愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

蕨の季節

2009年04月29日 | 生産生業
先日、日曜日は家族で八幡浜の「歩け歩け大会」に参加。日頃、なまっている体を少しは鍛えるべく、王子の森公園から双岩のスポーツセンターまで完歩。スポーツセンターではマウンテンバイクの全国大会も開催されていて、間近でみる迫力に圧倒されました。スポセンでは多くの出店も出ていて、いろいろ眺めていたら、知人が出店していて、地元みかんの新加工品をいただきました。美味。結構な数をもらったので、帰宅前にそのまま職場に行って、みかん加工品の差し入れ。と思っていたら、わらぐろの会の会長さんが、その日の朝、宇和の某山中で、わらび取りに行ったと携帯に連絡あり。早速、私もわらび、いただきました。ありがとうございました。数年来、「いいわらびの採ることのできる隠れたポイントがある」らしく、「一緒に連れて行ってあげらい」と言われていたのですが、結局、お供できず、わらびだけいただくことに。昨晩、重曹であく抜きして、おいしくいただきました。

わらびは、古代から「わらび」と呼ばれていました。正倉院文書の天平宝字8年3月18日に「吉祥悔過所銭用帳」(大日本古文書16)に「卅六文和良比卅六巴」とあります。3月18日といえば旧暦なので、季節的にはちょうどこの頃。天平の時代にもわらびは季節の山菜として、吉祥天に供えていて、当然、自分たちも食していたのでしょう。

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世間虚仮

2009年04月25日 | 信仰・宗教
私が大学時代に好きだった『万葉集』。特に大伴旅人の歌「世の中はむなしきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」(巻五、七九三)。これは神亀5(728)年に亡くなった妻の弔問で返礼に際して詠んだもの。

「むなしき」を知ることは「空」の思想が日本に定着したことを物語る。仏教思想が和歌に組み込まれた事例として面白いと思っていた。後の時代の「無常」観につながる歌としても、貴重である。

ところで、最近、民俗学関連の自分の文章で「世間」という言葉を使うことが多くなった。「世間」とは何ぞやと問い続けているのだが、それは今日はさておき、「空」・「無常」とくれば、聖徳太子の「世間虚仮(せけんこけ)」を思い出す。

「世間虚仮、唯仏是真」という太子の言葉。出典は『上宮聖徳法王帝説』や『聖徳太子伝暦』といった平安時代成立の史料に記載されている言葉なので、もしかすると大伴旅人以後に創作・仮託されたのかもしれないが、「世間」の概念と「虚仮」の概念を古代日本人が真剣に考えたことは事実である。

「空」と「虚」という「むなしさ」の思想の定着、そして「世間」。この「世間」とは自己と社会との関係・間柄といえばよいのだろうか。仏典で「世間」をよく調べておく必要があるが、自分の存在を社会との関わりの中でどう位置づけても、それは結局のところ「虚」であり「仮」である。そのように私は考える。そこに「真」はない。

少し大雑把な解釈だが、「世間虚仮」。いい言葉だと思う。



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筍三昧

2009年04月25日 | 日々雑記
最近、実家に行っても、知人に出会っても、会合に出ても「筍(タケノコ)いらんか~」と言われる。妻にも知人から同様のメールが入っている。旬である。とはいっても、もらいすぎて、最近、料理は筍三昧。主食と化している。よって「すみません。今、家にたくさんあるんで・・・」とお断りしている。まるで、冬の愛媛の温州みかん状態。冬の「みかん」と今の時期の「筍」。この贈与と交換行為。分析するだけで、人間関係、社会関係が顕になる。みかん農家ではない自分。山に筍を取りに行かない自分。それでも地元に住んでいるがために「みかん」と「筍」を頂戴できる。ありがたいことです。

ちなみに、筍は、夏の季語。もう春から少しずつ夏に移行している。

なお、今の生活は「筍三昧」だが、決して「筍生活」ではない。ようやく食いつないでいる生活。筍の皮を一枚一枚剥いでいくような厳しい生活。それが「筍生活」の意味。何かの本に載っていたが、それが何だったかは忘れてしまった。今、我が家はおかげさまで筍があふれんばかりの豊かな食生活です。

