愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

福岡県苅田町 等覚寺の松会

2013年04月21日 | 祭りと芸能
日曜日は早朝、別府行きのフェリーに乗って九州へ。柱松見学の第二弾。福岡県苅田町の等覚寺松会を見てきました。八幡浜市の川名津柱松神事、そして岩国市行波の神舞、そして中四国各地の神楽を想起しながら見学しました。

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川名津柱松神事

2013年04月21日 | 祭りと芸能
柱松三昧の週末でした。土曜日は八幡浜市川名津の柱松神事。写真は柱松登り。去年は強風で柱松登りが行われなかったのですが、今年は寒いながらも無事行われました。愛媛県無形民俗文化財。

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民具から見た日本列島の歴史の可能性

2013年04月15日 | 日々雑記
愛媛県歴史文化博物館で近年刊行された2冊の資料目録があります。

『愛媛県出土木製品(弥生・古墳時代)』(平成23年3月刊行)

『愛媛県出土木製品(古代・中世)』(平成24年3月刊行)

タイトルのとおり、愛媛県教育委員会ならびに市町教育委員会所蔵の愛媛県内出土の木製品を目録化し、実測図を集成したもの。弥生時代から中世までの出土木製品を俯瞰できる冊子です。

この冊子を活用すると、農具、工具、容器、祭祀具など、現在に伝わる暮らしの道具と比較することが可能となります。

それは民具を通して日本列島の歴史を探る試みでもあります。

その出発点としてのこの目録の存在。

重宝しています。



目録の入手方法はこちら。

http://www.i-rekihaku.jp/friend/sale.html

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【予告】特別展「民具王国びっくりミステリーツアー」

2013年04月11日 | 日々雑記
4月23日(火)に民具展が開幕します。

ただいまその準備中。

ゴールデンウィークは昔の道具の謎を解け!

親子で愛媛県歴史文化博物館へGo!!


特別展「民具王国びっくりミステリーツアー」

会期 平成25年4月23日[火]~6月9日[日]
会場 愛媛県歴史文化博物館企画展示室


愛媛県歴史文化博物館では4月23日より特別展「民具王国びっくりミステリーツアー」を開催いたします。展示室を、民具がいきいきと活躍する架空の国「民具王国」に見立てて、昔の道具-民具-について、クイズ形式で「民具の謎」を解き明かしながら頭と体で学べる展示となっております。驚きに満ちた民具王国びっくりミステリーツアー。招待状を手に、王国へ足を踏み入れるか否かは、あなた次第です。






詳細はこちらのホームページをご覧ください。
http://www.i-rekihaku.jp/

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播磨国総社 三ツ山大祭2

2013年04月03日 | 祭りと芸能


姫路での一日(いや実質、半日でした。)の終わり。三ツ山と五種の神事を見る事ができました。天気も良く(北風が吹いて少々肌寒かったのですが)20年に一度の祭礼を実見できてほっと一安心しました。五種の神事が行われた姫路城三の丸ですが、数万人の人、人、人。人の多さに圧倒されました。そんな状況でも本日、民俗学関係の知人になんと5人も出会いました。東京、大阪2人、四国2人。すべて偶然、打ち合わせ、待ち合わせなし。びっくりすると同時に、今日は各方面から姫路に来られていることを実感しました。

先にアップした三ツ山大祭に関する興味、関心ですが、その多くは解決できないまま姫路を離れましたが、祭礼の様子は何とか把握できたので、これからまた少しずつアプローチしていこうと思っています。姫路から愛媛までの帰路もJR、行程は5時間(いま岡山県内です)。列車に揺れに揺られて本日中に帰着する予定。五種の神事で2時間半、同じ姿勢で立ちっぱなしで写真を撮っていたので足腰に披露が・・・。

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播磨国総社 三ツ山大祭

2013年04月03日 | 祭りと芸能


今日は平成25年4月3日。いま愛媛からJRで兵庫県姫路市に向かっている。播磨国総社〔射楯兵主(いたてひょうず)神社〕で20年に一度行われる三ツ山大祭を見るためである。20年に一度ということなので、次回は平成45年。西暦では2033年。次は私の気力、体力からすればもう行かないかもしれないし、生きていないかもしれない。次々回の2053年は確実にあの世だろう。今回を逃すと二度と見ないかもしれないという思いもあって、年度始めに職場からお休みをいただいて、早朝から姫路に向かって移動中である。

今日3日を選んだのは理由がある。三ツ山大祭は3月31日の宵宮にはじまり、4月7日まで行われる。今日が中日であり、午後2時から姫路城三の丸で五種の神事が行われ、造り山の「三ツ山」だけではなく、種々の祭礼の要素を実見できるのだ。(これが雨天だと4日に延期だった。何とか朝に雨があがってよかった。延期ということは私にとっては20年後いや永遠?を意味するので一安心だった。)

三ツ山大祭に興味がある理由はいくつかある。一つは、この祭りの起源伝承が愛媛県(伊予国)にも絡んでくる藤原純友と関係があることだ。平安時代10世紀に瀬戸内海で起きた藤原純友の乱を鎮定するために播磨国総社で臨時に行われた天神地祇祭がその始まりと伝えられる。史料的には実証は難しく、伝承の域を出ないが、播磨国総社が延喜式の式内社であることや、三ツ山大祭の諸要素のうち、造り山や一ツ物などは、播磨国総社では中世以降に見られるようになったが、畿内一円で眺めてみると平安時代に延源を求めることのできるものであり、藤原純友の時代と重なってくる。全くの荒唐無稽な伝承という扱いではなく、それなりの歴史性を踏まえて成立した伝承である可能性があり、注目している。

