ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

夏時間の庭

2009-07-04 | cinema

久しぶりに見た映画は「夏時間の庭」。
その舞台となった緑あふれる田園の一軒家は、印象派の画家たちに愛された
イル ド フランス地方のヴァルモンドワというパリ郊外の町にある。

母親が、画家である大叔父から受け継ぎ大切にしている
アトリエを兼ねた自宅や沢山の美術品などを、自分の目の黒いうちに
それらの行く末を見届けたい、と思っているが、
映画の中では願いかなわず、急死する。

「子供たちに残したい」と願う長男。
外国生活がベースとなり、フランスに戻る気のない長女と次男にとり、
家は懐かしいけど無用の長物。現実の選択は厳しい。

相続税を回避するため、美術品などは美術館へ寄贈され、
愛された邸宅や広大な庭は売却される。
思い出に浸る十分な時間もなく、あっという間に全てが人の手に。
長年仕えた無欲な家政婦が、主人の死後ここを訪れ、
『このように質素なものなら誰も何も言わないだろう』と、
いつも野の花を摘んでは生けていた思い出の花瓶を、
それがどんなに高価なものかも知らず、形見として大切に持ち帰る。
別の花瓶は美術館へ寄贈され、無関心な入場者が素通りする。

美術品は、そのほとんどが居間や寝室など、人の生活のなかに居場所を
求めて生まれたもの。美術館は美術品の墓場だ、と、フランス人監督
オリビエ・アサイヤスは断言しているが、そういう考えかたもあるんだ、と、
思いもしなかった監督の言葉が ちょっと新鮮だった。

「大切なのは目にみえないもの」のメッセージを、アサイヤス監督が
映画の中のだれに託すか、が意外だった。
ただ映画の終わり方が突然すぎる気がして、美味しいものを目の前から
サッと持っていかれたようで物足りなさを感じた。
兄弟、家族、子供たちがそれぞれ違った思いを
心に抱きながら、お互いを思いやったり、議論したりするが、結局は、
かつて慣れ親しんだ思い出の土地、家、そしてあらゆるモノが
離散していく。母親が中心にいて、3人の兄弟がそれぞれの家族を
連れて集う家が無くなる、ということは、そっくりそのまま
私たちにも当てはまること。


モノに価値を見出している期間と、もうどうでもいいと割り切れる時が
人には一生の間に何度訪れるのだろうか。
家族の絆、団欒、そして思い出の品々の行く末を、
美術館行きのなにものをも持たない私だけど、少し考えてしまった。

オルセー美術館へ寄贈が決まるような美術品を持つ家庭とは
どんなものだか、みているだけでも楽しいが、
生きているものは皆死んで行くのに、美術館行きの品々は生き続け
それがどこにあって、どんな経由で美術館に収められたかを語らない。
美術館は果して美術品の墓場だろうか?

母親役のエディット・スコプが素敵だったし、
ジュリエット・ビノシュも自然体でよかったし、
映画に使われたコローやルドンの絵、ブラックモンの花器、
アールヌーボーの家具などは全て本物で、オルセー美術館の
全面協力があってこその贅沢な映画だ

夏時間の庭

 

 

映画の帰り道、出会った空き地は・・
     銀座一丁目にあった「つばめグリル」の跡地?
ポスターに書かれたコピーはこれ

MIZUHO STREET GALLERYのウィンドウディスプレィは
瀧澤 潔さん作“Hanger Wall Ginza”
全部がハンガーで出来ていました。

 

 

 


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2 Comments

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映画 (poppy)
2009-07-06 15:37:00
良さそうな映画ですね!

映画は近いということでもっぱらピアリですね
都内に出掛けて見るということがなくなりました~

ディスプレイのハンガーの中に見える男性らしき人は、通りを歩いてる人が写ってるのかしら?それともマネキンですか?



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poppyさん (bianca)
2009-07-07 00:07:41
私だって、ピアリが一番と思っているのですが、見たい映画を
なかなか上映してくれないんですもの。予告編で見たいな、
と思った「悲しみよこんにちは」だって、銀座か渋谷だしね。
ポイントカードを埋めてタダで二本見たいと思うのに、
溜まらないモンですね。(1ヶ月に一本見れば溜まるのに・・)
夏時間・・いい映画でしたが、もう一歩ってところです。

ディスプレーのガラスに写っている人は通行人ですよ~。
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