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愛媛の伝承文化
大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。
吉田町 被災資料の保全活動
2019年05月31日
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日々雑記
午前は吉田町立間。奥白井谷へ。みかん貯蔵庫の最後の勇姿を目に焼き付ける。
午後は喜佐方へ。豪雨で水損した河内口説(歌舞伎風盆踊り)の衣装を実見。
11ヶ月ぶりに再開した吉田町図書館にも立ち寄ってみる。
ANA機内誌 翼の王国 宇和島闘牛特集
2019年05月27日
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日々雑記
ANA機内誌「翼の王国」6月号が届く。宇和島の闘牛、16頁にわたる大特集。私もちょろっと出てる。6/1から1ヶ月間、機内に配置。ANAに搭乗される方はぜひご覧ください。
八幡浜市での被災文化財レスキュー作業
2019年05月21日
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日々雑記
八幡浜市内の神山公民館主催。昨年7月の豪雨災害で水損した歴史資料の吸水、乾燥作業進んでます。
本日は八幡浜市内のボランティア12名参加。
道の駅みなっとにインターンシップで来ている高校生も参加。ありがとう!
日本古代の年号と『伊予国風土記』
2019年05月20日
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日々雑記
一、「元号」と「年号」
「平成」から「令和」へと元号が変わったが、日本の紀年法を「元号」と呼ぶべきか「年号」と呼ぶべきかは様々な議論がある。現在は元号制度について定めた法律に「元号法」(昭和五四年公布)があり、(一)元号は政令で定める、(二)元号は皇位の継承があった場合に限り改める、の二項からなっている。明治元(一八六八)年九月八日に「慶応」から「明治」に改元する際に一世一元の制が定められ、明治二二年制定の皇室典範にてそれが法制化されるが、太平洋戦争後、昭和二二年五月三日の日本国憲法施行とともに、皇室典範は改正され、元号に関する条項は削除された。それにより元号は法的根拠を失って「慣習」として存続することとなり、その後、法制化の要求の声の高まりもあり、昭和五四年に元号法が成立し、法的根拠を持つに至った。現在、法律上は「年号」ではなく「元号」を用いるのが適当であろうが、元号が使われ始めた古代の史料を見ると事情は異なっている。
そもそも元号(年号)は中国由来である。前漢の武帝の建元元(前一四〇)年に始まり、日本、朝鮮、ベトナムでも採用され、皇帝や天皇に制定する権限があった。日本では「大化」が最初の元号とされ、孝徳天皇即位時に使用されはじめたが一世一元ではなく、孝徳期には「大化」と「白雉」が使われ、孝徳崩御(六五四年)とともに元号は使われなくなり、次の元号は六八六年の「朱鳥」であり、こちらも諸説あるが数ヶ月の使用で、次は七〇一年の「大宝」まで待たなければならない。このように「大宝」まで元号は連綿とは用いられず、不連続なものであった。
「大宝」以降、元号が途切れることなく連綿と用いられるようになる契機は、律令で元号の制度が明記されたことである。『養老令』儀制令の公文条に「凡公文応記年者、皆用年号」とあり、それまで干支等を用いて表記していたものを、公文書には元号を明記することが規定されたが、元号ではなく「年号」と記される。この『養老令』は天平宝字元(七五七)年に施行された奈良時代の根本法令であり、井上光貞他校注『律令』(日本思想大系三、岩波書店)によると原文は残っていない大宝元年制定の『大宝令』でも儀制令の各条文はほぼ同じであったことから、古代においては「元号」ではなく「年号」と表現するのが一般的かつ正式であった。『大宝令』以前の天武期の『浄御原令』やさらに存在自体が議論される天智期の『近江令』についてはどう表記されていたかは確認する術はないが、律令が施行され、そこに明記されていれば元号は連綿と用いられていたはずであるが、実際はそうではなかった。律令での「年号」制定は大宝元年ではないかと判断する所以である。
また、「年号」は古代の史料には頻出する。例えば『続日本紀』に所収される和銅元(七〇八)年正月の元明天皇の詔では武蔵国から銅が献上されたことで「慶雲」から「和銅」に改元されるが、ここで「元号」ではなく「年号」と表記されるなど、六国史の『日本三代実録』までの各年代の改元の詔に見える。しかし六国史では「元号」は全く出てこず、古代においては使用されない語彙であった。「元号」が一般化するのはやはり一世一元の制が始まる明治時代からではないかと推察するのだが、語彙として「元号」の初見がいつなのかはいまだ実証はできていない段階である。
二、私年号「法興」
日本最古の元号「大化」よりも古いとされる年号がある。それは『伊予国風土記』のに見える「伊予湯岡碑」の記事に出る「法興」で、「法興六年十月 歳在丙辰 我法王大王 与恵慈法師及葛城臣 道遙夷予村 正観神井 歎世妙験 欲叙意 聊作碑文一首」(『日本古典文学大系二 風土記』岩波書店より)とあり、法興六年は推古天皇四(五九六)年にあたるとされる。湯岡碑自体は失われているが、聖徳太子と思われる人物が伊予温泉に僧・慧慈、葛城臣と来訪して碑を建立し、その碑の文章が逸文として残っている。
『伊予国風土記』は原本、写本が残っているわけではなく、一三世紀後半の文永から弘安年間頃に卜部兼方が著した日本書紀の註釈書『釈日本紀』や、同時期に天台僧仙覚が鎌倉将軍藤原頼経の命で著した『万葉集註釈』に逸文として出てくる。奈良時代、朝廷は各国に対して風土記の撰録の命を出すが、これは『続日本紀』和銅六(七一三)年五月二日条に見えており、①郡郷名に好字(漢字二字)をつける、②特産品の目録の作成、③土地の肥沃状態を記録、④山川原野の名前の由来、⑤古老が昔から伝えている話を記録することが明記されている。大宝令成立から一二年が経ち、律令国家体制の整備の一環として朝廷、国司による各地域の事情を把握のための事業として実施されたものである。風土記の編纂過程はまず郡司が現況調査し、国司に報告し、その報告を国司がまとめて編纂し、「解」(国司が朝廷に上申する公式文書)として朝廷に提出された。このように『伊予国風土記』の編纂時期は八世紀前半である。
