先月25日に、高知県立歴史民俗資料館でのシンポジウムに出席した帰り、JR高知駅の店で購入した本。
都司嘉宣氏『歴史地震の話ー語り継がれた南海地震ー』高知新聞社、2012年3月発行。
ようやく読了。
隣県の高知県の南海地震関係史料が多く引用されているため、愛媛県の歴史地震を考える上でも重要な著作といえます。
この中に、明応7(1498)年に発生したとされる地震に関する考察が掲載されていて、非常に参考になりました。明応7年の地震といえば8月25日に発生した東海地震が知られており、これは多くの史料が残っています。
西日本の明応地震については、愛媛県新居浜市の黒島神社文書にその記載があるとされ、『新収・日本地震史料補遺編』に掲載されています。しかし、この年の西日本での地震史料は類例が少なく、それがどのような性格の地震だったのか、いまいち理解できていませんでした。8月25日の東海地震が愛媛県まで影響があったと考えるのも唐突であり、黒島神社文書の記述をどう扱えばいいのか、頭を悩ませていました。
都司氏の著作では「幻の『明応地震』を追う」という項目をたてて、解説されています。
紹介された史料は、軍記物の記事ではありますが、九州柳河藩の藩政史料のなかにある「地震の条書抜他諸帖筆写」に『九州軍記』巻二が引用され、明応7年6月11日に九州に大きな地震があって、山が崩れ、泥が湧き出て、寺社の鳥居は転倒し、民家の被害もあったと記されています。これが明応7年の一次史料ではないため、その信憑性について史料批判が必要ですが、注目すべきは6月11日という日付です。
都司氏の著作では、中国の史料に同日に津波と思われる記述があることが紹介されていました。これは宇津徳治氏「日本の地震に関連する中国の史料」(『地震』第2輯、1988年)ではじめて指摘されたことのようですが、都司氏の著作44頁によると、『中国地震歴史資料彙編』に引用された「嘉定県志」(※嘉定は現在の上海市内)に6月11日、「邑中川渠池沼以及井泉、悉皆震蕩、涌高数丈、良久乃定」との記録があり、中国沿岸で水面の震動、池や井戸の水面の変化が見られたことがわかる。これと同じようなの現象は安政南海地震でも観測されているとのことです。
中国側の史料から、明応7年6月11日に明応南海地震が発生したことを解説されており、これは参考になりました。愛媛の黒島神社文書の記述について、どのように解釈していくべきなのか、都司氏の著作は重要な参考文献として扱うべきであり、また紹介されていた宇津氏の論考も基礎論文として扱うべき事を理解した次第です。
都司嘉宣氏『歴史地震の話ー語り継がれた南海地震ー』高知新聞社、2012年3月発行。
ようやく読了。
隣県の高知県の南海地震関係史料が多く引用されているため、愛媛県の歴史地震を考える上でも重要な著作といえます。
この中に、明応7(1498)年に発生したとされる地震に関する考察が掲載されていて、非常に参考になりました。明応7年の地震といえば8月25日に発生した東海地震が知られており、これは多くの史料が残っています。
西日本の明応地震については、愛媛県新居浜市の黒島神社文書にその記載があるとされ、『新収・日本地震史料補遺編』に掲載されています。しかし、この年の西日本での地震史料は類例が少なく、それがどのような性格の地震だったのか、いまいち理解できていませんでした。8月25日の東海地震が愛媛県まで影響があったと考えるのも唐突であり、黒島神社文書の記述をどう扱えばいいのか、頭を悩ませていました。
都司氏の著作では「幻の『明応地震』を追う」という項目をたてて、解説されています。
紹介された史料は、軍記物の記事ではありますが、九州柳河藩の藩政史料のなかにある「地震の条書抜他諸帖筆写」に『九州軍記』巻二が引用され、明応7年6月11日に九州に大きな地震があって、山が崩れ、泥が湧き出て、寺社の鳥居は転倒し、民家の被害もあったと記されています。これが明応7年の一次史料ではないため、その信憑性について史料批判が必要ですが、注目すべきは6月11日という日付です。
都司氏の著作では、中国の史料に同日に津波と思われる記述があることが紹介されていました。これは宇津徳治氏「日本の地震に関連する中国の史料」(『地震』第2輯、1988年)ではじめて指摘されたことのようですが、都司氏の著作44頁によると、『中国地震歴史資料彙編』に引用された「嘉定県志」(※嘉定は現在の上海市内)に6月11日、「邑中川渠池沼以及井泉、悉皆震蕩、涌高数丈、良久乃定」との記録があり、中国沿岸で水面の震動、池や井戸の水面の変化が見られたことがわかる。これと同じようなの現象は安政南海地震でも観測されているとのことです。
中国側の史料から、明応7年6月11日に明応南海地震が発生したことを解説されており、これは参考になりました。愛媛の黒島神社文書の記述について、どのように解釈していくべきなのか、都司氏の著作は重要な参考文献として扱うべきであり、また紹介されていた宇津氏の論考も基礎論文として扱うべき事を理解した次第です。