ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

生きること

2008-05-13 | cinema

生きるとは苦しみである、と、スマナサーラさんの本を数冊読んだ中のどれにも書いてあったが、

よくよく考えると、そうかもしれないと思えてきた。 今まで宗教心は持ったことがないし、これか

らもそうかもしれないし、ブッダが何を説いているかも深く探ろうとも思わなかったけど、彼の本

の言わんとしていることが、遅まきながらもこの年になってやっと少しわかる気がしてきた。


母の日の日曜日に、前から見たいと思っていた映画「最高の人生の見つけ方」を夫と
見に

行った。境遇も性格も全く異なる六十代の二人。偶然同じ病室になり、共に余命半年と

宣告されてから,いったい二人は何を「棺おけに足をいれるまでのやりたいことリスト」に加え、

それを
どのように行動に移していったか、行動と共に何が心の中で変化していったか、そんな

彼らの人生最後のとてつもない日々を見ながら、自分のこれからの余生の過し方にスライド

させて考えさせられた。特に、ピラミッドの上で荘厳な景色を眺めながら、カーターがエドワード

に、「エジプトの言い伝え」の中にあるという、天国の門での問いかけを語る場面は、まるで私

が問われているような気になり、一瞬、答えに口ごもるエドワードと同じ気分になった。

その二つの問いとはこのようなものだった。

     ・・・あなたの人生は喜びを得られるものだったか・・・

     ・・・あなたの人生は他者に喜びを与えることができたか・・・

               さぁ、あなたはどうだったか?

心の平穏を保ち、自分らしく生きることは難しい。やりたいことを犠牲にしなくてはならない

ことだって生きている限り多々起こるだろうし、もしかして、やりたいことが実現しても、期待

していたような満足感や達成感が味わえないかもしれない。一体全体、自分らしく生きる

とは何なんだろう。生きるとは苦しみだ、と、暗い気持ちでその意味を捉えるのではなく、では

どうそれを乗り越えようか、死ぬまでの自分の持ち時間のあいだに・・・と、病気でもない人間

が本を頼りに考え模索している時、映画の人物は限定された半年の生命を眩いばかりに私

に見せつけた。それはもちろん映画だから観客を楽しませる為にあんなおとぎ話のような贅沢

なリストを次々と達成していけたのだけど、それでも個性が正反対なのに息の合った同士に

しか思えない二人の、ウィットに富んだ絶妙な会話の応酬の中に、又それ迄歩んできた彼らの

道程の中に、多くの生きるヒントを垣間見た気がした。エドワードの秘書役とか、カーターの

奥さん役など、脇役がすごく光っていたし、最後の場面もよかったなぁ。余りにもお金がらみの

恐ろしい事件が多い昨今、信頼しあえる人間関係の美しさに胸がいっぱいになった。

大好きだったリヴァーフェニックスの『スタンド・バイ・ミー』も手掛けたロブ・ライナー監督と、

安心して見ていられる優れた性格俳優2人の見事な組み合わせは本当に素晴らしかった。

「こういう映画、久しぶりに見た気がするなぁ」と、夫。

「でもジャック・ニコルソンの役は別の○○でも出来そうだな。」と余計なひと言。

「ジャックは演技の85%は地で行っているそうよ。彼でよかったわ。」と私。

もう一度見たい映画の一つになった。     

       
    追記:
    
母の日の為の素敵なディスプレーをケータイで撮っていた事を思い出しました。
    銀座でご覧になった方も居られるかと思いますが、何気なくミキモト前を通り
    過ぎようとして目に飛び込んできたこのギフトボックスの前で、つい足を止めて
    しまいました。いったい何本のカーネーションが使われているんでしょう?
    
           
         With Special Thanks、Happy Mother's Day !!

 

 


4分間

2008-01-19 | cinema

 

先週、たまには映画を見に行こうか、と、
夫が言い出し、シネマイクスピアリの上映
スケジュールを調べたのですが、これと言って
見たいのがないな、と言われ、結局行くのは
やめました。都心なら私の見たい映画が幾つか
あったのですが、夫は電車に乗ってまでは
行きたくない、と。で、昨日一人で銀座まで
行き、見たい映画の一つを見てきちゃいました。

4分間のピアニスト」 
原題 ~“Four minutes”~

 刑務所にやってきた一人の年老いたピアノ教師トラウデ・クリューガーと、心身共に荒んで心を固く閉ざした若い受刑者ジェニー。
二人とも不幸な過去を背追っているのだけど、ジェニーのピアノの素質を一瞬にして見抜いたクリューガーの無言の忍耐強さと、いつも押し黙っているジェニーの、心の中のなにかが爆発する時の突発的な暴力行為が胸に突き刺さって来て、最初から最後までドキドキの連続でした。
「衝撃的なラスト」、と、宣伝に書かれていたので最後の方はどうなるのか、あれこれ想像しながら見ていたら、途中から胃が痛くなってきました。暗くて重く、静かなようで激しく、刺激的に痛ましく、辛くなる映画なのに、その中の音楽が、すべての暗闇を強烈に吹き飛ばす程光っていて素晴らしかった~!
あぁ~、耳の中でまだガンがン鳴っている。
皆に見てもらいたい、というより、みんなに聴いてもらいたい映画なのです。
クリューガーは、ジェニーの好んで弾く曲を、「そんな下劣な曲はお止めなさい!」
と言っていたけど、私は最後まであの曲の虜になり、ラストの場面では、感動はしたけど、終わって欲しくなかった。もっともっと、ず~っと聴いて居たかったし見ていたかった。そんなドイツ映画でした。                                                        
                           
