ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

八月を引きずって

2006-09-03 | art/exhibit/museum

・・・前回ブログのつづきです・・・

星野道夫さんの「星のような物語」を見に行ったのが「先月」のこととなってしまった。
26才のときにアラスカへ渡ってから約18年間のあいだ、
北極圏の生態を写真と文章で取材し続けた彼。


そのずっと前、7月某日の朝日新聞の 《be on Saturday・・・
愛の旅人》では
斎藤鑑三氏の文で星野さんと奥様の直子さんのことが取り上げられていた。
〈星野は不器用だけれど、ユーモアがあって、感受性の強い若者だった〉 という。
直子さんは17才年上でいつもジーンズ姿の彼を
全くの少年でした。」と振り返る。
アラスカでの取材旅行先から、いつも直子さんにたくさんのカードを書き送っていたが、
その中の文面の一つに、彼はこう書いている。
「自分が死ぬとき、写真集が何冊あったか、なんて、重要なことではないんだ。」


 

彼の写真を見ていると、アラスカへ行けば多くの動物の群れに出会えるんだと思ったが、
谷間の出口で夜を明かして待っていても、その群れに出会えないこともしばしばで、
物事がうまく運ばないとき、先住民は「風とカリブーの行方は誰も知らない。」と言うそうだ。
なんと詩的な表現だろう。 
「愛と旅人」の中で気にかかったこと、それは以下の文面だ。

・・・この壮大な旅を地球上に残せるかどうか、人間は最後の試験を受けさせられている。・・・
星野がそう記した「最後の試験」がいま、始まった。
地衣類を食べ、子育てをするこの一帯に、国家規模の油田開発計画が進む。
300人の村は石油会社の懐柔策で半数以上が賛成に回った。

これを読むに付け思い出されるのは星野さんのこのことば。

「人間の歴史はブレーキのないまま、ゴールの見えない霧の中を走り続けている。
だが、もし人間が、これからも存在し続けてゆこうとするのなら、もう一度、
そして命がけで、ぼくたちの神話をつくらなければならない時が来るかもしれない。」

今回の写真展では、動物達、特に親子の写真がほのぼのと心に残り、
頭脳を駆使して地球を支配しているかのように見える、人間として生まれてきた自分たちの
“無力さ”を感じざるを得なかった。
エンヤの「AMARANTINE」と言う曲が会場内に静かに流れ、星野さんが見つめていたはずの
大自然の中を、ともに歩んでいるような気持ちにしてくれる。

星野さんが遺した多くの大学ノートのなかに書き留められていた、メモ
この展覧会をさらに盛り上げた。きっと、来場者は彼のことばを各々の心のなかに
大切に収め、自分へのメッセージとして持ち帰られたのではないか、と思う。
私も、心にしまっておきたいそのいくつかを、自分のためにもここに載せて、
没後10年目の星野道夫さんのご冥福を心よりお祈りしたい。

 ★・‥…・・・★・‥…・・・★・‥…・・・★

  ・・・目の前にあるすべてのものの存在は、はるかな時をこえ、今、ここにある

  ・・・幸福を感じる時間とは、ありふれていて、
    
華々しさのないたまゆらのようなものだった。

  ・・・あわただしい、人間の日々の営みと並行して 
    もう一つの時間
が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。

  ・・・弱者は、守らなければならない者を持ったことにより、
    強者との立場を時として逆転させてしまう。

  ・・・たとえ親であっても、
    子供の心の痛みさえ本当に分かち合うことはできないのではないか。
    ただひとつできることは、
    いつまでも見守ってあげるということだけだ。
    その限界を知ったとき、
    なぜかたまらなく子どもが愛おしくなってくる。

  ・・・いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や
    泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、
    その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?
    写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり
    言葉で伝えたらいいのかな。

    その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・
    その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって。

                     
                      


その後、8月19日より、朝日新聞の夕刊に 
アラスカきる・・・星野道夫が残した光》が、
5回の連載として掲載された。
〈時〉の人、という考えはしたくない。
彼があゆみ、感じた、地球へのやさしさと危惧とを
必死に次世代に伝えなければならない時なのではなかろうか。

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「浅き川も深く渡れ」 

かれは小学校の卒業文集にこう書いた。

そして、亡くなるその年のお正月、取材で南東アラスカへ向かう途中の
アンカレッジ空港からかけた電話のなかでこう言った。

「今年のモットーは・・・こだわる生き方をするんだ

 

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と、毎度のことながら、好きな人のことばや写真を沢山引用したmyブログとなりました。
弱い私はいつも誰かのことばに支えられて、奮起する、その繰り返しです。
こだわる生き方・・・今からでも遅くない?!

Ps. 前回ブログに写真を付け足しましたので、宜しかったら覗いてくださいね。