ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

破壊前のアートイベント

2010-02-19 | art/exhibit/museum

フランス大使館の新庁舎が落成したことで、それまでの旧庁舎が解体されるまで、その建物を利用したアートイベント「No Man's Land]~創造と破壊~が去年から開催中でした。うっかりしていたのでもう終了したかと思ったら、評判がよかったので期間を少し延長し、2月18日までになったのです。で、最終日の午後、南麻布にある旧大使館まで行ってきました。大使館の中を自由に見れる又とない機会、というか、最初で最後のことだと思います。日仏等のアーティスト約70人が参加して1950年代の建物中を自由にアートする。こんな発想が現実に行われたとは、フランス大使館側の粋な計らいなしでは有り得なかったでしょう。しかも無料での一般公開でした。

     

入口からして、まるで美大の学祭風で、ここは大学だと言っても頷きそうです。

  
 建物壁面はキャンバスとして使われているし、プジョーだってアートの一部。
空っぽの棚やロッカーが無造作に置かれた場所はまるで墓場のよう。それらはビニールでピタッと覆われていましたが旧庁舎で使われていた不用品なのでしょうか。引き取り先が決まっているのか気になりましたが、そのなかの一つに「売却済」の紙が張られていた気がしましたが・・・。
このイベントのカタログは好評につき完売だそうで、普段なら買わないでしょうが、完売と聞くと欲しくなるんですよね。

 
 
 
 
     
 休憩スペースにはカフェもありましたが、列をなす客を二人で対応しているので大変そうでした。メニューにはガレットなどもあり、美味しそうでしたよ。いい匂いがプ~ンと漂ってきて私の胃袋を刺激。食べたかったけど、会場内の各部屋やスペース、パフォーマンスを見て回るのに時間が足りなそうなので残念ながらパス。
こんなに面白い企画だとわかっていたら、少なくとも二度は足を運びたかった!
 
 
 

エアフランスの社員20人ほどが、一年がかりで取り組んだというクロスステッチの作品は、アジアの国々の思い出を個性豊かに仕上げています。バックの布の種類ッたら、すごい数ですね。
エールフランス航空社員はアーティストです!』のフレーズに拍手!
  
  
 
 
写真を撮りすぎ、もう選ぶのが大変!腕は悪いけどさすがアーティストのイベントだけあり、どこも絵になるでしょう?この建物自体がアートするのにお似合いなんですよね。私なんかの年代の人が通ったころの学校のイメージと重なる部分があるんです。三階建ての地下一階という造りで、部屋の暖房はスチーム。こんな階段を学生が行ったり来たりしている光景が・・・。

   

二階からも庭に出ることが出来、一階の庭へと道が続いています。まだ二、三階を見ていなかったけど、ちょっと外に出て見ました。

このあと、人形だと思っていた赤い服の女が動き出したので、一階へ移動したくなりました。

あ~ぁ、このブログ記事が一回で終わりませ~ん。目が悪いのに私、一体何でこんなにブログに時間をかけているんでしょう。写真選択に手間取っているので、後日続きをupすることにします。

 


動くアート

2010-01-28 | art/exhibit/museum

装いも新たにオープンしたポーラ銀座
用事で銀座に行ったついでに、やっと立ち寄ってきました。

このビルのファサードに設置された180枚の可動式パネルをデザインした
チャック・ホバーマン展が3階ギャラリーで開催中でした。
外側からはそのパネルが可動式なんだかよくわかりませんが、実際にボタンを
押しながら自分でパネル操作して色を変えたりすることが出来るのです。
夕暮れ時のが色の変化がよくわかるかもしれません。

Living Form・生きている形》というタイトルがそのまま当てはまる
動くオブジェたちはどれも見ているだけで楽しい~!

男性が目にしているパネルも、複数枚が重なっては離れたりと、
絶えず静かに動いています。

 



これもグ~ンと広がるし・・・


 

小さな形がパッと何倍にも大きくなるこの玩具のアイディアも憎い!
ちょうどそれを見ていた方に広げてもらってシャッターを押しました。
大人も楽しめるようなオモチャですよね。欲しくなっちゃった~。

 

ホバーマン氏の作品は、このような玩具から、建造物にいたるまで幅広く、
ロックバンドのコンサート会場や、冬季ソルトレイクシティ五輪などでも
可変性あふれる素晴らしいプロジェクトを展開。
銀ブラのついでに、ちょっと覗いてみてはいかがでしょう。
おっと、会期は2月21日(日)までです。

