ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

暮れの展覧会

2013-12-30 | art/exhibit/museum

年賀状書きがまだ終わらないというのに、昨日が最終日になってしまったので
日本橋高島屋まで「報道写真とデザインの父・名取洋之助展」に行ってきました。

「父」、というビッグな肩書きのつくこの方をよく知らなかったので知りたかったし、
彼の娘、名取美和さんがかかわっている「バーンロムサイ」の写真展示と
現地の小さな工房から生まれる手造りのオリジナルグッズがどんなものだかを
見たかったのです


最終日とあって、会場は意外と混んでいました。若い方も多かったこの写真展、
期待していたように、とてもよかったです!
写真の一枚一枚に、名取氏の言いたいことが詰まっている、そんなふうです。

          
「摩天楼から紙飛行機を飛ばす紳士 シカゴ」 
アメリカ1937年 写真:名取洋之助

「NIPPON」1934年創刊号」
写真:渡辺義雄、デザイン:山名文夫

洋之助が中心となり1934年に創刊された「NIPPON」というグラフ誌。
その表紙が一堂に展示してあったコーナーでは、各デザイナーや写真家のコメントが面白かったです。

↑創刊号の表紙などは、写真、デザインを他者に依頼しているにもかかわらず、
デザインを担当した山名氏は、「結局これは名取洋之助の作品としかいいようがない」、と言い放っています。
頼んだイラストを、自分なりに何度も変えてしまっているのだそうです。
きっと作品のイメージがつねに頭の中で溢れんばかりに湧き出ているのでしょう。
バックの写真に使われている学校は泰明小学校でしょうか?
どんな写真で、どのような絵、そこまで指図していたといいます。


木村伊兵衛、原弘、河野鷹思氏たちと仕事を重ね、
土門拳、三木淳、稲村隆正、長野重一、亀倉雄策、岡部冬彦氏たちを育てた「父」。
「社会通念をどう裏切っていくか、それがドキュメンタリーの切り口であることを叩き込まれました」
とは、長野重一氏の弁です。

「写真は技術を見せるものじゃない。写真は通信手段なんですよ。
一番大きな役目は人に語る手段なんだから、
語るものを探し、それを自分が媒介となって人に見せることなんですね。
それを忘れて自分を出すものと考えると間違いですね。」

被写体=語るもの。それを探す。
コンデジだろうとケータイカメラで撮ろうと、写真が好きな一人として、
この言葉はズシッときました。

羽田澄子さんもこのように繰り返し言われたそうです。
「きみはこの本で何を訴えようとしているの」
「写真は挿絵ではない。写真をして語らしめよ。」 

洋之助没後の1963年刊行の、二冊目のロマネスク写真集
人間動物文様―ロマネスク美術とその周辺 」の中で、夫人が記したことばは;

・・・・・・・・・
洋之助は多くの欠点を持った人間であった。
ただ仕事に対する態度は立派だったと思う
・・・・・・・・

芸術写真を「お芸術」、と言って軽蔑したり、
土門拳の持ってきた写真を、意味のない写真だ、としてゴミ箱に投げ捨てたり・・・

強い個性でも、写真家として見ている限り、妥協しない、まっすぐの視線を感じます。
娘の美和さんにはとても優しそうです。

出口を出たところでバーンロムサイの小物や衣類が販売されていたので、
私はこんなものを買ってしまいました。バッグに付けようかしら。

忙しい年末に、やはりもう終わるからと出かけたほかの展覧会は・・・
東京都美術館で開催されていたターナー展

 

色使いが大好きな画家ですが、会場が込み過ぎ。
中高年が多くてベンチに空きがなかったです。

そして、カイユボット展も最終日間近になってブリジストン美術館に飛んでいきました。

裕福で、絵を描かなくても、仕事をしなくても生活できる画家でしたが、
魅力的な絵をたくさん残しています。経済面で支援していた
モネやルノアールなどの画家だちが皆超一流になっているのに
カイユボットはどうして
有名にならなかったのか、ちょっと不思議です。
裕福ゆえに、絵を売却する必要がなかった、と言われていますが、それだけなのでしょうか。

もうこれ以上書いていられない時間となりました。
2013年もあと一日で幕を閉じます。
これから残りの年賀状書きに大掃除、そして台所仕事が待っています。
あ、車も洗車しないと。

娘は旅行中、夫は仕事、息子は夜勤明け、という珍しいかたちで
元旦を迎える我が家の新年。
おせちを喜ぶ人がいるとは思えないんですけど。

気が抜けますが、気忙しいです。


 


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