この映画は2007年ドイツアカデミー賞で8部門にノミネートされ、作品賞を獲得し、クリューガー役のモニカ・ブライブトロイは主演女優賞を獲得。又、ドイツ在住の日本人ピアニストが二人参加しており、衝撃的な最後の曲を演奏し、ジェニーに個人レッスンを施したのが日本人だったとは、見た後に知り、ビックリやら誇らしいやらでした。
それにつけてもジェニー役のハンナー・ヘルツシュプルングの演奏の演技も惚れ惚れするほど見事。クリス・クラウス監督はインタビューの中で、「タイトル(原題:4分間)に込められた意味を教えてください」との質問に、こう答えているんです。

    この映画は、人生の中で力がみなぎり、ロマンティックで、心を奪うような瞬間を
    扱っている。そうした瞬間は、人として変わらなかった瞬間よりも、ずっと重要なのだ。
    昔を振り返って、いつも衝撃的な瞬間や、幸福な瞬間ばかりを思い出すことからも
    分るだろう。ロマンティックな瞬間はたちまち過ぎるけど、それでも人生の最後まで、
    その瞬間は影響を与え続けるのだ。


帰り道、余韻を抱きながら奥野ビルに足が向っていました。
昔、ナンじゃこりゃ、と思って中を上階まで探検(!)したビルです。
その並びの一角が更地になり、工事中だったので、もしや、と、一瞬あせりました。
いつ壊されてもおかしくない位の古さなんですもの。このようなビルを見ていると、
もうちょっと浸っていたい余韻を封じ込められる気がして。

 【ひとこと】ブログ記事が溜まっているのに眼精疲労気味で、パソコンの画面が短時間でも
       眩しく感じてしまい、この所、仕事以外はあまりネットに繋げていませんでした。
       このブログの前にも挟みたい記事があるのですが、今日は最新のをアップする
       ことにしました。皆様のブログにも少しずつ訪問させていただきますね。

 

 

 


土曜日には映画へ

2007-06-06 | cinema

 

母を誘って夫と3人でイクスピアリへ映画を見に行ってきました。
前から気になっていたリリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』。

映画公開記念の「オカン弁当」を、4月のいつでしたか、たまたま近くのヨーカ堂にお弁当を
買いに行った時、見つけました。滅多にお弁当などは買わないのですが、その日は何かが
あり、夕食の支度をする時間がなかったので仕方なく、だったか、喜んでだかは忘れましたが、
お弁当にしようや、ということにしたのです。
オカン弁当は、見た目は全くどうってことのない、炊き込みごはんと海老の天ぷら、カラアゲ、
筑前煮、玉子焼きなどが入ったものでしたが、安い上おいしそうな気がしました。
結果はというと、フツーにおいしく頂きました!「普通に美味しい」って、私には重要なこと。
定価が500円くらいの安価なのに、手作りのお弁当の感覚でいただけた、ってことです。

         

しかし、映画を見なきゃブログネタにはちょっとね。とっくの昔に本を読んでいた夫は映画の
誘いにはすぐに乗ったし、母も、 樹木希林が出るようだしね、と、珍しく行く気になったのです。
いつ行こうか、と、時間を調べたら、先週末からは一日一回きり、それも朝の10時台
のみの上映とのこと。近々終了してしまうんだ、と思い、慌てて土曜日に見てきました。

劇場はガラガラ。6名の観客の内の3名が私たちでした。
画の中では、「ボク」役のオダギリジョーも、親子で「オカン」役を演じた樹木希林と
内田也哉子も、「オトン」の
小林薫も、みないい味を出していましたね。
本当の親子の雰囲気があったし、演技力はさすが、です。「オカン」は親子で上手くバトン
タッチ出来ていたし、也哉子さんは自然体でよかった。
オダギリジョーのファッション、ヘェ~と感心しちゃうほどスカーフ使いがお洒落。
ピンク系が良く似合い、カッコイイ。リリーさんってあんな風だったのかしら。
私はリリー・フランキーの捉えどころのないフワッとしたキャラクターに引かれます。
真面目なのかふざけているのかわからない可笑しさと可愛さを感じてしまいます。
この方の本職って、何がメインなんでしょう?作家かミュージシャンか、アーティストか?
本よりも、映画よりも、彼自身に注目したくなりました。

「ボク」が高校に行くために親元を離れる時、「オカン」はお弁当と手紙を持たせます。
手を振って別れるわけでもない、抑え気味の別れ方でしたが、電車の中でお弁当を広げ
手紙を読みながら、それまで堪えていた気持ちが噴き出し嗚咽してしまう。
あのシーン、とってもよかったなぁ。わが息子は中学で親元を離れての生活をしましたが、
東京駅のホームで彼の乗った新幹線が走りだす時にはとても切ない気持ちになった
ことを思いだしてしまいました。
電車の中で「ボク」が食べる、そのお弁当がオカン弁当ですが、映画の中では、炊き込みご飯
ではなくてオニギリが入っていました。オカンのめいっぱいの愛情が詰まったお弁当。
千葉の小湊鉄道で撮影が行われたそうですが、GWの時に大多喜から乗ったいすみ鉄道に
似ている、と思いながら見ていました。

