愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛の地震史と文化財防災の現状と課題

2018年03月15日 | 災害の歴史・伝承
1 「愛媛は災害が少ない」という忘却・誤解・油断
 一般に「愛媛は気候が温暖で災害が少ない」という言説が聞かれますが、これは事実ではありません。地震では南海地震、芸予地震が周期的にくりかえし発生し、今後30年以内にも南海トラフ巨大地震が約70%の確率で発生すると予測されていますし、また日向灘、中央構造線を震源とする地震も発生しています。風水害、土砂災害は2004年豪雨で26名の犠牲者が出たことは記憶に新しいのですが、1899年8月水害では県内死者828名、1943年7月水害では重信川が決壊し松山市周辺で広範囲に浸水し、死者、行方不明者134名の被害が出ています。また1945年枕崎台風でも死者、行方不明182名に及んでいます。1960年代以降に「災害が少ない」との説明が増えてくるのですが、これは過去の災害が「忘却」されたことで生まれてきたものだといえるでしょう。災害に対する防災意識の醸成、向上のためにも「災害が少ない」という「誤解」と、それにともなう「油断」は克服する必要があり、各地域での災害の歴史・伝承調査やその成果の啓蒙・啓発活動が求められるのではないでしょうか。ちなみに「天災は忘れた頃にやってくる」とか「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉がありますが、これは四国・高知県出身の物理学者で随筆家の寺田寅彦の言葉とされています。
 さて、今後発生が予測される南海トラフ巨大地震は、2011年に被害想定が見直され、静岡県から宮崎県まで、震源の想定域が拡大されました。この巨大な震源域の規模を2011年の東日本大震災と比較すると、青森県から千葉県までの直線距離にして約520キロが津波高5m以上の範囲となっていましたが、これが南海トラフの想定震源域とほぼ同じ距離幅になります。四国、特に愛媛など県レベルで約50キロ、100キロの範囲内での防災津波対策を考えるだけでは当然不十分です。距離感覚や、地理感覚、広さ感覚は西日本と東日本で大きく違っているため、常に課題として頭に入れておく必要があると思います。
 さて歴代の南海トラフ地震ですが、直近では、1946年に発生しており、その2年前の1944年に東南海地震が発生し連動しています。その前は1854年の安政南海地震、さらに150年前の1707年にも宝永南海地震という大規模地震が発生しています。地震はほぼ100年から150年の間隔で、周期的に起こっています。歴史資料で最初に確認できるのが『日本書紀』記載の684年白鳳南海地震です。この記録の中で最初に地名として出てくるのが「伊予」です。この時に道後温泉の湧出が止まったとか土佐国の田畑が地盤沈降して海水が流入し、没して海となったと記されています。直近の昭和南海地震は1946年12月21日に発生し、死者は内務省の統計によると全国で1,330名、愛媛県内では26名で、家屋の倒壊をはじめ、西条市などでは海岸部が地盤沈降により海水が流入し、農地が使えなくなりました。さらに、井戸水に海水が入って使えなくなるなどの被害も発生し、人々の生活に長期的な影響を及ぼしました。この災害では、松山市など瀬戸内沿岸各地で防潮堤、防波堤が沈下しています。沈下するとそれだけ海水が流入し易くなり、普段の大潮でも高潮被害をもたらす可能性があるため、防波堤を嵩上げする工事が1950~60年代に瀬戸内海各地で行われました。
 さて、今後の地震の発生確率は国の地震調査研究推進本部から公表され、南海トラフでは30年以内に70%程度で発生すると言われていますが、実際に愛媛に影響するものとしては、日向灘や芸予地震もあります。中央構造線断層帯に関しては、伊予灘から石鎚山脈にかけて30年以内にはほぼ0%~0.4%の確率と言われています。しかし、2016年熊本地震では布田川断層帯の布田川間の発生確率はほぼ0~0.9%とされていました。安心することはできない数字と言えます。そして愛媛では、過去15年間、2001年芸予地震、2006年大分県西部地震、そして過去三年では2014年伊予灘、2015年大分県南部地震、2016年熊本地震というように震度5弱以上の地震が5回、発生しています。ところが、2000年までの約30年間は、愛媛では震度5以上は一度も観測されていません。愛媛をはじめ西日本が地震の活動期に入っているのは間違いないと思います。

