ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

I'm not there

2008-06-04 | cinema

   
シネマライズでも上映期間が今月6日迄
と迫ったので、6月1日の「映画の日」に
思い切って渋谷まで行ってきた。
3度目の正直。ようやく見る事ができた。

日曜日の渋谷を歩くのはしんどくなった。
見渡す限り街中が若い頭で埋め尽く
されている。無意識に、でもかなり必死
で同年代の人を探しても容易には見当
たらないのだ。まずはチケットを確保して
から軽く腹ごしらえを、と、入ったカフェ。
そこもわが子と同年代の若者ばかり。
店員だって若者だ。
だからどうの、っていうんではないが、この
ような光景って異常じゃないかと考えて
しまった。
渋谷は若い頃から慣れ親しんでいる街。
色々な年齢層がごちゃ混ぜだったのに、
今、ここまで若者に占領されるとは。
私の上に若者の目という目が集中し、
ジリジリと迫られ包囲される恐怖(空想)
を一瞬だが感じた。
ワハハ・・・なんだか映画みたいだ~!

さてこの映画は、デビュー45周年を昨年迎えたミュージシャン、ボブ・ディランという人間像を、
監督であるトッド・ヘインズが自らのイメージでもって
多面的に捉え、更に周囲の人間がどの
ようにディランを受け止めているか(いたか)を描いている。いわゆる伝記的な映画とは全く違
ったものだ。
6人の俳優が6通りのディランを演じる、ということは一体どういう事か、見るまでは想像し難く、
興味があった。
それぞれの役者が、「ボブ」ではない、別の名前で登場しても、なんとなくこれ
はディランのあの頃の姿かしら、とか、多少は想像できたが、6人共ディランだ、ということを知ら
ずに見たなら何が何だか判らなくなっていたかもしれない。説明っぽいこともなく、時代背景や
物語も頻繁に入れ替わっていくので、集中していてもわかりにくい面もあるが、全体を大雑把
に頭の中で描いたところに、「捉えどころのない」という一つの個性を持ったディラン像がフワッと
浮かび上ってくる。
特にボブ・ディラン・ファンということではないけど、彼の存在感は一種独特で、上手いんだか
どうかわからないような洗練されたとは言い難い声で反戦詩や社会性の強い詩を、ギターを
弾きハーモニカを鳴らしながら歌っていた姿はしっかりと頭に焼き付いている。
そして今も残っている。
60年代半ばにはフォークからロックへの転進を図り、ディランもこれまでだ、とフォークファンを
落胆させたりした時もあった。何を考えているか判らない行動に戸惑う人びとは「ディランとは
一体何ものなの?」と、不可思議な行動を勝手に解釈しようとしたが、当人は自分が分析
され、固定観念で見られることに嫌悪感を抱き続けている。自分達だってそうだけど、芸能人
にとってある種のイメージが固定されるということは恐怖だと思う。人はとかく決めたがる。枠に
入れたがる。そうやって納得して安心する。が、冗談じゃないよね。そうじゃないんだ~!と叫
べば叫ぶほど面白おかしく書きたてられて異人変人扱いされたり咎められたり・・・と、あっと
いう間に流れに巻き込まれる。迂闊な言葉を一つ言おうものなら集中攻撃されてしまう。
ま、それが有名税といえばそれまで。政治家と一緒で人一倍の強靭な精神力を必要とする
職業だ。あぁ
良かった、有名人じゃなくて。(笑)
しかし一般社会の中にだってうわさ話しは日常的にあるし、居住の場所で、学校で、職場で
と、どこにでも付きまとうし、いじめにまで発展することも稀ではない。みんなが、「ケッ!」と思い
ある程度したたかになれば問題はないけど、夫々性格が違うし捉え方にも差があるから、こう
いったことは結局生涯付きまとうんだろうな。

映画上のボブ・ディラン役は6人が6人とも異なった人格を漂わせているが、結局のところ、
人っていうのはディランに限らず色々な顔を、要素を併せ持っているということだ。根本的に
底に流れているものは、もしかしたら変わりにくいものでも、仕事や人との出会いや知識、
経験の積み重ねのなかで少しずつ変化していくのが当然の姿だと思う。
ケイト・ブランシェット扮するジュードが実に小気味いい。中性的魅力のある彼女のディラン
が一番、自分の想像するディランに似ていたし、カッコよかった。もちろん、そんなディランの姿
だって、彼の中の一部分だろうけど。ロビー役のヒース・レジャーは今年の一月に急逝と知り、
とてもショックだった。ロビーの恋人役クレアには、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの
娘、シャルロット・ゲンズブールが扮したし、映画「ファクトリー・ガール」のモデルでもあり、アンディ
ウォーホールのミューズであり、ディランが曲を捧げたという女性“イーディー・セジウィック” もチラッ
と別名で登場する。ウォーホールがNYに構えた「ファクトリー」に、ディランもこの彼女も、ミック
もbianca(!)も集っていたんだと知り、「ファクトリー・ガール」も見たくなった。