ショックだったのは悪ガキが線路で卑怯な方法で小動物の命を奪う遊びをしていた場面です。
あれは絶対に見たくなかったし見せたくなかった!
母を誘ってしまったけど、見終わったあと、やはりムリだったかな、と思いました。
母親が死んでしまう・・・その場面が、かなりの見せ場だったのと、時代が今と昔、前後して
描かれているので、母の今現在の頭では混乱してしまうのです。一年前、二年前の母、とは
同じではなくなっている、ということをもっと考えるべきでした。
      
 本が出版されたあと、単発ドラマ、連続ドラマ、舞台、と同名の作品が上演されましたが、私は映画で初めてこの作品を知りました。本は家にあるのですが、読んでいませんでした。
映画としては悪くはないけど、日常の生活を淡々と描くなら、「俳優顔」を感じないですむ俳優に出演して欲しかった。オダギリジョーは、それでも、いいですねぇ~。リリーとジョー、なんとなく似ているかも。

映画の後、6月1日にオープンした、海に最も近いホテルでお昼をしよう、ということになりました。が、1時30分を15分ほど過ぎていたので、ランチビュッフェに間に合わず、アラカルトでのオーダーとなってしまい、残念無念。遅れて姉と甥っ子がお茶をしに合流。オープン2日目、開店祝いの花でびっしりのホテルでしたが、私の注文したチャーハン、私が作った方が断然おいしい~!






フランシスコの2人の息子

2007-04-21 | cinema

     
       
久しぶりにブラジル映画をパパと見に行ってきた。
聞き慣れない名前だが、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノというブラジルの
トップミュージシャンの実話に基づくサクセスストーリーだ。
私が在伯中は、彼らはまだこの映画のように、ミュージシャンになるべく、
試行錯誤していた時期だったのだろう。

フランシスコの2人の息子
 


一面の赤土。コケコッコ~とニワトリがけたたましく鳴く早朝から一日が始まる、
そんなド田舎で、貧しい小作農のフランシスコは、働いても働いても少しも
楽にならない生活を送っているが、自分がだめでも息子が夢を叶えてくれるさ、
と、ラテン的な生き方で、自分の夢を子供に託そうとする。
チーズだろうが穀物だろうが、売れるものは売りさばき、苦労して手に入れた
なけなしのお金を叩いて息子に楽器を買い与え、ミュージシャンにさせようと必死だ。
「フランシスコは気がおかしくなったぞ!」と言われるし、ついには地代が払えず、
土地を追われる羽目になり、知らない土地へと子沢山の家族を引き連れて
移転せざるを得なくなる。
不甲斐ない父親なのに・・・不満は山ほどあるのに・・・
みんな黙って付いていくんだよね、父親に。
夢を棄てきれない父親の、子に対する愛情には、お金では決して買う事の出来ない
素晴らしいほどの力強さを感じてしまう。
父親としては頼りないが心の潔さは家族の心のなかで受け入れられていたのだろう。
息子たちは何か生活の足しになれば、と、子供なりに考える。
このあたりが日本やアメリカ欧州の近代国家と違い、ラテンの国の家父長制が
良い意味で働いているんだろうなぁと思った。
父親を卑下する言葉を発し続ける家庭で育ったとしたら、
こういう物語は起こらなかったのではないか。
自由になればなるほど家庭内は複雑化し、筋道を通しにくくなる。
このギャップは、私の親の時代と、私と子供たち世代のあり方を考えるととてもよくわかる
気がする。家父長制がより良いとか、そんなことではなく、失われつつあるものから、
学ぶべき点がたくさんあるんだ、素直に受け入れるべきことは受け入れたい、
と思
わずにいられなかった・・・・・が、現実は、ひじょうに辛いし・・厳しいんだよ~。

映画評論家の黒田邦雄氏曰く:
父親を責めることより、父親を救おうとする息子のすがたは、
今や世界中で希薄になっている家族の団結を感じさせる。
息子達もまた、父親がダメなら息子がいるさ、と思っているのである。
これは父親を乗り越えるのではなく、父親の権威を守るための息子の行為であり、
父親の失敗は家族の失敗というような連帯感が非常に強固なのだ。
・・・・・
家族がいれば何も怖くないという楽天的な家族主義は、家族の喪失が問題に
なっている国の人間には、ブラジルの青い空のように眩しいばかりだ。
もちろん、ブラジルにだって家族の喪失、崩壊はあるのだろうが、それを食い止める
方法は、唯一、家族が信頼しあう以外にないのだということを映画は教えている。

・・・・・
監督のブレノ・シルベイラは:
フランシスコは自分の夢を追い続けて30年。それが叶わなくても決して捨てる
ことなく、諦めずにやってきた。そのことに感銘を受けたんです。
・・・・・
夢を追っているんだけども決して家族を犠牲にするのではなく、必ず家族と
一緒にいて、家族がひとつにまとまっている。また、彼は夢を子供に伝える際、
押し付けるのではなく、必ず愛情を持って伝えていった。
こうした彼の軌跡は、ブラジルの人たちに模範的な例として、
ひとつの道を示すものになるのではないかと感じたのです。
それがこの映画をつくらなければと思った動機です。

この映画は実際にゼゼが生まれ育った場所で撮影が行われ、主人公の子役は、
歌が歌えるなら、と、オーディションを受けて受かったズブの素人の子供が演じている。
二人の子役が実に良いし、彼らの歌う曲は、一度聞いたら鼻歌交りでつい歌って
しまいたくなるような曲だ。カエタ-ノ・ヴェローゾが音楽監修、と聞いて納得。
ゼゼの歌のジャンルは「セルタネージョ」と言うそうで、
サンバやボサノバとは
全く別物、どちらかというとカントリーミュージック、つまり田舎音楽だ。
映画のフィナーレでは本物のゼゼとルシアーノ、そして彼らの両親が
コンサート会場の舞台上に勢ぞろいしで抱き合う、
というおまけ付き。映画の作りとしてはちょっと、という所もあったが、
文句なく気持ち良く鑑賞でき、優しい気持ちになれる映画だ。
テーマ曲「E O AMOR」のメロディーを、口ずさみながら映画館をあとにした。

