ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

漢詩の手帖『いつかたこぶねになる日』小津夜景

2024-01-05 21:56:32 | 日記
 いま毎日楽しみに読んでいるのが、小津夜景の『いつかたこぶねになる日』。漢詩を紹介しながら書かれているエッセイが楽しい。

 知らなかった本や作家やいろんなひとの言葉がちりばめられていて、ほー、とかへぇとかあはは!とかひとつひとつ声をあげながら読んでいる。

 なので、外には持ち歩かず、寝る前とか昼間のちょっとした時間に少しずつ読む。もったいないから。

 いい本かどうかというのは小説でもエッセイでも歌集でも、読みながらすぐにでも自分がなにかを書きたくなってくる本だというのを私のなかのものさしにしている。この本は毎日なにかを書きたい気持ちになり、毎日遠い日に忘れていた記憶がはっきりと目の前に顕ちあらわれたりする。

 きのうは「スープの味わい」のところを読んでいて、小津さんが子供の頃、入院をしたときに看護師さんがおいしいスープをもってきてくれたという話なのだけど、母親と看護師さんの会話を読んでいたら、昔の記憶のドアが開いた。

 私も7才くらいのときに腎臓を悪くして3ケ月ほど入院していたことがあった。小児病棟だったけれど、同じ病気の子はトイレに行ったら尿は捨てずに名前の書かれた瓶みたいなものに溜めるというルールがあった。ほんとうかなと思うけど、確かに毎回その瓶に入れていた記憶がある。

 私は昼寝からさめてトイレへ行ったとき、脇に体温計を挟んでいたことを忘れていて、しゃがもうとしたときに体温計が落ちて割ってしまった。割れた体温計を拾って病室に帰ると、母が面会にきていた。

 それで体温計が割れたことを話していたら、看護師さんが部屋へ入ってきた。

 母「この子が体温計を割ってしまったようなんです」
 看護師さん「そうですか、怪我はなかったの?」

 と私のほうをみたので、謝ろうと思ったら、母が

 「弁償しますわ。おいくらですか」と訊いたのだ。

 そこからのことは覚えていない。私はちゃんと謝りたかったのに。その気持ちだけが心の底に残った。子供でも、不注意でも、謝るときは謝らないといけない。それは父が私たちに厳しくしつけていたことだった。

 私は「ケリ」をつけられなかった。

 いまもそのことだけが残っている。ということを思い出した。もしかしたら、そこにお父さんがいたらよかったのにな、と思っていたかもしれない。
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お正月おわり

2024-01-03 18:59:12 | 日記
 気がついたらもう3日の夜。あしたが初出勤。私は月12日という契約を会社と結んでいて、セミナー開催日など出張が入っている日以外は自分でスケジュールを決められる。1月は10日と29日がセミナー。それ以外は仕事の段取りなどを予想しながら決めていく。

 4日の出勤をどうしようかかなり迷ったのだが、基本的に火曜日はお休みにしているので、6~9日はまた4連休ということになる。10日の締め日のための仕事をする日が少なすぎる。それで、4日は出勤とした。4日、5日に新しく入ったMさんと早回しで間に合わせるつもり。

 結局、年末年始は12月28日から7日の休みがあったのに、買い物以外どこへも行かず。

 食べて、読書して、ちょっとだけ仕事して、寝て、食べてを繰り返していた。

 あまりにもなんにもしなかったので、反省して夕方からゆずジャムを作った。

 残っていたのは中くらいの壜1、小瓶2で、今朝、その中くらいの壜のジャムを食べ切ってしまった。年末に実家へ帰ったとき、まだ残っていた柚子を収穫してきていてそれがキッチンの隅にあって気になってもいた。10個くらい。

 ジャムを作ろう。なにかを作るというのはエネルギーが湧く。ジャムでも短歌でもなにかを作るというのは心に良い。

 1時間ほどで中くらいの壜がひとつ分できた。

 これで少し安心。あしたからがんばるよ。
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珠洲市のこと

2024-01-02 22:48:47 | 日記
 きのうの夕方に起きた能登半島を震源地とする地震の被害は想像をはるかに超えていた。

 去年の4月と11月に奥能登へ旅をした。一回目は家族と。二回目は錦見さんと。

 5月に奥能登で地震がおきて、4月に訪れた須須神社の鳥居が倒れた姿をテレビで見て、心配していた。二回とも泊まった珠洲市の民宿くにまつさんのご夫婦は大丈夫だろうか。

 9月に宿をお願いするために電話をしたら、おかみさんが出られてお元気そうでほっとした。しばらくお話をして宿を取った。2回目だからということで、夕食のおつくりを多いめにしてくれたり、ほんとうに温かで清潔な宿。

 家のお風呂より少し広いめの湯舟に錦見さんとふたりならんで浸かったり、夕飯のあと必死で翌日まわるポイントの計画を話し合ったり。ひとつひとつの場面が実家にいるような時間だったように思い出される。

 七尾とか穴水とかテレビから地名が流れるたびに、七尾の駅員さんとか、穴水のレンタカーのお姉さんとかみんな無事だろうか、と思う。

 くにまつさんは裏がすぐ海で、防波堤はあったけれど、津波がきたんじゃないだろうか。リニューアルしたばかりの建物は流されてないか、おふたりや宿泊されていたお客さんは大丈夫だったんだろうか。いろんなことが心配になってくる。

 11月に通りかかったとき、須須神社の鳥居は復旧していてはやく建てなおされてよかったなと思っていたのに。

 いまはみなさんの無事を心から祈るだけしかできないけれど、なにか役に立つことがあれば、と思う。どうか暖かい場所で温かいものが食べられていますように。

 写真は去年4月のくにまつさんの裏の海岸で見た朝日。一日も早く穏やかな日常に戻りますように。
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新しい年と北陸地震

2024-01-01 16:01:22 | 日記
 新しい年が明けました。
 
 ふたりの父の喪中ということで、初詣はなし。

 結婚35年目にして初めての夫とふたりで自宅で過ごすお正月。

 普段と変わりのない日常。メダカに餌をやり、植物に水を遣り。

 あまりにも静かでなんにもないので、母のお雑煮を思い出しながらお昼はお雑煮を作ってみた。島根のほうではおすましというか、出汁をとってそこにお餅を入れて、お椀に移してからアオサをかけるというシンプルなもの。

 アオサを買い忘れていたので(というか、作るつもりはなかったから買っていなかった)、お餅のみというさらにシンプルなお雑煮ができた。

 夫はきなこ餅とか焼いたのが好きなので、自分のぶんのみを作り、お昼にいただく。

 ああ、おいしい。
 新聞を読み、本を読み、午後からは年末にいただいたお見舞いのお便りのお礼状を書いた。

 一昨日の夜に息子がやってきて、きのうの夜までいた。実家じまいを目の当たりにして危機意識をもったようで、きのうは8時に起こされて、9時から夜まで本の整理をした。途中、お昼ご飯と晩御飯と、廃品処理場への往復と買い物以外はずっと3人で片付けていった。

 多分もう読まないなという本、雑誌は全部捨てた。あ、揺れてる。地震だ。長い。

 階下に行ってテレビをつけたら北陸で震度6。京都南部は震度3だった。かなり揺れたように思った。北陸のひとたち、大丈夫だろうか。

 というわけで、本で占領されていたスペースが少し片付いて動きやすい部屋になった。

 これをキープしていきたい。

 

 

 
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