2階にはヒガシヤというスィートショップ兼茶房があり、
店内も商品もなかなかお洒落です。当日は混んでいたので
家へのお土産に、三種類の大福を購入。
最上階にはフレンチレストランもあるので、化粧品を
買わずとも(Polaさんゴメン!)楽しめそうなビルですね。

家では夕食のあと、上品な大きさの大福を更に4等分して、
一時帰国中だった娘も一緒に4人で美味しく頂きました。
切る前の写真は撮り忘れ、というか、この画像も
ちょっとの差で撮り忘れるところでした。
切り刻んじゃうとなんだか美味しくなさそうに見えますが、
おいしかったですよぉ。

大福といえば、「食べた」ではなく、「食った~」って気にさせてくれる
岡埜のこごめ大福が贔屓ですが後日偶然、用事で入谷まで出かけた姉が
買ってきてくれました。ラッキー♪ 福は福を呼ぶ、ですか~。

★     ★     ★ 

 

え~と、

度々ご訪問いただきながら、新年の挨拶の画面ばかりで
申し訳ございませんでした。母はちゃんと生きていますし、
娘は一月に一時帰国した後、又、渡米しました。
母、姉、私と、初めてノロウィルスにやられ、何日か散々な目に
遭いましたが、移るんだということを実感した日々でした。
母が数日ダウンしてしまい、私たちが代わる代わる看病に行き、
そのうち私たちも母と同じ症状に!二人で唖然としましたが、
回復は母より早かったですね。お腹すっきりしたし!

色々な理由により、以前のようには更新出来ないと思いますが、
細々とでも五周年まで辿りつけたらいいな、と思っております。
皆さまのブログへは、コメントせずともいつも豊富な話題や
情報などに刺激を受けつつ多いに楽しませていただいております。

日付は書き始めた日でして、相変わらずのルーズさをお許しください。


 


品川での写真展

2009-12-09 | art/exhibit/museum


前回、デパートでの長倉氏の写真展に行ったとき貰ったパンフレットで
この写真展を知り、品川にあるキャノンギャラリーSに初めて行って来ました。
品川で下車することって滅多にないので、港南側がどんなに変ったかも
興味がありました。思っていたとおり、高層ビルが聳え立ち、汐留などと
似たり寄ったり。どちらが先でしたっけ?ほぼ同時期かもしれません。

品川グランドコモンズと品川インターシティーの間のスカイウェイを
端の方まで歩き、やっとキャノンSタワーにたどり着きました。
ビル街は面白くないけど、ビルとビルに挟まれたスペースが
憩いの場所になっていて、紅葉の色彩が
無機質なビル街に映え、ホッとした空間を作り出していました。


美術館と違い、ギャラリーはワンスペースだけの空間なので、
一度に全作品が見渡せます。これだけの目的で品川まで来るには
是非とも他の用事を兼ねたいところ。それでトークのある日を選びました。


ギャラリー風景 (ピンボケご容赦!)



中でもアフガニスタンの抵抗運動の指導者マスードの写真と話は特に印象に
残りました。一人の若者との出合いと記録。そこには新聞などでは
計り知れない「時間の重み」とでもいうんでしょうか、移り行く年月を
感じずにいられません。彼は結局、アメリカの同時多発テロの二日前に、
ジャーナリストと偽ったアラブ人の自爆テロに倒れたのです。
マスードと知り合って間もないころに撮ったという、草原で読書する写真。
戦闘の只中にいる人間が、僅かな睡眠時間を削ってまで読書している姿は
長倉氏を驚かせるに充分でした。故郷に図書館を作るのが夢だった
マスードは、読書家で詩を愛する若者の一人。その姿と戦争とが
結びつかないことでシャッターを切り続けた写真家。
長倉氏は17年に亘り(日数にして500日ほど)生活を共にしたことで
戦闘に生きる人間の生の姿、彼らの苦悩、彼らの喜びを目に焼き付け、
カメラに収めてきたのです。

 

前回の写真展で購入した「ぼくが見てきた戦争と平和」の本に、
9.11の後、イスラム世界がテロを歓迎しているような報道が多かった頃、
こんな事があった、と紹介しています。

(前略)そんな9.11の扇情的な報道があってから2~3ヶ月くらいたった頃、
深夜のテレビで、同時多発テロの直後、イランのテヘランで何千人もの人が
集まってキャンドルをかかげてテロの犠牲者のために祈りを捧げている
映像が流されました。どうして、この映像を事件の直後に流さなかったのか。
流していれば、「ああ、やっぱりイスラムの人も私たちと同じなんだ。」と
感じてもらえる映像だったのに、と思うと残念でなりません。
遠くで起きたことを遠くのものとして、あるいは他人事として報じる
のではなく、遠くであっても、同じ人間としてのシンパシーを感じられる
報道が必要なのだと思います。
(後略)

