愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

事起こし

2009年10月28日 | 口頭伝承
先日、夜中に町内の飲み屋さんで静かに飲んでいて、店内にいた見知らぬ元気な(酔った?)おばちゃんに言われた台詞「兄ちゃん、ずんだまりのことおこしやな~」。

いやいや、静かに飲んでいただけで、事は起こしていません。

祭りの最後 神霊(みたま)を遷す

2009年10月24日 | 祭りと芸能
今日も夕方は保内秋祭りに馳せ参じる。昼には愛南町の生涯学習講座で祭りの話をして、それが終わって、一目散に保内に向かって車を走らせた。御旅所での様子をゆっくり見るため。何とか夕方に到着して見ることができた。

保内町の三嶋神社の祭礼は、夕方、雨井にある御旅所でそれぞれのお練りが集合して賑やかになる。19時半までそれぞれのお練りが御旅所に入り、最後、雨井の四ツ太鼓が入ると神輿が神社に帰えっていく。

お練りはそのまま各地区にゆっくりと戻っていくが、三体の神輿は20時過ぎに神社に到着し、そのまま神霊(みたま)を遷す神事が行われ、無事、祭りが終了となる。写真は、その神事が行われる頃に撮ったもの。祭りの最後の神事であるが、参列するのは神社の役員、関係者が中心で静かに行われる。

御旅所での喧騒とは打って変わって、神社での静かで、おごそかな祭りの最後の儀式である。

保内秋祭りの牛鬼

2009年10月24日 | 祭りと芸能
23日は午後、2時間ばかり休みをとって釜倉のコスモスを見に行く。そして急ぎ、保内へ向かう。23日と24日は秋祭りだ。

保内町の三嶋神社祭礼は、平成19年から10月23日に近い土曜日に行われている。前日金曜日(今年は23日)は宵祭り。宵祭りでは本祭りに出るお練りがそれぞれの地区内をまわる。この写真は、宵祭りで赤網代を練り歩く牛鬼。祭りではその他に御船、御車(人形屋台)、五ツ鹿、唐獅子、四ツ太鼓が出る。南予地方の祭礼の特徴・要素をほとんど兼ね備えた賑やかな祭り。


棚田のコスモス

2009年10月23日 | 日々雑記
八幡浜市釜倉にある棚田ではコスモスが満開。地元の活性化をめざして、数年前から8月下旬の稲刈りの後、地区を挙げてコスモスの種をまき、この時期にコスモス祭りを開催している。臨時の駐車場も設けられています。ちょうど今、見学するにはいい時期。

はげちゃびん

2009年10月21日 | 口頭伝承
秋は抜け毛の季節。かく言う私も、長年連れ添った頭髪たちが、徐々に別れを告げて去っていく。抜け毛を実感する今日このごろ。嗚呼、20年前が懐かしい。

そんな話を家族としていたら「まだ、はげちゃびんやないけん大丈夫!」と、なぐさめにもならない一言。「まだ」ということは、いずれ私は「はげちゃびん」ということではないか!

そもそも「はげ(禿)」は、「剥げる」が名詞化したもの。調べてみたら中世の辞書である文明本「節用集」に「ハゲ 無髪也」と、バッチリ、簡潔な説明がある。

じゃあ「はげちゃびん」は?というと、漢字で書くと「禿茶瓶」。頭が茶瓶のような形だからという理由だろう。この言葉は、私が幼き頃にやっていたアニメ「ハクション大魔王」の台詞から流行したものだと思っていたら、そうではないようだ。

江戸時代後期に喜田川守貞が著した大百科事典「守貞漫稿」にしっかりと紹介されている。「老父の頭の赤く禿たるを、江戸にてやかんあたま、京坂にては、はげちゃびんなど云り」

つまり「はげちゃびん」は、京都や大阪方面の言い方で、江戸では「やかんあたま」と言っていたようだ。

「やかん」よりは「ちゃびん」と呼ばれる方がまだましなような気はするが、今まだ生きながらえている私の頭髪たちが抜け去っていかないように祈るのみ。ハクション大魔王が実在するならば、この願いをかなえてほしいと思うばかり。

