自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

鎖国から幕末へ~「人間の生きる規範」を示す武士団は?

2016-11-26 17:53:58 | 自然と人為

BS歴史館 奇兵隊150年(動画)
 そして幕末、武装集団でなくなった武士団は「人間の生きる規範」を示す武士団に成長していただろうか?
 高杉晋作は武装集団の機能を失った武士の正規軍に対して、尊皇攘夷の為に平民からなる「奇兵隊」を1863年に結成した。1853年にペリーが来航して10年後のことである。

 幕末の高杉晋作を知らない人はいないが、奇兵隊を「民衆に優しい軍隊」にする理想を持った赤禰武人のことを多くの人は知らない。
 「君らは赤禰にだまされている!そもそも武人は土民だ!この晋作は毛利家300年来の君臣!武人などと比べるな!」
 長州藩が内戦に陥るのを食い止めようとした赤禰武人に対して、攘夷の決起あるのみと考えていた高杉晋作はこう言い放ち、無謀と思える戦いに勝利した。裏切り者として処刑された赤禰武人は「真誠似偽 偽即似真」と無念の言葉を残している。
 今の時代でも、「いずれが正しいか」ではなく暴力(多数の力)が理論を征して、勝ったものが正義派として記憶される。だから暴力(武力)が大切だと主張するのは、個人よりは国の権力を尊び、自己も他者も大切にしない人だ、と私は思う。

 保科正之の示した「人間の生きる規範」の武士団は、平和な徳川幕府の下で特権意識のみ増長した武士団に育っただけではないのか? 尊皇攘夷による明治維新という革命は、意識革命ではなく、日本が長い伝統のある選ばれた国であるというエリート意識を増長させて、アジアへの侵略を聖戦とした戦争(動画)につながって行った、と私は思う。
 保科正之のことが世間に知られていないのも、明治政府の国民を大切にしない富国強兵の排外的な国粋エリート主義と会津藩に対する憎しみがあったのだ、と私は思う。
 先の大戦中に鬼畜米英と国民を恐れさせ、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名おめいを残すこと勿なかれ」(戦陣訓 東条英樹 第8 名を惜しむ)と、「捕虜になるよりは自決せよ」と迫った経験があるが、この考えは今でも他国を敵と思う人を「愛国者」と言い、平和を求める人を売国奴と軽蔑する人達の心に残っている、と私は思う。

 1858年に安政五カ国条約が締結されている。このような状況で攘夷を叫ぶのは、外交問題で国内の不安や不満を煽り、暴力的倒幕運動に仕向ける行為に過ぎない。英国のEU離脱、アメリカのトランプ現象には国民の政治への不満があり、国民は投票権を行使することで不満を爆発させた。幕末には戦闘能力をなくした権力に対して「奇兵隊」という暴力装置で倒幕し、倒幕後は「国民皆兵」で国家権力を強化した。長州出身の安倍首相は「奇兵隊」が好きなようだが、大企業中心のTPPに熱心で国民を大切にする政権とはとても思えない。
 明治政府は個人として尊敬されるよりは、国の威を借りて尊敬される日本人を愛した。靖国神社然り、叙勲も然りで、国家を愛する「美しい国」を誇り、国民を愛していない政権が唯我独尊で闊歩している。エマニュエル・トッドは日本の家社会の問題を指摘しているが、今も国民主権の憲法の基本さえも理解しようとしない「意識革命が必要な国」だ、と私も思う。

 長州藩の長井雅楽は、1861年に「航海遠略策」を提唱して藩論として一旦は採用されたが、攘夷派の反発によって藩論が逆転して切腹に追いやられている。理論よりも暴力が勝つ幕末がここにもある。

