愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

赤ん坊からの神社散策

2009年11月30日 | 日々雑記
今日は、保内の三島神社で母と乳幼児対象の自然観察会・交流会「おさんぽ自然感察会」があった。数日前に地元新聞にも募集案内が出ていて、陣中見舞いと思い、馳せ参じてみた。20名を超えるお母さん方と乳幼児。案内人は水本孝志さん。鎮守の森が豊かな三島神社。その中で子供たちは、自然に触れる、見る、聞く、匂うを感じる体験をする。いい試みだな~と感服。神社の持つ子育ての素材って、いろいろあるんだな~と改めて思いました。赤ん坊からお年寄りまで、神社は地域の結集の原点だと思います。

ちなみに、三島神社のブログはこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/hoini_ikoka/MYBLOG/yblog.html

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身体の時計‐多元的四季論‐

2009年11月28日 | 民俗その他
晩秋に紅葉を見て「秋を感じる」ことは、受動的な四季の感じ方ではないかと思う。この時期、例えば生産者は玉葱を植え付けしたり、花の好きな者はチューリップの球根を植えたりする。晩秋、11月。これから冬がやってくる。しかし、これら人間の身体には、数ヵ月後に訪れるであろう春を意識できる時計が宿っており、それが働いている。収穫や開花のイメージが明確なのだ。ここから私は、身体には、多元的な四季が存在するのではないかと推察する。外的なもの、つまりその同時期・同時間の自然から受けたり、感じたりすることにより季節を認識すること。梅が咲いたことで春の訪れを感じ、桜をめでて春を実感し、新緑の山々を見て春から初夏への移行を知る。単純化すれば、気温が上がれば夏を知り、寒くなれば秋、冬を知る。どれも外的要因によって「四季」という時計を、身体で確認する「現象」である。しかし四季の中で農業や漁業などに関わる「生産する人間」の身体には、もう一つの四季を認識する時計が存在する。今の時期であれば、春を予見しての晩秋の農作業。作業中、頭の中には、収穫や開花といった春のイメージがすでに浮かび上がっている。冬に向かう時期であるはずなのに、生産者の脳の中、心の中には、既に春の暖かさが予見され、存在している。これが身体の時計にある、外的・受動的なものと、生産者が持ちあわせる内的・主体的ものという多元的な時間である。考えてみれば、暦の「新年」・「正月」は受動的な四季の感じ方とは少し異なる。寒さが過ぎ去って温かくなってから新年が訪れるわけではない。旧暦では2月上旬の節分頃が正月となるが、いまだ寒い時期だ。受動的な身体時計であれば、新年は3~4月が適当ではないか。年始の挨拶に「新春のお慶び」を申し上げるにも、特に新暦の正月(今の1月1日)は、大寒も迎えていない時期であって、どこに「春」が存在するのか。受動的季節感とは甚だズレが激しい。寒い中、なぜ「新春のお慶び」なのか。でも、その疑問は受動的季節感しか持ち合わせない人間の感覚ではないか。もともと暦は、四季の中で「生産する人間」により形づくられたものであるが、現代の生産をしなくなった人間、極言すれば「消費する人間」は、かつて身体の中に宿っていたもう一つの四季が忘却されてしまっているのではないか。その忘却ゆえに、外的な自然を見ることで、受動的に四季を認識できる。その「現象」のみになってしまい、これを「春夏秋冬、日本の四季」と高らかに言い張ることが通常の「季節感」と呼ばれるものになってしまっている。これを突き詰めていくと、結局、自然も四季も「消費」の対象・範疇に入っているのではないかと危惧してしまう。身体の中で忘却された主体的な季節を感じる力。ここから人間と自然との関係や、生産と消費という社会関係もいろいろと見えてくるものがあるのではないか。本日11月28日、松山から帰る途中、車窓から晩秋の紅葉を眺めていて、「綺麗だ」と思う気持ちと裏腹に、自然をめでる自分がいかに現代的であるかを直視させられて、心の中は少しだけブルーになった。


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高文祭(愛媛県高等学校総合文化祭)郷土芸能部門

2009年11月22日 | 祭りと芸能
本日は高文祭(第23回愛媛県高等学校総合文化祭)。ひめぎんホールで郷土芸能部門の発表会があったので会場へと向かう。昨日の鳥取の疲れが抜けず、やはり無理な遠出はするものではないと、改めて悟る。