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ぐうのねもでない

2009年04月25日 | 口頭伝承
今日、ある出来事で、つい「ぐうのねもでない」と口ずさんだ瞬間、それをどう表記するのか、わからなくて困惑。愛読書『日本国語大辞典』を手にした。

「ぐう」とは「呼吸がつまったり、物がのどにつかえたりして苦しい時に発する声や、苦しい状況に追い込まれて発する声を表す語」。これが「ぐう」の意であり、「寓」でも「偶」でも「宮」でもないのだ。単に音を表す語で、漢字で表記するわけではない。

というわけで「ぐうのね」の「ね」は「音(ね)」。決して「根」でも「値」でもない。

面白いのが、この「ぐう」という音を、夏目漱石が頻繁に使っている事実。
『三四郎』でも「三四郎はぐうの音も出なかった」とあるし、『坊ちゃん』でも「勘太郎は四つ目垣を半分崩して、自分の領分へ真逆様に落ちて、ぐうと云った」とある。

水を一気に飲む音も漱石は「ぐう」と表現している。『吾輩は猫である』には「硝子鉢を口へあて中の水をぐうと飲んでしまった」とある。

漱石は「ぐう」が好きだった?いや、いつも人生「ぐうの音も出ない」と悩みながら過ごしていたから頻繁に使ったのだろうか。

いずれにしても「ぐうのね」の「ぐう」は、去年の流行語、エドはるみの「グ~」ではないことは明確になった。少しスッキリ。

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縄文時代・弥生時代・古墳時代・・・

2009年04月25日 | 日々雑記
今、教科書で歴史を習っている小学生のみんな(特に小学6年生)へ。
本物の土器や石器を見てみませんか?

『えひめ発掘物語Ⅱ&絵で見る考古学~早川和子原画展~』のお知らせです。
4月25日(土)から6月14日(日)まで。
場所は、愛媛県歴史文化博物館(西予市宇和町) ここ数年の愛媛県内での発掘調査成果を、縄文時代から時代ごとにわかりやすく展示。

おもな展示遺跡は、次のとおり。
縄文時代・・・松山市猿川西ノ森遺跡
弥生時代・・・西条市大久保遺跡
古墳時代・・・今治市高橋仏師1号墳 などなど。

愛媛最古級の縄文土器、「銅剣や埴輪(はにわ)、建物の絵が刻まれた土器など、興味ぶかい考古資料があります。

また、埴輪の立体パズルもあって、楽しみながら学ぶこともできます。

早川和子さんの原画展では、日本各地の遺跡を人々のくらしとともに生き生きと描く考古復元イラスト約70点を展示。
遺物だけではなく、イラストをまじえた考古学の展示。ちょうど小学6年生は縄文時代弥生時代古墳時代を学習する時期。この展示を見れば、歴史のイメージがふくらむことでしょう。

社会の授業で縄文時代や弥生時代、古墳時代に興味をもった子どもたち!ぜひ、愛媛県歴史文化博物館でこの展示を見てね。

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景色の良いレストラン

2009年04月24日 | 日々雑記

愛媛県歴史文化博物館のレストランから見た風景。新緑が綺麗で、軽食を食べたり、コーヒーを飲みながらゆっくり、ゆったり時間を過ごすことができる。山々の景色はこの4月、5月は最高。これだけの緑を眺めながらコーヒーの飲める場所は近隣には無い。