秋祭り 唐獅子

2009年10月19日 | 祭りと芸能
たった今、撮影した八幡浜市五反田の唐獅子。夜9時まで1軒1軒、廻っていく。太鼓を叩く子ども達も、獅子を舞う青年達も疲労困憊だろうが、それを表に出すこともなく、最後まで舞い続ける。通りには祭りの高揚感が漂ってくる。

さあ、唐獅子は終わった。本格的な秋の到来だ。

三浦天満神社祭礼

2009年10月19日 | 祭りと芸能
今日は休日。実家・八幡浜の秋祭りなので、ゆっくり祭り見学しようと思っていたのだが、朝、ふと思い立って、八幡浜と同じ祭礼日である宇和島市三浦に急遽、祭りを見に行った。この三浦の天満神社の祭礼は、毎年10月19日に行われ、平成12年には県の無形民俗文化財に指定されている。鉄砲・弓・相撲練り・鹿踊り・荒獅子・桃太郎・大江山・よいやさ(四ツ太鼓)・牛鬼、というように数多くのお練りを見ることができる祭りで、八幡浜の祭りは夕方から行くこととして、昼から慌てて宇和島に向かった。三浦の祭礼を見るのは2回目。約10年ぶり。前回はフィルムカメラのみで、ビデオでの撮影はしていなかった。県指定となってから、毎年、ビデオ撮影せねばと思いつつ、祭礼日が同じ八幡浜を優先させて、行っていなかった。御旅所のところだけの撮影で、この祭礼の全体を映したわけではないが、積年の課題?を少しは片付けることができた。

今、17時半。これから八幡浜に唐獅子を見るため出発。

三浦天満神社祭礼

2009年10月19日 | 日々雑記
宇和島市三浦の天満神社の祭礼は、毎年10月19日に行われる。平成12年には県の無形民俗文化財に指定されている。

お練りの順番は次のとおり。

一番 お鉄砲天満
二番 お弓豊浦賀
三番 相撲練り 大内
四番 鹿踊り 船隠
五番 荒獅子 豊浦
六番 桃太郎 尾崎
七番 大江山 安米
八番
九番 よいやさ 船隠
十番 牛鬼・神輿 天満

民俗学における漢字と片仮名表記

2009年10月13日 | 民俗その他
「日本の草や木の名は一切カナで書けばそれでなんら差し支えなく、今日ではそうすることがかえって合理的でかつ便利でかつ時勢にも適している。マツはマツ、スギはスギ、サクラはサクラ、イネはイネ、ムギはムギ、ダイコンはダイコン、カブはカブ、ナスはナス、ネギはネギ、キビはキビ、ジャガイモはジャガイモ、キャベツはキャベツ等々でよろしい。なにも松、杉、桜、稲、麦、馬鈴薯、甘藍などと面倒臭くわざわざ漢字を使って書く必要はない。元来漢字で書いたものはいわゆる漢名が多く、漢名は中国の名だから、こんな他国の字を用いて我国の植物を書く必要は認めない。ゆえに従来の習慣のように漢字を用うるなはもはや時世後れである。」

これは、植物学者・牧野富太郎『植物一日一題』(ちくま文庫、140頁)からの引用である。昭和20年代、牧野の晩年に記された文章であるが、片仮名表記といえば、民俗語彙にもあてはまる。柳田國男監修の『綜合日本民俗語彙』が刊行されたのは昭和30年。民俗語彙の片仮名表記について、柳田は、牧野のような激しい表現はしていないが『青年と学問』(『定本柳田國男集』第25巻)の中の「伝統と小学校教育」という項目(もとは、昭和2年2月の社会教育指導者講習会講演の内容である)で、「単なる漢字の一又は二を以て、代用せられない古くからの内容が感じられる」と述べている。

※なお、ここでの主語は「民俗語彙」ではなく「地方口碑」。また民俗語彙の片仮名表記については、石垣悟「民俗を表記する-民俗語彙、標準名称、そして差別用語をめぐって-」(『日本民俗学』256号、2008年)に詳しい。