今日は、日々練習を積み重ねてきた郷土芸能部門の参加高校をじっくりと見なければいけないが、高校生が郷土芸能に打ち込んでいる姿を見ると、疲れはすぐに吹き飛んだ。

今年の参加高校は8校。これまでの高文祭で一番多い。①川之江高校郷土研究部「二洲(じしゅう)太鼓」、②東温高校郷土国際研究部「櫟(くぬぎ)獅子」、③伯方高校郷土芸能部位「渦潮太鼓・天狗太鼓」、④松山聖陵高校郷土芸能愛好会「虎舞」、⑤今治西高校郷土芸能部「寿太鼓『春駒』」、⑥上浮穴高校郷土芸能愛好会「久万山五神太鼓」、⑦長浜高校郷土芸能部「伊予長浜豊年踊り」、⑧内子高校郷土芸能部「内子騒乱、彩、シン」、以上の発表があった。

発表を見ての簡単な感想。川之江高校は、2年ぶりの出場。今年から大太鼓が加わり迫力を増していた。部員数も増えており、1年生も多い。和太鼓としての成長の伸びしろが多く、来年が楽しみである。東温高校は地元の獅子舞を演じていた。力強い獅子の演技と小気味良い太鼓のリズム。少ない部員で2頭の獅子をよく演じきっていた。伯方高校の和太鼓。昨年より人数は減ったものの、全員の息が揃っており、太鼓の音も充分に出ていた。天狗役の演技・身体の動きも良く、5名という少人数ながら、見事な演技でレベルが高かった。来年はこのレベルを維持しつつ、部員が増えることを期待したい。松山聖陵高校の虎舞。昨年度からの出場。前回の初出場より確実に演技が上手になっていることに驚かされた。2頭の虎をバランスよく演じきり、太鼓、拍子木などの囃子も揃っていた。松山古三津の独特の民俗芸能であり、愛媛県内では1箇所。他には見られない芸能である。伸びしろはまだまだある。地元と連携しながらこの活動が継続できれば、将来、全国高文祭出場も夢ではないと感じた。今治西高校の寿太鼓「春駒」。今回の出場校では、和太鼓の心・技・体を体得し、自信を持って表現できていたのは今治西が一番だった。全員の息が揃っており、弱音部の表現が上手い。そのため「破」や「急」の迫力のある音が引き立っていた。何より太鼓を打ち込む身体の完成度の高さに感心させられた。発表が始まった瞬間、出演者の姿勢を見ただけで、日々練習を積み重ね、鍛え上げているのがわかるほどだった。今後、他の和太鼓出場校は、今年の今治西の演技を一つの模範にしてほしいと思った。何せ基礎がしっかりしており、このレベルに達しないことには全国は難しい。上浮穴高校の久万山五神太鼓。ダイバの面をつけての和太鼓。しかもダイバの恐ろしさを体で表現しなければいけない。これを充分にマスターするには太鼓も舞(仕草)も鍛え上げなければならず、五神太鼓は付け焼刃の練習では体得できない。難しい演目に挑戦しているだけに、練習を重ねるほど、成果は出てくる。来年以降も成長した姿を見てみたい。ほら貝も良かった。欲をいえば、もっと音が伸びるように練習してほしい。次に長浜高校。長浜といえば「豊年踊り」と言われるほど地元に密着し、有名な郷土芸能。三味線、唄い、太鼓、笛の囃子があり、3人が軽妙なテンポでユーモラスに演じていた。舞・唄・台詞など伝統芸能のいろんな要素が含まれており、それぞれをレベルアップしなければいけない。その中でよくまとまって発表ができていた。さいごにオープン参加の内子高校。今年8月の三重県での全国高文祭に出場した経験もあり、貫禄がみられる。学校・地域あげての取り組みは県内でも屈指の熱心さ。地元の指導者に教わりながら、イベント等に頻繁に出演して地域を元気にしている。地域に教わり、地域に還元し活性化する。この循環ができていることは素晴らしく、今後も続いていってほしい。

今年は、高文祭郷土芸能部門は出場校が8校。しかし、県内どの高校にも、必ず地元には何らかの郷土芸能がある。ただ、多くの郷土芸能は後継者育成で悩みを抱えている状況にある。今回出場した高校の郷土芸能は、地域を元気にすることに確実に寄与している。後継者育成だけでなく、高校生に郷土芸能という貴重な地域資源を深く学び、感じてもらう良い機会でもある。8高校だけでなく、来年以降、さらに出場校が増えていき、愛媛の郷土芸能が活性化することを切に願っている。