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タンポポ 語源の謎

2009年04月23日 | 口頭伝承
タンポポという日本語はとても不思議だ。「popo」と発音するのは、汽車ポッポか去年流行した鼠先輩の歌くらいなもので、これが昔から使われていたというのも面白い。日葡辞書にも「Tanpopo」とあるし、文明本節用集にも「蒲公草 タンホホ」とあるので、少なくとも室町時代には「タンポポ」と呼んでいたことは間違いない。この語源は、タンポポを別名「鼓草」ということから、鼓の音を擬したとされる。柳田國男もそのように説明している。各地の方言を見てみると、静岡ではタタンポコ、タンタンボ、東海から近畿地方にかけてはタンポコ、大分ではタンポッポ、また、岐阜・愛知ではチャンポコなどがある(日本国語大辞典参照)。確かにいずれも鼓の音を擬したような方言ばかりである。江戸時代の和漢三才図会には「蒲公英 和名不知奈、一云太奈、俗云太牟保々」とある。「太奈(タナ)」は「田菜」のことで、それに鼓の音の「ポポ」が付いたのではないか。いくらなんでも「タン」も「ポポ」も両方、鼓の音から来ているとは考えにくい。タナ(田菜)がベースにあって、タンポポへの派生していったのではないか。そのように考えてはいるのだが、いまいち自分の中でも納得ができない。あくまで主観ではあるが、「popo」と日本語の不調和を感じずにはいられない。幼児語でもないし、全国各地の方言でも共通性が見られる「タンポポ」。この語源には、強い影響力を持つ文化的背景があるように思う。たとえば、タンポポは漢語もしくは仏教用語のような外来語であるとか・・・。この語源は詳しく調べたことがないので主観めいていることを書いてみたが、この時期、家の近くに生えているタンポポ見るたびに気になって仕方がない。

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さらに予告 エンコ祭り

2009年04月20日 | 日々雑記
さらに予告です。4月29日に八幡浜市穴井の水天宮のお祭りがあります。通称エンコ祭り。夕方、地元の子どもたちを前に、エンコについて話します。

これは真穴地区公民館からの依頼。最近、エンコ祭りが、子どもがお菓子をもらえる祭りと勘違いしているのではないかと、地元の大人が憂慮して、祭りの本義を話してほしいとの依頼。

第三者が祭りの本義を祭りの最中にしゃべるのは、現代民俗学者から批判を受けそうだが、子どもたちにエンコ祭りを将来にわたって継続させるには、致し方ないことだと判断して、この依頼を受けている。

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予告 笠置峠の歴史

2009年04月20日 | 日々雑記
もうひとつ予告。

明日21日(火)19:30から、宇和町岩木集会所(石城公民館とは違うので注意!)で、会合があり、地元ボランティアガイドを希望する方々に笠置峠の歴史と文化について話します。

笠置峠には前方後円墳もあって、笠置文化保存会の方々を中心に、愛媛大学考古学研究室の先生方の協力も得て、地域づくりが活発に行われています。

明日は、「峠」が歩んできた歴史事例を古代から近代まで、いろいろと紹介します。

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予告 民具館で紙芝居

2009年04月20日 | 日々雑記
5月2日(土)13:00~16:00、宇和民具館で、私、大本が紙芝居をやります。子どもからお年寄りまで、楽しむことのできる時間にしたいと思います。

今、宇和民具館では、昔話に出てくる民具の展示を行っていて、会場もそこで行います。

学芸員だけに、少しは「芸」を身につけなければと思って、数年前から紙芝居に挑戦中。昨日の「だんだん会」での講師、若松進一さんのハーモニカ芸には勝てないが、園児には昔話の楽しさを、そしてお年寄りには懐かしさを感じてもらう意味で、紙芝居は博物館・資料館では結構使えるネタです。

5月2日には午前中、私の職場でマスコットキャラクター発表会がありますが、この日、歴史文化博物館・中町の宇和民具館、双方を観覧してみませんか?

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仏教用語としての「浄瑠璃」

2009年04月20日 | 祭りと芸能
三味線で伴奏して太夫が語る音曲を「浄瑠璃」というが、「浄」といい、「瑠璃」といい、仏教語でよく使われる言葉。江戸時代後期の「いろはカルタ」に「瑠璃(るり)も玻璃(はり)も磨けば光る」とあるが、瑠璃も玻璃もどちらも仏典で言う「七宝」。いわば宝石である。それが特に清らかであることを強調して、浄瑠璃とか浄玻璃という。浄玻璃といえば、六道絵で閻魔の前に描かれる鏡が浄玻璃の鏡。生前の行状が映し出される鏡。かたや浄瑠璃といえば「浄瑠璃浄土」という言葉がある。東方の浄土で、薬師如来が司る。

