暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

ドレンテ州を歩く 10  グロニンゲン駅

2009年11月15日 13時23分40秒 | 日常

ドレンテ州を歩く 7 から続く

2009年 10月 24日 (土)

Zuidlaren から Haren を 通って Groningen 駅まで 徒歩 約24km

我々4人に娘のボーイフレンド J君 が Haren にある釣堀のレストランから加わってこの日の最終ポイント、グロニンゲン駅まで9kmほどを歩くのだが、我々はここまでに既に15kmほど歩いていて、私の右足の痛みも休憩の折には治まってはいたものの歩き始めるとまたぶり返した。

Haren から Groningen までは直線距離にして5-6kmで、もう20年以上前その町に住んでいたときは時々自転車で大きな道沿いに走っていたし、車でもこのあたりは走ったことがあるけれども遊歩道のような自転車かそこの住民ぐらいしか乗り入れないこのようなルートを歩くのは初めてで、出来るだけ車や自転車を避けるように作ってあるルートであるのに、さすがこの二つの町の間はかなり人口が密集しているようで、このあたりは木々はあっても2-30mの距離を置いて人家がかなりあるようなところを歩くというようになっている。 もう森や公園がある場所は市の北までなさそうだ。 それでも一番静かなルートを辿っているのだからあちこち曲がりくねって結局9kmと言うことになるのだ。

南からこの州の州都まで北上する高速道路も昔からの運河もこのあたりまで来ると平行していて、当然高速道路に沿って遊歩道などのルートは作られていないものの目的地まで無理な回り道をせず辿るということになると広い運河の堤を歩くことになるのだ。 この頃にはそれが長距離を歩いた疲れなのか、昨日から続く足の痛みなのか判別のつかないようなことにもなっており、他のメンバーには感づかれないようだが自分ではかなり足を引きずっているようだ。 それに小道とはいえアスファルトが敷いてあると足裏に負担がかかり自然と路肩の草の生えているところを歩くようになる。

若いものたちはさすがに元気があり、道々、ふざけ合ったりすると声を上げて互いに追いかけっこをするようなことまでする。 彼らはこの10年ほど毎週3時間はトレーニングをし、週末にはフィールド・ホッケーの試合をしているものたちなのだからスタミナは十分すぎるぐらいあって今回にしても、もうこの何年も親が言うから一緒に歩く遠足、というような意味合いになっているのだろう。 我々年寄りはもう声も出さないで黙々とあるく、という態なのだ。

町に入りコースのそばにスーパーがあったのでそこに寄って夕食の食材を買った。 私はかなり疲れていたのでどうでもよくそれぞれがいろいろな棚、コーナーをカートを押しながら回るのをぼんやり眺めていてレジが済んでから買ったものを各自のリュックに分担して持ち帰るときに、私のリュックが一番大きかったから自然と一番多く背中に担ぐことになったけれどリュックの重さは足の痛さに比べると何ほどでもない。  J君は試験が近々あるからと大判の辞書ほどもある重い医学書とパジャマに簡単な衣服をリュックに入れていたからそのスペースもなく、結局スーパーのビニールにメロンを入れたものを他の子供たちとおなじように手にぶらさげて歩いていた。

ちょうどこの頃、日もとっぷりと暮れて 駅に着いたときにはあちこちに明かりが点いていた。 この町に前回来たのは3年ほど前であるけれどこれまで何回も車だったから駅を見ることもなく、前回駅に来たのは20年ほど前になるかもしれない。 80年代の中ごろに駅が修復されることになり天井の板をはがしてみると下から明治時代から1930年代のスタイルの装飾が現れてびっくりした、と言うことがあった。 それまで味気のない天井、壁の建物が一度にレトロな美術館の内部、と言うようなことで驚いたのだが、前回にみたのはまだ今の美しい壁はまだ現れていなかったけれど天井だけでもその美しさに驚いたことを覚えている。 それに加えて全体が修復されているのをみるのは初めてだ。 土曜、午後6時のひっそりとした玄関ホールの装飾はすばらしいものだった。 よくアムステルダム中央駅を利用し、近年補修されている中央コンコースの天井の装飾をみる機会が多いけれど この駅の装飾のほうが数段上のような気がする。 東京駅にしてもアムステルダムやグロニンゲン駅をモデルにしているらしいから東京駅の装飾も当時はこのようなものだったのだろうか。 

5分ほど待つと電車がでて、普通なら10分とかからない距離に25分かかった。 車内アナウンスが流れ、どういうわけか速度が出ないのだそうだ。 駅から200mほど歩いて踏み切りをわたって駐車場まで歩くのだが、その踏切で今降りた電車を待たなければならず、駅で長く停車して故障の原因を探るとアナウンスで言っていたものの結局分からずじまい、直ってもいないようで、下に下りた踏切の横木の前で大分車が集まってきたころやっと相変わらずのろのろと電車が通り過ぎていき、まだのろのろ向こうへ消えていく電車が見えるのに踏切が上がると我々は最後の300mほどを暗いところを車に向かってとぼとぼと歩いた。