愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

カワウソの恩返し

2000年03月30日 | 八幡浜民俗誌

 先に「人とカワウソとの交流誌」にて、カワウソが人を化かす伝承を紹介したが、これ以外にもカワウソにまつわる話は数多くあるので、数回にわたって紹介してみたい。
 今回は、「カワウソの恩返し」の話である。これは私が直接見聞したわけではなく、和田良誉編『伊予の昔話』(註1)の中で紹介されているものである。
 三瓶町垣生の男性が語った話であるが、カワウソがいたずらをしようとして、牛を川に連れて行くために牛の体に綱をくくりつけたところ、逆に駄屋(牛小屋)に連れて行かれる。カワウソは牛主に泣いて命乞いをすると、牛主は「もうわやく(いたずら)をするな」と言って放してやる。カワウソはその恩返しのために「軒にものをひっかける鉤をつけておいてやんなはい」と去り、その通りに小さな鉤をつけておくと、毎朝、大きな鯛がぶらさがっている。牛主は欲が出てきて大きな鉤にしたらもっと鯛がぶらさがるだろうと思い、鹿の角につけかえると一つもぶらさがらなくなった。カワウソが鹿の角を恐れたのだ。
 以上のような話である。これに類する伝説は、全国各地に見られるものであるが、主人公はカワウソではなく、河童、エンコである場合がほとんどである。愛媛県内でも、南予地方にこの種の話は多く伝承されており、明浜町高山では、地元の若宮神社に狛犬のかわりに鯛を抱えた河童の石造物が奉納されているという事例もある。これらは、いずれも河童が一度つかまってしまうが、命ごいの条件として、毎朝、魚などのお礼を人間にすることになるものの、魚をかける鉤を河童の嫌いな鹿の角に替えたとたん、恩返しも終わってしまうという構成となっている。
 河童は、河川の淵、沼地などの水辺を住処とし、人畜に様々な怪異をもたらす妖怪の一種であるが、全国的に見てみると河童は、人間の子供、水蛇、スッポン、猿、鳥に仮託されることが多い。
 河童の恩返し伝説が、八幡浜地方では河童ではなくカワウソが主人公とされていることは、当地方では河童の正体がカワウソであると認識していたことを物語っているのではないだろうか。カワウソは水辺に生息し、人を化かすなどの怪異をもたらす動物ととらえられていたのであり、河童と同一視される要素は多分に見られるのである。
(註1)日本放送協会刊 昭和四十八年

2000年03月30日南海日日新聞掲載


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佐田岬半島の裂織り文化

2000年03月23日 | 八幡浜民俗誌

 先日発売された、東京の文化出版局から刊行されている雑誌『季刊銀花』百二十一号に愛媛県佐田岬半島の裂織りの特集記事が紹介されていた。
 裂織りとは、たて糸に麻、木綿などの丈夫な糸を用い、よこ糸に細く裂いた古い木綿布を使用した織物のことである。
 この裂織りの分布は東北地方や佐渡、丹後地方などの日本海側と五島列島、鹿児島県甑島、奄美大島などの南日本島嶼部に見られるが、これまでは愛媛県佐田岬半島にまとまって裂織りの文化が伝承されているとは全国的には全く知られていなかった。
 数年前、愛媛県歴史文化博物館の学芸員の今村賢司氏の精力的な調査により、その全容がはじめて紹介され(註)、昨年「裂織りの美・技・こころ」という展示会も同博物館で開催されたことで、全国に知られるようになり、今回の『季刊銀花』の特集記事になったわけである。
 佐田岬半島では、裂織りの仕事着、帯が昭和40年代まで使用されていたが、地元での名称は「ツヅレ」「オリコ」であり、「裂織り(サキオリ)」とは言っていなかった。佐田岬半島の「ツヅレ」「オリコ」文化を「裂織り」文化と名付け、全国的にも貴重な民俗文化であると言い始めたのは地元以外の人間である。地元の人達は、これらを一般的にどこにでもある野良着として使っていたため、粗末に扱っていた。当然それを全国的にも貴重な織物文化の遺産であるとは認識していなく、「ツヅレ」「オリコ」を佐田岬半島という「内からの眼」からでしかとらえていなかったのである。今村氏の調査成果や今回の雑誌『季刊銀花』での紹介は「外からの眼」によるものである。
 現代の民俗文化の継承には、地元の人達も「外からの眼」を持って、自分達の文化を見つめるという視点が必要だと私は考えている。 佐田岬半島の人達が、「ツヅレ」「オリコ」を、現在は使用しないので捨てられるべき野良着として扱うのではなく、全国的視野から見て、その貴重性を認識するという、伝承者自身も「外からの眼」を持てるようになり、この文化遺産を継承していこうという流れになっていくことを、私は願ってやまないのである。
註 『佐田岬半島の仕事着ー裂織りー』愛媛県歴史文化博物館 一九九九年
  今村賢司「愛媛県佐田岬半島の仕事着」『月刊染織α』二一一号 一九九九年

2000年03月23日南海日日新聞掲載

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