愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛県歴史文化博物館講座「空海と伊予国」

2013年07月21日 | 日々雑記
9月16日(祝)13:30~15:00

愛媛県歴史文化博物館講座「弘法大師空海と伊予国ー古代伊予の仏教史ー」

講師:大本敬久

会場:愛媛県歴史文化博物館

事前申込不要(当日先着150名)

奈良時代後期から平安時代初期の伊予国の仏教史、そして当時の空海と伊予に関する史料を紹介します。


南海地震は単発ではなくて連動して発生する

2013年07月18日 | 災害の歴史・伝承
南海地震は単発ではなくて、東海、東南海地震と連動して発生することが多いことが指摘されています。

「連動」の様子を語る石碑があります。

高知県香南市香我美町の飛鳥神社にある地震津波碑。絵金蔵のある赤岡にも近い場所。

安政元年(1854)11月4日に地震があった。手結港の潮がひいて、ウナギがとれるほどだったと刻まれています。これは安政の南海地震ではなくて、前日に発生した安政東海地震(いわゆる東海、東南海地震)のこと。

碑には、翌日の11月5日に大地震(南海地震)があって、家も塀も崩れるなど被害の状況が刻まれています。

安政の大地震はまず11月4日に東海、東南海地震(M8.4)がおこって関東から近畿まで大きな被害。その32時間後に南海地震(M8.4)がおこって西日本に大きな被害がでました。

三連動にとどまらず、内陸型地震も誘発されます。安政南海地震の2日後には豊予海峡でM 7.4の伊予西部地震が発生し、南予や大分県を中心に大きな被害が出ています。

ちなみに、昭和の南海地震(昭和21年)での「連動」は2年前の昭和19年に東南海地震発生。東海地震は起こっていません。数日単位の連動ではなく、数年単位の連動です。

0歳児でもわかる歴史講座をめざして

2013年07月16日 | 日々雑記
先日、卯之町末光家住宅で「小学生でもわかる古民家体験」を開催しました。
その時の様子はこちら。
http://www.city.seiyo.ehime.jp/docs/2013070900048/
これも一種のチャレンジでしたが、自分にとってさらなるチャレンジを!

究極にめざすは「0歳児でもわかる歴史講座」
そのチャレンジを8月5日に実施します。

8月5日(月)10:00~11:30
「おさんぽれきし発見隊」
会場:八幡浜市保内町の三島神社境内
ゲスト:愛媛県歴史文化博物館 専門学芸員 大本敬久
対象:乳幼児とその家族 *ベビーカーでもどうぞ。
神社の社叢をおさんぽしたり、奉納物をみながらの歴史文化トーク。
文化に触れ、発見する力を育みます。
予約不要。

午前中が乳幼児とその家族向け。
小学生向けは14:00~15:30で行います。

詳細はこちら。(三島神社さんのブログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/hoini_ikoka/archive/2013/7/13

ゆりかごから墓場までというか、乳幼児から高齢者まで。どの世代でも歴史に触れる機会を提供する。

青年(大学生向け)は8月下旬の伊予の伝承文化事業(大洲青年の家)。
一般、高齢者向け事業は通常の博物館事業でも数多い。

全世代にわたる歴史文化系ユニバーサルデザインへの志向でもあり、エリクソンやピアジェなどの発達段階説、ライフサイクルを踏まえた歴史文化系事業構築の試みでもあります。

愛媛の歴史地震と中央構造線

2013年07月09日 | 災害の歴史・伝承
さきほど、八幡浜の知人から私の携帯にかかってきた電話。昼間外出していて日にあたって肌が痛い。眠い。寝ぼけ状態で電話に出る。

愛媛で中央構造線が動いた地震がないのは本当か?

突然、こんな内容でした。

そんなことは私じゃなくて専門家に聞いてね。先日、南海地震の歴史の講座を開催したので、そのつながりでの電話か?(でも、この質問にはどう答えればよいものか。一筋縄ではいかない。「地震がない」という一言に違和感を持ったのですが、じゃあ、いつ、何時代に、どこで、どんな規模で起こったのか?と問われると即答しづらい。)

電話で伝えた内容は以下のとおり。(「科学的知見に基づく」ものではなく、雑談レベルでの話)

地震がないのではなく、中央構造線断層帯というように中央構造線は一本の断層というのではなく、数多くの断層が天の川のように連なっていて、その中に活断層もあって、過去に地震活動があったとされています。

「ここを震源とする地震の記録がない」という話をよく聞きますが、江戸時代以前の歴史地震は、震源を特定、確定するのが困難なので、当然「地震の記録がない」ということになってしまいます。確証のあるデータを提示できないということです。

