うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 黒井千次氏のエッセーを読んで

2009-12-02 05:38:42 | エッセー

年寄りの冷や水<o:p></o:p>

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 読売新聞の夕刊に月に一度のペースで、作家の黒井千次氏がエッセーを寄せています。黒井氏は小生とは同年輩か、少し上のはずです。老齢であるご自身の目から、いろいろ世間の出来事、或は森羅万象、そして同じ高齢者の折に触れての行動や言動を観察され、暖かい眼差しで分析されておられます。小生愛読のエッセーであります。<o:p></o:p>

 今回はそのものずばり、年寄りの冷水について書かれ、「滑稽な冷水の効用」と題されていて、思わず納得させられてしまいました。冒頭に年寄りをめぐる諺はいろいろあるけれど、そこに扱われる当事者の一人として好きなのは「年寄りの冷や水」であると言っておられます。<o:p></o:p>

 そして外にも年寄りを扱った諺を挙げていますが、それについては否定的であります。例えば「年寄りは家の宝」などは今や現実性に乏しいし、小生もこそばゆい気がします。それに対して「年寄りと仏壇は置き所が無い」これは黒井氏ならずともリアリティが濃厚で、氏はいささか寂しくならざるを得ぬと、控えめな言葉を吐かれていますが、小生なら「ふざけるな」と一喝です。<o:p></o:p>

 黒井氏はそこから「年寄りの冷や水」は元気がよくて好ましいと言われます。そしてこの諺に好感を抱くのは、年寄りがそこで行動を起こしているからだと強調します。<o:p></o:p>

 この諺には多少の揶揄や警鐘が含まれていて、年寄りは年寄りらしく、老いては子に従えなる諺もあるのだから、年相応の言動が好ましいとの意味も含んでいると分析されています。<o:p></o:p>

 しかし大方の年寄りは既に、この文からは冷や水を飲んでしまっていると見たほうが妥当と黒井氏は推察します。その結果体をこわしたりした年寄りの耳には、若い者の年甲斐もなくとか、いい年こいてとかの、冷やかしや嘲笑いが聞こえて来ると笑います。でも小生はそれで良しとします。たとえそれが齢をわきまえぬ行動であって、その結果苦痛が伴っても自業自得と観念します。<o:p></o:p>

 氏も言われます。冷たい水も飲めないような生活は送りたくない。時には失敗をおかすことはあったとしても、冷たい水で咽頭をうるおし残る歳月を味わおうと。納得です。<o:p></o:p>

蛇足ですが小生の場合、時には冷や水ならぬ冷や酒でして、これは過ぎますといけません。被害甚大となり周囲の目は……であります。<o:p></o:p>