高文祭郷土芸能部門に参加した高校生の皆さん。お疲れ様でした。去年よりもレベルアップした発表を見て、日頃の大変な練習の姿も伝わってきました。来年の出場も期待しています。今年で部を引退する生徒さんは、卒業してからも郷土で学んだこと、芸能で体得したことを忘れることなく、地域を誇りに生きていき、そして後輩の練習・演技を見守ってあげてください。郷土芸能は継続・継承・伝承が大切です。卒業生の協力も今後の部の発展につながります。

参加した高校生、指導された教員、地元の方々、そして郷土芸能部門の開催を支えたスタッフの皆様、ご苦労様でした。

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高速道路1000円

2009年11月21日 | 日々雑記
今日は仕事が休み。鳥取県にて、年内には調査しておくべき所用があって、行かねばならぬ。土曜日なので高速道路が安い。というわけで、日帰りで行ってきた。

愛媛を朝3時に出発。鳥取到着8時。片道5時間。いくら高速が安いといっても、長時間の運転。流石に疲れはどっと出る。特に目が疲れた。

15時まで約半日、寺院を訪れて写真撮影したり、某記念館にお邪魔して、お話をうかがったり、当初の目的は無事達成。

その瞬間、帰路の5時間の運転が億劫になる。皆生温泉にでも入ってくつろごうと思ったが、温泉に入った瞬間、帰る気持ちが完全に失せるかもしれなかったので、心を鬼にして米子ICから高速へ。やはり帰らねばならぬ。明日は欠かせない仕事がある。

サービスエリアごとに休み休み、ゆっくりと帰ってきた。只今、愛媛に帰着。走行距離は往復800キロ。1日の運転距離としては長すぎた。疲労困ぱい。でも交通費が安くあがって、懸案の所用も無事完了。助かりました。

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松山門前まつり2

2009年11月03日 | 日々雑記
松山門前まつりで、もちまきを敢行。11時、13時半、14時半の3回行いました。もちまきの餅も人気でしたが、新米のもち米、約一升の1.5キロを袋で販売しましたが、大人気で、あっという間。午前中で売り切れ。もちつきの搗きたて餅も飛ぶように売れる。人を惹きつけてやまない「お餅パワー」に改めてビックリしました。

人は何故そんなにお餅が好きなのか?考え出したらきりが無いが、これは常々私が抱いている素朴な疑問。

ちなみに写真はもちまきの瞬間。手前にわらぐろの心棒。カラスが止まっている。これは作り物だが、確かに実際のわらぐろには、このようにカラスが止まりやすい。このカラスの作者の岡崎氏によると、これは「わらぐろ神輿」なので、神輿の鳳凰の代わりとか。このカラス、結構、人気ありました。

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松山門前まつり1

2009年11月03日 | 日々雑記
宇和わらぐろの会。本日、松山のロープウェー街で行われる門前まつりに出店。総勢18名での参加。宇和石城で収穫した新米(白米・もち米)、古代米(黒米)、わら細工(注連飾り・鶴亀の縁起物・亥の子の藁スボ)、収穫したばかりの「しょうが」、奈良漬を販売。それだけではない。臼・杵・蒸篭など調理道具一式を持っていって、その場でおにぎりを握って、もちつき。そして温かいうちに直売。わらぐろの会の上甲会長や岡本さん、石城のご婦人方の大活躍で、飛ぶように売れました。私ももちつきの手伝いを少しだけしましたが、なにせ、へっぴり腰で、売り物の餅の味が落ちてはいけない。体力のなさを実感し、販売に徹しました。また、上甲会長お手製の「わらぐろ神輿」を担いで、通りを練り歩きました。

「わらぐろ」を通しての稲・米・藁の農文化を都市部でアピールする。買っていただいたお客様には、わらぐろの会の活動などを記したペーパーを渡し、1日限りではありますが、この当初の目的は達成できていると実感しました。

ただ、自分の体力のなさや・・・。わらぐろ神輿・もちつきで肩や背中は、早くも筋肉痛。


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石城平野の朝焼け

2009年11月03日 | 日々雑記
今日、11月3日は松山門前まつり。毎年、宇和わらぐろの会でも出店しているので、私もお手伝いで参加。石城公民館に朝6時半集合。最近は朝霧が多い天候だが、昨日は強風に雨。今朝は今年一番の寒さ。朝霧はなく、朝焼けが少し気味悪いほどに輝いていた。公民館で荷物を積み込んで、さあ出発。

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