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いつでも君のこと好きだったよ

白石瑞紀歌集『みづのゆくへと緩慢な火』

2019-02-05 18:15:15 | 日記

 火曜日。火曜日は本の日と決める。毎週火曜日は最近読んだ歌集などについて書いてみたい。(続きますように)

 

 今週は、昨年12月23日に上梓された白石瑞紀第一歌集『みづのゆくへと緩慢な火』。

 

 タイトルがかっこいい。そして濱崎実幸さんの装幀がタイトルと合っていてまたかっこいい。帯も跋文も解説もなし。潔い。立ち方がかっこいいのだ。2月10日にととと12号が配信予定で、そこには5首選を挙げているけれど、その5首にはとらわれずに書く。

 

 ・こつこつと指で鎖骨をたたくとき胸の泉にさざなみの立つ 

 ・いつの日か後悔する日があるのかな がんばらないと決めたわたしを

 

 とても内省的な歌と、ひらきなおったようなまっすぐな歌が交差する。

 

 ・父の食む一口のためタッパーに梨をぎっちり母は詰めたり

 ・手際よく粒子の父を真ん中に集むる刷毛の動き見つめつ

 ・日にいくど死を思うだろう噴水の水が循環しているように

 

 重篤の父のために母がぎっちりタッパーに詰める梨。もうそんなに食べれないのに、と思うけれど詰めずにはいられない母。「タッパー」という言葉のなかに家族の記憶が仕舞われていて、父にしてあげられることの少なさが悲しい。2首目の「粒子の父」は粉のようになってしまった骨だろうか。手の動きを見つめているしかない場の空気、静けさが伝わる。目の前の手の動きだけに心をむけている。3首目は噴水の水の循環のように「死」を思うという。ずっと同じ強さで思うわけではなく、わっと高まったり、治まったりするのだろう。噴水の水、がいい。

 

 ・泣ききつてしまふのがいい曇天を映せる水に舫ひ船揺る

 ・暗がりにみづは見えねどほうたるのひかりが揺らぎ水面(みなも)とわかる

 ・見えずとも分水界のあることの、さやうならとも言はずに別る

 

 歌集をとおして常に水が流れているのを感じる。子供のころに見た湯気のたつ水を思い出した。習字教室の近くに染屋さんがあって、そこの工場の横の溝には赤い湯気のたつ水が流れていた。美しい、と思った。習字の帰りに自転車をとめて長い時間眺めていた。なぜあんなに惹かれたのか。工場のなかでどんなものが生まれていたかは知らない。見えない。そこにあるのはものを作ったあとの熱さを連れていく水。うねったり、ひかったり。白石さんの水の歌にはそんな、なにかのあとの連れて行かれていく感じがするのだ。

 

 ・雪だるまづくりが下手になつてゐてなんてつまらぬ人生だらう

 ・螺子ひとつ床から拾ひ棚に置くさみしいことをシェアしたくない

 

 雪だるまの歌は一読したときから深い歌だと思った。できなかったことができていく子供時代。できることを積み重ねて生きていく。だけど、あるひ、あたりまえにできていたことが出来なくなっていることに気づくのだ。積み重ねてきたと思っていたけれど、本当はなにかできなくなることと交換してきたのかもしれない。愕然とする。あんなに得意だったのに。できていた自分はもういないことを知る。螺子の歌は、白石さんの潔さ、ひとりで立つ生き方が「螺子」「床」「棚」の選びでわかる。

 

 いい歌というのはなかなか言葉で説明ができない。歌がきっかけとなって自分のなかにあるものと再会することがたびたびあった。

 

コメント
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