 坂本龍馬の暗殺の真の背景も我々は知らないが、龍馬が船中八策を説き、徳川慶喜が朝廷に大政奉還の上奏文を提出したのが1867年11月9日、その直後の1867年11月15日に坂本龍馬は暗殺されている。何故、暗殺しなければならなかったのか? 権力者として残った者たちが真相を明らかにしないのは、権力者側に秘密にしたい問題があるからだろう。アメリカのケネディ大統領暗殺事件も、我々から見れば真相は闇の中だ。アメリカの産軍複合体の政治力が批判されることはあまりないが、ビジネスというものはことの善悪よりも利益の追求に走るものだ。 幕末のトマス・グラバー (上)(下) (三菱の人ゆかりの人)は、日本の内戦の激化を予測して、アメリカの南北戦争で使用された武器を大量に購入して備えていたが、江戸城無血開城により破産してしまった。しかし、維新後明治政府と三菱との関係で重宝されて日本で生き抜いた。これは日本の産軍複合体誕生の芽とも考えられよう。

 1776年に英国から独立した13州の合衆国(星条旗に紅白13本の横縞)のアメリカ独立宣言のことはよく知られている。合衆国であるから各州ごとに大統領を選出する代理人を選出する選挙法が今でも採用され、投票総数ではヒラリーが多かったにもかかわらず、トランプ(動画)が勝利したと言われている。トランプはメキシコ国境の壁をメキシコに作らすと言っているが、カリフォルニアはメキシコ戦争(1846~48年)でメキシコから奪い取ったものだ。そこに金鉱が見つかって「ゴールドラッシュ」が起きる。マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)「デモクラシーを広めていくのは明白な天命」という考え方は、アメリカ原住民を虐殺し、太平洋を越えて(実際には南アフリカのケープ・タウン経由で)1853年にペリーが来航することになる。

 今でも欧米には白人至上主義の人が多いが、日本への開国の要求は「日本における薪水食料の供給や遭難者の救助」が主たる名目であった。日米交流の歴史については「通商条約と内政混乱」等の詳しい解説があるが、今では日米同盟を最高の絆と考える政権があるのを考えると、何故、幕末に不平等条約等と騒いで倒幕し、理想ある人たちを死に追いやり、その名誉も回復しないで、保科正之の”経世済民”を無視した明治政府を「文明開化」と高く評価するのだろう。

 今の政治は経済のグローバル化ばかり考えて、国民のこと、地方のこと、自然のことを無視している。TPPには熱心だが、地球温暖化防止のパリ協定には無関心で、核兵器禁止条約の制定には反対した。TPPは関税の問題だけではない。大企業が輸出を増加させたい都合で、それぞれの国の制度や法律を変えさせることまで含まれている。食の安全が守れないTPPが日本の経済成長に欠かせないと、政府は新自由主義に盲目的服従だ。しかし、TPPは政治的には中国敵視政策の包囲網であり、経済活動の拡大には東アジア地域包括的経済連携(RCEP)もある。何故、隣国を大切にしない?

 「人間失格」の太宰治も「人間万歳」の武者小路実篤も同じ人間だ!失格か万歳かの違いはあるが、どちらも人間のことを考えている。文学だから人間を考えて、政治は人間のことを考えなくて良いとは決して言えまい。人間のことを考えないで利益の追求を最優先にする政治は、保科正之の”経世済民”の対極にあり断じて許せない。そんな政権の支持率が落ちないのは、トランプ現象のアメリカ国民の不満を伝えなかったメディアと同じで、日本のメディアにも大きな問題がある。
 人間や現実を考えないで、新自由主義という経済理論を現実だと思うように訓練されたエリート集団(浜田宏一(4)「経済は分かっているかもしれないが、経済学を分からないでしゃべっておられる」)が、学者も政治も報道も支配している。トランプが大統領選に勝利して以来、トランプが大統領になることでTPPが破綻するのは困ったことだと、TPP賛成の大合唱を始めている。物事には様々な視点があり、TPPにも問題点が多い。政治には観客席はないのに、政治を諦めた人たちをスタジオに集めて、タレントと言われる人たちと無責任にバカ騒ぎをさせている。これでは戦時中に「勝った。勝った。」と国民を煽ったメディアと同じではないか。政治とメディアに国民を大切にする視点が欲しいものだ。

初稿 2016.11.26



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