愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

日本農業遺産「愛媛・南予の柑橘農業システム」

2023年12月09日 | 生産生業

愛媛県南予地方。宇和海沿岸部での柑橘栽培。リアス海岸の急傾斜地を切り拓いて作られた段々畑は、山の斜面に沿って麓から頂上まで続いています。この段々畑は、土羽ではなく石積み、石垣。「耕して天に至る」とも形容され、いわば「石を積んで天に至る」壮大な景観を形成しています。南予地方で発展してきたランドスケープは、長い歴史の中で、一人ひとりの生産者が、厳しい地形条件を克服してこの地で生き抜いていくために地道な努力によって作り上げられたもので、南予の人たちの誇りでもあり、世界的に見ても顕著な価値を有する農業遺産ということができます。

平地が極端に少なく、リアスの急傾斜地という特異な地形条件下での高いサステイナビリティ(持続可能性)を有する農業形態は、「愛媛・南予の柑橘農業システム」として「日本農業遺産」に認定されています。

日本農業遺産は、国内において重要かつ伝統的な農林水産業を営む地域(農林水産業システム)を農林水産大臣が認定する制度です。日本農業遺産は、社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、日本において重要な伝統的農林水産業を営む地域(農林水産業システム)のことで、農林水産大臣により認定される制度。令和5年段階で24地域が認定されています。日本農業遺産への認定基準は以下の8つとなっています。

1.食料及び生計の保障
地域コミュニティの食料及び生計の保障に貢献するものであること。

2.農業生物多様性
食料及び農林水産業にとって世界(我が国)において重要な生物多様性及び遺伝資源が豊富であること。

3.地域の伝統的な知識システム
「地域の貴重で伝統的な知識及び慣習」、「独創的な適応技術」及び「生物相、土地、水等の農林水産業を支える自然資源の管理システム」を維持していること。

4.文化、価値観及び社会組織
地域を特徴付ける文化的アイデンティティや土地のユニークさが認められ、資源管理や食料生産に関連した社会組織、価値観及び文化的慣習が存在すること。

5.ランドスケープ及びシースケープの特徴
長年にわたる人間と自然との相互作用によって発達するとともに、安定化し、緩やかに進化してきたランドスケープやシースケープを有すること。

6.変化に対するレジリエンス
自然災害や生態系の変化に対応して、農林水産業システムを保全し、次の世代に確実に継承していくために、自然災害等の環境の変化に対して高いレジリエンス(強靭性)を保持していること。

7.多様な主体の参画
地域住民のみならず、多様な主体の参画による自主的な取組を通じた地域の資源を管理する仕組みにより、独創的な農林水産業システムを次世代に継承していること。

8.6次産業化の推進
地域ぐるみの6次産業化等の推進により、地域を活性化させ、農林水産業システムの保全を図っていること。

日本農業遺産「愛媛・南予の柑橘農業システム」については平成31年2月に認定されました。農林水産省のHPでは以下の認定理由が掲載されています。

「急傾斜かつ複雑に入り組んだ海岸線に柑橘園地が広がり、壮大で独特な景観を成している。厳しい地形条件を克服するため、様々な工夫や特徴のある社会基盤、ストックが存在している。」

「全国トップクラスの生産量と日本一の品目数を誇る愛媛県の柑橘農業において、南予地域はその屋台骨を担う一大柑橘産地です。複雑に入り組んだ海岸線一帯に広がる、他に類を見ない急傾斜地に拓かれた柑橘園地は、壮大で独特な景観を形成しています。労働の負担を減らすために段々畑を作り、防風垣を設置することで海からの塩害リスクを軽減するほか、高い栽培技術や様々な品種の適地適作など、持続的に経営するための工夫やノウハウが存在しています。生産者が結束して主体的・戦略的な産地づくりを進める「共選」組織など、独特の社会基盤やストックが存在し、過酷な条件下での小規模家族経営による経営の継続と高い収益の確保を実現しているほか、次世代育成や労働力の確保、海外への技術支援や国際的な認証取得にも積極的に取り組んでおり、世界に誇る応用可能な農業システムとなっています。 」

南予、宇和海沿岸部の柑橘農業は、地元に住んでいると「当たり前」、「いつも見ている」もので、景観や農業システムが顕著な価値を有すると認識するのは難しい面もありますが、外部の視点、全国の視点、世界的視野で価値判断することも重要だと思っています。

そのため、自分もX(旧Twitter)等で、自分にとっては当たり前の景観を、いろいろ投稿しているところです。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泉貨紙講座

