愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

宇和島闘牛2

2008年07月25日 | 祭りと芸能
曳龍號の顔のアップです。今回の闘牛大会の楽しみの一つは、チャンピオンの「桜内号」とチャレンジャー「突撃GOGO!!」の対戦。この取り組みは「突撃GOGO!!」が速攻で勝利。会場もどよめくほどでした。ちなみに次回の闘牛大会は、8月14日。

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宇和島闘牛1

2008年07月25日 | 祭りと芸能
7月24日に宇和島市営闘牛場に行く。この幟、横綱級の牛「曳龍號」のもの。実は、曳龍號の牛主さんのご好意で、幟を持たせてもらったり、果ては、土俵入りの際に、これまでの勝旗を持って土俵に曳龍號と一緒に入場させていただいた。それぞれの牛の対戦も去ることながら、今回は、曳龍號とのふれあい第一でした。

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東祖谷山村の落合

2008年07月25日 | 民俗その他
東祖谷山村の落合に到着。この写真は落合の向かいにある中上集落から撮影したもの。落合は、平成17年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、地元では保存会も結成され、集落保全の活動が進みつつある。今回は、保存会の会長さん宅にお邪魔させていただき、お話をうかがったり、落合を案内していただきました。

落合の集落は、一番高い民家から一番低い民家までの高低差は250メートルもあるという。この高低差で一集落を成しているのは驚きだった。愛媛のいろんな集落と比較を頭の中でしてみたが、これほどまでの高低差はないのではないか。

民家の構造も興味深かった。前便所に、ヒシャギ竹、そして屋敷の間取りなど、祖谷地方の特徴が随所に見られて、民家の変遷・歴史を整理する上でも非常に参考になった。ちなみに保存会長さんのご自宅は安永9年に建っている。棟札も拝見させていただきました。

なお、東祖谷山村の集落や民家については、『阿波学会紀要』第53号(総合学術調査報告 三好市旧東祖谷山村 2007年3月発行)に収録されている「三好市『旧東祖谷山村』の民家」に詳しい。この報告を執筆した建築士さんとは、なんと落合の「そば道場」で昼食にそばを食べていたら、偶然ばったり対面することができた。落合の明治34年建築の民家修復で現地に来られていたのだ。偶然とは恐ろしい。そしてありがたい。



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祖谷の蔓橋2

2008年07月25日 | 民俗その他
蔓のアップ。この蔓橋、場所は西祖谷山村善徳。東祖谷山村も含めて、現在は合併して三好市となっている。三好市は面積では四国で一番広い。実際、徳島自動車道の井川池田ICを降りてから、祖谷まで1時間近くかかる。

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祖谷の蔓橋1

2008年07月25日 | 民俗その他
7月22日に徳島県の東祖谷山村に行く。目的は、平成17年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された落合地区に行って、地元の方々のお話を聞くこと。

その東祖谷山村に向かう途中に、祖谷の蔓橋があった。折角なので、渡ってみた。案内看板のよると、昭和30年には国の重要民俗資料となっており、その指定を機に「しらくちかずら」を材として現在まで保存に取り組んでいるとのこと。長さ約45メートル、幅1.5メートル、水面からの高さは橋の中央で約14メートル。

何気なく、渡り始めたが、すぐに後悔。高すぎるは、揺れるは、足元は踏み外しそうで怖いは・・・。高所恐怖症ではない自分ですが、渡り終わるまで終始、手足が震えていました。

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狩浜の棚田7

2008年07月20日 | 生産生業
マッコロバシの大石垣の上は、平らになっていて、上から水も流れ込んでいる。この棚田・石垣については、狩江公民館の中村さんや地元の沖村さんが詳しく調べているので、調査結果や石垣の年代等については、公民館からの公式発表?があるかも。

というわけで、狩江公民館をはじめ、狩浜のみなさん、今回は、お世話になりました。散策というより、真夏の探検のようで、参加された20名以上の方々、お疲れ様でした。

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狩浜の棚田6

2008年07月20日 | 生産生業
ついにマッコロバシの最大の目玉の石垣。これは9メートル近くある。棚田の石垣としては、唐津市になった蕨野の棚田が日本一の高さで、8.5メートル。正確な高さを測るため、今回、地元狩浜の方々がロープを上から下まで降ろして、計測。この棚田は現在は使われていないが、石崩れは見られない。(ちなみに日本一の高さの石垣を持つ蕨野は、重要文化的景観にも選定されている。)

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狩浜の棚田5

2008年07月20日 | 生産生業
ヒヤマの狼煙台を見学して、いったん山を降りる。そこからマッコロバシへ向かう。その途中、25枚程度の棚田跡があり、脇には水路も通っている。棚田跡は、孟宗竹で覆われているが、棚田ではなかった場所は雑木林。昭和40年代まで棚田として使われていたようだが、その後、放置され、竹林へと変化したようだ。ただ、石垣はきれいに残っている。

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狩浜の棚田4

2008年07月20日 | 生産生業
狩浜のマッコロバシの棚田跡に行く前に、ヒヤマの狼煙台まで登る。車を降りて歩くこと約30分。狩浜から高山大早津にかかるヒヤマの山頂部にようやく到着してみれば、石積みが残っていて、狼煙台の跡だという。明浜には、他に大崎鼻にも狼煙台が残っている。佐田岬も眺めることのでき、さらには九州佐賀関の工場の煙突も見えるという山頂部だが、現在は木々が生い茂っていて、眺望はできない。ただ、石積みはきれいに残っている。ヒヤマの地名の由来も狼煙の「火」からきたのだろう。

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狩浜の棚田3

2008年07月20日 | 生産生業
これは棚田ではない。狩浜の段々畑を拡大したもの。棚田には上方に水源があることが絶対条件だが、昔は芋・麦、今は蜜柑の段々畑は、必ずしも近くに水源はなくても開墾されている。

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狩浜の棚田2

2008年07月20日 | 生産生業
狩浜の集落写真。周囲は柑橘畑。昔は、芋・麦・桑畑の段々畑だった。石垣が白いのは石灰岩が地元で採れるため。白い石灰岩の石垣と、それ以外の色の石垣が混ざっていて面白い。なお、マッコロバシの棚田はこの写真を撮った場所より、標高はもっと上。

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狩浜の棚田1

2008年07月20日 | 生産生業
今日、7月20日は、朝8時から狩江公民館の行事で、ヒヤマにある狼煙台と、マッコロバシという場所の、昔の棚田跡を散策(というより探検?)する行事に参加。車で中腹まで行って降りたところからマッコロバシ付近を撮った写真。竹薮になっているところあたりがマッコロバシ。

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あげいしさん2

2008年07月20日 | 信仰・宗教
四国霊場43番札所の明石寺。本堂と大師堂の間に小さな池がある。おそらく防火目的で作られた池であろうが、そこに咲いていた蓮の花。

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あげいしさん1

2008年07月20日 | 信仰・宗教
43番札所の明石寺に行った際に、享保4(1719)年の手水鉢を見かけた。手水鉢で、この年代はあまり見たことがない。

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八幡浜ちゃんぽん

2008年07月20日 | 八幡浜民俗誌
宇和のスーパーで買い物をしていたら、見慣れない「八幡浜ちゃんぽん」が商品化されていた。製造場所を見れば、八幡浜市外。しかも中予地方。これなら、「八幡浜ちゃんぽん」ではなくて、八幡浜風ちゃんぽん?

八幡浜ちゃんぽんもメジャーになってきたかな~と思いつつ、本場を重視せないけん。

というわけで、この写真は、本場、八幡浜・新町のロンドンの店舗の宣伝幕を載せようと思った次第。

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