goo blog サービス終了のお知らせ 

自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

大切にしたい自他同一の感性~ジル・ボルト・テイラー

2015-08-22 17:06:23 | 理性と感性
 自他同一の感性の素晴らしさを教えてくれた脳科学者、ジル・ボルト・テイラー博士の体験談「ジル・ボルト・テイラー: パワフルな洞察の発作」を是非聞いてほしい。左脳の大量出血で言葉を失って左脳の支配から脱したとき、一方では「体の境界線」という感覚もなくなって、自分が個体ではなく宇宙と一つになった永遠の流れの涅槃(一切の悩みや束縛から脱した悟りの境地)に入って行ったという。まさに究極の宇宙との自他同一だ。

 私はNHKのハイビジョン特集「復活した「脳の力」〜テイラー博士からのメッセージ」(参考)で彼女の経験を知った。一般に脳卒中の回復は6ヵ月までとか言われるが、彼女は母親に抱かれて、赤ちゃんの状態から8年ものリハビリを経て日常生活に復帰した。回復への意欲と体力、そして努力はパワフルで、字が思うように書けなくても、歩行が困難でも、3度の脳卒中から復帰したと思っている私のいい加減さが恥ずかしい。しかも、今でも感性は研ぎ澄まされ、森の中で風と一体になる不思議な幸福感を持ち続けていると言う。

 「この番組は、テイラー博士の自宅を、日本の著名な生命科学者の中村桂子先生が訪れ、インタビューし、構成されたたもの」であるが、その制作側の「室山哲也公式ブログ」と、この番組を提案した中村桂子さんの書評「私たちが失っていくもの」(新潮社:書評/対談)も合わせ読まれると良い。
 *中村桂子さんの書評は削除されたので、下段に中村桂子さんと「生命」を追加した。

 中村桂子さんはこの番組で、「現代社会はここ300年くらい論理の社会作を作ってきた。あまりに論理であったので、抑え込まれたのが感性であり、心であった。本当に人間が人間らしくバランスを取り戻していくプロセスが彼女の書いた本で語られている」と言っている。

 メイナク族の「すべてが一つの世界」では「自然」という言葉も「幸せ」という言葉もない。言葉が少ないので、「アウシュパイ(ありがとう)」で心は通じる。野生で生きる彼らの感性も、また研ぎ澄まされている。専門細分化してバラバラになっていく我々の社会に、人間が人間らしくバランスを取り戻していくプロセスを見つけたいものだ。

参考:
 脳卒中になった脳科学者の本 ―『奇跡の脳』がもたらすもの

 なお、「復活した「脳の力」〜テイラー博士からのメッセージ」の感想については、様々なブログに紹介されている。

復活した“脳の力”テーラー博士からのメッセージ1(blog オルシニアン)
復活した“脳の力” つづき(blog オルシニアン)
テイラー博士からのメッセージ「奇跡の脳」より(自己啓発の世界)
反応と人格(uumin3の日記)

中村桂子さんと「生命」:
中村桂子「生命(いのち)と向き合う科学を求めて」 - 秋山記念生命科学振興財団
『談』no.100 特集「 人間、もう一度見つけだす。」
多義性をかかえた場を遊ぶ 松岡正剛 × 中村桂子
生きものの物語を紡ぐ 上橋菜穂子 × 中村桂子
「小学校で農業を必修に」 中村桂子氏と小学校農業科




初稿 2014.8.12 更新 2015.8.23

宇宙の神秘と花鳥風月~理性と感性

2015-05-14 20:28:07 | 理性と感性
 Youtubeに太陽、惑星、地球、月の関係について「太陽系の旅」第1回~第13回が紹介されいる。情報は多くの方が知るためにあり、多くの方に知られることが著作者、制作者の名誉でもあるはずだ。NHKオンデマンド著作権よりも情報公開を原則に運営されれば、日本の情報環境は改善され、日本人も信頼し合える賢い国民になれると思う。