切り捨てられた部分に大切なことが」のページでも心から共感しました。
報道で切り捨てられたところ、削りとられたところにこそ大切なことや
見失いがちなこと、思い到らないことが多く含まれ、それこそが
私たちが世界や遠く離れた国の人たちと繋がることのできる部分だ、と
仰っています。戦争にもいろいろな戦争があるし、平和だって色々。
他の地域のことは関係ないという平和はとても貧しく醜い。
平和な側から「戦争はいけないからやめよう」という言い方もあるが、
戦いをしている人々が一番戦いをやめたいと思っている。
解決への手助けをするべきで、「戦争は愚かだ」と言うだけでは
何の解決にも繋がっていかない。などなど、戦地での取材を重ねた
一人の写真家のピュアな姿に感動しました。

本からの引用部分はトークでも少し話されましたが、何枚もの写真を
次々紹介していくトークでは伝わりきれないことでも本は多くを
語ってくれるんですね。
美しい女性の写真では、「やっぱり綺麗な人に目が行ってしまうので・・」
と、照れながらお話なさっていましたが、正直な視線がいいな。
驚いたのは、チベットの山奥でもケータイが流通していた、ということ。
知ることで私のちっぽけな世界観はどんどん変化し続けます。

廊下のギャラリーではキャノンフォトサークル誌の50年分の表紙が
展示されていました。これも写真を通して時代が感じられ、面白かったです。


廊下の奥には簡単なセルフカフェがあり、ライブラリーも兼ねていた
ので、その中から選んだ写真集を眺めながら休憩することができました。
折角品川に来たんだから今回こそ泉岳寺に寄ろう、と欲張って計画
していましたが、日の落ちるのが早く、今度も残念ながら断念。
ところが偶然かぐやひめさんブログで泉岳寺に行かれた時のことを見つけ
ビックリするやら嬉しいやら。又、母と日比谷公園に行ったときは
帰りに外苑の銀杏並木の前を走りたかったのですが、母が疲れるからと
やめました。それが、カメリアさんのブログでバッチリ見れたので
すっかり行った気分になれました。各ブロガーの皆さま、おおきに!


インターシティーのX'masツリー



新しい山種美術館へ

2009-11-28 | art/exhibit/museum
新美術館開館記念特別展「速水御舟~日本画への挑戦~」を見に、広に移転した山種美術館に行ってきました。まだまだと思っていたら、ありゃりゃ、この日曜日が最終日でした。で、慌ててすっ飛んで行ったのです。
行きは恵比寿で下車して歩きましたが、途中で出会った器屋さんを覗いたり、ここって何だろう、とちょっと小洒落た一角を、通過せずに一周したり。あとでそこが恵比寿プライムスクエアだということがわかりました。又、同じ並びに アパレルメーカーパパス本社があり、そこの巨大なダビデ像にはアッと驚かされました。美術館とか文化会館の前とかではない、普通の道沿いに素っ裸で立っているんですもの!パパスカフェも隣に併設され、外テーブルは、店にぴったりマッチした?常連風の人達がパリのカフェの如くに陣取っていました。

洒落たビルや店舗などはすべて後から建てられたもので、私が学生だったころからあったと思われる家や店も、ちらほらと点在していたのには、ガンバレ~とエールを送りたくなりましたね。美術館の手前にある角の八百屋などは、ギョッとするほど懐かしい店構え。これから行かれる方は絶対にこの前を通過するでしょうけど、店の前に、山種美術館はこの先です、と看板を掲げているのには笑っちゃいました。けれども人の営みを肌で感じる店って、ダサいけど今の都心では貴重だと思います。

長ったらしい書き出しでご免なさい。そして以下も、終わってしまった展覧会のことなので全然面白くないかもしれません。

10月1日に広尾に移転してから2ヶ月が経ちますが、真新しい山種美術館は今だ、初めて訪れる人々で賑わっていました。入口を入ると正面に加山又造の陶板壁画「千羽鶴」が、そして左側にはいきなりカフェが見えました。広々した階段を階下に降りたところが展示会場です。以前行った智美術館みたい、と直ぐに思いましたが雰囲気はやっぱり山種風。・・・ってどんなか、というとあまり気取りがない風とでも言ったらいいかしら。

