暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

'18、 1月2月帰省日記(6);直島 2、 美術

2018年03月04日 11時48分41秒 | 日常

 

 

2018年 1月 27日 (土) 晴れ

今日一日徒歩でこの島を廻り、幾つかの美術館や野外の美術品、インスタレーションを見る計画を宿舎のトーストとコーヒーの簡単な朝食をとりつつ考えながらさて、と人通りのない村のメインストリートに出て青空の下を歩き始める。

大体この港にフェリーが入るときには向かいの防波堤の先に草間彌生作の赤いカボチャがデンと坐っているのに迎えられ、これが美術の島のシンボルにもなっている。 島の反対側のベネッセホテル・美術館への登り口の浜の桟橋にも黄色のカボチャが構えている。 ロッテルダムのクンストハルという現代美術館にも草間のインスタレーションがあって原色の水玉模様がウリの草間の作品であるとすぐわかるのだがフェリー乗り場のある反対側の漁港にも別の作家のものではあるが巨大なクリーム色の合成樹脂の泡のかたまりで自転車置き場にしたものがあったりしてごく普通の漁港ががシャキッとするのだから美術品の力はたいしたものだと思う。 大自然の中で非現実的なものが目の前に在るという滑稽さを経験する上でも人がここ来てみる価値はあると思う。 なお草間彌生の黄色いカボチャだが後日京都祇園の歌舞練場前をあるいているとそこに草間の作品展を開いているとポスターが出ていた。 ポスターのデザインと実物とどちらが先かと考えたが普通は紙面が先でそれを具体化したものがインスタレーションとなるのだろうが当然実物化したものが契機になってそれを紙に描くということもあり得て、実物と先に書いたが美術にとって二次元も三次元も作品にはかわりなく実物もヘチマもないのだ、 あ、カボチャだった。 

李禹煥(リ・ウーファン)美術館までぶらぶらと景色を見ながら山道を登って行ったのだが途中地中美術館の入口を通過してそのままどんどん山道をあるく。 中国人・韓国人の観光客が貸自転車で我々を抜いて上がって行ったのだが電気自転車だからできることで勾配のきついところでは押して登っていくのも向うに見えた。 峠をこえて道が少し下がっているところがこの美術館へ行く道の入口でそこにテントを張って野生の猫と一緒にここを通る人をチェックしているオジサンがいた。 ベネッセホテルの宿泊客は車でも通過させるけれどその他の車を規制するために一日中いるのだという。 徒歩や自転車は文句なく通れるので我々はそこをだらだら歩いて美術館の方へ降りて行った。 大体この島の美術館は写真撮影が規制されているのでカメラはずっと脇に挿したままだった。 その情報については各美術館にしてもこの島の情報にしてもネットには充分散見されるからここに記す必要はないと思うが島全体が美術館仕立てであるというところが新鮮である。 天気が良ければ徒歩で巡るのが一番だと思う。

李禹煥美術館を出てそのまま浜辺に出た。 美しい透明な水にゴミのおちていない無垢な浜である。 背中のバックパックから母の骨を数粒とりだしてその静かな透明な水に撒いた。 そして松林の方に歩いていくと5mほど向うに猪が鼻を地面に突っ込んで食い物があるのか掻き回していた。 周りにはだれもおらずここは彼の領分なのか急ぐことも荒ぶることもなくあっけないものだった。 去年の五月に子供たちと泉佐野の山の方にある大きなダムを半世紀以上ぶりに訪れた時に車の前に突然猪が飛び出しその狭い山道は低い方はネットで覆われていたので猪は逃げることも出来ず可哀想なことに500mほど我々の前を走ってそのうち穴を見つけてそこから消えたことを思い出したが猪を見たのはそれ以来のことだった。

ベネッセハウスはホテルと美術館が同居している。 入口はホテルのロビーにもなっていてそこで突然顔見知りに会った。 小柄なオランダ娘で大学では自分の学生だった。 自分が定年してからもう3年経つのだから卒業後日本に来て幾つか仕事をしたあとこの1年ほどはここのホテルの研修生として働いているのだそうだ。 内気だが真面目で成績のいい娘だったと記憶している。 ホテルのフロント業務ができて不思議ではない。 学生の時からアクセントのないちゃんとした日本語が話せたのだから日本での経験と彼女の知識をもってすればもっと難しい仕事もできるはずでいずれこの仕事をばねに伸びていくにちがいない。 今のところこの島の生活も楽しく仕事も面白いといっていたので安堵した。 