◆◇◆ ◆◇◆◇◆  Q-AXシネマで上映中  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆
    

   映画の中の主題歌は 「E O AMOR」 (これは愛だ)だが、「僕が家を出た日」
   という歌もとても印象的だった。(歌詞対訳者: 国安真奈さん)
 

      No Dia em que Eu sai de Casa   
       ノ ヂア エン ケ エウ サイ ヂ カーザ

         家を出たあの日                                   
           母さんが僕を呼んで言った「息子よ」      
          
僕の髪を撫で 目を覗きこみながら        
           母さんは話し始めた                           
           おまえがどこへ行こうと
         母さんの心はいつもおまえと一緒よ

     祈りのなかで神に祈っているから
     おまえの前途を照らしてくださるように」

                                 僕は知っていた 母さんは決して
                 なぜ僕が家を出ていったのかを理解することはなかった
                             でも分っていたんだ 息子というものは
                    大きくなれば 小鳥のように飛び出したくなるものだと
                                僕だって 家に居たいとは思ったさ
                                    でも 運命がそれに逆らった
                                    僕は 戸口に建って僕を見送り
                                    泣きながら祝福してくれる母を
                                                置いて出た

     あの日 母さんは 世の中ってどんなものかを僕に語って聞かせた
     僕がどんな石に躓くか 母さんには分ってたみたいだった
     いつも父さんとふたり あの小さな町から出たこともなかったのに
     母さんはこう言った 「息子よ 神とともにあゆみなさい
     世界はまるまる おまえのものよ」

                                   ぼくは知っていた・・・・(繰り返し)
                                                                 

   

 


チョムスキーとメディア

2007-02-24 | cinema

  MANUFACTURING   合意の 
                                                 
   CONSENT  捏造:
 NORM   
                                                        
 CHOMSKY AND THE MEDIA 
                                                   

先週の夕刊で「チョムスキーとメディア」が2月17日よりロードショー上映されることを知った。

  ◎ ベルリン国際映画祭ほか50以上の映画祭に正式出品され喝采を浴びた
     傑作ドキュメンタリー映画、待望の日本公開!

  ◎  世界一フィクションであってほしい、ノンフィクション。

  ◎ 「チョムスキーの勇気にはいつも敬服している。彼のメディア批判に触れずして、
     映画も インターネットもテレビも観ることは出来ない。
(いとうせいこう / 作家・クリエイター)

という宣伝文と、「チョムスキーレクチャー」という3回の連続トーク企画がある、という内容に
とても引かれた。ちょうどその時、無性に映画を、心に残りそうな映画を見に行きたかった。
トークは、チョムスキーの発言を、映画、インタヴュー、翻訳と、様々な形で日本に紹介して
きた3人のゲストが、それぞれの立場から見た彼の活動についてお話しするという。
第一回目は、2月18日、映画
チョムスキー9.11』の監督、ジョン・ユンカーマン。

初回上映の前の20分間だけのトークだが、これに決め、雨降りの中を渋谷のユーロスペース
まで行った。誘った人はなんと起きれなかった!それとも東京マラソンを見たかったのかな。

ユンカーマン氏は全てを丁寧な日本語で解りやすくお話しされた。日本人だと小難しい
言葉を入れがちだが、彼の日本語は一つ一つの言葉を注意深く選びながらもハッキリして、
聞いていて心地よい。

       ☆彼のこの映画に寄せるメッセージ☆

          力と政治とメディアに関するチョムスキーの分析に一度接したら、
          ニュースを見る目が変わる。受け身ではいられなくなる。
          世界市民としての自覚が強まり、勇気が湧いてくる。
          これが「チョムスキー効果」である。  
                     ジャン・ユンカーマン(『チョムスキー9.11』監督)


言語学者ノーム・チョムスキーの発言を日本に広め、映画制作や平和運動のオピニオン
として日米両国を拠点として活躍されている方のお話しはとても心に響くものだった・・・が、
167分間(途中5分間ほどの休憩あり)ほぼ喋りっぱなしの映画を見終わった後、
ユンカーマン氏が何を話したのか考えてしまったほど、この映画は様々なインタビュー、講演、
討論で溢れた内容のものだった。今考えるとナレーションが確か、なかったと思う。
ユンカーマン氏がチョムスキーの健康に関して、「あまり長くはないかもしれない・・・」と
言ったことと、もっとずっとお話しを聞いていたい、という気持があったことは覚えていた。


この長編ドキュメンタリー映画は、5年という長い年月をついやして1992年に製作され、
世界中で22の映画賞を受賞するも、日本ではいまやっと待望のロードショー・・・ということは、
どういうことなんだろう。配給会社が決まらなかった、と、どこかに書いてあったようだが・・・。
ピーター・ウィントニックとマーク・アクバーという二人の監督の「製作ノート」が興味深い。
資金が底をついてしまったり、助成金が没収されたりし、もともと少ない自分たちの収入を
さらに削りながらも、完成にこぎつけたそのエネルギーは、チョムスキーへの共感以外の何もの
でもないのではないだろうか。
チョムスキーは映画化について快諾したが、映画の中で、
「喋るばかりの映画なんて、見たいと思う人はいるのかね?」と、ちょっとジョークっぽく話していた
場面が印象的だった。

