暇つぶし日記

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芳川泰久 著  「蛇淵まで」 を読む

2018年03月06日 11時09分58秒 | 読む

 

芳川泰久 著  「蛇淵まで」

文學界 2018年 2月号  P82 - P131

 

雑誌巻末の執筆者紹介のところには早稲田大学文学学術院教授、51年生まれ。「吾輩のそれから」とあって、本作の中から著者に近似と思われる泰則という大学教師である主人公は漱石にからんで英文学が専攻だろうかと想像できるのは文中、高校時代の思い出でラブレターに I Need You と書いてその不埒さを教師からこっぴどく叱られたというエピソードを示していることから想像したことであって、フィクションと作者を結びつける幼稚なことはしないつもりでいても下衆な勘繰りも名前だけはこの何年も文学雑誌でみていたし記事も作品も眼にしていた筈なのに一向にその印象がないそのことがこんな下衆の勘繰りを後押しているのかもしれない。

帰省の折自分が奉職していた大学の図書館に「文學界」がないことからこの自分が愛好している雑誌を地元の小さな書店で手に取って、もう継続して読まなくなったのはこの7,8年のことになる、と思い返したのだった。 1980年代の中頃から30年近く「すばる」と「文藝」を加えて三誌を取り寄せ、読んだあとは日本学科の図書館に寄付していた。 図書館には「新潮」と「群像」が入っていたし芥川賞受賞作は中央公論の横に並んでいた文藝春秋で読んでいた。 だから本作の作者名もそんな中で記憶に残ったのだが作品の印象がないというのはどういうことなのだろうか。 若い時に創作で文芸賞をとりその後鳴かず飛ばずで教師になるという作家を多く見て来たしそんな教職と並行して創作活動をして成果をあげている作家も何人かはいるし鳴かず飛ばずでいるという作家・教師も大勢いる。 純文学は売れないのだし喰えないのだから子供に知識を切り売りして口に糊してそのうち公務員のようになる。 

第一、純文学などという言葉にしても死語であり文芸雑誌に活気があるかどうかということも文芸三誌を取り寄せることを止めた理由の直接間接的なものかもしれない。 毎月家に届けられていたものを梱包して郵便局まで歩き船便で送ってくれていた母が介護施設に入ったからというだけが理由ではなかったように思う。 自分が年を取り書かれているものに魅力を感じなくなったりそんな雑誌の風景が霞んで遠のくように感じたからでもあるのだろう。 いくら面白いと思って始めた道楽でもいつかは辞める時が来る。 それは自分の方の理由が大きいけれどそれを後押しするのはそういう道楽の現場の様子にも依るのだ。 同じようなことが自分の道楽の一つであるジャズでもいえる。 4年ほどジャズの現場を離れたら分からなくなるし自分の鼻が利かなくなっているのを感じる。 それも自分の肉体的条件である鼻が鈍感になるということと現場の匂いが変わってしまっているということもあるのだ。 それを今回感じた具体例としてこういうことがある。

2018年2月号の「文學界」をざっと見渡して特に印象に残るものがなかったのだ。 自分の鼻が鈍っているのだろうか。 新春創作特集として保坂和志、三木卓、藤野千夜、南木佳士、椎名誠、芳川泰久の創作がならんでいるが殆どが「老人もの」である。 高齢者に材をとるもの、高齢者が書くものの特集かと思った。 純文学は死んでその化石が再生産されているのかとも思う。 それならまだこの間読んだ「新潮」での橋本治の連載「九十八歳になった私」の方がどれくらいパンチがあって文芸を蹴散らし文学しているかそのバカバカしく見える文体に溢れている。 その違いが橋本が「文學界」に出ない理由であるのかもしれず「文学界」が文芸エンターテーメントの牙城として生き残っている理由であるのかもしれない。 けれどこういうものを誰が読むのだろう。 こういうもの、というのは2月号のことであり、また本作のことでもあるのだが、こういうことを長々だらだらと現に書いている自分が、そろそろ70に手が届くという自分が読んだではないか。 この文はそのことに尽きる。

今、1月から2月にかけて日本に帰省したときのことを忘れないために日記として書いている。 母が亡くなりその整理に帰り、納骨、分骨、散骨をしたことを中心に書いているのだがその時の記憶が自分より一つ年若い作者の本作品と重なる部分が多いのを読み進めるうちに認め、それがこの文を書く動機になっている。 大阪の四天王寺に納骨をした記憶がまだ新しく残っている自分に本作の泰則がそのあたりの寺に納骨に行く場面があり納骨、墓のこと、戒名のこともストーリーの曲折にからめて面白く読んだ。 母親にとっては康則は世間の分かっていない大学につとめる息子でしかないように描かれているが若い読者には退屈に続くだろう叙述の終わりに父親の出身地である四国の山奥にでかける話が続き、先月散骨の為に四国に出かけて山襞を掠めたこととも重なり、また大昔、石鎚山に登ったり山奥の村に出かけたこともあるのを思い起こし最後近くまで表題の「蛇淵まで」というのがでてこなかったものが一挙に話が「お話」に収斂され年寄りインテリの母恋ものがたりとして治まる体裁になっているのだ。 自分がもし今回の帰省旅行もなしに、また20歳は若く壮年のはしくれにぶら下がっているのなら洟にもかけない物語であり、何の外連味もない文芸としてどうということもないのだが同じような経験をもつ同年配の話としてはよくあることだとして「あるあるネタ」の一つとして記憶に残るものになるのだろうと思う。 その時にはこれが作者の体験をもとにしているのか創作であるのかそんなことはどうでもいいこととして、お噺のもとである、あったかなかったか知らねども、あったことにして聞かねばならねえという態度をとらねばなるめえ。