漢字では代用されない地方口碑。柳田は、その主意を「伝統と小学校教育」の中で次のように表現している。

「私などのいふ地方口碑は、単に直接に過去の事実を語り伝へるに止まらず、尚之に伴うて色々の古い思想と感情とを運ぼうとした」、「完全に学校で仕込まれた少青年以外の者は、さういふ古風の語を自在に使ひ、土地に生れた者ばかり辛うじて其心持ちを会得するといふ状態である。親々の代からの村の社会倫理や芸術観で、言葉以外には何等の記録も無く、斯うして幽かに伝はり将に亡びんとして居るものは非常に多い。」(『定本柳田國男集』第25巻、195頁)

「地方口碑」や「古風の語」は漢字で表記すれば、親の代からの古い思想・感情、村社会の倫理・芸術観が伝わらない。これは漢字では代用できない。これが柳田の主張である。

メオイの民俗

2009年10月12日 | 人生儀礼
メオイという言葉がある。金品を持ち寄って飲食をすることで、中国、四国地方の方言でもある。この言葉に注目したのは、森正史先生である。森先生は、『北条市の人文・自然』の中で「めおい」だけで1項目割いて、解説をしている。「村の若者たちの娯楽として、農作業が一段落ついたあととか、雨天で仕事を休んだりしたときは『雨祝い』と言ったりして、めいめいが米を出し合って五目飯を炊いたりして会食をしたのをメオイといった。」

ヤマガラ

2009年10月12日 | 自然と文化
先日、西予市野村町の予子林で撮ったヤマガラの写真。これは野鳥ではあるが、比較的、人になつきやすく、古来、飼い鳥ともされている。鎌倉時代の経尊著の語源辞書でもある『名語記』には「鳥のやまがら、如何。山に住めば山歟、からは、かるらやの反。小鳥はおおかれども、しとやかなるもあるに、これは軽々にはたらけば、山かるを山からといへる歟」とある。つまり、山に住んで軽々と動くことが語源という。一般的にはヤマガラは山雀と表記する。四十雀も「シジュウガラ」。「雀」を「カラ」もしくは「ガラ」と読むのは当て字であるが、軽々動くのは「雀」の特徴といえば、納得もいかなくはない。ただし、日本国語大辞典を見ても、カラ・ガラで鳥・雀を意味する言葉は紹介されていない。この語源説、少しだけ疑問は残る。

濱知の会 松村正恒さん

2009年10月11日 | 日々雑記
濱知の会のお知らせです。

八幡浜市の日土小学校校舎の設計で知られる松村正恒さん。
八幡浜で活躍した日本を代表する建築家です。
江戸岡小学校・神山小学校などの学校建築をはじめ、
数多くの松村作品の魅力をスライド上映でわかりやすく解説。
(参加申込は不要・無料)

日時  平成21年10月16日(金)19:00~21:00
題名  「建築家・松村正恒さんの作品群の魅力」
話者  岡崎直司さん
会場  八幡浜市福祉文化センター視聴覚室
    (八幡浜市広瀬2-1-13)

里芋の収穫

2009年10月11日 | 自然と文化
本日、家で里芋を1株だけ収穫。全部で8株植えているが、1株掘っただけでも、充分な収穫量だったので、満足。それを早速、汁物に入れて食べてみたが、粘り気が多くて、餅を食べているような感覚。

日本各地にいわゆる「餅なし正月」で里芋が儀礼食になっているが、この食感から、餅の代替として里芋が選択されたのは、よくわかる。単に、儀礼食の餅以前の時代に里芋があって、「餅なし正月」が即、「稲作以前の文化」と解釈するのはやはり難しい。実際、愛媛の「餅なし正月」でも、正月には餅は食べないが、正月終わりには食べるという事例も多く、餅を全く受け付けないわけではない。

10月中には収穫を終えるつもりだが、しばらくは、里芋三昧。

ちなみに、里芋のことを、私はずっと「コイモ」と呼んでいた。


かわうそ被害 捕獲か保護か?

