まだ日にちがある、と思っていたら見に行きたい美術展の会期がことごとく終了していた。
「金刀比羅宮書院の美」は最終日だったが、きっと混みあっているだろうし、上野に行く
気分ではなかったので、9日で終了してしまう 「線の迷宮Ⅱ― 鉛筆と黒鉛の旋律」を
見に行った。前日は特養を訪問したりと忙しかったが、この日は夫だけが、母親の所に
ホームを移動する件について話しに出かけたので、それとほぼ同時に目黒区美術館へ
向かった。
そこでは鉛筆やシャーペン、消しゴムなど、シンプルな画材を使った9名の作家たちの
約100点のモノトーンの作品が展観。
・・・・・・ 雑踏から逃げたくなったらここにおいで。 ・・・・・・
パンフレットに書かれていたその言葉に半ば誘われて来てしまった感もあるが、実際に
見るそれらの作品群は、想像を絶するほどの緻密な絵が多く、眼鏡を外し 顔を絵に
接近させないと細部がわからなかったりする。いや、接近させても肉眼では見えにくい
ほど細かい。私の視力がよほど低下して来たんじゃないか、と悲しくも 疑ってしまう。
ものが見えにくく感じ初めた頃は、絵の好きな人間としてはとてもショックだった。例えば、
音楽の好きな人の耳が少し遠くなり始め、音楽全体を聴き取れなくなってきている、と、
自覚するときのショックと似ていると思う。
最初の部屋で見たのは、◆篠田教夫氏の作品群。この《海辺の断崖》 は気が変に
なりそうなくらいほど細かく、虫眼鏡が欲しかった。が、すごい!
作者コメントには、こんな事がかいてあった。
誰しもが見慣れているはずの“或る物”も、日常的な意識の視点を
少しずらすことによって、まるで異界の幻想風景のごとくに変貌する。
さて、或る物とは何んでしょうか。
鉛筆を使いこなし、消しゴムで描くそうだが、消しゴムで描くってどういうことでしょう?
それは、紙の上に濃い鉛筆で漆黒の闇を創り出してから、消しゴムで削り描きをする
手法だそうな。
2階に上ると、8人の作品がコーナーごとに ◆齋鹿逸郎氏は、展覧会の始まる少し前、 |
彼の作品は、「無限に続く鉛筆の軌跡」と書かれているように、ただひたすら、すべての
空間を埋め尽くすべく、このように描いている。
鳥の子紙という和紙に鉛筆で下地をつくって胡粉や白亜粉を置いた
その軌跡をたどりながら、さらに鉛筆で描いていく独特の描き方。ひたすら
描くことが、作家の呼吸であり生活であり生きる証でもあるかのようであった。
一階に戻り、この時偶然行われていたワークショップを覗いたら、講師が参加者の作品を
見ながらお話している最中だった。小川百合さんもそこにいらしたので興味深く、ちょっと
衝立の外から覗き聞きした。(美術館のリンク先で、ワークショップの様子が窺えます。)
8月の3日間を費やして行われた小川信治氏のワークショップでの作品「無限風景画」は
下記の要領で作られた。
古い外国の絵葉書や、自分の写真の中から選んだパーツを構成して
鉛筆と消しゴムで書き込みます。完成した全員の作品を作家が絵で
つなぎ 輪にして、8月21日からワークショップに展示します。
*参加者が完成させた作品が、ワークショップ終了後、小川氏の作品
となることにあらかじめご同意いただくことが参加条件となります。作品は
写真でお渡しします。
参加者19名の描いた作品の間を繋げるのに小川氏は19枚の作品を描いている。
全長12メートル、38の部分からなる「無限風景画」の試みは、2006年から続いている
彼のプロジェクトの一つだそうだ。参加者もなかなかの腕前。絵が好きな方だったらきっと
うずうずしてしまうような、楽しい企画があったとはね~、知らなかった~!
この美術館のラウンジが、ちょっといい感じ。コーヒーを頂きながらひと休みし、どのルートで
帰るかを思案。行きは目黒駅からだったが、帰りは別の道を、と思い、恵比寿に向かって
歩いた歩いた。中目黒で、日比谷線に乗ろうか・・とも考えたが、鎗ヶ崎交差点は、いつも
車で通るばかりだったので、一度自分の足で歩きたかった。
途中で「VERRE」というこじんまりとしたガラスと食器のショップを見つける。この並びに「青山
ケンネル」もあった。「アマポーラ」恵比寿店では通りに面した所でパエリアを売っていたので、
つい、夕食用に、と買ってしまった。具が小ぶりだったけど、おいしかったぁ!
私と入れ違いで、娘もこの展覧会を見に来た、と、あとで知った。
Kちゃん、招待券を送っていただき、ありがとうございました。