                      
                ◆    ◆

  「現代の民主主義国家におけるプロパガンダは、政府による閲覧や悪意による報道の
  歪曲ではなく、マスメディアが持つシステムそのものによってごく自然に行われている。」
                     
 
  このノーム・チョムスキーの分析が、映画の主役である。報道の現場にいる人間さえも
  ほとんど意識することのない構造的な問題を、チョムスキーは膨大な事例を用いて
  綿密に検証してみせるのだ。
                         ◆    ◆

前半では東ティモールとカンボジアで起きたジェノサイドー集団虐殺ーについて、大手新聞社の報道の仕方を比較。後半はチョムスキー発言への反論者も沢山登場し、喧々諤々。
「あなたは、ただの夢見る少年と同じだ!」等等、現場を知らない“思想家”の戯言だと言わんばかりの発言を浴びるも、
討論が、面白くなったかと思うと別の場面にすぐ移行することが多く、その辺りが物足りず、満たされなかったが、映画にするにはそうでもしないと、際限なく長いものになってしまうからだろう。

それにしても、1975年12月7日、東ティモール、ディリへのインドネシア軍の
侵略の映像はショックだった。

   大切なのは自分で考え、伝えること。ひとりひとりがメディアになれる。     
  捏造された“世論”を疑い、他者との連帯を深める中で自分の価値観を身につけること 
  によって、人々は知的に自衛できる、とチョムスキーは説く。彼の主張は、時代そして   
  国境を越えて、現代の日本を生きる私たちが自分の生活の主導権を取り戻すための 
  強靭な手がかりを与えてくれるだろう。変化をもたらす力は私たち自身の手にある。この
  映画はそう教えてくれる。(作品解説より)                                                               


勿論、チョムスキーの言っている事をも含め、物事をただ鵜呑みにせず、「民衆をスポーツに
熱中させている」間に世の中の大事な取り決めがなされてしまわないようにはしたいものだ。
メディアが描く世界観から抜け出すには努力が必要」という言葉は、メディアが描く世界観
とは何か、すぐにはピンとこない私には、じっくりと噛み砕く必要があるかもしれない。
でも・・・、平凡に、ただただ国の平和を、世界の幸せを願っている人間とか、敵味方の意識の
希薄な戦争体験のない人間にとって、もしかしたら、努力なしでは見えてこない世の中が
きっとあるのだ、と思う。疲れる世の中だ。
チョムスキーの言う「
Convenient Myth
」(コンビニエント・ミス=都合のいい神話)という言葉は、
今話題の、ゴア元米副大統領出演の「An Inconvenient Truth」(インコンビニエント・トゥル
ース=不都合な真実)という言葉となぜか同じく聞こえる。
《NOT FIT TO PRINT》という箱の中に入れられてしまう「不都合な真実」の記事群。
沢山の活字が選別され、切り取られ、その箱に投げられるシーンは、どんなだったっけ。
映像がめまぐるしいのと、字幕を読むのに追われ、息つく暇もないような映画だったが、
集中していたせいか、短く感じられた。
入場券が二千円もしたが、その半券を使えば2度目は1200円で見る事が出来るが、
娘が4日なら行ける、というので渡してしまった。果たして朝起きれるかが問題だぁ。


       チョムスキー・レクチャーはあと2回、各AM10:10~10:30。

       2月25日(日) 「チョムスキー教授に学ぶこと」    岡崎 玲子
       3月 4日(日) 「オルタナティブ・メディアの実践」   中野真紀子

     

つぎは「不都合な真実」でもみようかな・・と思ったが、このビルのなかに、Q-AXシネマ
というのもあって、中国映画「孔雀」を上映中だった。三つ編みの女の子がミシンで縫いもの
をしているポスターが気になってしまい、見たくなった。
又、一階にはカフェダイニング 《Theater6》があり、美味しそうな匂いがプ~ンと漂っていたが次回のお楽しみとする。
この一帯はラブホテル街で、ぶらぶら歩いて「見学」していたら、名曲喫茶「ライオン」を
見つけた。千代田稲荷神社も見つけたし、このあたりが「しぶや百軒店」なんだ、と、やっと
懐かしく思いだした。昔、ジャズのお店があったので、周りの環境もよく見ず、そこだけに何回か行ったことがある。
家でこれらのことを話したらパパが、「そのあたりだよな、東電OL殺人事件があったのは。
その神社あたりじゃないか、いつも立っていたというのは」と言い出した。
話を聞いているとやたら詳しいので何故かを聞くと、よく調べ上げた本が出ていて、読んだことがあるという。
加害者だと疑われているネパール人がわが町のインド料理屋でも働いたことがあったそうで、未だに真相は闇の中だそうな。

  
      
千代田稲荷神社                名曲喫茶ライオン            ライブハウス O‐Crest


  またまた長くなり、追記あり削除ありでご免なさい。 適当に読んで(見て?)やってください。
   

 

 

  

 


ベルリンフィルと子供たち

2006-04-07 | cinema

 

「今ツタヤに返しに行くんだけど、ママ、みたいなら見ていいよ。」
そう言われてケースから出したのが、2004年に封切られたドイツの
ドキュメンタリー映画 
「ベルリンフィルと子供たち」
タイトル名
は知っていたし、よさそうな予感もしたので、私が見た後、
明朝の開店前までにツタヤのポストに返却する、ということになった。

