ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

アニエスVと神保町

2009-11-14 | cinema

メトロ半蔵門線に乗り、神保町で下車した所、構内のこんな壁面に気がつく
さすが本の街、神保町だ~。早く地上の古本屋さんをハシゴしたくなるけど、この日の目的は、その昔「幸福」と言う映画を見て以来、常に気になっていたアニエス・ヴァルダの最新の映画を見ることだった。それは岩波ホールで上映中のアニエスの浜辺」。

最近フランスものを多く見ている気がするけどそれは意識してのことではなく、たまたま。でも無意識に意識していたりして。

その映画は、終始彼女による、彼女の語りで綴られた、彼女自身の《シネエッセイ》だった。
子供時代をすごしたベルギーの浜辺、疎開先の南仏の港町セート、夫であるジャック・ドゥミ(「シェルブールの雨傘」などを手掛けた映画監督)と訪れたアメリカ西海岸。常に身近に海があった彼女の人生には、友人や家族、夫の温かい眼差しがぎっしり詰まっているかのよう。それを引き出すアニェスのフレッシュな感性は81歳だという現在でも衰えを知らない。
丸々した小柄なアニエスの人柄、優しさ、想像力に富んだ生き方が反映している制作過程や豊かな交友関係などが、彼女の言葉を通してどんどん伝わってくる。夫ジャックが亡くなったとき、その原因となる病名がエイズであることを映画の中で明かし、当時のその病名に対する偏見や無知によって傷ついた心の中をしんみりと語ったが、二人の仲のよさには正直羨ましい気持ちでいっぱいだ。
最初から最後までほぼ途切れず語り続けるので少し疲れるけど、ドキュメンタリーだからこその魅力が溢れたいい映画だ。私ぐらいの年齢の女性が目だったってことは、彼女たちも中学か高校時代に「幸福」の中の男女の関係を背伸びして見つめ、共に行ったクラスメートと、映画の中の愛のかたちについて議論したりしたのかなぁ・・と勝手に想像していた。 映画のHPはこちら


 

岩波ホールの隣りの本屋で見つけたダ・ヴィンチのでっか~い画集は重くて裏返すのも大変だった。送料無料で9千円也。勿論立ち見しただけだけど。

帰り道、古本屋の並びにあった明治12年創業の眼鏡屋さんのどことなくレトロな雰囲気に引き付けられ、用もないのに閉まっているドアを開けて中に入った。ショーウィンドウも店内もジョン・レノンの写真で飾られている。

そしてディスプレーに使われている眼鏡も、ジョンのと同じ丸い形ばかりが目立つ。奥の方から女主人らしき方が現れたので、「面白そうなのでちょっと見させてくださ~い」とか言いながら世間話をした。とっても気さくな方で、自分も一人で映画を見に行くのが好きだ、と仰る。古くて懐かしさのあるお店ですね、と言うと、お金がないから新しく出来ないんですよ、ですって。ご謙遜でしょうが、こんな返答を聞くと、お金がないほうがつまらないものを作らずに済むなぁ、とか思ってしまう。なにか不思議な魅力の漂う、又立ち寄ってみたいと思わせるお店だった。こういう店にはず~っと頑張って欲しいなぁ。それにはお客にならなくては!

上のポスターは神田古本祭りのもの。これを横尾忠則氏が手掛けたと新聞で読んだ気がしたので、どこかの店の若い人に尋ねて確かめようとしたら、「さぁ・・・横尾忠則って人なんですかぁ・・良く知らないんです・・」と言うのにはびっくり。無理もないかぁ。私だって「Exile」とか言われたら何だかさっぱりわからないもの。
時代は流れても、神田界隈の良さはそのままであって欲しいな。

今回は時間がなくて本屋さんを余りハシゴできなかったけど、版画なども扱っている夏目書房では、楽しくてつい二階まで上がって見た。

行きはメトロで来たのたが、帰りは運動がてら神田からJRに乗ろうと歩いてたら、行列の出来ている鯛焼き屋さんに出くわした。夕暮の空はすっかり暗くなり、寒さも増して来たので列に並び、お土産用に数個買うことに。焼き立て熱々の一つはふぅふぅしながら、歩きながら頬張った。これぞ安上がりな至福のひと時というもの。あんこが美味しかった!
     
     

           

 

 


世界最古のバレエ団

2009-10-27 | cinema

楽しみにしていたこの映画、週末にイクスピアリで観てきました。
フランスのルイ14世の時代に創設された世界最古のバレエ団パリ・オペラ座。

エトワールと呼ばれる最高位のダンサーたち154名と
1500名のスタッフを抱えた350年の歴史あるバレエ団の現在の日常風景を、
ドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンが、
オペラ座の全面協力を取り付け、84日間に及ぶ密着撮影を完結させました。

ワイズマンの映画をみるのは初めてでしたが、字幕説明やナレーション、
インタビュー、効果音などを全て排除したドキュメンタリー作品をみるのも
確か初めての気がします。被写体となるのは一般人が見れない部分のみ。

淡々とした視線でオペラ座の内部を、様々な角度から映し出しています。
館内を掃除する人、修理する人、美術や衣装の係、事務局の人、芸術監督など、
オペラ座で仕事をしていても表面には出てこない人々。そして
現役ダンサーによる、あるがままの練習風景やリハーサルの数々。

昔の16mmをみているように感じたのは、余りにも演出さがないから
でしょうか。同じような場面がいつまでも続いたか、と思えば
逆に場面がちゃっちゃっと変る。踊っている演目がごちゃごちゃに
なりそうでした。興味津々なのに正直な話、途中一瞬ですが眠くなりました。
つまらないからではなく、前の晩の寝不足も影響していたと思いますが、
この撮り方で160分というのはちょっと長いな、と感じたのです。
5分ほどのトイレ休憩があれば・・と思ったのは、年のせいですかぁ?

