愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

今治市菊間町のお供馬行事

2013年10月30日 | 祭りと芸能
今治市菊間町のお供馬は、加茂神社境内の馬場にて、馬に鞍や布団やさまざまな装飾具をつけて、幼児から中学生までの少年が乗り子(騎手)となって、鳥居近くからスタートして約300メートルの馬場を一気に走り込む行事である。馬を曳くのは口引とよばれる大人である。馬は丁重に扱われ、三重県の上げ馬神事のように興奮させたりする行為は見られない。なお、乗り子と口引は祭りの一週間前から毎日海に出て潮垢離をするといい、精進潔斎が求められる神事である。

お供馬が行われるのは、毎年10月第3日曜日(かつては10月10日、それ以前は10月20日)に行われる今治市菊間町浜の加茂神社の例大祭。お供馬とは、行事に参加した馬が、神輿の行列にお供してお旅所まで行くことからそのように呼ばれるが、愛媛県指定無形民俗文化財になった際に「お供馬の行事」という指定名称となり、それまでも「お供馬」の呼称はあったものの(昭和2年発行の『愛媛県に於ける特殊神事』に「御供馬」とある)、地元では「走り馬」とか「走り込み」が一般的に使われる語彙であった。対外的に観光行事としてPRする際には「お供馬」が用いられ、現在ではこれが一般名称となっている。

加茂神社のある菊間は、京都の上賀茂神社(賀茂別雷神社)の荘園「菊万荘」であった。時代は応永年間頃からであり、室町時代には同神社の競馬会の費用を出していた荘園である。県、市が発行する刊行物には、地元史料に明応4年(1495)「侍競馬」の記述があり、500年以上の歴史のある行事だと地元では認識されている。実際、今年のお供馬の際の神社前での紹介アナウンスも「600年の歴史」ということを強調している。現在でも上賀茂神社の競馬会には、「菊万荘」の名前の馬が出走するが、歴史的にも京都の競馬会と関係性が深い。競馬会の費用負担と、馬の供出を行っていたとされる。

お供馬の由来について具体的に述べると、明応4年(1495)の遍照院の古文書の中に「侍競馬」が出てくるといわれる。『菊間町誌』や平凡社『愛媛県の地名』にもその記述はあるが、実は原典、出典については明示されていない。

さまざまな刊行物に「侍競馬(さむらいけいば)」が引用されが、500年以上の歴史を有すると紹介されるが、この「侍競馬」が室町時代の同時代史料としては検証が必要かもしれないことは以前から確認しないといけないと注視していた。

菊間町誌537頁(1979年)をよく見てみると「遍照院の古文書に「明応4年侍競馬白石」の文字がある。」このように記述され、その古文書が明応4年に記されたものとは確定できない書き方になっている。後世に編纂された史料に「明応4年侍競馬白石」と書かれている可能性もある表現である。引用を重ねるうちに「明応4年」が独り歩きした可能性もあり、その由来、起源は、県の文化財として、また、将来、記録作成を行う場合、確認が必要である。

なお、明応4年の数年後の文亀元年の遍照院文書(愛媛県史にも掲載されている。遍照院は加茂神社の神宮寺)に、「加茂の馬場」の記述があって、西暦1500年頃には加茂神社に馬場があったことは確実性が高いといえる。ただし、そこで現在のような「お供馬」が行われたかどうかは定かではないし、「侍競馬」が「サムライ」(武士)が行っていた「競馬(けいば)」だと解釈するのも今一度考えなおさねばならない。由緒に関する確実な史料の検討。これはどの行事にも言えることであるが、案外、わかっているようでわかっていない。

ちなみに、菊間町誌や伊予史談会郷土古文書目録に紹介されている菊間の地元史料を拝見すると、天明8年に「馬場作り」との記述があり、これは祭りの前の竹垣づくりのことのようで、その頃には既にお供馬が行われた可能性があることと、天保7年8月に「競馬」の文字あった。また、文化13年に牛鬼(うしおに)の記事が確認できる。つまり、1700年代後半~1800年代前半には現在と同じような祭りだったと推察できる。それ以前は今後の課題であり、単に「中世の明応4年からの500年の歴史のあるお供馬」であるかどうかいま一度検討を要する。

