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いつでも君のこと好きだったよ

お義父さんの友人

2023-09-20 22:19:24 | 日記
 2019年の11月に義父は老人介護施設に入所し、先週、2023年9月14日に亡くなった。

 施設の暮らしをとても気に入ってくれていた。この施設には習字、絵画、英語、カラオケなどのレクレーションなどいろいろな「習い事」が用意されていて、それぞれ参加費用は無料。毎月の施設使用料に含まれている。

 好奇心旺盛な義父は習字、絵画、英語、レクレーションとすべての習い事に参加していた。

 社交的ですぐに仲良しの友人ができたことを、面会のときに話してくれた。

 印象に残っているのは義父が「先輩」と呼んでいた男性で、父より4つほど年上で、戦争にも行かれたという人物。ドイツ語が堪能で、語学好きの義父とは気が合ったようだった。私が「お友達ができてよかったですね」と言ったら、「お友達ではなくて、先輩です」と義父に正されたことを懐かしく思い出す。

 先輩は義父にドイツ語で「野ばら」の歌を教えてくれたそうで、覚えるためにドイツ語で紙に書いてもらったと聞いていた。義父に歌ってもらう機会はないままだったけれど、たぶんふたりで歌ったのだろう。

 きのう、施設の片づけにいったとき、「野ばら」の歌詞が額に入れてあるのを見つけた。

 ああ、そんなに大切にしていたんだ、と思った。先輩は数年前に施設で亡くなられたということだった。

 そして、その額のとなりには与謝野晶子の短歌「やははだの」の歌が収められた額も飾ってあった。同じフロアのとても上品な女性を紹介されたことがある。私たちが面会に行っているときに、廊下であって「お父さんにはお世話になっています」と挨拶された。

 そのまま部屋にも入ってこられて、「この額、私が晶子の歌を書いてさしあげたんです」と教えてくださった。

 

 お義父さん、施設でも新しい交友関係を築いて楽しくされているんだなと安心した。

 亡くなる数日前に義姉が面会にいったときも、ここはほんとうにいいところでねと言っていたと聞いた。コロナがなかったらもっと頻繁に会いに行けたのにということ、この5月以降はコロナ対応も緩和されていたのに、あんまり面会に行ってなかったことが悔やまれる。

 施設の廊下や自室に飾ってあった絵画や習字の作品をたくさんもらって帰ってきた。

 義姉や姪たちと分けようと思う。
コメント
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