オペラ座のダンサーは国家公務員で、定年が40歳。年金も40歳から
即、受け取れるという特別待遇があることを映画のミーティングの
場面で知りました。
しかし制度というのは今後どう変るかわからないので、
常に危機感を持ち、今受けている待遇を今後も維持できるように
各人が意識して質を高める努力を決して怠らないこと、そうでないと
あなた達に安定という未来はないのよ、今の立場が別のバレエ団に
すりかえられてしまうのよ、といったニュアンスの内容を、
芸術監督のブリジット・ルフェーブルが再三ダンサーたちに訴える
場面が印象的でした。又、別のミーティングでは大口寄付者である、あの
リーマンブラザースの名前が出て、彼らを招待する為の特典を考えたりと、
営業・経営面でのオペラ座としての姿もチラッと垣間見れたりするので
説明など一切なくてもバレエ団の実態が少しずつ浮き彫りにされるのです。

練習の演目などは「パリ・オペラ座のすべて」HPに載っていますが
簡単には以下のとおりです。(パンフレットより)

ジェニュス
* 
くるみ割り人形
*
メディアの夢
*
パキータ
*
ロミオとジュリエット
*
ベルナルダの家
*
オルフェオとエウリディーチェ

 

メッセージを伝えたいなら電報で事足りる。
私は観客が考える為の情報を伝える為に映画を撮る。

というワイズマン監督は37歳のときに弁護士から
ドキュメンタリー監督になった変り種。
その理由は弁護士より映画のほうが好きだったから、だとか。
なぜテロップやナレーションを使わないのか、との問いに、


説教くさい説明は実は作り手が観客をバカにした行為だと思う。
私は自分の目で見た事実をそのまま観客に伝えたい。
観客とともに考えたいのです

自分の信念どおりに作品をつくりだすワイズマン監督。
「もと弁護士」の視線が映画作りにも反映しているのかもしれませんね。
それにしても日常の練習と比べ、本番は別人のように変身する
エトワール(星)たちの優雅な姿に惚れ惚れさせられた映画でした。
今度はレンタルで再度ゆっくり(トイレタイム付きで!)観たいです。

ですが、この映画はバレエ映画というより、オペラ座の内側がどのように
なっているのか、オペラ座バレエ団とはどんなものなのか、そして
指導方法は・・などなど・・を見るつもりで行ったほうが正解でしょう。
失敗を怖がり、ダンサー達が古典ばかりを踊りたがることに疑問を感じる
芸術監督は、現代ダンスへの挑戦を薦めます。それが吉と出るか凶と出るか
全く想像できないのは、バレエ界が、そしてバレエ愛好家がいまだに
古い考えを持った人ばかりだってことだから。
しかし、オペラ座も少しずつ新しい試みを取り入れているようです。
どの職種にしても、相手はお客さまです。古いものの上に胡坐をかいていては
愛想付かされ取り残されますよね。古き良き物は大切に残し、現在に
相応しい発想を取りいれられる柔軟性は、バレエ界においても
求められていることなのだ、と、、、、


このような感想になるような映画とは思わず、去年のパリ旅行で
見れなかった部分を再発見したい気持ちで見に行ったbiancaでした。

来月下旬で一年が経つのに、まだ旅行記が2回分残っているなんて、
どういうつもりでしょう。あはは・・そろそろ終わらせなくては!



 

 


シャネル映画・シャネル名言

2009-09-28 | cinema
      

先週は月曜日にアンヌ・フォンテーヌ監督の「ココ・アヴァン・シャネル」を見に行きました。この映画はココの若き日々をオドレイ・トトゥが好演。逆境をはね返しながら自分に正直に生きるココ・シャネルが、どのようにファッション界のトップへと上り詰めて行ったか、よく知らなかった分、とても興味深く鑑賞しました。

そこで、もう一つのシャーリー・マクレーン演ずる「ココ・シャネル」も見たくてたまらなくなり、イクスピアリでの上映最終日が金曜日だと当日になって知ったので、飛んで見てきました。遠くのシネマまで出かけなくて済んでよかった!

 

1883年8月19日に生まれ、母の死去と共に孤児院生活を余儀なくされたココ。18歳でお針子として働きはじめ、20才のときに富豪エチエンヌ・バルサンと出会ってから1971年1月10日に87歳で亡くなるまで、働き尽くめだった彼女の人生の後半を、シャーリー・マクレーンがどう表現するか、楽しみでした。

始まりは、15年間の沈黙の時代を経た後の1954年2月、復帰をかけてのコレクションが不評に終わるところから・・・
。昔を回想しながら進むこの映画もなかなか見応えがありましたが、英語を喋るシャネル映画ですから、それがどうも最後まで気になって仕方なかったです。それと、幾つかの状況設定が、前回の映画内容と微妙に食い違う点が、「伝記映画」としてどうなんだろう、と思いましたが、米・仏・伊の合作でテレビ映画として作られた事を思えば已むを得ません。

      

フランス映画の方がよかった気もするけど、アメリカ版の方も、若き日のココ役のバルボラ・ボブローヴァが、オドレイ演ずるココよりずっと大人しくて物足りなさもあったけど、とても魅力的な女優さんでした。シャーリー・マクレーンは“貫禄”ですかね。

高級ブランドには、ファッションを見るのは好きでも、ほぼ関心のない(買えない!)biancaです。シャネルだって例外ではなく、何であんなつまらないキルティングのバックが(失礼!)ビックリするほど高額なのか訳けがわからないのです。欲しいと思ったことなんか(本当に!)一度もないし、たとえバックが一つ手に入ったとしても、それに合う服も靴も容姿も持ち合わせていましぇ~ん。

                  流行とは、時代遅れになるものよ ←本当に!
  私は流行をつくっているのではない。スタイルをつくっているの ←納得!

シャネルNo.5の香水こそ、お土産にいただいたことがありますが、殆ど使わないまま蒸発。アハハ・・・お粗末ですねぇ。

          香水を付けない女性に未来はない(ギョエ~ッ?)

