暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

これで何分咲きぐらいだろうか

2018年03月12日 15時42分41秒 | 日常

 

ゆっくりゆっくりと無数にある蕾が開き始めている。 蕾は去年からついていてそれが硬いまま一月の末に日本に出かける前に、二月の中頃に戻ってくればうちの椿の季節は済んでしまっているかもしれない、と日記には書いていた。 実際、四国や京都などでは椿をあちこちで見たのだし多くは咲き終わっていたからそう思ったまでで、けれどオランダに戻ってきてみればほぼそのままだったのには驚くとともに、ああ間に合ったという安堵もあったものの、けれどその後の開花速度の遅さにこれは普通なのかどうか疑問に思うこともあってネットでみれば別段これで問題ないという事も分かって、へえそんなものかとも思った。 国も違い沢山ある椿のなかでも種類がちがえばその性質も違うのだからこれはそんな種類のものなのだ、それにその発育の遅さにも思うところも無くはない。 

大阪の田舎を歩いていた時に椿の群生しているところがあり、そこにいた府の自然公園管理人に訊いたことから思い起こすと自分が子供のころ丘の上でよじ登って対岸の神戸を眺めていたあの椿の大木は百年を遙かに超すものだったようで、それを子供の自分が知っていればもう少しその椿に対して尊敬の念を持って登っていたものをと考えたものの子供のことだから仮令そうと知っていてもそれがどうだと鼻にかけなかったかもしれず、多分田舎の子どもには数百年がどうだとやり過ごす蓋然性の方が大きいとも思い、自分の頭の中にはその子どもの時の記憶と相まって、椿というものは大木でなければならない、そういうものだ、と思い込んでいたふしがある。 そんなことだから眼の前の我が家の椿も盆栽に毛の生えたものぐらいにしか感じないし、こうでなければならないとどこかで思いこんでいた樹がここにないというもどかしさも幾分か感じもする。

木の小ささは一面にまんべんなくついている蕾の多さで相殺するとしてこれから徐々に咲き始めるにしてものんびりしたものだ。 ことしの椿の初物、といって妻が咲いたものを摘んでダイニングの一輪挿しの硝子の器に生けたのは2月の15日だったからそれからすると花盛りのピークは四月の終わりごろになるのかもしれない。 カメラを構えながらアングルを探っている時に、はて、今の開花状況というのは何分咲きだろうかと思った。 多分二分から三分だろうと理由も数えることもせず大雑把にそう勝手に結論付けてシャッターを押した。