そして菊間町誌にも紹介されている遍照院文書を遍照院さんのご協力で先日拝見させていただく機会があり、閲覧、確認してみると、菊間のお供馬の「侍競馬」の記述の原典(出処)は文政9(1826)年7月21日遍照院鎮守賀茂大明神勧請謂書であった。末尾に「三永十郎左衛門記端ニ見、法佛山寛応記」とあった。「寛応」は遍照院住職で、宝暦2年10月卒、1730年頃~1752年<菊間町誌589頁より>に住職であった。それを文政9年7月21日に実順が修復した記録である。(この史料は2002年に刊行された『種の貴布禰さん―愛媛県菊間町種貴布禰神社史』に既に紹介されていました。)明応4年にお供馬が行われていたかは史料上では実証はできないが、一応、「明応4年侍競馬」の出処は確認することができた。500年の歴史というのは歴史的事実としてただちに実証はできないが、「明応から続く歴史があると言われている」という伝承レベルでの話は江戸時代後期にまで遡る可能性がある。

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津山まつりとだんじり

2013年10月26日 | 祭りと芸能
岡山県津山市の徳守神社に来ています。明日は津山まつり。今晩が宵宮です。各町のだんじりが徳守神社に順次訪れています。この祭りのだんじりは岡山県有形民俗文化財に指定されているものが20台以上もあり、中国地方の屋台行事を代表するものです。1992年には『津山の祭りとだんじり』という充実した報告書も津山市教育委員会から発行されています。だんじりを有形民俗文化財として大切に継承しているのがよくわかります。(ただし、無形民俗文化財としては国、県、市いずれも未指定です。)津山まつりはだんじりだけではなく、奴行列や獅子舞などもあり、しかも江戸時代の津山藩以来の歴史のある祭りです。だんじりも江戸時代の製作のものも多いですし、18世紀には既にだんじりが出ていたようです。豊富な史料から歴史的裏付けも出来る祭礼であり、注目しています。太鼓と半鐘の音。特に半鐘の音が町中に響き渡っています。いましばらく宵祭を見て、津山から岡山へ移動する予定です。明日は別の祭礼を拝見したいと思っています。

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【オススメ新刊】『えひめの近代化遺産』普及版

2013年10月25日 | 日々雑記
【オススメ新刊】『えひめの近代化遺産』普及版が刊行されました。

定価800円。

明治、大正、昭和の愛媛の建造物を紹介。B5版、フルカラー、地図付き。

愛媛の近代化遺産ハンドブックとでもいうべき本。


平成23・24年度に行われた「近代化えひめ歴史遺産総合調査事業」での調査報告書『近代化えひめ歴史遺産調査報告書』(平成25年3月刊行)」のダイジェスト版です。

発行先は(公財)えひめ地域政策研究センター。

発刊チラシはこちら。

http://www.pref.ehime.jp/k70600/documents/kindaikaisanhoukokushotirasi.pdf


入手希望の方、連絡、問い合わせ先は以下のとおりです。

公益財団法人えひめ地域政策研究センター
〒790-0065 愛媛県松山市宮西1 丁目5 番19 号(愛媛県商工会連合会館3階)
TEL(089)926-2200 FAX(089)926-2205
E-mail info@ecpr.or.jp



この本の掲載物件一覧は以下のとおりです。(物件名、現市町名、旧市町村名の順)

【四国中央市】
梅錦醸造元藤井商店、四国中央市、川之江市
鳥越トンネル、四国中央市、川之江市
県立三島中学校講堂、四国中央市、伊予三島市
松風橋、四国中央市、土居町

【新居浜市】
第一通洞、新居浜市、別子山村
第三通洞、新居浜市、新居浜市
第四通洞、新居浜市、新居浜市
東平選鉱場・東平索道停車場、新居浜市、新居浜市
旧端出場水力発電所、新居浜市、新居浜市
旧山根精錬所煙突、新居浜市、新居浜市
山根競技場観覧席、新居浜市、新居浜市
山田社宅、新居浜市、新居浜市
旧別子銅山鉄道星越駅舎、新居浜市、新居浜市
遠登志橋、新居浜市、新居浜市
旧広瀬邸、新居浜市、新居浜市
武徳殿、新居浜市、新居浜市
旧住友銀行新居浜支店、新居浜市、新居浜市
藤田本家造成石垣、新居浜市、新居浜市