シャネルブランドとは縁もなにもないですが、一人の人間として、女性として、彼女の強靭な生き方には興味津々でした。

          翼を持たずに生まれてきたのなら、
       翼を生やすためにどんな障害も乗り越えなさい

彼女が最初に手掛けたのが、バルサンの援助により始めた帽子のデザインだったことや、人生でただ一度、心から愛した英国人実業家アーサー(ボーイ)カペルが、パリで「メゾン・シャネル」を出店するときの資金援助を申し出たこと。その後、彼を交通事故で失ったことなど、異性運においては幸運と不運の連続だったことを知りました。それでも、男性から援助は受けるけど決して支配されない女性だからこそ、媚びずに自己を主張できる女性だったからこそ、別れたあとも男友達として友情が続いたのでしょうね。恋人カペルから借りた援助資金は全部返済したというんですから、人を“利用”するだけの人間では決してなかったし、そんなところが、人を惹きつけてやまない彼女の魅力の一つだったのでしょう。

冠婚葬祭にしか使われなかった黒いドレスを、最も美しい色として取り上げたり、それまで誰も思いつかなかった、コルセットを使わない、着ていて楽な、余計な装飾を排除したシンプルな服作りを提案し、当時のファッション界の常識を塗り替えてしまう行動力は、あのころの保守的な時代背景を考えるとすごいこと、と思わずにいられません。

          かけがえのない人間になるためには、
         常に他の人とは違っていなければならない

ジョン・F・ケネディーが暗殺されたあの車で、ジャクリーヌ・ケネディーが着ていた服はピンクのシャネルでしたし、マリリン・モンローが[寝るときに身に付けるものは、シャネルNo.5だけよ」と言っていたのも有名ですね。

ココ71歳。映画の始めでの復帰をかけてのコレクションが失敗に終わったとき、彼女は「私は今まで何回も挫折を繰り返してきたから失敗はどうってことない。いつもそこからが始まりだったんだから・・」というニュアンスのことを言いますが、彼女の最大の魅力はまさにこの精神のように思えます。

          逆境こそが自分を伸ばせる機会である
            人生がわかるのは逆境のときよ

沢山の名言を残したココ・シャネル。逆境で培った反骨精神を持って、最後まで信念を貫き通した方が語ることばだからこそ、強力な説得力があるように感じます。生活の場として暮していたホテルリッツでひっそりと、その波乱に満ちた一生を終えたということも又、シャネルらしい自立した終わり方のような気がしました。

一週間に二本もシャネル映画を見たら、映画のことよりも、シャネル自身のことに魅了されてしまったマイブログになってしまいました。



             COCO avant CHANEL  

              
COCO CHANEL 

 

  

                  私は何度も
               挫折してきたわ
                でもその度に
             這い上がってきたの

 

 

 


ギンザでの映画上映会

2009-09-16 | cinema



週末に、誘われて行った先は銀座のメゾンエルメス10階。
「北北西に進路を取れ」の上映会がありました。
ヒッチコック監督の名画ですが、まだ見ていませんでした。

出演は
ケイリー・グラント(ロジャー・ソーンヒル)、
エヴァ・マリー・セイント(イヴ・ケンドール)、
ジェームズ・メイスン(タウンゼント)
マーティン・ランドー(殺し屋)等、
1959年の映画だけあり、懐かしい顔ぶれです。

ビデオを借りてくれば、家に居ながらにして見れますが、
メゾンエルメスの中の、40席しかないプライベートシネマで、
となると、是非とも行ってみた~い、となったのです。

映画はすっごく面白かった、というか滅多に見ない
サスペンス物なのでハラハラしっ放しで、
心臓がドッキンドッキン状態。こんなところで心臓発作を
起こしたくないな~と、真剣に思ってしまいました!


映画の中に、ヒッチコック監督本人が二回出てくることを
前もって知っていたのに、発見できなかったのが残念でしたが、
機会があればもう一度見たい、と思いました。


三時からの上映だったので終わったのが5時20分近く。

同館8階ギャラリーでは、名和晃平「L_B_S」展が
開催中とのことで寄ってみました。
タイトルの「L」はリキッド,「B」はビーズ、「S」はスカム...

この3つの作品が二つの部屋にわかれて展示されています。
現代アートって理解に苦しむ作品が多いですが、実験的要素大の
作品が、はたして見る人をどう魅了するか、でしょうかね。
ウォーターベッドのように見える容器の、泡がプカプカとした作品は、
その変化をもっとゆっくり、じっと見つめていたかったです。

ここで作品が紹介されていますが、期限があるかも。

メゾンエルメスの2Fにカフェがあるとのことで(見に)
行ってみましたが、案内板等が出ていないのでわかり難いこと。
建物内のほかの全てのスペースと同様、現代的でシンプルな
つくりですがお値段はサ~プライス!
この日のようにゆっくり出来ないときに、
単にカフェしてすぐ帰るのでは勿体ないのです。

去年プラハのエルメスで見た可愛いのぬいぐるみ、
この店内でもみつけましたよ。


パリのポンピドーセンターやベルンのパウル・クレー センターを設計した
レンゾ・ピアノが「銀座のモチーフは万華鏡である。昼と夜とで違う顔を
持つ街」というイメージを抱いて設計したメゾン・エルメス。昼は外から中へ、
夜は中から外へ光を放つガラスを用いてランタンを表現したといいます。
大きなガラスブロックを1万5千枚ほど使用しているとか!

まだご覧になっていない方はぜひ、ソニー通り側から行って見てください。
ビルとビルの入り口の間に巨大オブジェがあることを、今回初めて知ったし、
エルメスビルに入ったのも初めてだったのでした。
夕暮れ時の、店内の灯りが外に映るころ、建物から外に出て、
尽々とビルを眺めてから帰路につきました。



アクロス ザ ユニバース

2009-08-06 | cinema

先日、「ママが若かった頃の曲や時代背景を 今見ると どう思うかな~と思って・・」といいながら渡されたレンタルDVDが「Across the Universe」。
聞いた事ないと言ったらパパが、ビートルズの曲のタイトルじゃないか、と言う。ネットで調べたら、去年の今ごろイクスピアリでも上映されたようだ。(知らなかった!)
昔はなんとなくビートルズ派、ローリングストーンズ派とに分かれていたように思う。わたしは断然ストーンズ派(ミック派?)だったのでビートルズのレコードは初期のドーナツ版一枚以外、買った事がなかった。ストーンズのは、少ないお小遣いを貯めて一枚、又一枚と増やしたが、あるとき以降、買わなくなった。R&Bの影響バッチリの初期の方が好きだったから。ビートルズは、というと、おそろいオカッパ頭でユニフォームを着、きれいにハモっている姿に余り魅力を感じなかった。が、レノン・マッカートニーの才能には脱帽していた。