 これは制作:ファントム・アニメーション,フランス3,テレイマージュ(仏)1996年の<日本語版> 「太陽系の旅」の紹介だと思うが、中学から高校で学んだ科学の知識をアニメーションで丁寧に説明している。ぼんやりとは知っているつもりでも、私の知識はいい加減なものでこんなに明確に人には語れないと思いつつ勉強させていただいた。もちろん知らないことも多く、天文学者はもっと徹底的に理性と感性を磨き宇宙の始まりから終わりまで知ろうとしている。その成果は受賞、勲章や賞金で報われ、世間もそのことで研究を評価するが、純粋に真実を追求することに生きる意義を求めフィールズ賞や100万ドルの賞金を辞退したペレルマン博士もいる。科学は知ることに意義があり、知識に効用を求めることは不幸なことだ。ましてや視点や価値観によって見え方が異なる人間社会のことについては、その根拠や他者の視点と誠実に向かい合わねば、本人にはとっては「常識」と思う知識もいい加減なものとなろう。また、太陽と月から科学的知識ではなく、日本の四季や花鳥風月、そして与謝 蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の俳句を想う感性の人もいるだろう。いずれにしても「宇宙の神秘」は理性と感性の両面において我々を刺激してくれる。子供にも伝えたい科学知識として、下記に感謝を込めて紹介させていただく。

初稿 2015.5.14 更新 2017.6.20

50数年ぶりの映画鑑賞~マダム・イン・ニューヨーク

2014-09-20 22:11:37 | 理性と感性

 この度、50数年ぶりに映画鑑賞に出かけた。この2年近くは、外出するのは病院、介護施設、週に1回の詩吟と、いずれも独りで出かけたことはない。今回は同級生の薦めと、同級生4人の協力により、外出できることになった。

 映画は「マダム・イン・ニューヨーク」、インドの吉永小百合が素敵だと言う薦めに心が動いた。それでも一人で行く気持ちにはならなかったが、同級生が一緒に行ってくれると言うので、とんとん拍子で50数年ぶりの映画鑑賞が実現した。ここにその記念を記しておきたい。

 初めて観るインド映画であり「女性の差別と悩み」をテーマとしているので、混沌とした深刻さを想像していたが、「妻であっても母であっても、自分の人生の主役は自分」という主張を明るくしゃれて描いていて新鮮な感動をいただいた。また、映像と音響効果の迫力は、さすがにテレビでは得られない。尾道には映画を絶やさないために頑張っている映画館があるという。応援を兼ねて、また映画鑑賞をして見たいと思うようになった。

 この映画で同級生全員の印象に残ったのは、何故か「自分を愛しなさい」という言葉であった。どういう意味だろうと思ったのだが、女性として辛い思いをしても悲観的になるな、「自分を大切にすることで、、相手と対等だと思えるようになる。」ということであったようだ。自分を愛することは他者を愛することでもあり、自分を愛せない人には他者も愛せない。愛することは自己中心的に一方的なものではなく、お互いに対等な関係で成立するものだという意味であろう。

 インドの吉永小百合、シュリデヴィさんは1963年生れ、2011年にクランクップのこの映画で15年ぶりに映画界に復帰されたそうだが、やはり彼女の魅力がこの映画を引き立てている。
 映画と言えばビビアンリーのスカーレットがアシュレーをひたむきに愛する「風と共に去りぬ」が思い出になっている世代であるが、シュリデヴィのシャシは新鮮で清々しい。「風と共に去りぬ」は何度も観たが、年齢と共にスカーレットの見え方が一途な純愛から厳しくたくましく生きる愛へと変わっていった。今の若い人はシュリデヴィのシャシをどう見るのであろうか。

「マダム・イン・トーキョー」:シュリデヴィさん来日記①~⑨

2014.9.21 更新

「自然という書物」を求めて旅をする石川仁(カムナ葦舟プロジェクト)

2014-08-11 08:05:05 | 理性と感性
 デカルトは、文字による学問を放棄して、自分自身のうちに、あるいは「世界という大きな書物」のうちに見つかるかもしれない学問を求めてヨーロッパの旅に出た。 そして、近代化への扉を開けた。