【西条市】
大宮橋、西条市、西条市
市之川アンチモン鉱山跡、西条市、西条市
千野々橋、西条市、小松町
劈巌透水路、西条市、丹原町

【今治市】
コノ瀬挂灯立標、今治市、今治市
大浜灯台吏員体息所、今治市、今治市
矢野七三郎像台座、今治市、今治市
今治市上水道水源地ポンプ室、今治市、今治市
今治ラヂウム温泉、今治市、今治市
陸軍芸予要塞来島砲台、今治市、今治市
波止浜船渠㈱2号ドック、今治市、今治市
落合橋、今治市、玉川町
大蔵省坂出地方専売局伯方出張所、今治市、伯方町
タンボ(野井戸)群、今治市、上浦町
大山祇神社国宝館、今治市、大三島町
鏡村煙草耕作組合煙草乾燥室、今治市、大三島町
大下島灯台、今治市、関前村
小大下島石灰鉱山跡、今治市、関前村

【上島町】
百貫島灯台、上島町、弓削町
弓削島石灰鉱山跡、上島町、弓削町

【松山市】
愛媛県庁舎、松山市、松山市
旧制松山高等学校講堂、松山市、松山市
萬翠荘、松山市、松山市
道後温泉本館、松山市、松山市
私立松山女学校正門、松山市、松山市
松山測候所、松山市、松山市
愛媛教育会館、松山市、松山市
新田中学校本館、松山市、松山市
中央染工、松山市、松山市
山谷運送店社屋、松山市、松山市
角田造船所第二工場ドック、松山市、松山市
釣島灯台、松山市、松山市
松山海軍航空基地航空機掩体、松山市、松山市
鍵谷カナ頌功堂、松山市、松山市
今出地区伊予絣生産施設旧西村央家、松山市、松山市
宿野々橋、松山市、松山市
岩堰橋、松山市、松山市
伊予鉄道余戸駅舎、松山市、松山市
伊予鉄道煉瓦橋、松山市、松山市
伊予鉄道石手川橋梁、松山市、松山市
伊予鉄道小野川橋梁、松山市、松山市
伊予鉄道高浜駅舎、松山市、松山市
クダコ島灯台、松山市、中島町

【東温市】
重信川砂防堰堤、東温市、重信町
伊予鉄道横河原駅舎、東温市、重信町

【伊予市】
ヤマキ旧社屋、伊予市、伊予市
伊予農業銀行郡中支店、伊予市、伊予市
平沢鉱山、伊予市、中山町
上灘第二尋常高等小学校、伊予市、双海町

【松前町】
岡田駅舎、松前町、松前町
松前駅舎、松前町、松前町

【砥部町】
砥部町外山のミカン小屋群、砥部町、砥部町
梅山窯大登窯、砥部町、砥部町

【久万高原町】
上浮穴農林学校知今堂、久万高原町、久万町
仰西渠、久万高原町、久万町
杣川橋、久万高原町、面河村
渓泉亭、久万高原町、面河村
有枝橋、久万高原町、美川村
御三戸橋、久万高原町、美川村

【内子町】
大瀬鉱山、内子町、内子町
大典記念㈱内子座、内子町、内子町
旭館(電気館) 、内子町、内子町
田丸橋、内子町、内子町
酒六酒造株式会社、内子町、内子町
旧内子警察署、内子町、内子町
村上家住宅、内子町、五十崎町
栗田家住宅、内子町、五十崎町

【大洲市】
愛媛鉄道河内トンネル、大洲市、大洲市
愛媛鉄道八多喜トンネル、大洲市、大洲市
亀岡家住宅、大洲市、大洲市
池田貫兵衛家住宅、大洲市、大洲市
桝田製糸場、大洲市、大洲市
梶田商店・梶田家住宅、大洲市、大洲市
旧大洲商業銀行、大洲市、大洲市
少彦名神社参籠所(殿) 、大洲市、大洲市
旧国鉄肱川橋梁、大洲市、大洲市
長浜町役場庁舎、大洲市、長浜町
長浜大橋、大洲市、長浜町
喜多製蝋所、大洲市、長浜町
愛媛鉄道(大越トンネル) 、大洲市、長浜町
金山鉱山、大洲市・八幡浜市、長浜町・保内町
八重栗橋、大洲市、肱川町
小藪温泉本館、大洲市、肱川町