“子供たちに、もっとクラシックの楽しさを感じてもらいたい” と
ベルリンフィル芸術監督に就任したサイモン・ラトルが最も力を入れて
いた「教育プログラム」の中の活動の一つ「ダンス・プロジェクト」。
そこに集められたのが、ベルリン在住の、国や文化、年齢、育った環境も
まちまちで、ダンスどころか、クラシック音楽にも全く縁もゆかりもない、
どちらかというと無気力な250人の子供たちだ。
6週間という決められた期間での特訓後、ベルリン・アリーナに於いて、
ベルリンフィル
との共演で、ストラヴィンスキーの《春の祭典》を踊る、という
一大プロジェクトを、サイモン・ラトルや振り付け師である、
ロイストン・マルドゥームスザンナ・ブロウトン
そして、何人かの子供たちへのインタヴューを交えて映画は進んでいく。

まず映画の始まりが、軽快なラップ風の音楽だったので、これがベルリンフィルと
どう繋がっていくのだろう・・・と、がぜん興味が湧いてきた。
すっかりストーリーの中に入りこんでしまったころ
、ふと後ろをふり返ると
いないはずの娘も、そこで惹き付けられたかのように、また見ているではないか!

♪・・・♪・・・♪・・・♪・・・♪・・・♪   

   
   音楽にはもっともっと可能性がある
   人々を分断するのではなくて、一つにすることだ (ラトル)

    
      エネルギーを口から出してはいけない
      子供たちは社会の底辺で生きている子 自信のない子
      まだ怖がっている 不安なんだ

   不安な子ほどおしゃべりする
   真剣にならずに笑っているのは、不安があるからなのだ
   親の無関心・・・自分たちもそのように育ったから
   彼らはその人生体験から、素直じゃない

      すべてを吐き出すと視野も開けてくる
      ダンスは、自分の体を意識することだ
      「沈黙の力」を理解させるのが難しかった
   
   世の中の静寂や 肉体の声に耳を澄ますこと
   一つのミスで20人の努力が無駄になるんだ
   人生には規律というものが必要だ
          
             ♪・・・♪・・・♪

ロイストンは4歳の時に母親を亡くしている。決して大人を信用しなかった。
10代の頃は一人ぽっち。マーゴ・フォンテーンの映画を見て、感動し
48時間以内にバレー学校に申し込みに駆けつけたという。
だから淋しくて屈折した子どもたちの心が読める。
だからどうしても子供たちにやる気を起こさせ、感動を知ってもらいたいのだ。
根気よく、自分の気持ちをさらけ出して子供に接する姿はなんとも 気高い。
   
   友だちとは きみが新しいことに挑んでいる時 励ましてくれる人だ

             ♪・・・♪・・・♪

やる気のないどうしようもない子どもたちが、ばからしい!もうやめる!
といいながらも指導者たちの熱意に少~しずつ影響されていく。
そして時が経つにつれて、こう言い出す子も現れる。

   「厳しいほうがいいわ 真剣さがわかるから」 

19才のマルティンは、人に触るのが嫌いな、物事を否定的に考える子
   「自分は顔がいつもこわばり、自己防衛的だった
   が、今、ぼくの中でなにかが変わって来ている」

ナイジェリア紛争で家族をすべて失ったという16才のオイランカ
   「このダンスの授業で人生も変えられる
    今ぼくが一人なのは神の意思だ。だからがんばらなくちゃ」
    


             ♪・・・♪・・・♪ 

   子供たちは無駄口を利かなくなった 
   自分が前に進む為に必要な感覚がわかってきたようだ

      芸術はぜいたく品ではなく、必需品だ

   出来る子は既存の知識を知っているだけ
   アウトサイダー気味の子のほうが伸びる
   
      何するにも旅をして行き先に満足するな
      自分の限界に甘んじるのは楽だ
      限界を超える努力はいつも孤独よ

             ♪・・・♪・・・♪

教育現場やインタヴューの中での、心を打つこれらの発言。
その言葉以上に彼らの真剣な表情や口ぶり、教育実践者としての
忍耐力。すべてにすっかり参ってしまいました。

嗚呼、わたしのサイモン・ラトルよ! 
               ロイストンよ! 
                  & マルティン君! 
        
 
そして 嗚呼わが娘よ! 
danke schon♪ ダーリン danke schon

娘と2人、「このDVD、買いたいね~」と意見が一致した今宵でした。

  

 <CD/SACDに収録されている映画の一場面のラトルのスピーチ>
「おはよう、1分だけ話をしよう。今回の試みは信じられないほどすばらしいものだ。子供だけのダンス・カンパニー、年齢も8歳から20代初めと幅広い。人数は全部で250人。できる限りさまざまな社会的階層から集めた、性別もさまざまで3種類、あらゆる背景の子たちが集まった。年齢も8歳から20代なら、出身もイラクにイランにロシアにギリシャ。ドイツでも東ベルリンと西ベルリン、敵同士だったかもしれない子供たちだ。私は今までいろいろな“春の祭典”の舞台を見てきたがこんなのは初めてだ。かつてない新しい試みだし、我々皆で出来ることをうれしく思う。大きな挑戦だ。楽しみにして演奏に入ろう」 ― 映画「ベルリン・フィルと子どもたち」より


 

 


「私の愛した博士」

2006-01-30 | cinema

  