ただし、愛媛県内では、今から約400年前の慶長地震は中央構造線が関係したのかもしれないとする説があります。慶長元年(1596)年の慶長伊予地震では松山市の寺堂が崩壊しています。そして現在の西条市にも被害の記録が残っています。この地震の3日後には大分で慶長豊後地震が発生し、別府湾で津波被害ありました。その翌日(伊予地震の4日後)には京都で慶長伏見地震が発生し、豊臣秀吉の伏見城が倒壊するなど大きな被害が出ました。大分、愛媛、京都といった西日本を東西に連ねる連続内陸型大地震であり、これは中央構造線と関係があるといわれますが、中央構造線断層帯の一部の活断層が連続して地震が起ったといったほうがいいかもしれません。東海、東南海、南海地震のような「連動」かどうかはわかりませんが、「連続」して起ったのは史実です。

あと、愛媛の歴史地震を眺めていて気になる地震があります。江戸時代中期の寛延南予地震です。『三瓶町誌』には次のように記載されています。「寛延2年(1749)4月10日巳の下刻、瀬戸町三机周辺部を震源とするM7.0の地震が発生し、宇和島城が破損し、その他にも被害が多く出た」大分県でも橋が破損した記録があるように愛媛西部から大分県にかけて被害が出たようです。三瓶町誌が何を典拠に「瀬戸町三机沖」、マグニチュード7.0と震源、地震規模を特定したのかがよくわからないのですが、気になる記述です。佐田岬半島沖の中央構造線活断層帯の地震である可能性はあります。なお、宇和島での被害の記録はありますが、八幡浜付近での被害の記録は確認されていません。今後の検討課題となってくる地震だろうと思います。

このように歴史的に見て「地震がない」とは断定できない、ということです。

以上、さっきの電話での会話の備忘録。



7月7日は 子ども向けミニ講座「探検!末光家住宅」

2013年07月06日 | 日々雑記
子ども向けミニ講座「探検!末光家住宅」のお知らせです。西予市役所のHPからの転載です。

http://www.city.seiyo.ehime.jp/docs/2013062000107/


 7月の旧末光家住宅の一般公開は、7日(日)です。(毎月第一日曜日)
 公開時間中は、随時、郷土史家や末光家の修復を担当した建築士が内部の詳しい説明を行います。
 また、今回も、以下のとおりミニ講座も行います。
 あわせて、民具館では、唱歌や童謡を参加者と一緒に歌う「うたいま唱歌」や
 手芸品や手作りの惣菜・菓子が並ぶ軒先市も行いますので
 お誘いあわせてお越しください。
 
 <ミニ講座>
 「子ども向け古民家体験 探検!末光家住宅」
 お話 大本敬久さん(愛媛県歴史文化博物館 専門学芸員)
 古いけどアイデアや工夫を凝らした古民家の内部やこの建物の歩みについてクイズをしながらわかりやすくお話します。
  大人の方も大歓迎です!
  ミニ講座の終了後は、いつも行っている大人向け内部説明を随時行います。


  平成25年7月7日(日)  午後1時30分~午後2時
  ミニ講座  13:30~14:00 
  大人向け内部説明 14:00~15:00(随時)

  入場料・参加料は無料 申込も不要です。


【旧末光家住宅について】

 末光家住宅は、明和7年(1770年)の建築とされ、卯之町の町並みに残る住宅では最古のものである。
 この商家において、末光家は「清澤屋」の屋号で酒造業を営み、大正時代からは醤油の製造販売を始めた。
 このほか、第17代末光千代太郎が昭和23年に伊予合同銀行(後の伊予銀行)頭取に就任するなど、
 卯之町のみならず県内の経済発展に貢献した。
 同住宅は、本年1月、末光家から市へ寄贈を受けた。
 市では、平成17年から毎月第一日曜日をこの住宅の一般公開を行い、ミニ講座や作品展、茶会や琴演奏会などの催しを行っている。



岩波講座『日本の思想ー秩序と規範ー』

2013年07月06日 | 日々雑記
現在、岩波書店から刊行されている岩波講座『日本の思想』。第6巻「秩序と規範」が先日送られてきました。

第2章「ケガレの構造」にて、拙著『触穢の成立』も引用していただきました。



図書新聞での書評、岩波講座での引用など反応があることはありがたいかぎりで、

『触穢の成立』の足りない点、今後の課題などもいろいろご意見、ご感想をいただいています。

ひとつひとつ、徐々に消化、昇華しながら前に進みたいと思います。