2 災害の伝承化―忘却・記憶の実践―
 個人・地域レベルでは、災害の事実は時間とともに「自然忘却」される側面もありますが、個人レベルでは「思い出したくない被災体験」を忘れようとする「忘却実践」の側面もあります。愛媛県では2004年豪雨から10年にあたる2014年に、防災意識の喚起を目的とした水害史シンポジウムの開催を計画していましたが、被災地の住民にとっては水害・土砂災害の記憶がいまだ鮮明であり、「歴史」として振り返るには早いという判断で実現しなかった経緯があるとうかがっています。これは地域(集団)での記憶実践と個人レベルでの忘却実践の相剋ともいえます。災害の記憶実践については、個人レベルでの記録(文書・日記・体験記等)・語りや、地域(集団)レベルでの災害体験記等の刊行等があり、これらが文字記録化された「歴史」として後世に継承される契機となります。また式典等の開催、災害碑等の建立も記憶実践の一種であり、災害の事実を物語化(伝説)したり、儀礼化(年中行事・祭礼・民俗芸能)したりすることも「伝承」を意図した記憶実践といえます。なお、災害の記憶を後世に伝承することを明確に意図していなくても、その起源が災害と関連している年中行事や祭礼は数が多いのです。京都祇園祭が災厄の除去を祈るもので、愛媛県宇和島市宇和津彦神社祭礼は慶安2(1649)年の地震での被災からの復興として開始された可能性があります。人々の不安やリスクの除去が起源とされる儀礼は多く、その意味でも文化財の中でも無形民俗文化財・無形文化遺産と災害研究とは親和性が高いといえるのではないでしょうか。

3 災害後の再構築―東日本大震災と愛媛―
 愛媛県南予地方は江戸時代には宇和島藩領内であり藩主は伊達家でした。初代藩主伊達秀宗は仙台伊達政宗の長子であり、慶長20(1615)年に宇和島に入部しています。藩主に伴い家臣団、職人等約2000人が宇和島に来たとされ、現在でも家の先祖が東北地方出身だと自認している住民も多いのです。民俗芸能「鹿踊」も南予に約90ヶ所で伝承されるなど、東北地方との歴史的、文化的繋がりは強調されていましたが、2011年の東日本大震災直後から南予と東北(宇和島と仙台)を繋ごうとする意識がさらに高まりました。2011年10月には宇和島市民文化祭「仙台と宇和島・伊達の絆」が開催され宮城県栗原市鶯沢八ツ鹿踊と宇和島八ツ鹿踊が共演したり、2015年には宇和島伊達400年祭が行われ、鹿踊の東北遠征も行われたりしています。もともとは400年の歴史ロマンを基礎とした繋がりであったものが、東日本大震災を経て、東北に学び、自らを顧みるといった防災も絡んだ繋がりに変化してきています。これは遠隔地であっても大規模災害によって地域が再構築される一事例といえるでしょう。類例としては松山市と郡山市の事例もあります。また、東日本大震災での愛媛県への避難者を支援するNPO法人えひめ311との協業で年齢、性別、出身を問わずに災害の体験を語り合うワークショップ「災害の『記憶』を『記録』する」を実施することで、避難者が地域の一員として、防災面で地域を再構築する機会となっています。