今回の特別展の目玉は、チケットにも使われた「炎舞」のようでした。「名樹散椿」とともに重要文化財となっていますが、それらを含め約120点の作品が展観。木炭等で描かれた未完の「婦女群像」や日記など、滞欧時の資料も展示されており、御舟ファンには嬉しい展覧会だったと思います。 勿論私も、知らず知らずのうちに御舟ファンの一人に・・。 今回、山種美術館の所蔵する速水御舟の作品が全て大放出!全部みられたのですから、間に合ってよかったぁ。

  未完作「婦女群像」

 
特別展の構成は美術館HPに詳しく書かれていますが、以下の順でした。


第一章 画塾からの出発: ここでは10代からの初期作品に注目。
             スケッチはラフでも、美的センスに溢れています。   

第二章 古典への挑戦;  「炎舞」や「百舌巣」などの写実から、琳派の影響を
             受けた「名樹散椿」など、彼の代表的作品を展示。
                                                  第三章 渡欧から人物画へ:ローマ日本美術展覧会の使節として渡欧し、10ヶ月
             もの長期に及ぶ滞欧中に写生したスケッチなどの他、
             外国での見聞により、人物画を多く描くようになる
             ことがわかります。「オリンピアス神殿遺址」や          
             未完の大作「婦女群像」等。

第四章 挑戦者の葛藤:  挑戦者・御舟が、制作上の葛藤を味わいながらも目指
             そうとしていたものを最晩年の作品を通して探る。
              「豆花」・「牡丹」・「写生帖」など。

    パスポート

1894年生まれの御舟は腸チフスの為、40才という若さで1935年に急逝。外国を知り、人物画を多く描き始めながらも制作する上での様々な葛藤と戦っていた豊かな才能が突然途切れてしまったことに、今更ながら残念な気持ちになりました。「日本画家」の枠にとどまらない画才溢れる御舟が尊敬していたという今村紫紅の逸話が印象的でした。

「日本画なんてこんなに固まったんではしかたがありゃあしない。」
「とにかく破壊するんだな。僕は壊すから君たち建設してくれたまえ。」
という先輩画家の言葉に象徴されるような過激な発想に、
 御舟は大いに刺激された。

         
九段のときより照明に工夫がされ、より斬新になった山種美術館でしたが、階下の企画展示室と常設展示室の間にミュージアムショップがあったのには あれっ、でした。又、カフェの前のスペースで美術館についてのビデオ放映があり、カフェでの会話とビデオの語りの声が重なり合っていることに又、あれあれっ、と思いました。

「Cafe椿」の椿のロゴは御舟の自筆だそうで、抹茶セットに付くお勧めの和菓子が、作品名と同じ「散椿」という名の練り切りで、青山の菊屋製とのこと。広尾に移転したことで、チケット代も(カフェも)ちょっとお高くなったようです。恵比寿アトレの神戸屋ベーカリーに寄ってから来たのでカフェはパス。美術館の前などでは、人が大勢いて、写真を撮る気分になれませんでした。

帰りは日赤医療センターに向かう懐かしのバス通りを、落葉を踏み踏み広尾まで歩きました。日赤医療センターを含む新開発地域を「レクロス広尾」って言うんですって。Red Crossをもじっていますが、来春にはすべてが完成のようです。病院業務などはすでに新ビルで行われていましたし、敷地内のマンションも入居済みのようでした。ここが出来る前、日赤高層ビルの建設反対の署名をしたのですが無駄でした。

          

  


雨の日本橋・デパートはしご

2009-10-07 | art/exhibit/museum

台風の日の前日は一日雨だったから、外出したくなかったのですが、思い切って二つのデパートに寄り、開催中の写真展と美術展を見て来ました。9日に娘が米国に発つので、お土産を買うことが本来の目的でした。

まずは島屋で開催中のウィーン世紀末展。ウィーン・ミュージアムのコレクションの中から約120点が公開されていました。クリムトやシーレ以外はほぼ知らない画家の絵でしたが、結構見応えがありました。

左の絵がエゴン・シーレの自画像ですが、今回マックス・オッペンハイマーの描いたシーレも展示されていました。どことなく似ている・・と思って説明を読んだら、まだ描き出しの貧しいころに、共に絵具を分け合って描いた隣人同士だとのこと。なるほど、影響って知らないうちに受けているものなのでしょうね。
28歳で亡くなったシーレの絵ですが、上手いとか下手とかの評価では表わせない彼独特の表現手法で描かれた作品は、鑑賞する人の目にしっかりと焼き付いて忘れられないものになるだろう、と感じました。心が伝わってくる絵なんですね。