音曲語り物の浄瑠璃は、室町時代の末に、広く民衆に迎えられた琵琶や扇拍子を用いた新音曲の中、『浄瑠璃物語』が流行したのに名称の由来がある。これは牛若丸と浄瑠璃姫との恋物語。浄瑠璃姫は、薬師如来の申し子と呼ばれた女性。ここで、ようやく仏教と音曲「浄瑠璃」のつながりが見えてきた。

のちに音曲浄瑠璃は、三味線の伝来とともに合わせて語られるようになり、さらには人形操りと結んで人形芝居・人形浄瑠璃が成立する。

「浄瑠璃」の言葉を改めて考えると、日本文化の流れのひとつが見えてくるので面白い。

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だんだんつながろう会

2009年04月20日 | 日々雑記
昨日4月19日は、卯之町で「だんだんつながろう会」があり参加。まずは若松進一さんの講演を聞いて、その後、地域で活動するいろんな方々と情報交換。若松節はいつ聞いても楽しいし、含蓄もあり、考えさせられるところが多い。さすがです。

最近は、八幡浜ではYGPから、そして宇和ではこの「だんだんつながろう会」のみなさんにエネルギーもらっています。

さて、来週4月25日は、卯之町で「明治の婚礼」(ぼうやの会)があります。夕方6時過ぎから。天気が良いことを祈るばかり。

昨日は午前中は職場に出て、それから子供の参観日で小学校に行き、そして「だんだんつながろう会」。4月19日は八幡浜の春祭りなのだが、結局行けずじまい。それだけが残念。(「八幡浜市長選挙行ったか~?」とメールしてくる友人!私は今、八幡浜市内に居住していないので、投票権が無いのだ!)

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八幡浜笑人

2009年04月19日 | 日々雑記

新刊紹介。『八幡浜笑人vol.01』。八幡浜で活躍する人たち26人を紹介した情報誌。編集・発行はYGP(八幡浜元気プロジェクト)とA★KIND(八幡浜高校商業研究部)の有志「八幡浜笑人制作委員会」。37頁。価格は100円。フリーペーパーではない。八幡浜市内の書店でも販売しています。

何せ、編集した面々が若い!20歳代のパワーが八幡浜を活性化していることに、頼もしさを感じている日々。自分がもう若くはないんだ・・・と思う瞬間もあるが、YGPの活動ぶりから、エネルギーもらっています。

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愛媛県の不思議事典

2009年04月18日 | 日々雑記

新刊紹介です。新人物往来社から『愛媛県の不思議事典』が刊行されました。内田九州男・武智利博・寺内 浩編、2009年3月発行。220ページ。3150円です。愛媛の歴史・産業・民俗・文学などをわかりやすく紹介しています。愛媛県内の書店にも並んでいます。


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上甲米太郎

2009年04月13日 | 地域史
昨日(4月11日付)の愛媛新聞の文化面のコラム「四季録」に、澄田恭一先生が上甲米太郎の事跡を紹介していました。上甲米太郎は、植民地時代の朝鮮で教師をしていましたが、植民地教育に疑問を感じ、現地の朝鮮語で授業を行ったり、当時の朝鮮の生活の現状を目の当たりにして、社会運動に取り組み、果ては治安維持法、レッドパージで教職は追われるものの、福岡の炭鉱で社会運動に取り組んだ人物。八幡浜市の出身。

最近、上甲米太郎の事跡も陽の目があたるようになってきました。もともとは、大牟田での近現代史研究の実績のある新藤東洋男氏が取り上げ、地元八幡浜・大洲の澄田恭一先生や山村好克先生が上甲米太郎のことを調査研究し、地元に紹介したことが基礎となっています。

その後、米太郎の娘で青年劇場の俳優である上甲まち子さんが八幡浜に来訪したり、大学の先生が上甲米太郎について資料紹介や論文を書いたりと、だんだんメジャーになってきています。インターネットで検索するといろんな情報がヒットします。

地元、八幡浜でもご存知ない方、四季録を読んでみてください。また、インターネットで「上甲米太郎」を検索してみてください。


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