 近代の終焉(ラストモダン)を迎えている今、石川仁は「自然という書物」を求めて旅をする。近代化の先端にあるアメリカ、アメリカの母体であるヨーロッパ、文明の発祥の地インドと歴史を遡る旅の後、 人間の生まれる前を想像する場所としてアフリカのサバンナに行き、ついには何もない場所、サハラ砂漠をラクダとともに2700キロの旅に出た。
 それは、死の恐怖と生の喜びを体感する旅であり、ときどきラクダに「オマエなー」と呼びかけ、いつまでもついてくるハエに「ウルサイなー、どこかへ行けよ」と語りかける以外に仲間はない。そこは、自分と対話することで、自分の歴史を振り返り、本当の自分と向き合える場所であったという。

 それで旅は終わらない。空の青と茶色の砂以外は何もない砂漠の次は、白一色のアラスカの世界、さらに南米コロンビアのジャングルの川を下り、 高い山々のアンデスを旅し、チチカカ湖で葦舟と出会う。葦舟の古代船を復元したマタランギ号で古代の「海の道」を検証する旅に加わり、今は、日本で建造した葦舟で太平洋横断の実験実証の旅に出る夢を育てる。 その夢は、太古の智慧を尊ぶ心から湧き出でる。太古の智慧とは、自然と共に生きること。それが旅の辿りつく場所。

 現代では「常識」を意味しているコモン・センスという言葉は、もともとアリストテレス以来、五感を統合する根源的能力を意味する「共通感覚」という言葉として使用されていた。石川仁の旅は、デカルト以来「知識」という殻に閉じ込められてしまった「共通感覚」を呼び覚ます学問の旅だと、私は思う。

 デカルトは「世界という大きな書物」のうちに見つかるかもしれない学問を求めたが、結局は理性と感性を分断し、「書かれたもの」を通じての理性の学問を肥大化させた。 しかし、石川仁は「書かれたもの」を残そうとしない。葦舟をつくり、それに乗ることで、自然とのつながりを実感し、「自然という書物」から得られる感性を伝えようとする。

 デカルトにより肥大化したプラクシス(意識的行為)に石川仁のプラティーク(無意識的行動)を重ね合わせることで、脱近代への学問の扉が拓かれるように私には思える。

三谷克之輔(2008.5.24 更新)

-----------------------------------------------

■旅するときは風にのる :石川 仁(いしかわ じん)■
    『Open-J BOOMERANG』vol.363 2003.8.4より転載

 葦船は人が行きたい場所に自由にいける乗り物ではない。 かといって、自然によって勝手に運ばれるかって言うと、それじゃ漂流物といっ しょ。葦船は、自然と人が話し合って行くべき場所にたどり着く船なんだと思う。

 僕は、都会で生まれ育った。でも何かが違うんだって思ったとき、すでに旅が始 まっていた。理由はいつも後からついてくる。理由は存在してればいいんだと思う。だから、気づいたときにはアメリカにいたしヨーロッパにいたし、インド の土の上に居た。

 インドはみんなが言うように、何かを変えてくれるところだと思う。もうちょっと正確に言うと自分が閉じこもっている「殻」を割ってくれるところ。インドには手ぶらでいった。先入観を持たないために、地図もガイドブックも見 ない旅だった。(そんな自分に酔っているところもあったんだけど) それはさておき、感じたんだ。

 漁師のおじさんの家に連れてってもらったときのこと。 彼の家は椰子の葉っぱでできていて、床は土、その上にゴザを敷いてランプをともして家族五人が住んでいた。カレーをご馳走してくれたんだけど、皿なんかなくてもぎたてのバナナの葉っぱの上にご飯を盛ってカレーをかけて右手で食べる。

 歯のかけたお父さんと、黄色いサリーを着たおかあさんと、ちっちゃい子供がニコニコして、僕がうまそうにカレーを右手で食べるのを見ている。もちろん言葉 んて通じない。言葉はね。そのとき感じたんだ。

 豪華な家でも食事でもないし、学歴なんて言葉もないこの場所で、心地よい時間と空間が僕の周りをゆっくりとながれているのを。 そして、そのときに「じゃあ、一体この心地よさはどこから来るのだろう?」

 そのシンプルな疑問が、頭に浮かんだとき、僕の周りにあった「殻」にひびがは いった。

 「便利なものがあれば、お金があれば、地位が上がれば幸せになれる。」と教え られてきた殻が。それから、僕の時間をさかのぼる旅が始まった。カバンの中には、「幸せって何だろう? 文明社会って何だろう? お金って何だろう? いいこと 悪いことって何だろう? 人間ってなんだろう?」 なんて言葉が詰まっていたかどうかは知らないけど、気づいたらアフリカで野 生動物を目の前にウットリしている僕が居た。

 「人間が、この地球に生まれる前ってこんな風だったのかなぁー」 キリンが地平線を優雅に歩いているのを観ながら、サバンナが奏でる自然のハー モニーを心で聴いていた。

 その次、ハッ!と気づいたらサハラ砂漠をラクダといっしょに一人で(すごく暑 いのに)歩いていた。 「幸せって何だろう?」 そうだ!「いま、生きているだけで幸せだ」と、感じることができること。

 それだったら、一回「死」を体験してみよう。 生と死のボーダーラインの上を歩いて、死の恐怖と生の喜びを体感したい。 バカだよね。 こうして一人で半年間、サハラ砂漠をラクダの「ダン」とともに2700キロの 旅に出た。 砂漠は、簡単に本当の自分と向き合える場所のひとつだと思う。

 毎日毎日、瞳に写るのは、「青」と「茶色」の非常に単純な世界。 しかも、「死ぬかもしれない!」なんていう、大げさじゃないプレッシャーが肩にはいつも乗っている。バカ暑のなか歩きながら、バーっとある星を眺めながら、 歌える歌はすべて歌った。思い出せる過去の記憶はすべて思い出した。想像できる将来のことはすべて想像した。とにかく、時間だけは、無限にあったから。

 ほかには何にもなかったけど、僕の心の中は果てしなく広がっていた。 「地球の始まりって、こんなだったのかなー」なんてことも何度か、「フッ」と思った。

 砂漠での半年の間に、歌える歌は全部歌って、思い出せることは全部思い出して、 想像できる将来は全部想像した。心の部屋の中を大掃除するみたいに。 ゴールに着く当日、「あと三時間も歩けばいいんだ、もう、水のことも、食べ物 のことも、死ぬことも心配しなくていいんだ。僕は生きている。」 そう思ったとき、「からっぽ」になった。

 そして次にふと気づくと白い世界に居た。アラスカの一番北の町でイヌイットの人たちと暮らした。上も下も右も左も前も後ろも、真っ白な氷の上に一人で立ったときのこと。「地球」が一人の友達みたいに思えてついつい話しかけてしまった。

「地球さん、環境が汚れちゃって大変じゃない?」 「そう言う君も、いろいろ大変そうだね」 「でも、うれしいこともあるんだよね」 「そうそう、うれしいこともあるんだよね」 「これでいいのかもね」 「これでいいんだよ」

 ジャングルを丸木舟で河下りするまで死にたくない! マラリアが発病し高熱で頭がヘンテコリンになりそうなとき(ちなみに日本で)、その思いだけが絞り出てきた。そして、幻覚が現実になったとき、コロンビアのジャングルの中にいた。

 緑の世界は、何百万の種類の、植物、動物、昆虫、菌類、魚がうごめいている。 一歩間違えば大混乱を招くような、生き物のオンパレード。でもそれが、不思議と美しい。ちょうど、ありとあらゆる楽器を持ちよったオーケストラが、ひとつ のシンフォニーを奏でているような。

 ジャングルの中を一人で歩いたり、寝たりするのはすごく怖いけど、その音楽が 僕の深い何かと共鳴するのがとにかく心地いい。 茶色い水の流れの上をカヌーでスーっと進ませると、川イルカが遊びに来て水を かけたりもした。何百万年も変わらないハーモニー。意味もなく涙がこぼれた。

 僕は葦船って乗り物がすごく好きなんだ。 何千年も前の古代船に揺られて、魚を釣りながら毎日過ごしていると、何かが変 わってくる。もちろん最初の1、2週間は陸のことを思い出したり懐かしんだりもする。 でもそれが過ぎると船の上だけが僕らの世界になっていく。

 昼飯を食べた後(マグロの刺身と味噌汁と白米が基本)、ごろりと竹でできた甲板でねっころがって雲なんか見上げていると、すごい昔、航海してた人たちと何 にも変わんない生活のなかにいる。タイムマシーンに乗ったみたいに、いきなり縄文時代にトリップしたみたいな感覚。

 生活自体は毎日同じことの繰り返し。船の舵を取って、食べて、寝る。 ただ、それだけの毎日が続く。

 そうすると、心の深いところが、働き始めるような気がする。 そのときに、人が船とひとつになり、船が海と空と風がひとつになる。その心地よい感覚が自然との一体化なのだと思う。

千葉FMラジオ局Bay FM(2004.02.29放送)/ゲストトーク・リスト/ザ・フリントストーン

カムナ葦舟プロジェクト

石川仁さんインタビュー



大切にしたい自他同一の感性~命の輝き伝える人々

2014-08-10 14:49:16 | 理性と感性
 このページ「命の輝き伝える人々」は、斉藤晶牧場の写真集「いのちの輝き感じるかい」から借用し、これまでお会いすることがあり斉藤牧場にご案内したことがある方々を紹介している。

1.牛が拓いた斉藤晶牧場

2.「すべてが一つの世界」 映画監督 森谷博

3.「自然という書物」を求めて旅をする石川仁(カムナ葦舟プロジェクト)

4.「自分の道は足もとからひらかれる」 宮嶋望(共働学舎新得農場)

5.南研子さんとアマゾンをつないだスティング --- 心のつながり

 これまで、「命の輝き伝える人々」とどうしてつながったかは説明してこなかったが、記憶が薄れる前に簡単に紹介して、自他同一の感性でつながった記録として残しておきたい。

 畜産システム研究会の事務局を引き受けていたころ斉藤晶さんの牧場と出会い、それから毎年、牧場で「斉藤晶牧場に学ぶ会」を開催していた。退職に当たり発行した会報30号は森谷博さんの話もあり思い出が詰まっているので、100部買い取り希望者にはお分けしている。退職後は「里山と牛研究会/えんの会」として、自他同一の感性でつながりたい方々に呼びかけて気ままに会を続けている。南研子さんが広島に来られる機会に、この会として私の愛する松永でも講演していただいた。

 石川仁さんも広島の方々と「葦舟をつくる会」のご縁でお会いした。お会いした感動はこのブログに紹介しているが、斉藤牧場にご案内した折に、斉藤晶さんのことを「昔の同級生にあった気がする!」とはしゃいでおられたのをよく覚えている。しかし、つい先日、カムナ葦舟プロジェクトの活動の様子をTSSテレビ広島で放映したことは知りませんでした。
 残念!! 残念!!

 宮嶋望さんには「共働学舎」を数回訪問し、含蓄のあるお話を楽しく長時間聞かせていただいた。オーストリア国ウィーン郊外にある国際応用システム解析研究所(IIASA:International Institute for Applied Systems Analysis)および米国テキサス大学ディック・リチャードソン教授と日本の中山弘隆教授らとの国際共同研究で、平成10年(1998年)10月12日に斉藤牧場を訪問した際には、宮嶋望さんには大変お世話になりました。Richardson教授が斉藤晶さんに「先生、ありがとう!」と握手を求めていたのも忘れられない。なお、これを機会に「斉藤晶牧場に学ぶ会」を毎年1回、私の定年退職まで9年実施した。

 スティングは南研子さんをアマゾンにつないだ人、そして南研子さんとアマゾンのメイナク族がつながり、さらに「すべてが一つの世界」を映画監督森谷博さんから伝えてもらい、私の考える原点となっている。森谷さんも生き方を変える確信となったと言う。

 なお、中山弘隆教授には「しなやかなシステムズアプローチ」多目的計画法などの数学の世界を教えていただき、ウイーンのIIASAで研究発表もさせていただき、私の貴重な財産となっています。その研究の成果の一部を問題設定と論理的な解を考えるに紹介しています。


移転 2015.3.5 更新 2016.5.17