自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

人類は進歩したのか、進歩できるのか?

2018-04-12 20:08:56 | 自然と人為

 人類の誕生はチンパンジーと別れた700万年前という。その人類は科学技術を著しく発達させたが、人間として集団として進歩してきたのだろうか?何を進歩と考えるかは人それぞれだと言ってしまえば、論議はそこまでだが、それなら何を教えるために世界中に教育機関があるのか?数学や科学を教えるため?政治や経済を教えるため?
 しかし、みんな研究者や政治家や経営者になるために生きている訳ではないし、世界中で信頼され尊敬される政治家が数多く育っている様子もない。学校教育の日常にいると、教育の目標は人類の進歩のためにあるとは普通は思わない。人類は1万数千年前から農業を始めたが、それが文明を生むとともに貧富の格差を生んだとは普通は思わないように、日常の思考回路は身近で狭いことに関心が向けられる。
 歴史的にはアンシャン・レジーム(旧体制)の特権階級であった領主への反発等のフランス革命により、領主、王権政治から国民国家を誕生させたが、その一方で人種差別や女性差別等の身近な差別意識は未だ無くなっていない。

 憲法と議会政治が実現している現在の日本の国会において、国会の証人喚問で国家公務員の官僚が『刑事訴追の恐れがあるため』を繰り返している。「刑事訴追」とは国が制定した法律を破って処罰されることだが、国民が注視している国会で検察の処罰の対象になるからと堂々と証言を拒否できることが不思議である。「刑事免責」導入で真相解明の可能性はあるが、政権与党が絶対多数を占めていれば政権側がこれも拒否するだろう。議会政治において政権与党が絶対多数を占めると独裁政治への道を歩み、権力は腐敗する。首相の犯罪が疑われる事件において、政権が絶対多数を占めれば日本の議会政治もポーランドにおける独裁政治への危険な道を歩み、厚かましい首相が居座り行政組織は破綻する。それなのに若年層の政治への無関心、戦争への道への警戒感のなさ、就職状況の良さ等の居心地の良さで、内閣支持率(2)は顕著には下がらない。
 
 また女性差別の問題でも、土俵上で挨拶していて倒れた舞鶴市長の救命処置をしようと土俵上に駆け上り人工呼吸をしていた看護婦に対して、「土俵の女人禁制」の伝統を守ろうと「女性は土俵から降りてください」と場内アナウンスされたことが物議を醸したが、宝塚市長は女性のために土俵の下で挨拶をさせられたという。また、地方巡業で小学生の男女のちびっ子相撲が数年行われて来たが、同じ頃、女の子を土俵から排除するように相撲協会から申し出があったという。伝統を言うなら横綱相撲に対する白鳳こそ問題にすべきであり、相撲道にこだわる貴乃花が相撲協会から降格冷遇されていることの方がおかしい。これも組織(集団)の外から見ればおかしなことが、組織内では常識とされる例として記憶しておきたい。 (参考: 貴乃花と白鵬~相撲道か団結力か?

 一方、日本の政府は国を守ると言う名目で、国民生活の保護より他国との戦争に備える軍備の増強を優先させている。国を守るには若い世代が働きやすくなるように、保育所や幼稚園の収容能力を大きくして待機児童ゼロにすることがまず必須である。老人の一人暮らしを支援する介護施設の充実も大切であろう。また、経済では人や自然を大切にするより、コストダウンで他国や他社との競争力向上を優先している。競争や規模拡大によるコストダウンは人々の生き方の一つの選択でしかないが、それが経済戦争で生き抜く常識のように振舞う政治家や経済人がある一方で、その様な政治家や経営者を拒否する国民も育っていない。むしろ、それを拒否することは常識のない人間と思われるような雰囲気の中で、我々は暮らしているのではなかろうか?

 しかし、常識とは何だろうか?農業より工業が、小規模より大規模が優れていると思うのは、人類の長い狩猟採集の時代を劣った文化だとするほんの瞬間の今に生きる我々の錯覚ではないか?狩猟採集民もその時代なりの楽しみがあったはずだし、現代の様な自殺者がいただろうか?自然との関係において、現在でも過疎の島に千本桜を島民が協力して植樹して、島民だけでなく多くの人を喜ばせている。荒れる里山や村を10人の草刈り隊が管理していたが、牛を放牧することで子供も喜ぶ牧場ができた例もある。里山が牛や馬、家畜の放牧できれいになった例はたくさんある。何を大切にするかで風景が変わってくる。
 参考: 肉牛生産の原点を若い人に伝えたい。
     「自然と地域につながる肉牛生産」について論じる
     里山管理が日本の肉牛生産の原点になる~特殊と普遍。