クリムトの作品は、以前の展覧会で沢山見ているので、もっと大作があってもよかったのに、と思いました。

次に向かったのは三越新館。長倉洋海写真展「微笑みの降る星」が開催中でした。写真展は、長倉氏が20年以上にわたって世界中でとらえた子供たちの姿をテーマとして、

 「紛争地の子どもたち」
 「アフガニスタン・山の学校」
 「子どもたちの大地」
 「ザビット一家 家を建てる」

の四つの章から構成。 

長倉氏の写真展は初めてでしたが、様々な国で、様々な環境下に置かれた子供たちの屈託のない笑顔を、どのようにして引き出したのかを思うと、最後は長倉氏ご本人に目が向いてしまいました。

 

ちょうど写真展を見終えたころ、サイン会が始まったようで、写真家本人にお目に掛かることができたのです。一般的にサイン会は、図録を購入した方だけの特権ですが、このとき場内でのアナウンスでは、「絵はがき一枚でも構いません。」だったので、嬉しい気持ちになりました。絵はがきを探している内、本の方が欲しくなり、それにサインしていただきました。

        

   握手を求めると、はにかみながら小さな手を差し出してくれ、
   さっきまで泣いていても、いやなことがあっても、「やあ!」と
   明るい声をかけるとすぐに笑顔を浮かべてくれる。
   決して楽な環境ではない。だからこそ「今」を懸命に生きていた。

「初めての土地で不安がいっぱいの心を、ふっとなごませ、いつも友達になってくれる子供たち」のことをこんな風に捉えているカメラマンは、やはり子供たちが笑顔を返したくなるような温かみのある方でした。だってこんなに素敵な笑顔を、ぜ~んぶ長倉さんが、少なくてもその瞬間は、独り占めにしているんですものね。

写真展を見て感じたことは、本当の豊さは、心と心の触れ合いからしか生じないということです。内乱で全てを失った家族が、経済的には最悪の状態なのに、皆で助け合いながら笑顔で家を再建しているすがたは、過剰な物質に潰されそうに生きている私たちから見ると、哀れむどころか羨ましくさえ思えました。きっと、何もないところからの眺めは、微笑みの降る星でいっぱいなのかしら。

    
 ←これがサインしていただいた本。

 最後ページに長倉氏のイラスト入りの
 こんなハンコウを押してくれました。

 急ぎ足で見るにはもったいないほどの
 良い写真展でしたが、会場をあとにした
 時の 何とも言えない爽やかな心地は、
 被写体である大勢の子供たちの、純粋な
 笑顔のお陰でした。
 
 7階で英国フェアを覗き、地階で買物を
 済ませ、雨の降りしきるなか、満足して
 帰路につきました。


連休明けは銀座で

2009-09-26 | art/exhibit/museum

松屋アゲイン。ユキ・パリス コレクション展に友人三人と行って来ました。
新聞広告で知り、行きたいな~、と思っていた矢先、招待券を持っているから、と
お声が掛かったのです。今回もなんてラッキーなんでしょう♪

 
レース編みの襟飾りや
プチポアンバッグ

 
 
ロイヤルコペンハーゲンの絵柄を施した刺繍や1800年代のビーズバッグなどなど、YUKIさんのコレクションから約440点が一堂に公開。よくぞこれだけ揃えたなぁ、と、ため息が出るほどの数なのです。それも、昔の手仕事ですから細か~い!やって見たいとは絶対に思わなくなるほどの緻密さです。銅版画にしか見えないような刺繍など、目が良くなければそれが刺繍だとは思えません。手仕事は嫌いでないのに、何にもやらなくなっている自分。

 

      
今までの時間より残された余生のが確実に短いのです。何をやろうがやるまいが、人生は産まれたと同時にその終わりに向かって進んでいます。今回のコレクションは、偉大な芸術家の作品展ではありませんが、うっとりするような手仕事の数々が、残されていたからこそ収集できた、と思うと、そしてそれが人間の文化として代々伝えられて行く、と考えると、何かやりたい虫がうずうずして来るのです。えっ?そのときだけだ、ですって?ま、そんな所かもしれませんが、そう思うだけでもフレッシュな気分になるというものです。
図録へのサイン会が終わったところだったのでしょうか、出口のところにYUKIさんがいらっしゃいました。幾つになっても失わないお洒落心が、繰り返す日々のスパイスとなっていらっしゃるような雰囲気のYUKIさん。コレクションだけでなく、そのお人柄からも多くのことを学べるように感じました。