【八幡浜市】
須川蚕種工場社屋、八幡浜市、八幡浜市
菊池清治家住宅、八幡浜市、八幡浜市
明治橋、八幡浜市、八幡浜市
八幡浜第一防空壕、八幡浜市、八幡浜市
豫州銀行本店、八幡浜市、八幡浜市
八幡浜駅舎、八幡浜市、八幡浜市
第二女夫岩橋梁、八幡浜市、八幡浜市
千賀居隧道、八幡浜市・大洲市、八幡浜市・大洲市
白石和太郎家住宅及び洋館、八幡浜市、保内町
日進館、八幡浜市、保内町
東洋紡績川之石工場、八幡浜市、保内町
内之浦公会堂、八幡浜市、保内町
宮内川青石護岸、八幡浜市、保内町
大峯鉱山、八幡浜市、保内町
柳谷鉱山、八幡浜市、保内町

【伊方町】
伊方町防波堤群、伊方町、伊方町
女岬製錬所、伊方町、伊方町
大佐田のフナグラ群、伊方町、三崎町
佐田岬灯台、伊方町、三崎町
旧平磯水底線陸揚室、伊方町、三崎町
陸軍豊予要塞佐田岬砲台、伊方町、三崎町
三崎製錬所、伊方町、三崎町

【西予市】
岩井の石灰窯、西予市、明浜町
狩浜地区段々畑、西予市、明浜町
船戸川橋、西予市、野村町
三瓶隧道、西予市、宇和町
申義堂、西予市、宇和町
開明学校、西予市、宇和町
宇和町尋常高等小学校講堂、西予市、宇和町
宇和町尋常高等小学校第一校舎、 西予市、宇和町
石城村西山田養蚕実行組合稚蚕共同飼育場兼西山田公会堂、西予市、宇和町
松之越隧道、西予市・大洲市、野村町・肱川町

【宇和島市】
宇和島鉄道石組製暗渠、宇和島市、宇和島市
宇和島鉄道京の川煉瓦製4段暗渠、宇和島市、宇和島市
宇和島鉄道長追川煉瓦製暗渠、宇和島市、宇和島市
宇和島運転区 転車台及び扇形機関庫、宇和島市、宇和島市
窓峠隧道、宇和島市、宇和島市
水荷浦の段々畑、宇和島市、宇和島市
岡本景光家住宅、宇和島市、三間町
土居奥砂防堰堤群、宇和島市、津島町

【鬼北町】
井谷正命家住宅、鬼北町、日吉村
興野々橋、鬼北町、広見町

【松野町】
正木酒店、松野町、松野町
正木本店、松野町、松野町

【愛南町】
浦和盛三郎住宅・魚類製造家屋、愛南町、内海村
旧株式会社土豫銀行御荘支店、愛南町、御荘町
小西酒造場、愛南町、城辺町
外泊の石垣集落、段々畑、猪垣、愛南町、西海町

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10月30日 吉田祭りについての学習会

2013年10月16日 | 祭りと芸能
10月30日13時半から愛媛県歴史文化博物館の友の会民俗クラブで学習会。テーマは宇和島市吉田町の秋祭りについて。

吉田祭りは、今年は県の経済労働部系の助成金を活用して「おねり」の活性化を推進。観光化、商品化が進み、熱心に取り組んでいます(ただし、ちょっと暴走気味。悪い意味じゃなくて、いい意味で。)。おねり保存会には祭礼道具の修理、修繕を進めるにあたってかなり注文をいれました。江戸時代から続く要素を簡単に変えてはいけない、というスタンス。地元の方といろいろ意見が合わなかったりして、かなりきつい指摘もしました。地元のみなさん、ご容赦ください。地元からの案を全くダメだと突き返したこともありました。すいません。納得いただいた部分と、うまく意見がまとまらなかった部分もありましたが、それもほぼ終了。あとは10月末の完成披露会や11月3日の祭礼を待つのみ。地元の文化財として、いい修繕になったと確信しています。「おねり」が楽しみです。何より吉田の方々の熱意がスゴい。吉田にこんな一体感ってあったの?と町づくり、地域おこしがちょっと苦手な町民性(藩主のお膝元の小さい町はどうしてもお上頼りの気質になっていたけど、何かを「突破」しそうな勢い)に火がついた。