もう一つ注目するのは「山」である。山といえば本来自然の山を指すが、その山を模したのがこの三ツ山大祭の山である。自然の山はそれ自身がご神体になったり、神が住まうとされる聖なる場所である。いまでは一般的には神社の本殿に鎮座する神であるが、山を遥拝し、崇拝するのが日本人の古い信仰観であるという考え方がある。その自然の山を神社祭礼で模して人工的に造る「造り山」が平安時代から見られ、代表的なものに京都の祇園祭の「山鉾」がある。姫路の三ツ山は造って置く形の「置き山」である。祭礼の造り山をタイプ化すると、「置き山」の形式が古く、それは発達して曳いて動かす「曳山」になる。京都祇園祭の山鉾はこの「曳山」タイプである。これがまたかついで移動させるタイプの「かつぎ山」がある。これは姫路では屋台と呼ばれ、愛媛などでは太鼓台と呼ばれる布団太鼓などがある。これらのもともとの形式は「置き山」だったという考え方である。

しかし、肝心の「置き山」である三ツ山大祭に関する史料を見ると、そう簡単には説明ができない。室町時代の大永元(1521)年の祭記事が『惣社記事略』にあるが、それには「装山の車一基」とあって車の付いた曳山形式であった。その後、天正4(1576)年の『惣社集日記』に現在のような置き山形式になったことを示す記述がある。つまり「置き山」から「曳山」へという発展形態は、実際の祭礼史料からは証明が難しいのである。この矛盾が自分にとっては興味深く、また山、屋台(太鼓台、だんじり)となると四国では徳島宍喰に祇園系の山があり、新居浜市、四国中央市、西条市などに祭礼屋台の文化が根付いており、愛媛とその周辺の祭礼文化を考える一つの指標となりうる。これが三ツ山大祭に注目する理由である。

なお、実際の自然の山を三ツ山と称する祭礼が播磨にある。宍粟市一宮町の伊和神社「三つ山大祭」である。播磨国総社の「造り山」としての三ツ山と、伊和神社の自然の山の三つ山。この関係性、歴史性はどうなのか。気になるところである。

三ツ山は、二色山、五色山、小袖山のことであるが、大きさは18メートル、直径10メートルである。二色山は白と浅黄の色の布、五色山は青、黄、赤、白、紫の布が巻かれ、小袖山には寄付された小袖(着物)が飾り付けられる。前回の平成5年の時は880着の着物が集まったが、今回は2000着を越えているという。この小袖を飾り付ける文化は江戸時代的でもあり、おそらく中世には遡らないものだと思う。二色、五色山のデザインは中世以前でもありうるだろうが、小袖の出現自体が安土桃山時代以降であるから、比較的新しいものともいえる。しかし、なぜここまで小袖が集まるのだろうか。平成に入っての二回を比べても集まる着物の数が違う。この変化に興味を覚える。それは祭りの主催者の着物収集の努力の賜物なのか、着物を放出しても構わないと思う人が増えた(1、着物を飾ってほしいと思う人が増えた。2、特段、着物に愛着を持たない世代になって、家に眠る着物を手放すことに抵抗がなくなった。さてどちらなのか)などなど着物に対する意識の変化があったのだろうか。この現代性だけではなく、植木行宣先生が「小袖は形代であり、それを山に掛けることで穢れを払おうとした」(「三ツ山の特色」『BanCal』No.86,2013年冬号)と述べているように、京都祇園祭の山鉾のように疫神を鎮めて送る心意に似たものがあったのだろうかと知りたいのである。祭りとケガレ、着物とケガレ。これが植木先生のご指摘どおり確認できるのか興味がある。

あと三ツ山大祭で興味深いのは五種の神事である。競馬、一ツ物(鳥の羽を挿し市女笠を着ける女子。馬に乗る。)、神子渡り(千早と烏帽子を着け、手に鈴と檜扇を持つ女子)、弓鉾指(立烏帽子に素袍を着け、錦の袋に入れた大弓を持って徒歩で一周する)、流鏑馬。以上の五種類の神事がある。

また、今回は昭和28年以来の「造り物」が復活する。造り物は愛媛でも伊予市、中山町、内子町などに見られ、江戸時代後期以降に西日本の町(都市)の祭礼を賑わすものとして流行した。三ツ山大祭でも江戸時代18世紀半ば以降に、趣向を凝らした造り物の記録が見られる。今回は高校生(美術工芸部やデザイン科)の協力で「宮本武蔵の妖怪退治」や「播州皿屋敷」などのストーリー性のある造り物が登場していると聞く。それを実見できる楽しみがある。

さて、そろそろ姫路に近づいてきた。パソコンを閉じて、三ツ山大祭へいざ出陣。



【参考文献】
小栗栖健治「播磨国総社の三ツ山大祭と城下町・姫路」(『BanCal』No.86、2013年冬号、(公財)姫路市文化国際交流財団発行)
植木行宣「三ツ山の特色-ヤマ・ホコの変遷から」(『BanCal』No.86、2013年冬号、(公財)姫路市文化国際交流財団発行)
久下隆史「五種の神事-中世の祭礼芸能の継承-」(『BanCal』No.86、2013年冬号、(公財)姫路市文化国際交流財団発行)
西岡陽子「城下町の賑わい 総社臨時大祭の造り物」(『BanCal』No.86、2013年冬号、(公財)姫路市文化国際交流財団発行)
郡司正勝「山と雲」(『現代思想』10-9、1982年のち『風流の図像誌』1987年、三省堂発行)







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