2023年03月08日 | 生産生業
【地域の文化遺産を活かした西日本豪雨からの復興プロジェクト】
西予市野村町。旧緒方酒造の酒蔵をリノベーションした会場「本家緒方蔵」にて、銘酒「緒方洪庵」第3弾の披露と、私司会進行の「地域の文化遺産を知る」講座。野村の伝統和紙「泉貨紙」を取り上げます。3/18(土)13時半〜。

野村の伝統和紙「泉貨紙」の製造技術や、建造物としての緒方酒造の酒蔵、そして酒文化を題材に、地域の文化遺産が個別、個人により継承されるだけではなく、被災地域の復興過程の中で、地域の共有の財産としての資源化、利活用の可能性を探ります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[参加者募集中】古代の塩づくり体験

2019年09月15日 | 生産生業
【参加者募集中】「古代の塩づくり―藻塩づくり体験―」10/.13 会場/西予市明浜町大早津海岸 集合場所/愛媛県歴史文化博物館

#藻塩 #塩づくり #古代 #製塩 #万葉集 #愛媛 #西予市 #歴史 #考古学 #民俗学 #瀬戸内海 #宇和海 #弥生時代 #奈良時代


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛媛県の焼畑を考える

2016年08月26日 | 生産生業


8/30午後に「焼畑映画上映会」を歴博で行います。

稲作と白米 vs. 焼畑と雑穀

「焼畑」の視点から愛媛をあらためて眺めてみる。これが結構新鮮だったり、見落としていたことに気づいたり。

愛媛県境に近い高知県椿山(つばやま)の焼畑や、宮崎県西米良(にしめら)などの焼畑映像。

愛媛県の映像はありませんが、愛媛の焼畑の概要説明はしようかと思います。

ちなみに愛媛県内では、四国中央市(新宮、富郷)、久万高原町(全域)、内子町(旧小田町)、西予市(野村町、城川町)が焼畑が盛んだったところ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩の上に小さな田んぼがある光景

2012年08月26日 | 生産生業
西予市城川町の窪野にあるちょっと珍しい田。

その名も、岩上田。

大きな岩の上に一枚の田んぼがある。

うちの子ども曰く、西予市で一番小さい田んぼなんちゃう?

ところが、ところが、岩の頂部に田があるので、

一見して、水源がないのがすぐわかる。

これ、どうしているのだろう?

管理されてる方が、常々、水を人力で補給しているのか?

それとも雨水だけ?

もしかして、岩の下から水が涌いている?

気になって、近づいてみた。

さすれば・・・




ホースで、水をひいていました。

なあんだ。ホースか。単純、単純。解決。解決。



と思った瞬間、周りを見渡しても動力は使っていない。

4メートル道路の向かい側が少し高くなっていて、

そこに水路がある。

そこからホースを引いているのだが、

これって・・・サイフォンの原理!!!



冷静に考えれば、なんてことはないのだけれど、

農業用水の確保において、

こんな具合にサイフォンの原理を使っている事例は多いのだろう。



そういえば、中国雲南省アールー族の地域の山全体が棚田って写真を以前、

国立歴史民俗博物館(といっても今は琵琶湖博物館長さん)の

篠原徹先生の講演で、スライド上映で見せてもらったけど、山の頂部も棚田だった。

篠原先生からは、さあこれはどうやって水を確保しているのだろう?と

問いかけだけで、答えは自身で考えてみて、と質問を投げかけられたが、

これも大掛かりなサイフォンの原理での水確保なのだろうと思う。



う~ん、奥が深いというか、何じゃ単純やんと思うか、

その双方の感情が交錯しているのだが、

まあ、岩上田。珍しいことに変わりはない。

だからここで紹介しておこう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛媛の棚田 写真展が開催されます!

2012年06月22日 | 生産生業
おすすめの展示会。


愛媛の棚田景観の写真展が来週28日から松山市で開催されます。



河野豊写真展 棚田探訪―写しだされた原風景―


期 日  2012年6月28日(木)~7月3日(火) 会期中無休

時 間  11:00~19:00(最終日は18:00まで)

会 場  ギャラリーリブ・アート 松山市湊町4-12-9メゾンM2ビル3F

入場料  無料



河野豊さんは1947年、愛媛県西予市野村町生まれ。棚田学会会員。ライフワークとして里山風景を撮り続けています。20年程前から棚田に魅せられて、各地で棚田写真展を開いています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛媛のパワーフルーツ「クリスマスオレンジ」構想

2011年05月15日 | 生産生業

八幡浜をはじめ、愛媛の柑橘農業の振興につながるのではないかと考えた私案です。これは平成23年2月に思いついて、それから八幡浜や宇和島など南予地方の地域づくりに尽力している方々に雑談で話していることです。(今現在、約7~8人ほどにこの話をしています。)