風に吹かれて ・・・・・・・・・・  そういえばマリー・ラフォレが素人っぽく歌っていたなぁ。
ミスタータンブリンマン ・・・・・  ザ・バーズのが聞きやすかった。
時代は変わる ・・・・・・・・・ PPM全盛期。なぜか「MAMAS & PAPAS」とダブってしまう。
ライクアローリングストーン ・・ すごいの見つけた。喧しいし音がよくないけど、
ストーンズと
                  ディランのブラジル公演での録画版だ。micが眩しすぎる!

などなど、ディラン以外の歌手が歌っても大ヒットした数々の彼の作品。10年間、ノーベル
文学賞の候補に上っていると言われている詩人でもある。そんな彼を、ディラン研究家は、
          「ディランとは何ものか、その答えは風に舞っている」と表現した。

       「I'M NOT HERE」 + 「T」  =   「I'M NOT THERE」 
                       
                         



I'M NOT THERE            

ローリングストーンズなとが影響を受けた
ロックンロールの始祖の一人であるボ・ディドリーが2日亡くなった。
オードリーヘップバーンの前夫メル・ファーラーも同日亡くなり、
その前日はイブ・サンローランも死去。
次々と重なるような訃報を前に、ブログどころじゃない、
家の中を、身辺を、早く片付けなくちゃ・・・と頭を抱えている。


 


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3 Comments

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ここにいる (かぐやひめ)
2008-06-06 11:06:37
お~、リチャード、クリスチャン、ベン・・・
ケイト・ブランシェットのアカデミー助演女優賞ばかりに目が行っていましたが、こんな多彩な俳優が出演していたのですね。
ヒース・レジャーの死は本当に残念でした。
「ブロークバック・マウンテン」でいい味出して、これからという時で楽しみな俳優でした・・・
しかも「I'm not there 」のCastを見てまたびっくり。ヒース・レジャーの元パートナーで、娘の母親のミシェル・ウィリアムズも出演していたのですネェ。
破局の前?後?
彼は人生を駆け抜けた感がします。
・・・などとたっぷり感傷に浸ってしまいました。
ボブ・デュランは語れなくてすみません。
返信する
読み応えたっぷり (カメリア)
2008-06-06 20:01:41
この映画気になっていたのです。
ケイト・ブランシェットがどんな演技をしたのかが。
6日までだったのですね、残念!
いつかレンタルで観ることとして、biancaさんの解説で雰囲気は掴めました。
もうひとつ気になったのは一瞬ウォーホールの「ファクトリー」にbiancaさんも集っていたのかと思ってしまいましたが、ミックの元奥さんのbiancaだったのですよね。(笑)
あぁそそっかしい。
返信する
Unknown (bianca)
2008-06-08 10:57:08
かぐやひめさん

映画のことをよくご存知で詳しいですね!
私ももっと見に行きたいのは山々なんですが、多くは見逃しています。
6人のディラン役が一堂に出揃うことはない映画でしたし、
ディランの面影と各俳優とを頭の中で一致させようと
し続けるのに忙しかったです。ミシェル・ウィリアムズが
ヒースの元パートナーだったとは・・・ちっとも知りませんでした。
彼女が、イーディーに似た女性役(多分)としてほんの少しだけ
登場していたんです。気にかかる人がドラッグ漬けになり、
それが原因で若くて亡くなることが多いことは非常に残念です。
イーディーもヒースも28才でしたし、ひょっとしたらディランだって、
危なかったかも、です。


カメリアさん

ケイト・ブランシェットがいい味を出していましたので
是非レンタルで、どうぞ。パズル的で私としては面白く
見る事ができました。盛り上がっていく映画ではないけど、
見終わったあとスッキリしました。ディランをよく知っていたほうが
断然、理解しやすい映画です。
あぁ、日本のbiancaも、「ファクトリー」の中を一度でもいいから
覗いて見たかったわ。そそっかしいカメリアさんを私、大歓迎します♪
ただ、そのぉ・・もう一人のbiancaとは時代がちょっとズレて
いるんですよね。まさか、同世代って思われないかしら?
本気で心配になってきました・・・。
ウォーホールの作品を、「あんなスープ缶のラベルの
どこがアートだ」と言えるディラン。そういうところがカッコイイ!
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