★YUKI PALLIS COLLECTION HP 

このあとのランチ処は、以前私たちのご近所さんだった方の小さなお店。
それは又あとでブログupいたします。


ルネ・ラリック展

2009-08-29 | art/exhibit/museum

熊田千佳慕展に誘ってくださった友人が、こちらの展覧会の券もあるから、とのことで、金曜日に二人で国立新美術館まで行ってきました。

  生誕150年
  ルネ・ラリック
 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ


新美術館は友人にとって初めてとのことで、レストランやライブラリーのある三階からミュージアムショップのある地下一階までをぐるりと案内し、展覧会場内に入る前に、すぐ前の広場でサンドイッチを半分ずつ頬張りコーヒーをいただきました。中でお腹がグーグー鳴らないためです。昼食は三階のポール・ボギュースで、と思ったけど、一日限定(たしか)70食の特別ランチセット(特別=安い)は すでに完売!だったので、見終わったあとにミッドタウンに行くことにしました。

カフェしている間に混んできたのか、会場に入るとすぐに渋滞。進まないのです。ジュエリーだから繊細だし、その原画も又細かい。よく見るには顔を近づけなくてはなりません。                                              

第一部 華やぎのジュエリー会場内はずっとこんな調子でしたから時間がかかりました。
アールヌーボーのジュエリー製作者として、又、アールデコのガラス工芸家として19世紀末から20世紀半ばにかけて二つの創作分野で頂点を極めたルネ・ラリック。国内外から集められた約400点もの作品はかつてない規模だとのことですが、鉛筆で書かれた原画は、それだけでも一つの作品のように素晴らしかったです。

ポスターに使われたケシの花のハット・ピン(オルセー美術館蔵)は妻であるアリスが使ったものだそうです。今回アリスという女性について初めて知りました。アリスを象徴するかのように見えるケシの花ですが、どうしてケシなのかしら?
《右:ケシに囲まれた女の胸像》
                                                   
愛の美神アリス
ラリックの世界の中心には、常に魅惑的な女性の姿があります。
30歳の頃、工房の協力者である彫刻家オーギュスト・ルドリュの娘アリス・ルドリュと出会ったラリックは、すでに妻子がありながら激しい恋に落ち、苦悩の末にアリスと結ばれます。アリスという美神を得たラリックは、「かつて見たことのない宝飾品」の創作を目指し、文字通り寝食を忘れて制作に没頭しました。
本展では、アリスをモデルにしたと思われるブローチ《ケシに囲まれた女性の胸像》が出品されます。また、卓越した技法を駆使し、1897年のサロンで国家買い上げとなったハット・ピン《ケシ》、それとは対照的に、妻に捧げる私的な作品として作られた銀製のバックル《ケシ》が、ラリックの工房を出て以来初めて同時に展示されます。アリスの肖像写真やふたりの間で交わされた恋文など、貴重な資料も併せて紹介します。 (展覧会HPより)

第二部 煌きのガラスでは花瓶や香水瓶、テーブルセンターピースなどのほか、カーマスコットがこの時代を象徴しているようで印象的でした。ラリックの豊かな感性が伝わってくるようなガラスのマスコット。それを車の先端に飾って走っていただなんて、想像してみただけでも素敵!
そういえば、わが街では先端にミッキーを付けたバスを時々見かけますね。

ルネラリックについてもっと知りたい方は、箱根ラリック美術館のHPもご覧ください。

箱根では「ラリック家の女神たち」を半年以上に亘って開催中で、アリスを病で失ったあとにラリックを支えたのがまだ10代のスザンヌだった、ということがわかります。って言っても見に行ったわけではありません。パンフレットを持っているだけでして・・・。箱根にも足をのばしたいな、と思っているのですけれどね。

  


ずい分と時間をかけて沢山の作品を見たのでけっこう疲れました。ミッドタウンまで歩いて行き、ガレリアB1にある「京のとうふ屋 藤野」という処でミニ丼が二つ付くランチをしました。ミッドタウンには、一人でも気楽に入れる店が多い気がします。

同じフロアーの催事スペースでは、「HIROKOLEDGE」の期間限定ショップ(8/31迄)があり、浴衣などと共に、個性的な柄の手拭いで作ったバッグも沢山並んでいました。一枚の手拭いを鋏をいれずにそのまま縫い合わせただけだとのこと。簡単そうなので作ってみようかと一生懸命に見てきたのに・・わからなくなりましたぁ!なんでだろう。

            

芝生広場ではどうも何かイベントをやっているようなので見にいったら、ドイツビアガーデンの会場となっていました。なんだぁ、知っていたらここでビールを飲みながら食事したのに・・と、ちょっと残念でした。9月13日まで開催とのことですから、夕方から繰り出してみるのもいいかも知れませんね。

   

 


