自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

長淵剛~闘争から共創へ

2016-01-21 22:06:41 | 憲法を考える

 100年インタビュー「音楽家 長渕剛」(1)(2)(3)は教えられるところが多く、彼の叫びをYoutubeでいろいろ聞いている。彼の歌は「乾杯」しか知らなかったが、純粋で真っ直ぐなところは忌野清志郎と似ている。彼らの歌とは”魂の叫び”がリズムとなって吹き出ること。叫びは若さの象徴。年齢と共にその叫びは自分との闘争から他者との共創に変わっていき、喜びも生きることより生かすことへと変わっていく。

 長渕のファンには、10代や20代の若者が増えているそうだ。新成人に向け長渕は、「成人式、おめでとう! 長渕剛です。あんな大人になんかなりたかねえ。僕は二十歳のころ、心に誓った言葉を思い出します。そっくりそのまま皆にもそう思ってほしい。常に反逆の思想、正しいことと間違ってること、10代から連綿とつながっている君たちの心の中にある正しさとか、間違ってることの怒り、こういったものを絶対に忘れないで。生涯信念を持って、10代の魂のまま20代をドーンと蹴散らして、思う存分に暴れまくってもらいたい」と呼び掛けている。そう、若いと自分が何をしたいか、しているか分からないけど、必死で自分の居場所を探して闘いもがいている。その純粋さには汚れちまった大人にはない気高さがある。

 また、戦争の危険性が近づいたとか、抑止力が必要だとか戦争に行かない我々が論争するのは論点が違うとも言う。どんな時代でも何故戦争するのかという問題があり、しかも戦争に行くのは若い人。戦争に行かない僕らが語るべきことは、絶対に戦争をしないために僕らが何ができるかということだ。(ワイドナショー 2015年7月19日>)とも言う。我々には闘争本能があり、リスクがあると言われれば闘うという気になる。しかし、闘争心が自分で責任を取る自尊心になるのは許されるが、国が震災で我々を助けてくれた自衛隊を戦争に行かせることは許されない。汚れちまった国の支配者に誘導されて、抑止力だとかに同調するテレビタレントが多くいるのは、支配者に従う日本の世間の鏡でもあろうが、これももおかしい。闘争心とは若さだ。若さの心の中にある正しさとか、間違ってることへの怒りだ。そして、いつまでも若くいたいと思うのも闘争心の持続を求め続けたいからこそではないか。
参考: 安保法案について 松本人志「このままでは当て逃げされる」、長渕剛「戦争に行くのは子供だ」
   : 長渕剛「日本」について語りあう。最終回

 動物に備わる闘争本能とは何ものか。カンガルーの決闘は種の保存で説明されるが、動物園人間とも闘うのを見ていると、そんな単純なものではなさそうだ。自然界におけるオスの闘争行動にはルールというかケジメがあり、敗北のサインで闘争は止まる。しかもメスに支配され、地球温暖化で砂漠化が進むと大きなオスは生き残れず、メスからオスを求めるように繁殖行動も変化しているようだ。
参考: ダーウィンが来た!生きもの新伝説 第89回 疾走!熱闘!カンガルー

 人間ならなおさらのこと、社会的状況や年齢等の生物学的状況により、オスの闘争の行動様式は変わると考えるのが普通であろう。しかも、人間の闘争本能は支配欲のためではない。
 アメリカ初代大統領ワシントンは君主制の王位ではなく連合国の象徴としての大統領に就任し、2期8年で辞任し大統領任期制の先例となった。日本の天皇制も歴史的に民族統合の象徴、権威ではあるが支配者ではなかった。いつの時代も支配者が天皇制を利用したし、今もその危険性がある。今の日本で「人類の理想」である憲法を無視して独裁的な支配者を目指すのは人間失格、政治家失格である。長淵剛は言う。「愛国の魂とは国旗や国歌ではない。どれかだけ父ちゃんが好きか。どれだけ母ちゃんが好きか。子どもたちが大切か。」それに私からも追加させていただくと、生まれ育った故郷をどれだけ好きかということだ。

 長淵剛は「創」についても語っている。「若さは無謀だ。無謀が若さの宝物。だから絶対に思いを抑えたらダメ。僕のメンタリティは生涯情熱、生涯青春、生涯10代であり続ける魂。肉体を練磨して10代の高質な魂に嘘つかないでいたい。若い皆さんに言いたいことは『抑制するな』。表現の場所ではもうこれ以上生きていけないという120%、150%、160%の熱量でやったら、その中で見えてくるものがある。熱ですよ、熱。高熱で生きて行く。放射して生きて行く。ゴジラと一緒。歌を歌うということは火を吐くこと。30までは自分の我欲の追及をどんどんやってもらいたい。予定調和であの人のこと、この人のことを考えなくていい。節度もいりません。表現を追求するためには傍若無人に見えようがあくまで自分を追求していく。誰のことにも耳を傾けない。感謝もいらない。どんなに人に傷つけられても傷つけても良い。その代り責任を取るのは自分だから。それを表現に書いときなさい。生きた証だから。」
 表現に一番大事なことは経験、経験が表現の肥やしになる。
 「ただし、35の扉が待っている。誰のために表現するのか。必ず向こうからやってくる。表現の受け手が教えてくれる。自分が表現することで、人が喜んでくれる、幸せになる。そのことが自分の才能をさらに上げてくれる。自分のため、自分のためと思っていたことの意識の変革が起きる。自分が表現することで会場がすごい空気に包まれて、とんでもない、とてつもない感動をせしめた。そういう反応が返ってくる。すなわち、人を幸せにすることができた。自分が今ここで生きていることが君を幸せにするんだと意識が変わる。」
 
 「叫びは若さの象徴。年齢と共にその叫びは自分との闘争から他者との共創に変わっていき、喜びも生きることより生かすことへと変わっていく」と、長淵剛は教えてくれる。これだけ生きた言葉が連射砲のように出てくるのは確かにすばらしい表現者であり、闘争能力により磨かれた才能だ!

参考: 長渕剛30歳 徹子の部屋
   : ようこそ先輩 長淵剛 心から叫べ

初稿 2016.1.21 動画追加更新 2016.2.27