この映画はビートルズの代表的な33曲をパロディー化したような内容で、1960年代の若者たちの青春をミュージカル仕立てにして描いている。ベトナム戦争泥沼化になってからの反戦・平和運動、過激派の出現、ラブ&ピースのヒッピー文化、ドラッグ、サイケデリックアート、などなど、当時の社会現象を多く盛り込んではいるものの、曲を先に決めたためかストーリーの内容が大雑把。だけど、ビートルズの33曲を、曲にぴったり当てはまるシーンごとに、キャスト全員が吹き替えなしで歌っているところが素晴らしかった。登場人物の名前はすべて、ビートルズの曲の中に出てくるものだし、オリジナルより良いかも、と思える曲がいくつもあったほど皆うまい。

カメオ出演として、ジョー・コッカーやボノなども登場。ジョー・コッカーが一人何役にもなってしゃがれた渋い声で「Come Together
歌う姿はカッコよかったな。先に見ていた娘は、「映画の中に変なオジイサンが何人も出てくるよ」って言っていたけど、彼はまさにその一人だったので笑ってしまった。黒人の少年と女性が闘争と追悼の各場面で歌う「Let't it be」には心打たれたし、マックスが徴兵検査に行った先では「I want you」が突如飛び出し、ヨーコを慕って作った曲が軍隊に使われる滑稽さが可笑しかった。
ジョジョのギターにあわせたセディーの歌はどれも最高!セディー役のディナ・ヒュークスは一見ティナ・ターナーを彷彿とさせるが、ブロードウェイミュージカルでジャニス・ジョプリン役になったと知り、それもぴったりだと思った。二人で歌う【Don't let me down】の、ジョジョの声にもメロメロだ~。

ジョン・レノンは「本当に良い歌は、メロディーがなくても歌詞だけでその価値を見出せる歌であり、それに該当する曲こそが、アクロス・ザ・ユニバースである。」と言っているが、33曲すべてに日本語訳の歌詞が字幕に流れるので、それまで何気なく聴いていた歌の意味がよくわかったし、ビートルズの様々なエピソードもストーリーに盛り込んでいるので、ビートルズをよく知っている人ならニヤッと笑える場面も多いので何倍にも楽しめる筈だ。私は字幕と日本語で二日続けて見てしまったが、二度とも結構楽しめたのは、歌とともに、ビジュアル的にも楽しかったから。 


                【ACROSS THE UNIVERSE       
               
                スタッフ

          監督: ジュリー・テイモア
(ライオンキング)
          脚本: ディック・クレメント / イアン・ラ・フレネ
          撮影: ブリュノ・デルボネル
          美術: マーク・フリードバーグ
          衣装: アルバート・ウォルスキー
          編集: フランソワ・ボノ
          音楽: エリオット・ゴールデンサール

                キャスト

          エヴァン・レイチェル・ウッド
(ルーシー)
          ジム・スタージェス(ジュード)
          ジョー・アンダーソン(マックス)
          デイナ・ヒュークス (セディー)
          マーティン・ルーサー・マッコイ(ジョジョ)
          T.V.カーピオ (プルーデンス)

          ボノ
          エディ・イザード
          サルマ・ハエック
          ジョー・コッカー
                  他
                   

 6日は広島の64年目の「原爆の日」。6月に初めて広島を訪れていたので、テレビに映し出される平和記念公園やその周辺がとても身近に思えた。今夜もテレビで「被爆者からの手紙」を見ていて、とても身につまされた。一生忘れられない辛い記憶を背負った人生がどのようなものかを考えてしまい、平和宣言で広島市長が呼びかけたように、核廃絶に「Yes,we can!」と世界中をシュプレヒコールの波に巻き込んでいきたい、と思った。
  ・・・・・・・LOVE & PEACE   ACROSS THE UNIVERSE!・・・・・・

 

そして、ここで「ALL YOU NEED IS LOVE」といきましょうか。

ラブはいいけど、ドラッグは絶対ダメ!
You Tube での曲探しが趣味なもんで、曲名に沢山のリンクを付けましたが、ご興味おありでしたらお聴きくだされ。


 


F.サガンの魅力

2009-07-19 | cinema

日曜日は地元の美容院に行ってから、銀座まで映画を見に行った。

サガン ~ 悲しみよ こんにちは ~


同名の小説をひっさげ、18才で鮮烈な文壇デビューを果たしたサガンの、
〈正真正銘の伝記〉とは言えない要素の多い映画。
昔、友達の彼から私に「悲しみよ こんにちは」の文庫本を渡されたことがある。
今でもなぜこの本だったのかが不思議だが、とにかく読んだ。
その軽いタッチに物足りなさを感じたものだが、フランスのエスプリと
甘酸っぱい印象だけが残り、ストーリーの詳細は忘れてしまった。

映画では、華やかな友好関係のあった
女優のカトリーヌ・ドヌーブや
ブリジット・バルドー、デザイナーのカルダンやサンローラン、そして
オナシスとかサルトル、カポーティーなど有名人は殆ど出て来ず、
普段着の自分でいられる友人たちとの生活が映画の中心となっている。



「悲しみよ こんにちは」の主人公セシルのイメージを持った
ちょっとエキセントリックな小娘サガン役を、
シルヴィ・テステューが実に見事に演じ切っている。



インタビューで、自由を定義すると?と聞かれ、
定義したら自由ではなくなる、
と言い放ったり、コカインを注意されたときは、
破滅しようが、それは私の勝手でしょ!と叫ぶ。
彼女が麻薬に走ったのは、瀕死の交通事故での鎮痛剤からきているようだ。
時代の寵児となり、大金を得たことで人生が狂ってしまったサガン。
収入より借金がどんどん膨らみ、今でも一人息子のドニが返済しているらしい。
「お金は大嫌い!」で、
「私がひそかに恐れるのは、愛なく生きることだ」の
言葉に、彼女の華やかな生活の中に見え隠れする孤独感が胸に迫る。
でも、彼女は大胆な反面、内気で恥かしがりやで寂しがりやさんでもある。