この島の美術品の入れ物・建物はコンクリートの打ちっぱなしがトレードマークの安藤忠雄の作品だ。 この島を選んだのは自分ではなくほかの家族が選んだのであってその理由の一つが安藤忠雄の作品にはこの何年もでいくつか観ているからでもある。 初めてだったのはチロルで夏休みを過ごしたときにドイツの嘗てはロケット発射場だったところに建てられた野外美術館のホンブロイッヒ・ランゲン美術館だった。 もう12年も前になる。 子供たちは高校生、中学生だったから広大な嘗てのナチスドイツの基地にいくつもの建築物とその中に収められた美術品を見る経験は後々まで残ったに違いなく、その一つとして安藤の作品を観ていたのだ。 それとも子供たちがもうすこし小さかった時に大阪海遊館そばのサントリー美術館に連れて行った時にその建物を観ているはずだがその記憶はない、と言った。 ベネッセホテル・美術館の中心部、螺旋形に昇降する通路はニューヨーク・グゲンハイム美術館のものに似ていて安藤の通路によくある線形のものとは少し趣を異にしているように思った。 デイヴィッド・ホックニーのものを幾つか観てサム・フランシスのものを一つ観たのが印象的だった。 

山を下りて黄色いカボチャのある浜まで降りた。 浜にある海水浴場のよしず張りの店のようなところで自分と息子は美味くもないカレーを喰った。 家人の喰ったハヤシライスは酷い味だったがそんなものを喰ったことがない家人はそんなものかと初めは口にしていたが半分ぐらいでやめた。 娘は餅と緑茶で昼食にしていてそれが一番賢明な選択だと言うのが一同の意見だった。 ただ、そこにかかっていたジャズが気になって店の人に訊いてみた。 アルトサックスに聞き覚えがあってその名前が分かるかどうか確かめたかったからだ。 こちらからその名前と曲名をいうと、その通りだと言った。 メモリースティックにはいっているものらしく前の店の持ち主から音響装置ごと引き継いだものだといった。 アンプはマッキントッシュではなかったもののまともなJBLのモニタースピーカーで食い物の味が音の質に釣り合うのなら文句はないのだがそのことは言わなかった。 今回色々なところで1950年代のバップ・ジャズが掛かっているのに気になった。 もっとその場にあった音楽の種類があるだろうものの何故バップジャズなんかかけるのだろうか。 それがかっこいい、なりいい雰囲気をつくる、なり、また流行りなのだから、というのならそれは誤っている。 ラーメン屋でこれがかかっているところを知っている。 それはそこのマスターが好きだからだ。 鮨屋のBGMでこれがかかっていることもあった。 場違いもいいところだ。 今回こんな風に音楽が環境汚染になっている現場に随分立ち会った。 自分はジャズが好きだからこういうのだ。

不満足な昼食のあと地中美術館に向かうべく急な坂道を登った。 勾配が16度もあると警告がでていた。 幾ら電気自転車でもこれは登れない。 この島に安直な西国33か所かの地蔵が道端にあった。 それが設置されてまだ日が浅いのか点々と続く新しい石像が有難味が薄いように思えた裏を見ると寄進の名前と住所はこの島のものだった。 地中美術館につては、というより直島の美術館のことはこの島に来ても知らなかったからここで突然モネを三枚観られたのは僥倖だった。 靴を脱いで履物を与えられ一度に20人しか入れないように制限されている空間は我々の時は4,5人だけで日暮れ近くの自然光の下では普通見られないようなモネの色彩が現れ幻想的でさえあった。 図録や作品集の複製のほうが色彩が立ってはっきり見られるのだろうが自分にはこれが印象に強く一生残るだろうし自分のモネ経験に少しは厚みができたような気になった。 いずれパリのルーブルでモネの部屋を訪れたいと思うのだがゴッホ美術館と同様常に混んでいるだろうから特にルーブルを訪れるという事はしないだろうと思う。 けれど今日のモネ経験は自分には貴重なものだと思う。 閉館前にここを出た。 けれど閉館後またここに来ることになっている。

