愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

死人を呼ぶ~「魂呼び」に関するメモ~

2010年01月25日 | 人生儀礼

西予市宇和町の多田地区のことを記した水野薫著『わが多田村に於ける明治の思い出』(多田白寿会、1974年)に、「死人を呼ぶ」という項目があり、愛媛県内各地で行われていた「魂呼び」の事例が紹介されている。著者の水野薫は明治30年生まれ。明治時代まで行われ、その後に消滅していることがわかり、魂呼びの時代変遷を知ることができる。

「昔は、大切な働き盛りの人が、大病にかかって危篤状態に なると、五・六人の人がその家の屋根の上にあがって、その人の名を呼び、戻れよと声を限りに叫んだ。その悲痛なさけび声が、病人のたましいをゆり起し、そして神にも届けと願ってのことであったろう。そのとき赤い布切れをふり、箕でぱたりぱたりとあおぐのである。おそらく天地の神を招くために風を起し、神さまが赤い布切れに気付いてもらおうというのであったろう。私はまだ小さいときこんな情景を見て、母からあそこの人が死にかけているのだときき、こわくなったことを覚えている。こんな風習も明治時代が終ると消えてしまった。しかしそんな病人が出ると、の人たちがとるものもとりあえず、神社にお参りして祈祷をしてもらい、快癒の祈願をしたものだが、こんな美しい風習はまだ残っているかもしれない。さて、屋根にのぼって死人を呼びもどす、との話題を書き終って家内に話したら、大洲地方にもあったこと、幼い時に自分も見たことを覚えている、ということだから、これは多田のみならず、この地方一帯に広く行われていたものであろう。因に家内は明治三十四年生れ。」

愛媛県内の魂呼びの事例をまとめてみると以下のとおりとなる。
 
<表1>「魂呼び」事例一覧表(『愛媛県史民俗編下』より作成)
番号/伝承地/呼称/誰が/どこで/使用物/死の種類 
1/新宮村馬立///屋根上/一升桝の底を叩く
2/伯方町北浦////弓の弦を鳴らす/非業の死
3/弓削町/////難産、急病人
4/吉海町椋名/ヨビカエシ
5/宮窪町/ヨビカエシ
6/重信町上村///屋根上/箕を逆さ
7/中山町中山///屋根上/箕/難産、急病人
8/柳谷村西谷////箕、一升枡
9/柳谷村柳井川///屋根上/一升桝の底を叩く
10/小田町臼杵//身内//水を口に含み顔にかける
11/肱川町大谷/////瀕死の場合
12/肱川町予子林////菅笠を煽ぐ
13/大洲市長谷/////子供、若者
14/大洲市蔵川//近所の男/屋根上//子供、若者、急死人
14-2/大洲市蔵川//親類/枕元
15/八幡浜市若山////箕を扇ぐ
16/宇和町田野中/ヨビモドシ//屋根上/大団扇を煽ぐ
17/野村町惣川/ヨビカエシ///一升桝を伏せる
18/城川町高野子///屋根上
19/宇和島市薬師谷////箕を伏せる
20/広見町清水//近所の人/屋根上/箕を振る
21/日吉村犬飼/ムネヨビ
22/一本松町増田/ヨビモドシ/夫/屋根上/菅笠で煽ぐ/難病

これらを見ると、分布は県内全域にわたり特定の地域に偏っているわけではないこと。使用される道具には箕、桝、菅笠が多いこと。屋根の上にのぼる例が多いこと。子供や若者の急死、難産死の時に行われることが多いこと。呼称には「魂呼び(タマヨビ)」はなく、「ヨビカエシ」・「ヨビモドシ」が多いことなどがわかる。

ちなみに「魂呼び」の習俗であるが、愛媛に限ることなく江戸時代以前の文献を見てみると、古代~近世、そして近代まで行われていたことがわかる。

<史料1>
『中荒井與三十二箇村風俗帳』(17世紀後半)
「地下人頓死候節、家之上へ登り、升の下を叩き其者之名を声を尽て呼ハ蘇と云」

<史料2>
『塵添土蓋嚢抄』
「死人喚名蘇事 死ニタルモノ、名ヲ喚ベバ生カヘルト云事、如何(中略)是ハ権者達の御振舞ナレバ、心マカセテ生帰リ給フ。左様ノ事ヲ聞伝ヘテ、帰ルマジキ者ヲ喚ブ事ハマコトニ愚癡ノイタリ也。仏名ノ一遍ヲモ唱ヘテ聞セタラバ、後世ノタスカリトモナリナン者ヲトゾ覚ユル」
  →これが著された天文元(1532)年には、仏教儀礼とは関わらず、民間習俗として魂呼びが存在した。
  →仏教的立場からすると往生優先であり、魂呼びは批判の対象となっていた。
  →方法は不詳。

<史料3>
『小右記』万寿2(1025)年8月7日条
「昨夜風雨間、陰陽師恒盛、右衛門尉惟孝、昇東対上<尚侍住所>、魂呼、近代不聞事也」
  →魂呼びを行ったのは陰陽師である。
  →「近代不聞事」つまり、貴族社会において通例化している習俗ではない。

<史料4>
『日本書紀』巻十一「仁徳紀」
「(オオサザキ尊が)髪を解き(ウジノワキノイラツコ)屍に跨りて、三たび呼びて曰はく、『我が弟の皇子』とのたまふ。乃ち応時(たちまち)にして活(いき)てたまひぬ。自ら起きて居します。」
  →魂呼びの方法は、死体の上に跨って、三回名前を呼ぶ。

※なお、参考までに、類似の行為はお産の際にも行われていた。(『愛媛県史』民俗編下参照)
・産気づくと、身内が屋根に上って笠や箕を振りながら産婦の名前を呼ぶ。(西海町)
・産気づくと、屋根の瓦二、三枚をはいで産婦の名を呼び、次に井戸をのぞきながら、また名を呼ぶ。(宇和島市日振島)

新刊紹介『八つ鹿踊りと牛鬼』

2010年01月23日 | 祭りと芸能
木下博民さんが『八つ鹿踊りと牛鬼』という本を出版されました。

2009年12月30日発行 創風社出版

木下さんは、1922年生まれ。戦争と平和、郷里の先人から学ぶ、をテーマに『板島橋―宇和島の予科練と平和への軌跡―』や『南予明倫館―僻遠の宇和島は在京教育環境をいかに構築したか―』など多数の著作があります。ここ数年、精力的に牛鬼、鹿踊りについて調べられていました。

208頁という大著。これまで、牛鬼、鹿踊りに関する単著はなかったので、画期的な出版です。

この本の中の一文。

どこの郷里にも、青年たちに知られぬままに、浮遊している郷土自慢がある。
そこで郷里の、歴史、先人の業績、風俗文化の常識を、しっかり掴んでおくことを薦めたい。
「君の郷里はどんなところだ?」といわれる前に、
「へえ!そんなすばらしい文化や歴史的環境が、君の郷里か?ぜひ訪ねてみたい」
といわれたら、なんと愉快なことか。

―はじめに(郷土芸能を自慢できるよろこび)より

2010年01月11日 | 日々雑記
愛媛は南国。雪は珍しい。

ということはありません。

写真は先日行ったソルファ・オダスキー場。
小田の広瀬神社過ぎたところで、タイヤチェーンを装着し、
そこから約20分。銀世界の凍結・積雪道をのぼっていきます。
雪はファミリーコースでも60センチもありました。