土曜日のレイトショー・・ぎりぎりセーフで間に合いました。
夕食を済ませて、車で10分もかからずに行ける映画館がある幸せ。
本当は別のを見ようとしていたのですが、そっちの時間に間に合わなくて。
でも、この映画も見たい映画の一つでした。で、これでほんとによかった。

交通事故により、記憶が80分しか持たない博士。
そこにやってきた若い家政婦と、彼女の息子が繰り広げる
〈数式〉を通しての心温まる友愛の映画です。
愛・・慈しみ深き愛とは・・・。言葉とか記憶などを越えた所で
相手を思いやる心。潔い数字のような潔さにあふれた登場人物。

原作は第一回本屋大賞を受賞した小川洋子さんのベストセラー。
監督は『雨上がる』『阿弥陀堂だより』の小泉堯史氏。
音楽は『阿弥陀堂だより』や『大河の一滴』も手がけた加古 隆氏。
ラストの素晴らしいソプラノは森 麻季さん。

私の好きな数字が〈素数〉でしたので、博士のわかり易い、
愛のこもった解説に心から頷けました。
世界に一つしかない、孤高な数字。
孤独な、でも絶対的な強さを持つ〈素数〉。
この映画を見るまで、〈素数〉と言う言葉すら忘れていましたし、
〈約数〉だって妙に懐かしく、〈完全数〉に到ってはもう感激!
〈友愛数」は奇跡・・・そんな事ありえるのだろうかと、寺尾 聰さん扮する
博士の朴訥な語り口にすっかり 酔ってしまいました。

   

数学は、その昔好きな科目の一つだったのですが、幾何を習い始めて、
理屈っぽい「証明」とやらがばかばかしくて、こういう学問って絶対に
私の人生に何の係わりも持たない・・なのにどうしてやらなきゃいけないの?
と思い続けていました。そして、数学が選択科目になったときはホッとしました。

それが、です。博士が語る数学は、学問と言うよりロマンなのです。
生き生きと、数字に愛と命、永遠のロマンを吹きこんでいます。

  「見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。
  284の約数の和は220、220の約数の和は284。
  ・・・・友愛数だ。
  神の計らいを受けた、絆で結ばれた数字なんだ。
  美しいと思わないかい?
  きみの誕生日と、僕の手首に刻まれた文字が、これほど見事な
  チェーンで繋がり合っているなんて。」

  

こんな神秘的な世界が目の前にあったというのに、好きだ嫌いだで
片付けていたなんて。あんな風に教えられていたらきっと・・・。
数学者って言うのは、もしかしたら、とてつもなくデリケートで、
ロマンチストなのかも知れないですね。

一つ理解に苦しむことは、“記憶が80分しか持たないこと” です。
ということは、つねに80分前までの記憶は ある、 というのでしょうか?
考えれば考えるほどわからなくなりました

 

 

 

 

 


“アレクセイと泉”を見に

2005-11-21 | cinema

55人の老人と、ひとりの青年と、”百年の水”の物語
本橋成一
「写真集アレクセイと泉」

それはもう、遠い昔のことだ。14年の歳月がながれた。
ぼくはその日を覚えている、4月26日だった。

ぼくたちが家に帰ったとき、それが始まった。
風が吹いてきて、埃が舞い上がった。
空はオレンジ色に染まっていた。
風は堀を揺らし、吹雪か暴風雨のように荒れ狂った。
小雨が降ってきた、そしてあっという間にやんだ。

ぼくたちは何も知らなかった。
気がつくと、西側のラジオ局もこちら側のラジオ局も、静かに語り始めていた。
チェルノブイリの、あの事故を。

(web上の平凡社発行の写真集より拝借しました。)

日曜日、最初に受け取った電話は母からのもの。
「アレクセイと泉」の話を昨日していて、どうしようか・・見に行ってみる?とのことだった。
東京国際女子マラソンも気になるけど、母がこう言い出すことはめったにない。
午後2時開演の〈財団法人○○市施設利用振興公社〉主催のビデオ上映会に行く事にした。

始まってすぐに、その映像の美しさに感動してしまった。

それは、誰もがご存知、1986年4月26日に、ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故。

その被災地となったプジシチェ村と、避難勧告が発令されてもそこに居残った55人の老人と
一人の青年アレクセイ、そして、そこに昔からある〈泉〉のお話である。
アレクセイの朴訥な語り口で゛始まり、そして終わるこのドキュメンタリー映画を、
私たちはその字幕と、素晴らしいカメラワーク、そして坂本龍一の、映像を決して邪魔しない、
控えめだがピカイチな音楽で存分に堪能した。

こんな映画を私はずうっと見たいと思っていたんだ。
人間本来の持つ生命賛歌。

アレクセイは語る。・・・運命からも、自分からも決して逃げられない。だから自分はここに残った・・と。

大地から、あらゆる作物から高濃度の放射能が検出されたこの村で、
唯一、泉の水からだけはそれが検出されなかった。
そんな不思議な事ってあるのだろうか?
「この水は100年も前の聖なる水なんだ!そんな昔の水に放射能なんかあるわけ無いさ!」
と彼らは笑って言った。

働くことが生きること。
自給自足。
お金は意味をなくし、貯金するものはいない。
農繁期には、都市部に出て行った若者たちが応援にやってくる。
全員が力を合わせて親や祖父母に協力する。
農閑期にはかご作りや刺繍をし、遠く離れた村まで売りにいく。
売って得たお金はすぐに品物を買って使い果たす。
流通紙幣が異なるからだ。
水汲みが出来なければこの村では生きていけなくなる。
この唯一の〈泉〉から、水を汲み、2つの桶を肩に担いで運んでいく。
あわせると30キロの重さだ。
村に来るバスは週2回。
お祭りでは歌い、踊り、男たちは早々と酔いつぶれる。
シンプルだが、これが生きるということだ!とハッとさせられる。

2002年に出来たこの映画を今まで、知ってはいても見なかった。
物事との出会いって、こんなもんなんだな。

人間の為したことで人間が窮地に追いやられ、地球はくたびれてしまっている。
それでもめげずに、プジシチェ村の老人たちは、今でも昔と変わらぬ生活を淡々と続けている。
トゥラッタッタ♪トゥラッタッタ♪と踊りながら。



家に着き、高橋尚子の優勝を知る。

        Qちゃん、やったね!お め で と う !!