思いつきの発端は、数年前から毎年気になっている4月14日の「オレンジデー」。愛媛ではバレンタインデー、ホワイトデーの翌月14日はオレンジデーと設定し、細々と紹介されているが、このオレンジデーの致命的欠点は、この4月には柑橘は収穫の最終時期でほぼ種類が限られているということ。柑橘を贈答しようにも、一番の旬の時期は外れている。これはいただけない。この違和感をずっと感じていた。やはり旬の時期、つまり12月前後が適期だろう。かといって、12月14日をオレンジデーに変更するのも今となってはできない話。

もう一つの思いつきの発端。これは今年正月にはじめて気づいたことだが、海外に愛媛の柑橘の販路を広げられるかということを考えていたら、アメリカでは温州みかんのことを「SATSUMA」と呼ぶと知ったことである。明治時代、温州みかんが日本からアメリカに導入される際に薩摩(鹿児島県)が関係していたため、この名称が定着しているのだ。愛媛の温州みかんを世界で販路拡大を考えるのにサツマっていうのも違和感がある。そう思いながら、北米での温州みかんの状況をネットでさらに調べていた。すると、興味深い記事に出会った。カナダでは、クリスマスの時期に温州みかんが出回るが、これを「クリスマスオレンジ」といっている、という記事であった。

この「クリスマスオレンジ」の情報は自分にとって衝撃的だった。日本ではクリスマスオレンジなんて商品はないようだし、先に書いた旬の問題でいえば、クリスマスは温州みかんにとって、一番いい時期なのだ。

よく考えてみると、さほど旬ではないイチゴがクリスマスには大量に生産されるが、時期的には無理をしながらの生産である。クリスマスの果物イコールケーキのイチゴというイメージが強いが、なぜに柑橘がここに絡んでこなかったのか。不思議でたまらない。クリスマス時期には多くの家庭でみかんを食べているではないか。

この柑橘・温州みかんをクリスマスの中で価値付けて定着させることができないか?いやできるのではないか?その思いで、数日は寝ることもできないほど頭の中が「クリスマスオレンジ」のことでいっぱいになった。

そもそも、バレンタインデーのチョコレートや、節分の恵方巻など、昔ながらの伝統的に見える年中行事も、実は戦後、もしくはごく近年に定着した慣習である。当然、クリスマスケーキ(いちご付き)も近代以降の創出文化である。

ならば、八幡浜や南予・愛媛の特産品「みかん」を国民の年中行事に組み込むことはできないか模索した結果、クリスマスシーズンに柑橘を贈答すると縁起がいいという物語を流行らせるのがいいのではないかと考えるようになった。

その物語とは、こうである。

「一年で最も日照時間の短い冬至・クリスマス時期に、太陽の象徴である『みかん』を贈答しあうことで、活力が付与され、新たな一年に向かって進むエネルギーを得ることができる。」

オレンジ色は、太陽の色である。太陽のエネルギーの減退するクリスマスに、みかんをもらうと、縁起がいい。こう考えるのだ。現代風にいえば、まさにパワースポットならぬ、パワーフルーツである。

「サンタさんもトナカイと寒い雪の中、プレゼントを配ってまわるのだったら、暖色系のオレンジを持ってもらうと、少しは温かく感じてもらえるのではないかな?」

高価なプレゼントを贈答するという慣習も悪くはないが、もっと素朴に、バレンタインデーの義理チョコのように、家族、親族、友人、知人、同僚、恋人に旬の愛媛の温州みかんを互いに贈り合うのもすばらしいと思った。

みかんを段ボール箱でそのまま渡すのもいいが、おしゃれではない。たとえば、贈答しあうのは、温州みかん等の柑橘1個でもいい。その柑橘をラッピングしてもよし。皮にペイントしてもよし。メッセージを書くもよし。加工してスイーツとするもよし。(みかんケーキ等)。極端には愛媛の温州はその時期は旬で美味いのでそのままでもよし。そしてクリスマスカードを添えてもよし。

結局、クリスマスシーズン、イチゴだけが繁昌するのではなくて、みかんもいけるのではないかと考えた訳である。

このクリスマスオレンジ、流行するにはまずは若い人からがいい。例えばの話、八幡浜高校商業研究部にお願いして、校内・自宅で、「クリスマスオレンジ」運動をおこす。また、生産団体・販売業者にお願いして、11月頃から、温州みかん1個をラッピングしたおしゃれな「クリスマスオレンジ」サンプルを製作・販売する。

