自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

「牛が笑っている牧場」富士山岡村牧場が、朝日新聞に紹介されました。

2017-01-15 22:38:31 | 自然と人為

 今年は10月21日(土曜)、畜産システム研究会を広島県福山市で開催する準備を進めていたら、新年早々良い知らせが入って来た。朝日新聞静岡版に「牛が笑っている牧場に」と大きく富士山岡村牧場が紹介されたと言う。A4版には入らないので、全体と前後の計3枚にして紹介させていただく。
図をクリックすると拡大します。
2017年1月4日 前部
2017年1月4日 後部

 以前、このブログ「牛は資源を循環し、人をつなぐ」で「忘れていませんか? 牛は本来、自然の中で自分で生きていける動物だということを」と申し上げたことがある。牛は草食動物なので、自然の中で放牧すると草を利用するバクテリアが第一胃内に増加して、必要なタンパク質や脂肪酸を草から生産してくれる。中でも共役リノール酸は抗アレルギー作用があり、北海道旭川にある放牧で里山を管理している斉藤晶牧場に、牛乳アレルギーのある子供さんと「ここの牛乳は飲めるから」と、絞りたての牛乳をわざわざ買いに来られていた。穀類を多給した牛は第一胃内の異常発酵が起こり易い。自然の状態に近い飼い方をした牛乳や牛肉は食べ易く健康にも良い。これからの畜産の目標を見直す必要があろう。
 
 人はそれぞれの価値感を持っている。価値観のようなまとまった考え方ではなくても、同じものを見る視点はそれぞれ違う。家畜を見る視点も人それぞれだろう。このブログのプロフィールに座っている愛犬「ジョーイ」には、人間と同じものを食べさせるのが愛情と思い、人間と同じ食事をさせて腎臓を患い、食べれなくなって痩せて、1週間ほど毎日点滴に病院通いをしたが、私の腕の中で息を引き取った。人間と同じ生活をすることは、家畜にとって迷惑なことかも知れない。

 牛も畜舎で生活をすることは迷惑なはずだ。だから、「牛が笑っている牧場」を目指す富士山岡村牧場は、牛の立場で牛のことを考える試行錯誤の毎日だったろう。科学の発達した今日では、牛は誰でも同じ様に飼えると思うかもしないが、牛を見る視点は人それぞれ違う。ことに牛を収入源と考える経営でコストを考えるのは常識であるが、その常識が判断を狂わす。例えば、乾草は値段ではなく最も良く食べてくれるものを買う。子牛の小屋(カーフハッチ)の子牛の状態は居間から何時でも見れるようにして、牛舎は牛の立場から清潔でアンモニア臭がしないように敷科に気をつける。

 家畜の飼養管理を家畜の立場で考えることは、当たり前のようでなかなかできるものではない。さらに、この富士山岡村牧場の最も大きな特徴は、和牛の霜降り肉の生産を目標にするのではなく、富士山麓の酪農地帯で乳牛から生まれてくるハイブりド牛を利用して、軟かくて誰でも食べやすく美味しい赤身肉の生産を目指していることだ。F1メス牛を放牧して子牛生産をして、受胎しなくなったF1メス牛を短期肥育すれば最高に美味しい肉ができる。それを実践している日本のトップランナーでもある。

 一方、福山市神村町にある大谷山里山牧場は1.5haに牛2頭飼う、世界で1番小さな牧場である。「草刈りをしないで荒れている地域は治安も悪い」という話題が町内の自治会で出て、子供の通学路の草刈りをする10名の草刈り隊が発足し、自宅周辺の草刈りを始める人たちも出て来た。以前は、農家には牛がいて周辺の草は大切な資源であったが、牛や鶏が農家から消えて行くとともに里山の管理をする人がいなくなっていた。その話を聞き、牛の放牧で里山の管理をしたらと提案したことから里山に牛が入った。

 日本の里山は人手がなくなり野生動物の棲家になりつつある。一方で荒れていく里山があり、一方では経営として牛を放牧する土地がない。この瑞穂の国で、荒れる里山を牛の放牧で守る方法をどう定着させて行くか。個人の土地所有と経営体における放牧と住民ファーストをどう繋ぐか? 今、日本の農業と地方における自然と牛と人の関係は、歴史的転換期にある。

 ブログ「アメリカのHRMに学ぶ」でアメリカのバージニア州にあるサルトン氏のポリフェイス(多くの顔を持つ)牧場を紹介したことがある。「Salad Bar Beef」や「Pastured Poultry Profit$等の著作も多いが動画でも多く紹介されていることを知った。英語だが今後の勉強課題として記録に残しておく。
Polyface Farm - Salad Bar Beef - Part1-7
人気の動画 - Polyface Farm

初稿 2017.1.15 更新 2017.5.12

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