熊田千佳慕展

2009-08-20 | art/exhibit/museum

招待券があるけど、と地元の友人が誘って下さり、銀座松屋で開催中の熊田千佳慕展に行ってきました。展覧会が開催された翌日の8月13日に、「日本のプチファーブル」と言われたこの細密画家は98歳で旅立ってしまったので、まさかの追悼展、のようになりましたけど。

      
                         森のジュースに集まる虫たち

午前中に見終わるように早目に出かけたのですが、会場内は多くの人でごった返していて時間がかかりました。色彩豊かな熊田千佳慕さんの絵はとても明るく華やかですが、どのような筆を使っているのかしら、と思うほど細かく描かれています。筆先の数本の毛だけを使って色を重ねていき、2~3ヶ月もの時間をかけて一枚の作品が仕上がるのだそうで、想像しただけでも気が遠くなりそう。

      
                「ファーブル昆虫記の虫たち」から「花まつりのお客さま」

そんなペースでの作業なので、経済的にはかなり苦しい時代が続いたようです。自ら「埴生の宿」と呼んでいた横浜三ツ沢にある古家は、農家の物置を改装した粗末な家だったようですが、そこで60年という歳月を暮した彼だからこそ、プチファーブルと呼ばれるに相応しい気がしました。

膨大な時間を費やして丁寧に描かれた約220点の作品が一挙に公開される今回の展覧会を、生前の熊田さんはとても心待ちにしていたようです。もし、お元気でいられたら、ひょっとしたら当日お目に掛かれたかもしれないのに、と思うと残念でなりません。

彼はいつも草むらに這いつくばって、何時間も飽きずに虫を観察し、その姿をしっかりと目に焼き付けるのです。けっしてスケッチはしない、、メガネは使わない、という姿勢にはオッタマゲました。自然と共に生活している人は眼が悪くならないのかしら?
それにしても何という集中力でしょう。昆虫を見つめる彼の優しい眼差しを見ていると、遠き日の熊田少年を想像してしまいます。彼の隣りに腹ばいになって、一緒に昆虫を観察したくなりました~!

70歳のとき、「絵本ファーブル昆虫記」の原画が、ボローニャ国際絵本原画展に入選。その後、絵本作家として知名度をまして行きましたが、美術学校を出た頃はデザイナーとして、写真家・土門拳と組んで時代の先端を行く仕事をしていたのですから、面白いですね。私たちの親愛なるプチファーブル、熊田千佳暮さんのご冥福を心よりお祈りします。

web上で見つけたのですが、質問に答えている熊田さんのコメントが印象的でしたのでコピーさせていただきました。

・・・・・・

 神様? 熊田さんは特別な信仰をお持ちなのでしょうか?

 僕は、偽クリスチャンです(笑)。神というのは、他に言葉がないから言っているのであって、物質を支配している自然の大きな力のことです。植物とか昆虫とか描いていると、そういうものを感じるんです。僕は、80年以上、この仕事を続けていますが、僕にとって、この仕事は、神様へのレポートなんですよ。地球という惑星は、こういうところです、と。だから、原画を売ったことも一度もない。「金に糸目はつけない」って言って買いに来る方は沢山いましたけど(笑)。

                              ・・・・・・

3ヶ月前に吉祥寺に見に行った動物画の薮内正幸さんも、写真で見る限りとても優しい表情をした方だったな・・と、ふと思いました。自然界を相手に絵筆を動かしている人の共通点っていうんでしょうか。紙の上の生息物にいのちを与える仕事ですから、描いているものに心が反映するのかもしれませんね。


お昼には、以前満員で諦めざるを得なかったミキモトギンザ2の7階にある「WAZA」に行く事にしました。タップリのサラダバイキング付きのパスタランチをいただいたあとの The オバサンズは、お替り自由なコーヒーを何倍も飲みながら、ランチタイム終了間際までお喋りに花を咲かせていましたと。

  

そして・・国立新美術館でのラリック展にもお誘いのお声が掛かったので、来週またタダ券で行って参りま~す。やったね!

 


色絵の美

2009-08-10 | art/exhibit/museum

菊池寛実記念 智美術館で開催中の展覧会に行ってきました。ホテルオークラの近くにあるこの美術館を訪れるのも、陶芸家の前田正博氏の作品を実際に拝見するのも初めてでしたが、友人から「よかったら娘さんと行ってきたらいいわよ」と、招待券を二枚頂いたのです。ガラス越しに、広々した芝生の庭を見渡せるレストランも併設されているのでランチやカフェもできるし、と、友人は大層気に入ったようです。

この展覧会のことは某生活情報誌で読んで知っていたのですが、誌上に掲載された写真で見る、白磁に赤黒金銀緑青のカラフルな色を彩色して仕上げた作品には正直ピンと来ませんでした。