それもあって、歴博友の会の行事として、私が祭りのスライド上映をしながら解説します。友の会会員でない方はこの機会にご入会いただければ参加可。10月からの入会は会費も半額なので、ぜひ。平日開催ですがではありますが・・・。地元吉田では6月末の講演会で紹介した内容です。



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広島県呉市の吉浦カニ祭り

2013年10月07日 | 祭りと芸能
広島県呉市。ここのお祭りは興味深いです。鬼をやぶと呼んだり、博労が出たり、だんじり(ちょうさいとも呼ばれる布団太鼓)もあったり。かつては奴行列があったり。愛媛県との比較でいえば、旧中島町の秋祭りの諸要素と共通することが多い。旧中島町つまり忽那諸島の祭りについては、東西方向の文化伝播でしまなみ海道など越智郡島嶼部とのつながり高輪半島とのつながりを第一に考えていた部分があったが、旧呉地域やとびしま海道との共通性、違いを実証的に考えてこなかった反省が少しあります。今回の呉市の祭礼調査は忽那諸島の文化領域を考える上で参考になりました。写真は吉浦八幡神社のかに祭りに出ていた神龍保存会の龍。白煙を吐いています。古写真には出てこなかった。今回確認できなかったので、いつから出ているのか今後要調査ですが。広島県は(愛媛もですが)文化庁調査事業の「祭り行事調査」をまだ実施していないので、網羅的に祭礼情報が入手しにくい状況にあります。呉市の祭礼はいまいち全体像がつかめていませんでしたが、今回、少し見えてきました。愛媛の祭礼文化を考える上では四国内のみならず山口、広島、岡山、兵庫の状況は把握しなければいけない。その作業を毎年少しずつではありますが進めています。

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拙稿「南海地震の歴史と伝承」刷り上がりました。

2013年10月07日 | 日々雑記


四国民俗学会の雑誌『四国民俗』第45号が刷り上がりました。平成25年9月30日発行。

拙稿「南海地震の歴史と伝承ー愛媛県の事例を中心にー」も1~17ページに掲載されています。

今年6月23日に行った講座「南海地震の歴史と伝承」で参加者に配布した愛媛県の地震年表をこの原稿に付け加えたかったのですが、それは校正段階では追加原稿量が多すぎて都合により入稿できず。

愛媛県の詳細地震年表は、また掲載の機会を待ちたいと思います。




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子ども舞台芸術体験サポートシステム後援会

2013年10月02日 | 日々雑記
博報賞。教育現場の地道な努力を顕彰するものです。この賞に、東温市にある坊っちゃん劇場子ども舞台芸術体験サポートシステム後援会が選ばれました。