女監督のディアーヌ・キュリスは、
サガンの最も美しい作品は彼女の人生、と言う。
又、シルヴィ・テステューは、
サガンは何かを決心する人ではないし、常に人生をあるがままに生きてきた。
サガンに貼るラベルはないのよ。と語る。
そして人生を怖れない彼女の生き方には学ぶ点がとても多い、と。



映画を見ながら、破滅的に見えるサガンの自由奔放な行動が、
時には羨ましく思えたし、自由を貫ける強さには、我儘という言葉よりも
拍手を贈りたいほどだった。だって出来っこないもの。
そして本当の自由を手に入れられる人は
常に孤独と背中合わせなのではないか、とも思った。

 

 

映画館を出た角地に人だかりが
出来て皆が皆、松屋の方角を見て
いるので何だろうと思ったら・・

大きな虹がくっきり見えました。
ケータイで撮ったのでハッキリと
撮れていないけど、実際はもっと
鮮明に見えましたよ。
み~んなケータイを掲げているので
だれもが振りかえっていました。

明日は晴れかな。

 

         

 


夏時間の庭

2009-07-04 | cinema

久しぶりに見た映画は「夏時間の庭」。
その舞台となった緑あふれる田園の一軒家は、印象派の画家たちに愛された
イル ド フランス地方のヴァルモンドワというパリ郊外の町にある。

母親が、画家である大叔父から受け継ぎ大切にしている
アトリエを兼ねた自宅や沢山の美術品などを、自分の目の黒いうちに
それらの行く末を見届けたい、と思っているが、
映画の中では願いかなわず、急死する。

「子供たちに残したい」と願う長男。
外国生活がベースとなり、フランスに戻る気のない長女と次男にとり、
家は懐かしいけど無用の長物。現実の選択は厳しい。

相続税を回避するため、美術品などは美術館へ寄贈され、
愛された邸宅や広大な庭は売却される。
思い出に浸る十分な時間もなく、あっという間に全てが人の手に。
長年仕えた無欲な家政婦が、主人の死後ここを訪れ、
『このように質素なものなら誰も何も言わないだろう』と、
いつも野の花を摘んでは生けていた思い出の花瓶を、
それがどんなに高価なものかも知らず、形見として大切に持ち帰る。
別の花瓶は美術館へ寄贈され、無関心な入場者が素通りする。

美術品は、そのほとんどが居間や寝室など、人の生活のなかに居場所を
求めて生まれたもの。美術館は美術品の墓場だ、と、フランス人監督
オリビエ・アサイヤスは断言しているが、そういう考えかたもあるんだ、と、
思いもしなかった監督の言葉が ちょっと新鮮だった。

「大切なのは目にみえないもの」のメッセージを、アサイヤス監督が
映画の中のだれに託すか、が意外だった。
ただ映画の終わり方が突然すぎる気がして、美味しいものを目の前から
サッと持っていかれたようで物足りなさを感じた。
兄弟、家族、子供たちがそれぞれ違った思いを
心に抱きながら、お互いを思いやったり、議論したりするが、結局は、
かつて慣れ親しんだ思い出の土地、家、そしてあらゆるモノが
離散していく。母親が中心にいて、3人の兄弟がそれぞれの家族を
連れて集う家が無くなる、ということは、そっくりそのまま
私たちにも当てはまること。


モノに価値を見出している期間と、もうどうでもいいと割り切れる時が
人には一生の間に何度訪れるのだろうか。
家族の絆、団欒、そして思い出の品々の行く末を、
美術館行きのなにものをも持たない私だけど、少し考えてしまった。

オルセー美術館へ寄贈が決まるような美術品を持つ家庭とは
どんなものだか、みているだけでも楽しいが、
生きているものは皆死んで行くのに、美術館行きの品々は生き続け
それがどこにあって、どんな経由で美術館に収められたかを語らない。
美術館は果して美術品の墓場だろうか?

母親役のエディット・スコプが素敵だったし、
ジュリエット・ビノシュも自然体でよかったし、
映画に使われたコローやルドンの絵、ブラックモンの花器、
アールヌーボーの家具などは全て本物で、オルセー美術館の
全面協力があってこその贅沢な映画だ

夏時間の庭

 

 

映画の帰り道、出会った空き地は・・
     銀座一丁目にあった「つばめグリル」の跡地?
ポスターに書かれたコピーはこれ

MIZUHO STREET GALLERYのウィンドウディスプレィは
瀧澤 潔さん作“Hanger Wall Ginza”
全部がハンガーで出来ていました。

 

 

 


CHE

2009-02-09 | cinema

   
    ★ERNESTO CHE GUEVARA

1月に「チェ28歳の革命(L'ARGENTIN)」を見に行き、戦闘場面の連続に疲労困憊。なのに、やはり第2部である「チェ39歳別れの手紙(GUERILLA)」を見に行かずにはいられませんでした。第2部はCheの最後を見なくてはならないので始めから苦痛でした。それに至るまでの、ゲリラ戦が次第に孤立化し、当てにしていたボリビア共産党からは何の支援も食料調達も得られないばかりか、民衆の支持をも得られず、密告、脱退、過度の睡眠不足や疲労による士気の低下などで次第に追い込まれて行く過程も辛いものですから。

バティスタ独裁政権に苦しむ母国キューバを救おうと決起した若き活動家、フィデル・
カストロとの出会いがあり、共に戦ったキューバ革命での勝利とは雲泥の差の第2部。より静かであるのは、より絶望的なシナリオだから。スティーヴン・ソダーバーグ監督はこの映画を、皆が余り知らないボリビア時代に焦点を絞ろうとしたようですが、それを描くにはまずキューバで起きたことを見せないとボリビアで起きたことを位置付ける文脈がなくなってしまう。それでニューヨークでの国連演説などを追加していったら、どんどん大きく膨らんでしまい、結局二部作となった、と語っています。ゲバラとキューバ革命を情熱的に描いた理由は、との問いには、自分は革命にではなく、Che自身に興味があるんだ、と言っています。これ!なんですよね。
この映画はゲバラを英雄的に描くのではなく、事実に忠実に実像として捉えている、と、誰もが語っているように、淡々と描いている為、娯楽の要素は皆無です。