それが、この小さな美術館の会場内に一歩足を踏み入れるや、計算されたディスプレーとライティングの中で、様々な色が重なり合って生まれた作品たちの、何ともいえない独特の表情にすっかり魅了されました。ふくろうやトリやサボテン、月などの、一見プリミティブな模様が、日本古来の伝統的なかたちから自由世界に飛びだしたように楽しげなんですもの。

        
前田氏の色絵には、洋絵具と呼ばれる江戸末期に西洋から伝わった新しい素材が使われ、何度も重ね焼きができるという特性があることから、一気に表現の幅が広がったようです。

なんだか初めて知る世界を垣間見たような気分になりましたが、絵画を見るように器を見ている自分に気が付きました。よかったです。

帰りに一階でカフェしようとしたけど、どうもそこのイスが気にかかる人がいたので別の場所にすることに。

 

美術館脇の廃虚ビルの前で見つけたこんな花?を二人して面白がってケータイフォトに収めました。朽ちた建物と逞しい植物たち・・・何となくホッとする眺めでした。

     

このあと二人は銀座へ。

智美術館HP

 

 


松園ふたたび

2009-07-27 | art/exhibit/museum

        う~っ、まぶしぃ~!

       

九段下で下車し、日差しの強い靖国通りを日傘をさしながら
向かった先は、千代田区三番町の山種美術館。7月26日は
移転前の最後の展覧会「没後60年記念 上村松園/美人画の粋」の最終日でした。
うっかり忘れそうなところを、ブロ友のカメちゃんかぐちゃん
ブログ記事で思い出しました。takさんブログでも、山種美術館所蔵の
上村松園の絵が18点全て出揃う又とない機会、と絶賛していたので、
最後の〆めを見届けよう、と。
春に島屋で開催された時も行っているので、今年二度目の上村松園展でした。


                  

 

手狭な館内に、松園の作品を中心に美人画ばかりが約60点もずらり展開。
松園の描き方は一糸乱れぬ描き方というか、細部にわたり実に丁寧ですし、
晩年までそのスタイルを貫いています。
帰りの電車の中で、500円で購入した「山種美術館の 上村松園」という冊子を
読んで、初めて彼女の「絵についての思い」を知る事ができました。



単にきれいな女性を写実的に描くのではなく、真・善・美の極致に達した
本格的な美人画を描きたいと思ったこと。自分の理想と能力の差に愕然とし、
絶望感から幾度も死を決したこと。少し名を知られてからは、
一体地位や名誉がなんになるのかと、厭世の念にとらわれ、思い悩んだこと。
それを情熱と強い意志で乗り越えたからこそ、絵三昧の境地に到達できたこと。
そして、母の手一つで育てられたというハンディのなかで、
自分の好きな道を歩ませてくれた母親への感謝の気持ちが
彼女の心をより逞しく、安らぎのあるものにさせたのかな、と感じました。


伊東深水の作品も5点あり、それぞれなかなかいいものでした。

10月1日からの、移転先でのオープニングに予定されている展覧会は
新美術館開館記念特別展 速水御舟~日本画への挑戦~

広尾に行く楽しみが一つ増えましたね。

帰りは別の道から、と思っていたのに、余りにも暑いので
来た道を戻ることに。パンツにTシャツ一枚でも汗かいているっていうのに、
日本画の中の美人さんは着物に帯姿で涼しそうなんですよね。

美術館の並びにあるイタリア文化会館をひょいと覗くと
入口前に国旗の色を使ったイスが、何とも軽やかにお客さんを待っている風。

行きに、普段日曜定休日の器屋「花田」が偶然オープンしていたので
ちょいと覗き、帰りにしっかり見てきました。二階のギャラリースペースで
九谷青窯出身の三人展が開催中なので、会期中無休だったのです。
なんとラッキーなこと!


左上から:
     岡田直人さんの白磁
     岡本 修さんの色絵
     吉岡将弐さんの染付

 

三人とも普段使いに手頃な大きさの作品を揃えてあり、中でも染付けの小皿で気に入ったのを見つけてしまいました。が、衝動買いは控えるようにしているので我慢しました。が、そうだ、三番町の山種美術館最後の日の記念に何か一つ、と考え直し、小さな染付けの蓋物を選びました。手頃なお値段だからか、在庫がなく注文となってしまいました。10月ごろ出来上がるようですが、そのときはどこに寄り道しようか、なんて、もう考えているbiancaです。



ギャラリー内にあった小さなイスがなんとなくカワイイのでデジカメに収めました。
店内撮影OKだし、お店の方も親切で優しかったですよ。