Joris Roelofs Trio
Sat. 10 March, 2018 at Qbus in Leiden, The Netherlands
Joris Roelofs (cl. bcl.)
Reinier Baas (g.)
Onno Goveart (ds.)
1 Thrils No.1 (R.Baas)
2 Evidence (T. Monk)
3 Duet (g. ds.)
4 The Man I Love (George Gershwin)
5 (Guillaume de Machaut)
Pause
6 Giant Everywhere (J. Roelofs)
7 Ask Me Now (T. Monk)
8 Je ne qui pas (G. Mashaut)
9 Rondo (J.Roelofs) experimental impro
10 How Insensitive (Antonio Carlos Jobim)
11 Juju (Wayne Shorter)
Encore
Skylark (Hoagy Carmichael)
ちゃんとしたジャズライブに来るのは久しぶりだ。 といってもこの間、町のジャズカフェで岡部源蔵君のライブに偶然行き当たったことはあるけれど手帳に予定を記して出かけるのはもうそろそろ1年になるだろうか。 その時は手術前の化学療法の副作用が消えておらず家族に付き添われてのアムステルダム BIMHUIS だったけれどそのときも岡部君で、彼の当ライブハウス初出演に立ち合えたことは自分の体調以上に嬉しかった。 そういえばここに書く同じサックス奏者で今年34歳になる Joris Roelofs を初めて観たのもこの BIMHUIS だったけれどあれは今からもう13,14年前になるのだろうか。 彼はまだアムステルダムの音楽院の学生で才能があるものだから自分が当時よく聴きに行っていたビッグバンド The Orchestra Of The Consertgebouw の客員サックスでアルトやクラリネットを吹いていたのがかれの演奏を聴いた最初だった。 才能あるメンバーの中でメリハリのきいた端正なプレーでソロのときには様々なフレーズが次々と飛び出し、もっと聴いてみたいと思っていたときに偶々終わってから外に出ると繋いであった自転車の鍵を外している Joris がいて、君のCDがあったら聴かせてほしい、と話しかけたのが最初だったがシャイな若者からは、いえ、まだないんで、、、という返事だったのが今ではもうリーダーアルバムが4枚、グループで共演しているのが4枚、ドイツ、オーストリア、オランダの代表的なビッグバンドでソロが聴かれるのが6枚というのが2006年からの経緯だ。 何年か前にはノースシージャズフェスティバルの客員作曲家として依頼の曲もものしている。 ドイツに住んでいるリー・コニッツとホールの隅で二人で話していたのをよく見かけたけれどそれは音楽院から続く個人授業でもあり旧世代から新世代への引継ぎを延々としている風にも見えたのだったがそれがすでに花咲きこの歳でもう徐々に円熟の芽も見え始めているのが感じられるこの日のライブだった。
この数年はアルトはあまり手にしておらずこの日のようにバス・クラリネット、クラリネットを専ら演奏している。 多分日本でも手に入る Chamber Tones Trio の2010年録音のものでクラリネットに並んでアルトを吹いているのと2011年のリーダーアルバム、ビムハウス・ライブでバス・クラリネットとともに聴けるのがアルトの「休止期」前の最後のものだろう。 8歳のときにクラリネットを始めて12歳のころチャーリー・パーカーばかり聴いていたのだからアルトはお手の物だしジャズの楽器の花形でもあって訓練と勉学はそれに注いであり、それで登場したのだけれど或る時からはクラリネットに戻り、ことに今はバス・クラリネットを主に吹く。 流石にコントロールとフレーズは今更ながら素晴らしくこの間、フリージャズの猛者たちと研鑽を重ねアルトの形跡を消している。 だからモンクやショーターのものではこの楽器の特性が遺憾なく伸び伸びと発揮され、バスクラリネットと聞くエリック・ドルフィーが即座に思い浮かぶ我々には如何にドルフィーと同じか違うかを探し、そんな風にも聴くのを禁じ得ないのだがドルフィーの香りは残しつつも、それはドルフィーなのか楽器の特性ゆえの指運となるのかに思いをめぐらしているうちにドルフィーの60年代をはるかに飛び抜けて現代のフリー・インプロヴィゼーションに遊ぶのが認められるという具合だ。
フリー・インプロヴィゼーションで互いに刺激しあい感興を分けあうこのトリオで、ギターの Reinier Baas は基本は硬質の音ながらパンクの香りをどこかに湛えて驚くほど達者なコード変化でフリーからブルース、果てはアフリカの民族音楽的なものまで展開するのであって、そこに呼応する Onno Goveart はスティックやブラシは置いて素手で対応するという場面もありリズムはアフリカの「プリミティブ」でありながら現代空間が広がるという不思議なことも起きるのだ。 特にバスクラリネットの演奏中に於けるギターのサポートは特筆すべきでありこのギターが今注目される理由もその野生味とスマートさを含んだ現代を走るギターをみるからだろうと思う。
モンクやショーターのものもスタンダードというのだろうがそれにも増して歌心が横溢する 4,10、アンコール で聴かれるクラリネットは素晴らしいものだった。 その素晴らしさはこれらスタンダードに聴かれる遊び心と実験的インプロである 3,9 や 自作、Baas作の 1,2,6、9に加えて14世紀のバロック以前の作に材を採る 5、10 などの間に配置された当日のプログラムの多様さの中から醸し出されるものが先に書いた34歳で既に円熟の発芽をみたという印象に繋がったのだろうと思う。
演奏が終わり年季のはいった40人ほどのジャズ・オタクたちが去った後ステージを降りてこちらの顔を認めるとやってきて長く顔を見なかったことをいうので、演奏予定のすくないことを訊ねたら選んでいるのだと言った。 内向的な性格から計画を立て曲想を練って勉強し、発表までの準備期間がいるようで生活のほうは音楽院教師としてなんとかやっていけるから音楽の質を念頭一番に置いていると言うのだが、これは岡部君と同じだ。 そこで、それに挑発されてアルトでパーカーをやらないのかい、と言った。 ドルフィーはなんとかクリヤーしているのだから世界中でどこでも皆がやってきたパーカーをやらないことはない、まだ君には決着がついていないのだからそろそろ自分のパーカーをやらないと、と振った。 皆パーカーを辿ってきて時代はパーカーはもう教材とスタンダードでしかない、とかなり手垢のついたものになっているのだがフリーの連中がこの日彼らがやったようにモンクを愛し、演じつづけるようにフリーを通過してパーカーを演じるハードルはとても高いものだと思う。 フリーとバードの組み合わせをけしかけたわけだ。 時代に逆行するかのように響くがこの男にはそうではないと思うのはフランス哲学よりドイツ哲学に惹かれて時間があれば読むといっていたその選択からもいつかはアルトで彼独自のパーカー解釈を試みるだろうと感じたからでもある。 それは難しいはなしだというもののアルトで斬新なパーカーを聴けることを楽しみにしていると念を押して次回のライブかCDを待つことにする。
2006年 Joris Roelofs 4 at BIM Huis in Amsterdam のメモ
https://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/40741115.html
2008年 Joris Roelofs Quartet のメモ
https://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/56338820.html