第2部の舞台であるボリビア潜伏中に書かれた「ゲバラ日記」は、夫も私も、その昔に読んでいました。学生運動をしていたとか、政治的に共鳴した、と言うんではなく、チェ・ゲバラが、一人の人間として余りにも魅力的だったからです。映画の中で喘息に苦しむ彼を見て、胸が痛くなりました。息子が幼少の頃、喘息の発作に悩まされ、母親である私は一晩中寝れない夜が多々あったのですから、その苦しみが再現されたようで辛かったです。特に、ボリビアの2000メートルの高地で、呼吸困難になりながらも政府軍に捕まるまで生き延びていた現実が、彼の生命力の強靭さを表わしている気がします。

ゲバラ役のベニチオ・デル・トロ(プエルトリコ生まれ)は、7年間を費やして役作りをしたといいます。作品を制作する上ですばらしかったのは、チェが亡くなる直前まで彼と行動を共にした人がいまだに生きている、ということだったそうです。役作りのために25kgの減量をした彼は、「ゲバラの服を着てまるで物まねをしているように見えるのだけは避けたかった・・・究極的には自分の人生を犠牲にして人のために死んだという所に引かれたんだ・・」と語っていますが、本当にその役作りに特別な思いを入れ込んでいますし、プロデューサーも兼ねていますから、相当な力の入れようだったと思います。ただ、ベニチオを初めて見た私は少しばかり戸惑いました。だって、ゲバラがカッコよくて男前なのに、その役者がちょっとオジサンッぽく、眠たい目をした男(失礼!)だったのですから。
次第に目が慣れ?本物として感じてきたのは彼の、演技以上の強い思いいれが伝わってきたんだと思います。カストロ役のデミアン・ビチル(メキシコ生まれ)も話し方といい本物の味をよく汲み取っていますし、その弟ラウル役のロドリーゴ・サントロ(ブラジル生まれ)はすっごくカッコいいので検索しちゃいましたら、「ピープル」誌の「世界で最も美しい50人」に選ばれたとのこと!これから注目したい一人になりました。彼、シャネルのCMにもニコール・キッドマンと共演したとか。知らなかったぁ。

今年はキューバ革命から50周年にあたる特別な年。フィデル・カストロから、後継者である弟のラウル・カストロへとバトンタッチされたようですが、フィデルの誘いでキューバ革命に身を投じて亡くなってしまったのは、フィデルでもラウルでもない、アルゼンチン人医師であったゲバラだった、ということが皮肉に思えます。ただ、チェにとって、国というのがどれほどの意味をもったのかを考えると、彼は、世界という単位で物事を見つめていたのではないか、と言う気がするのです。
「チェ28歳の革命」の最後で勝利宣言を挙げた1959年に、彼は日本にも「アジア・アフリカ親善使節団」の団長として訪れているんですね。日本では、ノーネクタイでラフな格好のチェはたいして相手にされなかったようでしたが、(というより、日本の主要人に人を見る目がなかったんでしょう!)各種工場の視察の合間に広島を訪れ、原爆慰霊碑に献花したのです。広島行きを切望していたのに、日本政府側が躊躇していたといい、自分で行動したそうです。被爆の悲惨さを目の当たりにしたゲバラは、
《日本はこれだけのことをされたのに腹が立たないのですか?》と発言。

同年は、チェにとって、前妻イルダとの別れと、ゲリラ活動を共にした、アレイダ・マルチとの再婚という、個人生活の上でも変化がありました。アレイダは「チェ28歳の革命」のなかでも登場しましたが、イルダ同様、妻以上に「同士」の印象が強い気がしました。朝日新聞の2007年11月3日の「愛の旅人」でも取り上げられ、偶然web上でその記事を見つけましたので、興味おありでしたら是非一読してください。あっさりと身を引いたイルダ。本当に好きだったから出来る行動だと思います。イルダの娘はイルダでアレイダの娘もアレイダと言う名前なのが面白い。アレイダは半世紀にわたる沈黙から『回想録 チェとともにした我が人生』という本を出版し、娘のアレイダは去年、父親の足跡を辿り訪日を果たしました。

見た映画の内容とは関係ない事がどんどん繋がってきてしまいます。
フィデル・カストロはインタビューで、「子どもたちにどんな人間になってほしいかと言われれば、私はゲバラのような人間に、と答える」と発言したし、ジャン・ポール・サルトルに「「20世紀で最も完璧な人間だった」と言わせ、「あの頃、世界で一番カッコいい男だった」とはジョン・レノンのことば。アンディ・ウォーホールが“ゲリラヒーロー”をモチーフにし、その作品を全世界に広め、マラドーナが自分の腕にタトゥーを刻み、ジョニー・デップがいつも身に付けているペンダントにも彼の姿がある、と知り、思想や国境、言葉などを越えて今も絶えず人々の心を打つのは、彼のぶれない正義感と人間愛なのだ、と理解しました。

全編スペイン語で通した米国人監督の、商業的な成功ではなく長年温めていた思いを、事実を基にし、受け狙いを考えずに制作したこの作品。どれだけの評価を受けるかわかりません。が、私が生きている間に、彼の歩みのほんの一部を、事実重視の映画を通して見る事ができたのは幸運だったと思います。しかし~辛くて疲労感いっぱいの映画だったです!ゲバラの苦悩をすっぽりと、ノンポリ人間が味わうのですからね。

最後にアルゼンチン歌手メルセデス・ソーサが歌う[BALDERRAMA]が、ボリビア政府軍に捉えられ、翌日銃殺されたゲバラの、長年不明だった遺骨の場所がわかり、1997年、死後30年の時を経てキューバに帰還されたことにたいする、アルゼンチン側の鎮魂歌のように聴こえてきました。
メルセデス・ソーサ自身も社会変革を歌で訴えたことから、当時軍事独裁政権下の母国からの亡命を余儀なくされた一人。ブラジル時代から夫が時々聴いていた彼女のCDがウチにも何枚かあります。