4 災害史の調査―課題としての啓蒙・啓発―
 2001年3月24日に芸予地震(震源は安芸灘、M6.7)が発生し、直後、愛媛大学と伊予史談会が中心となり「芸予地震被災資料救出ネットワーク愛媛」(現「愛媛資料ネット」・事務局は愛媛大学)が設立されました。県内各所の地域資料救出、整理、保管等の活動が行われ、今年設立15周年を迎えましたが、その活動が、資料保全のノウハウ・ネットワークの構築だけではなく、市民に対して防災意識を啓蒙・啓発する機会にもなっています。またこの数年、伊予史談会、愛媛県埋蔵文化財センター、愛媛県歴史文化博物館等で人文系研究者による災害史の調査成果の公表も増えており、今後、市民向けの啓発用冊子の刊行も計画されています。しかし2001年芸予地震に関しては地震被害を総括し、後世に伝える報告書・啓蒙書は未だ刊行されておらず、今後、人文系研究者による地震史料の収集や体験談の聞き書き等を行う必要があるといえます。

5 防災ネットワークの構築と制度の活用
 文化財ネットワークとしては愛媛資料ネット以外に、1960年設立の愛媛県博物館協会(加盟館52館・事務局は県総合科学博物館)があり、年2回の活動を行っています。2016年度総会では報告「災害と博物館―防災・減災対策とネットワークの構築―」があり、2017年当初にも同テーマの研修を計画しています。また、2005年設立の四国ミュージアム研究会では、四国内の学芸員約50名(愛媛16名)執筆の『もっと博物館が好きっ!―みんなと歩む学芸員―』(2016年)が刊行されるなど、現場レベルでの日常(平時)の交流が進んでいます。また、2013年には中四国9県2市の文化財行政主管課間で「中国・四国地方における被災文化財等の保護に向けた相互支援計画」が策定され、支援体制、保護対象、平時の活動(人的ネットワークの構築)等が明記されています。なお、愛媛県内20自治体の「地域防災計画」を分析し、文化財防災・減災についても効果的に明記されるよう、「大規模地震防災・減災対策大綱」(2014年中央防災会議)ベースに文化財や博物館・資料館担当職員で問題意識の共有を図っているところです。

6 文化財レスキューと無形民俗文化財
 文化財の防災・減災は、従来、建造物、歴史資料等の有形資料が主な対象とされ、祭りや民俗芸能、民俗技術など無形の文化遺産(無形民俗文化財)については「防災」という側面では充分に取り上げられてこなかったといえます。「地域防災計画」でも無形文化遺産が明記される事例は少ないのが現状です。東日本大震災では生活の再建、地域の復旧、復興の過程で、祭りや民俗芸能などの無形文化遺産が復興のシンボルとして扱われ、その道具の復旧、担い手の確保、祭りの場の再構築が進められることとなりました。「無形」についても文化財の所在情報(①人:祭りの担い手・保存会会員、②道具、③場所・建物:儀礼等を行う場所、④環境:祭りを行う「地域」そのもの)の集積や、災害ハザードマップとの照らし合わせ作業も必要であり、南海トラフ地震・津波被害が想定される南予地方沿岸部を対象に、現在その作業を進めているところです。また、無形文化遺産の所在情報の共有(将来的に東京文化財研究所の「無形文化遺産情報ネットワーク」への参加)を意図して、2016年10月にホームページ「南予の祭りと芸能」を公開しました。有形、無形の地域遺産をいかに守り、残し、伝えるか。今後の活動に向けて、全国の多くの方々からご意見を賜ることができればと思います。ご清聴ありがとうございました。

【参考文献】
芸予地震被災資料救出ネットワーク愛媛編『愛媛資料ネット5周年活動記録集』2006年6月
拙稿「愛媛県における災害の歴史と伝承―地震・津波・水害を中心に―」『愛媛県歴史文化博物館研究紀要』第21号、2016年3月
拙稿「愛媛県の地震史―昭和南海地震を中心に―」『伊予史談』383号、2016年10月

※本稿は以下の掲載原稿である。大本敬久「愛媛の地震史と文化財防災の現状と課題」(愛媛史料ネット編『第3回全国史料ネット研究交流集会―愛媛-報告書』2017年12月発行、20-22P)



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