機能してきたものがそのままある、というような風貌で、ただ大きく変わる周りと較べるとその違いが浮き上がる、というようなことだろう。 

考えてみればこの横丁そのものがそんな風で、とくに食い物というどんな世の中でも無視できないものが特に大阪のように食い物に目のない場所で時折メディアで店が紹介され、この場所の特異さも手伝ってそこに集中する若者、とくに若い女性が大挙して串カツの店に何十メートルも行列をつくらせるというような現象も日常的に観察できるのだが、概ねトレンディーの対極にあるようなところでもあるのだ。それならこの横丁以外でもこれぐらいの活気を呈してもいいはずなのだが1kmほど離れた商店街などの寂れが甚だしいのとくらべるとこの横丁の活気は特別なのだろう。 

ふたりのおばさんが丁寧な浪花言葉で対応し周りの雀荘や碁将棋会所などにコーヒーの出前をする姿もみられて、普通の人から需要が多いことが分かる。 それは「ビジネス」というより「あきない」の部類にはいる業務形態ではないだろうか。 薄いアメリカンではなく戦前から嗜んでいた我々の親の世代が飲んでいたヨーロッパ風の味のようなものが薩摩焼のようにみえるすこし大振りなカップに入って出てくるのだ。 狭いトイレに入ろうと入り口で目をやると小さな木の札が目に付いた。 そこには、 高低深浅厚薄強弱多少 と 教養、気位、知識、欲望、人情、面皮、根性、自我、分別、無駄 を組あわせた「つもり違い十か条」が書かれていた。 面白いと思ってカメラを向けているとそこのおばさんに、「それほんまによろしおすやろ」ときれいな浪花言葉で声をかけられた。 

ジャズのライブ会場の場所をおばさんに尋ねると、それは多分右に出てそのまま進み、高架をぬけて、右は動物園前の地下鉄の駅、信号を渡ったその左の角にあると教えてくれた。 

これらの店が載っているブログ;
http://namibuncho.at.webry.info/201001/article_4.html