                  +++++++++++++ 次回のビデオ上映会は +++++++++++++        
                      
                      ★平成17年12月18日(日) 「ディア・ハンター」
                      ★平成18年01月22日(日) 「ナージャの村」
                      ★平成18年03月19日(日) 「容疑者」 

                      市民プラザ多目的小ホールにて、PM2:00より。
                      各回先着60名。

                  

 

 

 

 


封切りのその日に

2005-10-30 | cinema

映画を見てきました。昨日はパパのバースデーでしたが、
子供たちは仕事に、ハロウィーンパーティーに、と留守でした。
じゃあ2人だけで西船にある“POROROCA”でブラジル料理でも食べて来よう、
と話が決まり、念のため電話をしたところ、「レストランのほうは6月で閉めました。」
がっかりして、「それじゃあ六本木の“アカラジェ”はどう?」と言うと、
本人はあまり乗り気でないのです。
さ~て困った、どうしよう・・・こんな時ばかり頭の中はフル回転。
そうだ、見たい映画が今日から始まる筈だ、と思い出し、
「じゃあ、"ベニスの商人” を見に行かない?アル・パチーノがシャイロック役で出るし、良さそうよ。」
「フ~~ン・・・ま、行ってみてもいいけど・・」
チャンチャーーン!これできまり。(バースデーと映画は余り関係ないですけどね。)
6時台と9時からが、これから行くのに間に合う時間帯でしたが、夕食後のレイトショーに行く事に。
パパと2人で映画に行くのは"レイ”以来。
シェイクスピアの作品は、本で読むというより、舞台や映画などで、知らず知らずに知ってしまった
と言う事のほうが多い気がします。今回の映画は、新聞の映画評を読んで興味を持ちました。
評論、といっても、こっちが見て感激したものでも、散々
な悪評を書く方もいますから、
一概に信用はしませんが、今回のはなんだか信用できそう。

・・・・・・・・・・ ★ ・・・・・・・・・・ ★ ・・・・・・・・・・ 

  
やはり、思っていた通り、彼が圧巻。

強欲で無慈悲なユダヤ人の金貸し、シャイロックが、深い悲しみに打ちひしがれた、ひょっとすれば
同情さえされ得る人間として描かれているのです。話す口調、動作、すべてが、この人以外に
適任者なんかいないんじゃあないかと思ってしまう位なんです。
監督も言ってます。
「かれはこの役を演じる為に生まれてきたようなものだ。彼なくして、
私はこの映画をつくろうとは思わなかっただろう。」
プロデューサーも言ってます。
「アルのイタリアでの人気のお陰で、ヴェニスでの至宝と言われるような場所の数々での撮影が、
いとも簡単に許可された。こんなことは、今だかつて一度もなかった。」
それにしても、アントーニオとバッサーニオの関係が、単なる友情なのか、同性愛なのか。。?
又、意外だったのは、若手の男たち女たちの存在が、ちょっと軽すぎたかな・・
ということでした。
幻想的に見えたポーシャでさえ、男装して裁判官の前に現れたときには違和感がありました。
シャイロックが余りにも重厚過ぎたのか、監督がこの映画を、今と言う時代にも通じるよう、
独創的なものに仕上げたことは間違いないでしょうけど。
バックを流れる音楽と歌声は、美しいルネッサンス期のヴェニスの町に同化し、映画最後の
キャスティングリストの終わりの終わりまで続きました。
とにかくこの映画は、ストーリーが解っているだけに、登場人物をじっくり観察できた
と言う意味でも面白かったです。
監督のマイケル・ラドフォードは、これを見終わった後で知ったのですが、私が好きだった
"イル・ポスティーノ”や、“1984年”(これは本をを読んでいましたが難解でした!)
の監督でもありました。
やはり、ご縁があったのでしょうね。(何の?)


ここに、バッサーニオが、ポーシャを手に入れるための箱選びをしている時の呟きを・・・

・・・・・・・・・・ ★ ・・・・・・・・・・ ★ ・・・・・・・・・・

「目に見える美しさは、中身を裏切るものだ。いつの世も人は見た目に惑わされる。
裁判もそうだ。どんな不正な訴えでも、巧みな弁舌を使えば悪が隠れてしまう。宗教もだ。
どんな邪説でも、厳かな顔で聖書を引用すると、おぞましさが虚飾の影に隠れる。
美人を見よ。その美しさは化粧の厚さによって手に入るものだ。従ってけばけばしい金よ、
お前に用はない。銀よ、お前もだ。生白い顔をした下賊なやつ。だがお前、みすぼらしい銅は、
希望も抱かせず、まるで脅迫してるよう。素っ気なさに引かれる。
雄弁よりもこれを選ぶ。我に幸運を。」