 人類は自然の一員、社会の一員であり、地球で生きる生物の一員である。自然を支配することも、他者を支配することも人類の目標ではないはずだ。しかし、競争が個人の能力を向上させるという社会的錯覚が、自然や他者を支配しようとする個人の態度を育ててはいないか?厳しい環境の中で、小さな集団で他の集団・他の動物と戦いながら生き延びてきた人類の本能が、未だ残っているとしても、それは人類も動物に過ぎないという言い訳に聞こえる。しかし、人類が地球の生物を滅亡させるかもしれない程の力を持っている現在では、人類は地球の未来に責任を持っている。未来に責任を持つことが人類の進歩であり、自然と他者を尊重することで未来への責任を実現し、自然と他者と地球を守り、戦争や紛争のない平和な世界を協力してつくることができると、私は確信している。

 人が人を殺すことは殺人罪で重い罪になるが、国が他国を攻撃し、他国の多くの人を殺し、多くの難民を出すことの罪は、何故問われないのか? 国を愛することは地球や他国も愛することだ。戦争を始めたら、我々は出兵を拒否できない。戦争と自分とは関係ないと思われる方には、ポーランドにおける独裁政治への危ない道を「愛国心溢れる国民」が支持していることや、辺見庸の歴史は相似的に反復する」(動画) という言葉に耳を傾けていただきたい。
 参考: こころの時代 辺見庸「父を問うーいまと未来江を知るために」 番組解説 (感想)
      辺見庸のブログ 
      自動起床装置 世紀末の風景空白への旅
      失われた言葉をさがして ある死刑囚との対話
      NHK【ETV特集】「失われた言葉をさがして 辺見庸 ある死刑囚との対話」解説

      動画: 1234567810

 さらに、「1.反ユダヤ主義」「2.帝国主義」「3.全体主義」の全3巻からなるハンナ・アーレントの「全体主義の起源」を紹介したい。私の解説よりも、関連した資料を私の勉強のために集めておいた。
 100分de名著「ハンナ・アーレント 全体主義の起源」
  第1回 「異分子排除のメカニズム」
  第2回 「帝国主義が生んだ『人種思想』」
  第3回 「『世界観』が大衆を動員する」
  第4回 「悪は“陳腐”である」
  ハンナ・アーレント「全体主義の起源」①
 参考: シオニストとは?(2) ドイツの歴史 ウェストファリア条約
      フランス革命 ナポレオン戦争(1796-1815) 1815年 ドイツ連邦 普仏戦争
      1871年 ドイツ帝国  ドレフュス事件 パナマ運河疑獄
      ナショナリズム/国民主義 ニュールンベルク法 水晶の夜 ホロコースト


 アメリカの人種差別撤廃を目指していたケネディ大統領がテキサス、ダラスで暗殺された事件は忘れることが出来ないが、あの事件の深層は狙撃犯が狙撃されたことで藪の中だ。また、ケネディの後を継いだジョンソン大統領の南ベトナム支援と北爆に正義はあったのか? ナチス、ドイツのホロコーストとともに、北爆を許した米国民の責任のことも忘れてはなるまい。そして、そのアメリカに無批判に従属している日本の政府のことも。
 参考: カラーでよみがえるアメリカ 1960年代
      【映像の世紀】第9集 ベトナムの衝撃 アメリカ社会が揺らぎ始めた


 人間が多様な価値観で生きることは許されるべきだが、戦争はそれを許さない。いかなる理由があろうとも、人類の最大の悪は殺人であり、戦争であり、戦争を許す国民だ。戦争は地震のように突然起こるものではない。ポーランドの憲法さえ変えようとする危険な独裁への道を「愛国心溢れる国民」が認めている例に目を覚まさなくてはいけない。ポーランドでは政府がメディアや司法を支配して、多くの人にチャンスを与えるとうそぶいているが、スタッフを政府に従う人材に入れ替えたいし、政府の意向に従った判決も求めていることは明らかであろう。日本も官僚が首相の思惑通りに動いているし、メディアの政府批判もおとなしい。 参考: マスコミの崩壊に絶望する心ある官僚たち 2018年4月13日

 日本では総辞職が求められて当然のような、モラルの低い総理や副総理を支配者とする政権が絶対多数を握ることで、優秀と思われていた官僚が総理の意向を忖度して行政の道を誤らせながら、うんざりするようなウソまみれの国会審議が続いている。自分の品格と尊厳と名誉を捨ててまで、エリート官僚が嘘をつくのは何故か。官僚のプライドは昇進しかないのか?自己の品格を守ることはどうでもいいのか?粛々と国民のために仕事をすることが公務員の任務であり、それでも政府が辞職を求めれば国民が気が付き騒ぎだすだろう。しかし、このまま政権が続くとウソまみれの説明で憲法を変えられ、アメリカの戦争に協力する道を議会制民主主義の国民が許すことになってしまう。人類の進歩は殺人や戦争を絶対悪として認めない国民が、圧倒的多数に育つことだと思う。国民が政治の責任を厳しく見守り、戦争への危険な動きにノーと言える可能性を放棄しては、人類の進歩はありえない。


初稿 2018.4.12 更新 2019.8.28


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