http://www.botchan.co.jp/supportsystem.html

私もこの後援会の会員なのですが、年会費の一部が愛媛県内の子ども達が坊っちゃん劇場で観劇する際の交通費補助や観劇料の補助にあてられています。

今回の博報賞受賞のページはこちらです。

http://www.hakuhodo.co.jp/foundation/prize/newest.html


以下、そのページから受賞内容を引用します。


「子ども舞台芸術体験サポートシステム後援会」

地域の舞台芸術活動を活用した、情操豊かな子どもたちを育てる支援事業の展開

活動内容
「舞台芸術で子どもたちの可能性に光を!」歴史と文化を活かした、地域社会総ぐるみの活動。
 愛媛県ほぼ中央の東温市に「坊っちゃん劇場」はある。ここでは四国や瀬戸内圏内の歴史・伝統文化や偉人を題材にした舞台作品を自主制作し、上演している。
 小中学生など、若年のうちに優れた芸術を体験することは情操を豊かに育み創造性を高めるなど人格形成の観点からきわめて重要との観点から、また、愛媛県近隣の豊かな文化・伝統・芸術に触れ、体験することは地域に誇りや愛着を感じるきっかけになり地域社会を支える人材育成にもつながると考え、「坊っちゃん劇場」を“情操教育の場”や“ふるさと教育”の場として活用するために、「子ども舞台芸術体験サポートシステム後援会」が2009年発足した。
 学校への支援事業として県内の小中学校、高等学校及び特別支援学校に「坊っちゃん劇場」での観劇機会を支援、観劇の前後には役者を交えての交流する場を設けている。また、「坊っちゃん劇場」の役者やスタッフを各学校に派遣し講習会やワークショップを開催。高等学校では演劇部、吹奏楽部との交流により学校の文化活動の活性化を図り、また、小中学校では子どもたちの表現力・コミュニケーション能力の育成をめざして役者によるワークショップを行うなど、まさに地域社会全体が連携して教育支援に取組んでいる。
 会員は現在、個人約1,000人、団体約40件、法人約170件となっており、2009年の「鶴姫伝説」、2010年「正岡子規」、2011年「誓いのコイン」、2012年「幕末ガール」と延べ5万人を超える生徒をサポートし、劇場文化と学校をつなぐ環境整備を行った。「社会総ぐるみで取組む」情操豊かな子どもたちを育てる支援事業として、今後もますます期待される。


審査委員より
本会は、地域の特質を生かした、社会総ぐるみで行う学校教育支援の在り方の一つのモデルを提供している。確たる理念の下に、市民を巻き込み計画的に地域の歴史や文化を根付かせ、子どもたちが地域文化に誇りをもち日本人としてのアイデンティティをもたせようと取組んでいる。特に、演劇を通しての取組みは、これからの教育の在り方にも大きな示唆を与える。更なる社会と学校の融合を目指した取組みが期待される。



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牛鬼の額の前立は何を意味するのか?

2013年10月01日 | 祭りと芸能
宇和島の牛鬼の額にある前立。太刀受けと言われたり、月輪と言われたりするけれど、南予周縁部には日輪が多いので太刀受け説は厳しい。某報道機関から、宇和島だけに伊達政宗の前立に影響されたというのは本当か?と問合せがあったがそれはちょっと難しい。

牛鬼の額の前立のようなもの。私が考えているのは、これが雲形台と神鏡との説。つまり牛鬼は、ご神体が載せられた神輿の先駆、神様の前にいる存在であることを示す。そのための鏡とその台。これは平成12年に開催した企画展「愛媛まつり紀行」のときに南予全域の牛鬼を比較して出した説。その時にはいろいろ解説したり、書いたりしたが、神鏡、雲形台説はなかなか広まっていない。

たとえば写真の愛南町の岩水の牛鬼。これはまさに神鏡、雲形台である。その他にも西予市野村町惣川、高知県沖の島の母島などがこの形である。牛鬼の分布の周縁部にこの形が見られ、中央部の宇和島に月輪が見られる。おそらく月輪は発展系というか、簡略化されたものと思われる。宇和島の隣の吉田では月輪ではあるが丸い板に月輪を表現している。似たような事例に鬼北町清水がある。こちらは一見、月輪だがよく見ると日輪の真ん中がくりぬかれた形となっている。つまり愛南や惣川など周縁部には日輪つまり神鏡・雲形台があり、宇和島は月輪。その中間領域の鬼北や吉田には変化の途中と思われる前立が見られる、という分布になっている。これは一種の周圏論と見てもいい。

伊達政宗由来説ではない。牛鬼の出現は18世紀半ば以降である。伊達の入部からは150年以上は過ぎている。祭り自体の伝承も伊達がらみの話は聞かない。仙台から伝播したことが確実な鹿踊でさえ伊達家との直接的なつながりは見られない。宇和島や吉田の祭礼の人形屋台もいろんな物語を表現して人形や彫刻や立体刺繍幕を飾っているが、そこに藩主である伊達家に関する物語は表現しない。おそらく当時の宇和島や吉田の町人ではそれは憚られたのかもしれない。

このように牛鬼の前立が伊達政宗の甲冑に由来して、月輪型となっているという説。これはちょっと考えにくいと思い、いま一度、神鏡・雲形台説を書いてみました。

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