私年号は『国史大辞典』によると「古代の私年号の多くは後世に作られた架空の年号である」と書かれるが、「法興」については『伊予国風土記』だけはなく、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘に「法興元卅一年歳次辛巳十二月、鬼前太后崩、明年正月廿二日、上宮法皇枕病弗悆」(框本杜人『書道全集第九巻』平凡社より)とあり、「法興」が実際に存在したかどうか、肯定説(東野治之『日本古代金石文の研究』岩波書店など)、否定説(大山誠一『「聖徳太子」の誕生』吉川弘文館など)さまざまであり決着を見ていない。『伊予国風土記』については、古代史学では松原弘宣氏が『熟田津と古代伊予国』(創風社出版)にて聖徳太子の伊予来訪伝承や湯岡碑は伊予在地勢力と法隆寺の結びつきで八世紀に成立したものとするなど、今後も検証、検討を深化させる必要があるテーマといえる。
以上、「令和」への改元を機に、元号の歴史や伊予国と関連する私年号「法興」について雑感を綴ってみた。
未就学児向け歴史講座
2019年05月13日
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日々雑記
八幡浜。マーマレード世界大会の関連企画。新町ドームにて、市内の園児向けのふるさと歴史講座(紙芝居形式)。みきゃん&ダークみきゃん登壇の前説、前座として、会場をあたためる重責を与えられる。
今週(17日まで)、12時半から13時に、新町ドームにて毎日、みきゃん出現します。記念写真撮れますので、お近くの方はぜひ。
新町ドームでは、日本農業遺産「南予の柑橘農業システム」に関する展示もやってます。
慶長伏見地震と今城塚古墳
2019年05月12日
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災害の歴史・伝承
国立民族学博物館での研究会に参加したあと、高槻市の今城塚古墳へ。
今城塚古墳は、6世紀前半の前方後円墳(継体天皇の陵墓との説もある墳丘全長190mの大規模古墳)。
この古墳。築造されて1000年後、1596年の慶長伏見地震(慶長伊予地震の4日後、慶長豊後地震の翌日に発生。伏見城天守が倒壊、犠牲者1000人以上。内陸直下型地震)で、前方部の墳丘が、幅約90m、奥行き約50mにわたって地すべりを起こしたことが、2000年の発掘調査で明らかになっている。
墳丘にのぼり(宮内庁陵墓参考地になっていないので市民が登ることができる)、地すべり面付近を歩いてまわる。(暑い。日差しがきつい。大汗。)
420年前の慶長伊予地震(中央構造線断層帯。川上断層が震源とされる)についても、愛媛各所(松山市内の寺院の建物倒壊や、西条市内の寺社移転の記録あり)でも、今城塚のように、記録には残されていない建物の倒壊や地すべりなどの被害があったのかなと想起しながら、古墳散策。
将来の南海トラフ巨大地震に目が行きがちだけど、慶長伊予地震のような内陸直下型地震についても、愛媛の災害履歴を知っておくことは大事(あと周期的に発生している日向灘地震、芸予地震についても)。
古墳見て、昨年6月の大阪府北部地震での建物被害、いまだ爪痕も残る高槻の町を歩いて、いまから帰路へ。
八幡浜市の神山塾
2019年05月08日
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日々雑記
神山地区公民館での神山塾。「矢野神山」と新元号「令和」の出典である『万葉集』について話す。万葉集由来の「神山」ゆえに関心も高い?大伴旅人、山上憶良に加えて伊予国関連で額田王、山部赤人も紹介。
会場には、五反田縞に関する資料も急遽、展示。
五反田縞とは関係ないけど、大本酒造場の清酒「萬楽(ばんらく)」の前垂れ(昭和10年代)も飾りました。うちのじいちゃんの時代。
新元号「令和」 万葉集を読む講座
2019年05月07日
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日々雑記
万葉集の講座を開催。 5月8日(水)19:00~神山塾 「新元号『令和』と『矢野神山』の出典『万葉集』を読む」講師 大本敬久(愛媛県歴史文化博物館学芸員) 主催・会場 八幡浜市神山地区公民館 申込不要 参加費無料。
万葉集
2019年05月03日
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日々雑記
今朝(5/3)の愛媛新聞。万葉集の梅花宴について。長屋王の変など、当時の大伴旅人をめぐる政治状況など書いてみる。字数の都合で書けなかったが、①いまだ白村江の戦以降の唐・新羅との緊張関係の続く中での大宰府(いわば国際的な最前線司令部)での宴であったこと。②梅花宴の10年前、隼人の反乱で大伴旅人は征隼人持節大将軍として南九州の支配確立にあたったが九州ではその緊張状態は持続していたこと。③九州にて山上憶良とかなり深い交流があったこと、④万葉集の旅人の序文は六朝からの漢文の流行である四六駢儷体で書かれていること、などなど触れておきたかったことが多い。
ちなみに、このことは、5月8日(水)19:00~の神山塾で話す予定。「新元号『令和』と『矢野神山』の出典『万葉集』を読む」。会場は八幡浜市神山地区公民館。申込不要。無料です。
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大本敬久。民俗学、日本文化論。日本民俗学会。日本自然災害学会。現在、愛媛県歴史文化博物館学芸員 Copyright (C) 1999- Takahisa Oomoto
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