クリスマスオレンジの旗を、農水省関連の助成金をもらって、クリスマスオレンジ宣伝用のものを仕立てる。

そして、12月のクリスマス商戦ころに、松山、大阪、東京(新橋の愛媛アンテナショップ前)に行って、クリスマスオレンジを、配って、テレビ局に取材してもらうもよし。

いずれは、ローソンかファミリーマートで大々的に販売してもらう。節分の恵方巻のように。

チラシ、ホームページ、ツイッター、フェイスブック等で「クリスマスオレンジ」をもらうと、パワー注入!縁起がいい!という説明を流行らせる。

以上、パワースポットならぬ、パワーフルーツとして、クリスマスオレンジはいい案だ!と思って、南予各方面の関係者に雑談で話している。

もしこれが定着して、1人がみかん5個を配るとして、300万人がクリスマスオレンジを配るような国民行事になったとする。これで1500万個の消費につながるのだ。

12月のシーズンに、いちごのように価格が上昇し、安定すれば、みかん農家の安定収入にもつながる。

果ては、八幡浜・南予・愛媛が「クリスマスオレンジ」の聖地(メッカ)になれば、観光振興のために、12月に恋人のための「温州みかんツアー」だってできる。

日本で流行したら、北米ではクリスマス時期の温州は好まれるらしいので、海外販売も推進し、アジアでも台湾や香港も消費地としてはいいかも。

こうして、八幡浜・南予・愛媛発の「クリスマスオレンジ」運動が展開し、愛媛の柑橘産業の振興に寄与しましたとさ。

以上が私、大本の妄想的「クリスマスオレンジ」構想。私はこういった構想(妄想)をつづるのみで、実際にその事業展開には直接的には関与するつもりはない。(無責任、ご容赦!)

さて、賛同者がいましたら、ぜひ事業を展開してみませんか?

新しい特産品を創作しながら一から生み出すのではない。八幡浜・南予・愛媛にもともとある、そして一番の強みの柑橘を、すこし手を加えるだけで、全国、そして世界に勝負できる素材だということに気づくこと。これってまさに「汝足元を掘れ、そこに泉湧く」ですよね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬鈴薯とジャガイモ

2009年05月08日 | 生産生業
今日もわが家の畑のジャガイモの葉っぱは旺盛だ。収穫までは、あと1ヶ月ほどだと思うが、それが楽しみで仕方ない。先日、タマネギは収穫を完了。数日、日に当てて、昨日から日陰に干している。

ジャガイモのことを考えていたこともあり、書棚の牧野富太郎『植物一日一題』(ちくま学芸文庫)を手にする。そこに「馬鈴薯とジャガイモ」というエッセイがある。これが結構、強烈な文体で、中身も衝撃的。

牧野博士曰く、「ジャガイモに馬鈴薯の文字を用うるのは大変な間違いで、ジャガイモは断じて馬鈴薯そのものではないことは最も明白かつ確乎たる事実である。こんな間違った名を日常平気で使っているのはおろかな話で、これこそ日本文化の恥辱でなくてなんであろう。」

つまり、馬鈴薯とは中国の福建省の一地方の一植物の名であり、元来、ジャガタライモ(ジャカルタのイモ)と呼ばれ、アンデス原産、そして欧州を経て、東洋にもたらされたジャガイモは、決して「馬鈴薯」とは違うと、牧野博士は主張する。

牧野博士・・・そこまで言わなくても・・・と、正直思ってしまうが、この『植物一日一題』は、ジャガイモのみならず、紫陽花とアジサイ、藤とフジなど、日本の植物で用いられている呼び名が漢字で表記した場合の「誤り」を次々に指摘している。読んでいて、痛快でもあり、常識を喝破しているこの文体に少し面食らってしまう。そこが牧野富太郎の文章の魅力だ。

江戸時代の本草学は、中国から輸入された学問であり、ある種、日本の植物すべては中国にもあるものというように考えられた時期があったため、牧野博士は、それを克服し、わざわざ漢字で表記せず、一切カナで書けばよいと主張する。「自分の国で立派な名がありながら他人の国の字でそれを呼ぶとはまことに見下げた見識」だという。

その通りでございます・・・と、植物学の基礎を築いた牧野博士に頭をひれ伏しながら、もう一人、同時代に民俗学を築いた柳田國男を思い浮かべた。この二人、少し似ているかもしれない。

そしてもう一人、本居宣長。『うひ山ぶみ』などで「からごころ」・「やまとごころ」を主張した本居も想起せずにはいられない。(牧野富太郎も柳田國男も、本居の影響を強く受けていたことは間違いない。)