2009年10月09日 | 自然と文化
昔とったメモを整理していたら、昭和41年の八幡浜市大島でのかわうそ事件の走り書きがでてきた。昭和41年春ごろからかわうそが生け簀を荒らして仕方なく、タイなどの魚の被害がひどくなったという。食い荒らし方から、犯人はかわうそと判断できたわけだが、当時、既に天然記念物に指定されているかわうそ。大島はかわうそ保護区とされていたので、捕獲することもできない。そこで、市や県の教育委員会まで、捕獲しても良いかという相談に行ったという。そもそも昭和30年代後半には、天然記念物指定には反対との声も多かったらしい。そこで、文化庁にも見解を求めたらしいが、そこで出た判断。それは、捕獲しても良いが、保護を前提とし、生け捕って、動物園に送ること。このような話があったとのこと。保護か、生活優先か。天然記念物指定にあたっての、かわうそに関するこの種の話は御荘でもあったようで、聞き取りではこの頃の話は、いろんな方が鮮明に覚えていて、話を聞きやすい。それだけシリアスな事件だったのだろう。

亥の子唄

2009年10月05日 | 年中行事
昨日、亥の子についての話を宇和で行ったわけだが、講座終了後、参加者と地区ごとに違う亥の子唄の話題で盛り上がった。宇和町卯之町や鬼窪の亥の子唄では、数え歌が中心。宇和では、宇和町文化協会が冊子『宇和の亥の子唄』を平成12年にまとめている。それを参考に一部、紹介する。

<卯之町>
祝いましょう 祝いましょう
お大黒様は
一に俵ふんまえて
二でにっこり笑うて
三で酒造って
四つ世の中良いように
五ついつものごとくに
六つ無病息災に
七つ何事ないように
八つ屋敷を建て広げ
九つ小倉をつき建てて
十でとうとうおさまった
ヨイヨイ ヨイヤサー

この数え歌は、多少の違いはあれ、ほとんどの地区で唄われている。

その次に多く聞くことのできるのが「うぐいす」。宇和や八幡浜ではよく聞く。

<うぐいす>
うぐいすは うぐいすは
初めて都に上るとき
一夜の宿を借りかねて
下へくだれば柳の木
上へのぼれば梅の木よ
梅の木小枝に昼寝して
春さく花を夢に見た

珍しいのが「亥の子の由来」を唄ったもの。

例えば加茂地区では、

亥の子の由来を申すなら
頼朝公の全称を らいちょうぼう(頼朝坊)と申します
らいちょうぼうという人が
日本開国なされて
富士山の御山の
富士山のお山の巻狩りに
お出かけなされたその時に
背中に小松の生えた猪
大岩みじんにかみくだき
おん腹立ち限りない
その村百姓が
乱れた大岩とりたてて
一礼いうて引きわかれ
その時坊さんも百姓も
一度病死なされて
お生まれ変わりの そのお名を
頼朝公と申します
頼朝公の御家来を仁田四郎と申します
仁田の四郎という人が
富士山の御山の
富士山御山の巻狩り
主なる猪追い出して
一と刀にさし殺し
おん喜びは限りない
お帰りあっての その夜から
お屋敷ないちを もちかえす
昼は亥の子に つきかため
あっぱれ不思議と思います
富士山の御山の
富士山御山の巻狩りに
主をとったる その罰に
日本国中 下々へ申しつけ
十月の 十月の
亥の日祭りて つくなれば
おだやかなろうと思います
仰せに 下々
かりこまり かしこまる
えーい えーい えいやなん

以上のように、富士の巻狩りの話が出てくる。この類例は、宇和町内でも田苗、清沢、明石、明間にもある。

他にも「三番叟」、「白ねずみ」、「めでたきや」、「一が谷」、「白鷺」などがある。

ただ、現在は、数え歌のみ唄っていることが多い。以前は、1ヶ月前もしくは1週間前から集まって唄の練習をしていたというが、今は、当日集合の場合がほとんど。

また亥の子の時期に近くなったときに、他の亥の子唄の歌詞も紹介します。