チェは革命の最中でも書物を持ち歩いたほどの、詩や文学を愛する文化人でした。詩を書き手紙を書き、日記も捕まる直前まで書いていたそうです。革命は、いくら正義の為の革命といっても多くの人間を、愛する同士をも死に至らしめます。流血は避けられなかったのだろうかと考えてしまいます。学生時代に友人と南米各地を旅行したことから、卒業後、軍医になるのがいやで、ラテンアメリカへと旅立つ彼。旅で得た多くの出会いと感動。その発端である当時の軍事独裁政権が正義感の強いゲバラの一生を変えてしまったといえるのでしょう。彼が今の世に生を受けていたら、どんな人生を歩んでいたかしら・・と想像したくなります。

   《子供たちへの最後の手紙》

   この手紙を読まねばならないとき、
   お父さんはそばにいられないでしょう。
   世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、
   いたみを感じることができるようになりなさい。
   これが革命家において、最も美しい資質です。
   子供たちよ、いつまでもお前たちに会いたいと思っている。
   だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。
   お父さんより
         (チェ・ゲバラ 1965年)


彼が子供たちに残した最後の手紙は静かに私の心を揺さぶりました。

以下のような「ゲバラ語録」も多く残されています。

    「もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、
   救いがたい理想主義者だといわれるならば、
   できもしないことを考えているといわれるならば、
   何千回でも答えよう、そのとおりだ、と」

   「甘ったるいと思われるかもしれないが、
   言わせてほしい。ほんとうの革命家は、
   大いなる愛情に導かれている。
   愛のない本物の革命家なんて、考えられない

 



作家の戸井十月さんは、「永遠の旅人・ゲバラ」の中でこう書いています。

  「何をなすか、何を手に入れるかではなく、どこに向かって
  歩き続けるかが人生で最も大切なことだというメッセージを、
  死んで41年が経った今もゲバラは体現している。」

又、長ったらしくなってしまいましたが、最後にソダーバーグ監督がインタビューに答えた新聞記事で印象に残った言葉を・・・

  「映画を見て、革命はロマンチックなどという幻想は抱かない
  ようにして欲しい。リサーチの結果、全然そんな事はないと
  分ったから」
  「物質的な豊かさだけを中心に捉えた社会を続けるためには、
  搾取される人たちが必要になる。空虚さを感じない社会を作る
  には、成功とは何か、豊かさとは何かを再定義しなきゃいけない」
  ただ、行動に訴える場合には、単なる反抗ではなく代案を示す
  ことが大事、と付け加える。ハリウッドにも似たような構図から
  格差が生まれ、対立が強まっているといい、
  「欲の問題といえばいいのか。映画への投資などによって、
  じっとしていてもお金が入り続ける富裕層と、制作現場で働き、
  赤字を出せば問題になる人々。富の配分はもっといい割合が
  あるはずです」
   



 

        エルネスト・チェ・ゲバラ

     「チェ28歳の革命」「チェ39歳別れの手紙」

   


かわいいポニョ

2008-09-05 | cinema

仕事帰りの娘とイクスピアリで待ち合わせ、「崖の上のポニョ」を見て来た。
まずはグレートビームマーケットでオムライスを食べてから飲物を持参して映画館へ。
食事代を出してくれたから、と映画代を彼女が払ってくれた。そんな年になったんだ。
ちょっと感慨深い。というか、もう逆転してもいいところまで来ていると思うけど。

ポニョってちょっと変な名前との思いがあり、大好きな宮崎 駿監督の4年振りの
新作とはいえ、なかなか行く気にならなかった。新聞に書かれていた
「我儘なポニョ」像も気にかかったし、顔だって愛くるしくない。だけど2人とも
気になっていたから見る気ではいた。誘ってくれたのは娘のほうから。
それが最初からすっかりストーリーに引き込まれてしまった。

崖の上の見晴らしのいい場所にある一軒家。そこが5才の少年、宗介が
母親と住む家だ。ある日、海辺で人間になりたくてしょうがない小さな金魚に出くわす。
そこから、ありえない~意味判らない~
ファンタジー世界のはじまりはじまり。

前もって知っていたのは、このアニメがCGを全く使わず、17万枚に及ぶ絵は
すべて手書きだ、ということ。

「デジタルになって画面の密度がどんどん高まり、描いている方も、
せっつかれているようで神経質になっている。一方で、日本の
アニメは昔から絵を動かさない美学みたいなのがあった。
この世界に入って45年ほどですが、当時から絵の枚数を減らせと
言われ続けてきた。じゃあ一度、存分に枚数を使い、アニメの
原点である線だけの動きを追求してはどうかと・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
従来の日本アニメなら髪だけ動かしていたものを、顔全体を
一コマ一コマ手で書いていった。すると、今まで感じられなかった
息づかいのようなものが生まれたんです」(新聞記事より抜粋)

物語は至ってシンプルだけど、理屈で見るとおかしなことばかり。
いくらファンタジーとは言っても、それを容認して楽しめるか、が
ポイントかもしれない。が、私は何でだろう・・と思いながらも
すっごく楽しめて「宗介だいすき!」と、抱きつくポニョが
感情に真っ正直で可愛くてたまらなくなった。そんな可愛さを
引き出してくれるのが、これまた素直な男の子、宗介だ。
2人の声優、とてもよかったなぁ。

「どろどろ、ぐしゃぐしゃのまま21世紀がやってきた。じゃあ今、
なにをよりどころにするのか。人間がすべてを捨てても最後まで
捨てないはずの子供ではないか。ひとまず産まれた子をみなで
祝福し、一緒に苦しみながら生きましょう。そんな風に思います」

いのちを与えられて産まれてくる子供たちを祝福するんだ、
という監督の話を新聞で読んでいる最中にも、社会面には
子供が大人の身勝手な行為の犠牲となる記事が後を絶たない。

ポニョ♪ ポニョ♪ ポニョ♪ さかなの子♪

ポニョの台詞を真似しながら、爽快感いっぱいの気分で映画館を後にした。
       
          ★スキャナの調子が悪く、画像はweb上より拝借しました★

 

 


I'm not there

2008-06-04 | cinema

   
シネマライズでも上映期間が今月6日迄
と迫ったので、6月1日の「映画の日」に
思い切って渋谷まで行ってきた。
3度目の正直。ようやく見る事ができた。

日曜日の渋谷を歩くのはしんどくなった。
見渡す限り街中が若い頭で埋め尽く
されている。無意識に、でもかなり必死
で同年代の人を探しても容易には見当
たらないのだ。まずはチケットを確保して
から軽く腹ごしらえを、と、入ったカフェ。
そこもわが子と同年代の若者ばかり。
店員だって若者だ。
だからどうの、っていうんではないが、この
ような光景って異常じゃないかと考えて
しまった。
渋谷は若い頃から慣れ親しんでいる街。
色々な年齢層がごちゃ混ぜだったのに、
今、ここまで若者に占領されるとは。
私の上に若者の目という目が集中し、
ジリジリと迫られ包囲される恐怖(空想)
を一瞬だが感じた。
ワハハ・・・なんだか映画みたいだ~!

さてこの映画は、デビュー45周年を昨年迎えたミュージシャン、ボブ・ディランという人間像を、
監督であるトッド・ヘインズが自らのイメージでもって
多面的に捉え、更に周囲の人間がどの
ようにディランを受け止めているか(いたか)を描いている。いわゆる伝記的な映画とは全く違
ったものだ。
6人の俳優が6通りのディランを演じる、ということは一体どういう事か、見るまでは想像し難く、
興味があった。
それぞれの役者が、「ボブ」ではない、別の名前で登場しても、なんとなくこれ
はディランのあの頃の姿かしら、とか、多少は想像できたが、6人共ディランだ、ということを知ら
ずに見たなら何が何だか判らなくなっていたかもしれない。説明っぽいこともなく、時代背景や
物語も頻繁に入れ替わっていくので、集中していてもわかりにくい面もあるが、全体を大雑把
に頭の中で描いたところに、「捉えどころのない」という一つの個性を持ったディラン像がフワッと
浮かび上ってくる。
特にボブ・ディラン・ファンということではないけど、彼の存在感は一種独特で、上手いんだか
どうかわからないような洗練されたとは言い難い声で反戦詩や社会性の強い詩を、ギターを
弾きハーモニカを鳴らしながら歌っていた姿はしっかりと頭に焼き付いている。
そして今も残っている。
60年代半ばにはフォークからロックへの転進を図り、ディランもこれまでだ、とフォークファンを
落胆させたりした時もあった。何を考えているか判らない行動に戸惑う人びとは「ディランとは
一体何ものなの?」と、不可思議な行動を勝手に解釈しようとしたが、当人は自分が分析
され、固定観念で見られることに嫌悪感を抱き続けている。自分達だってそうだけど、芸能人
にとってある種のイメージが固定されるということは恐怖だと思う。人はとかく決めたがる。枠に
入れたがる。そうやって納得して安心する。が、冗談じゃないよね。そうじゃないんだ~!と叫
べば叫ぶほど面白おかしく書きたてられて異人変人扱いされたり咎められたり・・・と、あっと
いう間に流れに巻き込まれる。迂闊な言葉を一つ言おうものなら集中攻撃されてしまう。
ま、それが有名税といえばそれまで。政治家と一緒で人一倍の強靭な精神力を必要とする
職業だ。あぁ
良かった、有名人じゃなくて。(笑)
しかし一般社会の中にだってうわさ話しは日常的にあるし、居住の場所で、学校で、職場で
と、どこにでも付きまとうし、いじめにまで発展することも稀ではない。みんなが、「ケッ!」と思い
ある程度したたかになれば問題はないけど、夫々性格が違うし捉え方にも差があるから、こう
いったことは結局生涯付きまとうんだろうな。

映画上のボブ・ディラン役は6人が6人とも異なった人格を漂わせているが、結局のところ、
人っていうのはディランに限らず色々な顔を、要素を併せ持っているということだ。根本的に
底に流れているものは、もしかしたら変わりにくいものでも、仕事や人との出会いや知識、
経験の積み重ねのなかで少しずつ変化していくのが当然の姿だと思う。
ケイト・ブランシェット扮するジュードが実に小気味いい。中性的魅力のある彼女のディラン
が一番、自分の想像するディランに似ていたし、カッコよかった。もちろん、そんなディランの姿
だって、彼の中の一部分だろうけど。ロビー役のヒース・レジャーは今年の一月に急逝と知り、
とてもショックだった。ロビーの恋人役クレアには、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの
娘、シャルロット・ゲンズブールが扮したし、映画「ファクトリー・ガール」のモデルでもあり、アンディ
ウォーホールのミューズであり、ディランが曲を捧げたという女性“イーディー・セジウィック” もチラッ
と別名で登場する。ウォーホールがNYに構えた「ファクトリー」に、ディランもこの彼女も、ミック
もbianca(!)も集っていたんだと知り、「ファクトリー・ガール」も見たくなった。

風に吹かれて ・・・・・・・・・・  そういえばマリー・ラフォレが素人っぽく歌っていたなぁ。
ミスタータンブリンマン ・・・・・  ザ・バーズのが聞きやすかった。
時代は変わる ・・・・・・・・・ PPM全盛期。なぜか「MAMAS & PAPAS」とダブってしまう。
ライクアローリングストーン ・・ すごいの見つけた。喧しいし音がよくないけど、
ストーンズと
                  ディランのブラジル公演での録画版だ。micが眩しすぎる!

などなど、ディラン以外の歌手が歌っても大ヒットした数々の彼の作品。10年間、ノーベル
文学賞の候補に上っていると言われている詩人でもある。そんな彼を、ディラン研究家は、
          「ディランとは何ものか、その答えは風に舞っている」と表現した。

       「I'M NOT HERE」 + 「T」  =   「I'M NOT THERE」 
                       
                         



I'M NOT THERE            

ローリングストーンズなとが影響を受けた
ロックンロールの始祖の一人であるボ・ディドリーが2日亡くなった。
オードリーヘップバーンの前夫メル・ファーラーも同日亡くなり、
その前日はイブ・サンローランも死去。
次々と重なるような訃報を前に、ブログどころじゃない、
家の中を、身辺を、早く片付けなくちゃ・・・と頭を抱えている。