それでも、もう、この時代、ジャガイモは「馬鈴薯」でもいいんじゃないの?と、まだ思ってしまう。(こんなことでは、夢に牧野博士が出てきて、本当に喝破されるかもしれん・・・。)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蕨の季節

2009年04月29日 | 生産生業
先日、日曜日は家族で八幡浜の「歩け歩け大会」に参加。日頃、なまっている体を少しは鍛えるべく、王子の森公園から双岩のスポーツセンターまで完歩。スポーツセンターではマウンテンバイクの全国大会も開催されていて、間近でみる迫力に圧倒されました。スポセンでは多くの出店も出ていて、いろいろ眺めていたら、知人が出店していて、地元みかんの新加工品をいただきました。美味。結構な数をもらったので、帰宅前にそのまま職場に行って、みかん加工品の差し入れ。と思っていたら、わらぐろの会の会長さんが、その日の朝、宇和の某山中で、わらび取りに行ったと携帯に連絡あり。早速、私もわらび、いただきました。ありがとうございました。数年来、「いいわらびの採ることのできる隠れたポイントがある」らしく、「一緒に連れて行ってあげらい」と言われていたのですが、結局、お供できず、わらびだけいただくことに。昨晩、重曹であく抜きして、おいしくいただきました。

わらびは、古代から「わらび」と呼ばれていました。正倉院文書の天平宝字8年3月18日に「吉祥悔過所銭用帳」(大日本古文書16)に「卅六文和良比卅六巴」とあります。3月18日といえば旧暦なので、季節的にはちょうどこの頃。天平の時代にもわらびは季節の山菜として、吉祥天に供えていて、当然、自分たちも食していたのでしょう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩浜の棚田7

2008年07月20日 | 生産生業
マッコロバシの大石垣の上は、平らになっていて、上から水も流れ込んでいる。この棚田・石垣については、狩江公民館の中村さんや地元の沖村さんが詳しく調べているので、調査結果や石垣の年代等については、公民館からの公式発表?があるかも。

というわけで、狩江公民館をはじめ、狩浜のみなさん、今回は、お世話になりました。散策というより、真夏の探検のようで、参加された20名以上の方々、お疲れ様でした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩浜の棚田6

2008年07月20日 | 生産生業
ついにマッコロバシの最大の目玉の石垣。これは9メートル近くある。棚田の石垣としては、唐津市になった蕨野の棚田が日本一の高さで、8.5メートル。正確な高さを測るため、今回、地元狩浜の方々がロープを上から下まで降ろして、計測。この棚田は現在は使われていないが、石崩れは見られない。(ちなみに日本一の高さの石垣を持つ蕨野は、重要文化的景観にも選定されている。)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩浜の棚田5

2008年07月20日 | 生産生業
ヒヤマの狼煙台を見学して、いったん山を降りる。そこからマッコロバシへ向かう。その途中、25枚程度の棚田跡があり、脇には水路も通っている。棚田跡は、孟宗竹で覆われているが、棚田ではなかった場所は雑木林。昭和40年代まで棚田として使われていたようだが、その後、放置され、竹林へと変化したようだ。ただ、石垣はきれいに残っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩浜の棚田4

2008年07月20日 | 生産生業
狩浜のマッコロバシの棚田跡に行く前に、ヒヤマの狼煙台まで登る。車を降りて歩くこと約30分。狩浜から高山大早津にかかるヒヤマの山頂部にようやく到着してみれば、石積みが残っていて、狼煙台の跡だという。明浜には、他に大崎鼻にも狼煙台が残っている。佐田岬も眺めることのでき、さらには九州佐賀関の工場の煙突も見えるという山頂部だが、現在は木々が生い茂っていて、眺望はできない。ただ、石積みはきれいに残っている。ヒヤマの地名の由来も狼煙の「火」からきたのだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩浜の棚田3

2008年07月20日 | 生産生業
これは棚田ではない。狩浜の段々畑を拡大したもの。棚田には上方に水源があることが絶対条件だが、昔は芋・麦、今は蜜柑の段々畑は、必ずしも近くに水源はなくても開墾されている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩浜の棚田2

2008年07月20日 | 生産生業
狩浜の集落写真。周囲は柑橘畑。昔は、芋・麦・桑畑の段々畑だった。石垣が白いのは石灰岩が地元で採れるため。白い石灰岩の石垣と、それ以外の色の石垣が混ざっていて面白い。なお、マッコロバシの棚田はこの写真を撮った場所より、標高はもっと上。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする