じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

美しきものの伝説

2011-02-19 23:45:50 | 観劇記
2月17日マチネの観劇記です。

~あらすじ~

物語は大正元年、伊藤野枝が社会主義活動家・堺俊彦の売文社を訪ね、大杉栄や平塚らいてうに出会う場面から始まる。〈売文社〉〈芸術座〉をめぐって、人々がいかに生き、ハイカラでモダン、モボ・モガが闊歩する美しき時代"ベル・エポック"と呼ばれた大正期は、実は明治史に一大汚点を残したと言われる明治43年の"大逆事件"以来、大いなる挫折のあとの「冬の時代」であった。しかし、そのような弾圧の中でなおすべてに対して挑戦的に、ひたむきに生き抜いた人々がいた。売文社を中心とする堺俊彦、その売文社にあきたらず新たに近代思想社をつくった大杉栄、荒畑寒村、また芸術座を中心に活躍する島村抱月、松井須磨子、沢田正二郎、青鞜社を中心とする平塚らいてう、神近市子、伊藤野枝等がモデルとなっている登場人物たち。花を咲かそうとして死んでいったのか・・・・・。史実と虚構が入り交じった人物たちの物語が楽しくも哀しく展開していく・・・・・。(文学座HPより)


この演目を観に行こうと思った理由、、、この作品に出てくる登場人物に深く関わりのあった人と血の繋がりがある人と学生時代に知り合う機会があって、その時にいろいろ話を聞いていたので是非観たい~と思って心弾ませて劇場に向かったのです……が 開演してから暫く……正直に白状します 「ちゃんと話についていけるのか、自分?」と、マジ不安になりました。大正デモクラシー、歴史、思想、芸術、断片的に知っていて、興味のあることやその時々で自分に響いた言葉や考え方は頭の片隅のどこかに残ってはいるものの、かなり都合の良い記憶の仕方になっているし、そもそも苦手なのよ~~思想史とか文学史とか。作家の名前が出てくるだけで急病になりそうな程ダメダメなんですわ、、、恥ずかしながら 多分、理系の数式を並べられるのと同じくらいうけつけない 本当は今回描かれた時代の基本的な知識や流れを頭に叩き込んで、この時代に書かれた絶対に外せない書物をちゃんと読んでから臨んだら、もっともっと深く堪能できた作品じゃないかな~とつくづく思いました(終演後のアフタートークでもそういう声が多数あったという話が出て激しくリピを宣伝されてた)セリフの1つ1つに大事な言葉や魂が吹き込まれているというか、セリフのシャワーを浴びせられる中で「今の単語って大事な時代背景が込められているよね?絶対にそうなんだけど……何だっけ???」と気づかされることが結構あったのですが、それ以上のあーでもない、こーでもないと考えるだけの材料が自分の中に備わっていないのがもどかしくて。。。

と言いつつ、勝手に自分の感じ方で存分に楽しませていただきました。登場人物の設定は虚実が混在しているとのことですが、大杉栄はダンディーでモテモテのハイカラ男性だったとか。いや~~その彼を演じた城全さんはズルイ!かっちょいいんだもん 伊藤野枝役の荘田由紀ちゃんは少し「女の一生」の時の面影があるような そこがちょっと気になったんだけど、彼女の演じた伊藤野枝のキャラクターは好きでした そして、、、出演者全員、やっぱり実力のある役者陣から出てくる言葉の響き方は違いますね~~ボーっと油断しているとチンプンカンプンになりそうな論文調のセリフが続いていても、それがスッと頭に入ってくるんですわ。言葉が吸い付いて染み込んでくる~みたいな感じで……それがとっても心地よかったです 舞台上では、大正時代を「死ぬほど生きた」人たちがいろいろなやり取りをする。パンフにも書かれていましたが「政治と民衆、演劇と経済、演劇と観客の問題が全く今現在の課題でも、問題でもある」……そんな問題に対して主義主張をぶつけ合う。。。じいは深い演劇論は良く分からないけれど、一観客として普段の観劇で思っていることと照らし合わせてみたら結構面白かったです。特に2幕の島村抱月と久保栄の議論は見応えがあって見入ってしまいましたが、研究演劇と興行演劇は同時に実現し得るのか?どこまで観客を信じるのか?そんな議論が熱く熱く展開されていて、自分ならどう考えるか……結局曖昧な答えさえも出なかったんだけど、多少は観る者の好みを意識したような取っ付きいやすいものを提供した上で芸術性の高いものへの足がかりにするという島村の考えも分かるし、あくまで芸術性や作り手の方向性を貫いた作品を通したいという久保田の考えも分かる。そのバランスが難しいというか、舞台は非日常の楽しいものでなければならないし、でも、観る方は舞台から投げかけられたものに対して十分に闘える知性や感性を持たなければならないし……正しい答えというものは存在しない問題だとは思うんですけどね それと、強く印象に残ったのが「自由劇場と芸術座の芝居、役者を素人にするのと、素人を役者にするという点で違いがある」というセリフ。トーク番組だったかインタ記事だったか忘れちゃった上に誰が話されていたのかということまで忘却の彼方な状態で申し訳ないのですが、究極の演じることの理想→演じるのではなく、何もしないでただ自然にそこに存在していることだというような話をしていた役者さんがいたんですわ。舞台を観ていてそれを思い出しちゃってね~~ それに、、、芸術の中に政治的・歴史的なものを出していいものかどうかという議論もチラリと出てきましたが……何だか新劇の歴史を垣間見たような気がしないでもない ま、特別な拘りがあって言うわけではないんだけど、そういう「色」は受け止める側が考えたり味わうものだから敢えて無味乾燥である方が適切なのかな~と思いますね~~明らかな意図を前面に出したものほど陳腐なものはないし。

でもね~~そんなこんなを考えながらふと 演じられている方々も、ご自身の役者人生に重ねて考えられた部分はあったんじゃないかな~~と思ったのですが、それはアフタートークで少し答えを貰った感じ。そうなんですぅ~~この日は終演後にアフタートークがあったので様々な話で補完された形になって助かったのですが その中で、島村抱月を演じられた得丸伸二さんが、研究演劇と興行演劇の両方をやっている文学座のことが頭にあったと言う話をされてビビビッと 他の出演者の方々も役作りの中で積み重ねられたものが血となり肉になっているんだな~というのが言葉の端々に感じられました それと、、、タイムリーすぎる世界のニュースと重ね合わせたものもあり 理屈っぽくて青臭い、馬鹿馬鹿しい、熱くて瑞々しくて眩しい、「死ぬほど生きた」人たちの真剣な意見のぶつかり合いを聞いていると、変革真っ只中あるいはその変革はまだ先のことで、それを待ち望んで息を潜めている国々の若者たちもこんな風に意見を闘わせているんだろうな~とちょっぴり羨望の眼差しを含んだ想像を膨らませていましたね~~最後の方で激しい社会変革を目指して活動する大杉栄(=クロポトキン)が「この時代を生きるのはつらい。後の人々は良い時代だったというけど、何がよき時代なものか」というようなセリフを言うのですが、じいはそれを聞いた瞬間にドキッと 何か思いっきり心を読まれたようで恥ずかしくなって逃亡を図ろうかと思っちゃったわ。まさにその通りのことを思っていたのでね~~ただ、それでもじいはよき時代だったと思っています。確かに良いことばかりの時代じゃない、大正デモクラシーがもたらしたもの……例えば普通選挙…と言っても男子普通選挙なんだけど でも、それは飴と鞭と言うのは有名な話で同じ1925年に治安維持法が制定されているわけで でもね~~やっぱり真剣に社会に向き合えた時代だと思います。それこそ現代は生ぬるくてそんな熱い議論や活動なんて成り立たないもん。そして、この作品で描かれた時代に蒔かれた種は確実に戦後社会に活かされた……そういう学術見解がありますが、その元を作り出した時代、凄く凄く意味のある時代だったんだな~と。。。

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