300mほど山道を歩いて人々が閉館後に特別にあつまる切符売り場に来た。 宵から夜の地中美術館巡りのツアーというのがあるらしく家人たちはそれを予約してあったようだ。 時間が来て40人ほどの参加者がぞろぞろと夕闇が迫る道をまた美術館に戻る。 美術館は全ての電灯が消され、ただうっすらと自然光が入る中をそろそろと引導されて四角い箱につぼまったサイコロ空間に入れられた。 天井には四角にぽっかり穴が開いており雲の動きが見える。 与えられた毛布を膝にかけ、少し傾斜した白い壁にそったベンチにすわりに寄り掛かれば背が当たる部分に暖房が入っているのが感じられる。  これはジェームス・タレルという作家の視覚を体験させるプロジェクトらしい。 頭上にみえる四角い空を薄暮から夜に移行するその様子を体験するのがこのイヴェントの目的であると説明された。 四角い空の穴につながる四つの白い壁には5分ごとぐらいに淡い色が投影されて眺めている空の印象も投影された色彩に干渉されてか様々に変わる。 微かな残光があるのか四角い穴の一方が微かに明るいのだからそちらが西なのだろう。 今日のように天気が良ければ空の移り変わる様子が楽しめるけれど雨の場合はどうするのだろうか。 自然任せだから天井のガラス窓に落ちる雨粒をでも眺めていろとでもいうのだろうか。 サイコロの一辺にそれぞれ10人ほどが坐った参加者が黙ってそらを眺めているのをみるのは何だか滑稽にみえる。 自分は耳にアイポッドのプラグを差し込みフェデリコ・モンポウのクラシック・ピアノ曲を流してやり過ごした。 茜色から灰色に、それが暗くなり一番星がみえ、それが一片の雲に隠れ飛行機ではなく人工衛星がゆっくり動いていくのも見え、そのうち月が出てきた。 なるほど面白いものだ。 壁の色が変化するにつれて眼が知覚する空も違った色彩にみえるから不思議だ。 そういうふうに2時間近くそこにいたような気がする。 時間が来たのか係員に導かれてほぼ真っ暗な館内から外に出て解散した。 参加者の殆どがベネッセホテルの宿泊客だった。 山の夜道をとぼとぼと降りて港まで帰るのは我々だけだった。 月夜だから海を見下ろす山道を下るのは気持ちが良かった。 あるところから道路わきに電灯が立っているところに来て、そうなると一気に辺りが暗くなった。 さっきの体験ではないが光が闇を強調しはじめたのだ。 光のないときは闇はむやみやたらとでしゃばらなかったのに街灯が一挙に辺りを暗くした。 人家がある辺りに来て水路を隔てた畑の中に動く影が二つ三つ見えた。 目を凝らしてみるとそれは狸だった。 生まれて初めて自然の狸をみた。 こちらが向うを眺めていると一匹のボスというか雄の狸が興味深そうにこちらを眺めている。 10分ほどそんな具合ににらめっこをして眺めていたがこちらが退屈してそこを離れた。 光がないからこうして互いに観察することも出来たのだが街灯があれば狸も出てこなかったにちがいない。

地中美術館を出て暗い山道を30分ほど下り村のメインストリートにある海産物・寿司を中心にした料理屋に入った。 若者が我々が落ち着いた小さな座敷にきて自分にではなく家人、子供たちに英語で話しかけ何を注文するか聞いた。 英語で書かれたメニューをもっていた。 息子は刺身定食、家人は寿司の盛り合わせ、娘は鯨のフライを注文した。 自分はこんな店で無粋にも牛のステーキを注文した。 一日中歩いた時には肉が喰いたくなるのは何度も経験している。 何年か前にフランスのプロヴァンスをリュックを背負って何日も歩いた時にはほぼ毎日ステーキを喰っていた。 そんな性癖がでたのだろう。 無粋にステーキを注文したのはメニューにあってそれに反応したからでもしなければ何を注文していただろうか。 多分そうなると牡蠣フライ定食だったのではないかと思う。

店を出るとき英語が上手な店の若者にそのことをいうと店主である父親に習わされたのだと言った。 島には外国から観光客がたくさん来てそれに対応するためらしい。 この島にはまだ二日しか滞在していないけれどはっきりとほかの島にはない特別な雰囲気が感じられる。 幾つもある美術館がどしりと居座って島の観光に大きな影響を与えているという事だ。 そして若い人にそれに対応する体制が徐々にできているということだろう。 忙しい夏場に来ず今の時期で良かったと思う。 夏場やいい季節には美術館に入りきれなくて待ち時間が長くなり何も見ずにもどってくる人たちまで出る始末だと聞いた。 それにしてもここでも中国人と韓国人の多いのに圧倒される。