愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

記憶と忘却―平成16年愛媛大水害から10年目の秋

2014年09月11日 | 災害の歴史・伝承


先月8月の高知県、徳島県、そして今回の広島市の土砂災害。今年平成26年は水害の目立った年でした。「でした」では済まされません。まだ9月。台風や降雨による水害がまだまだ発生しやすい時期でもあります。

今年は愛媛県でいえば、平成16年災害から10年目となります。もう10年かと、時間が経つ早さには驚かされますし、この10年前の16年災害については徐々に記憶も薄れてきているのではないかと危惧もしています。西条市、新居浜市、四国中央市では16年災害を契機に防災意識が高まり、その記憶はいまだ鮮明だと思います。それだけの大きな被害でしたから。16年災害では東予地方だけではなく、中予、南予でも各地で被害が発生しました。特に南予では小規模、散発的な洪水、土砂災害が各所で発生し、当時、その把握に苦慮したものでした。

実際、平成16年災害の被害額は、東予が約128億円(52.8%)、中予が約23億円(9.4%)、南予が約91億円(37.7%)でした。(そのうち被害が甚大だったのは、西条市が約56億円、新居浜市が約25億円、四国中央市が約19億円、大洲市が約27億円と突出しています。)

これを見ると、東予ではいまだ平成16年災害の記憶が鮮明であるのに対して、南予も約91億円の大規模被害でしたが、その記憶が薄れているのではないかという印象があります。大洲市の肱川の大規模氾濫、菅田地区や東大洲だけではなく、西大洲の久米川の氾濫には驚かされました。鬼北町奈良での河川災害、宇和島市伊吹町、そこを流れる光満川、同じく宇和島市薬師谷。宇和島市吉田町立目の渡川での流木埋塞での越水被害。西予市宇和町下川の河川護岸も崩落しました。内子町中川の祝谷川の護岸崩壊、伊方町中之浜の防波堤の破損などなど。10年前の災害です。「災害は忘れた頃にやってくる」。災害の事実の忘却は危険です。

今回の広島市での土砂災害。テレビ等での報道を見て、やはり10年前の平成16年災害を思い出すといいますか、フラッシュバックのように、当時の光景が蘇ってきます。特に平成16年9月29日の新居浜市大生院での土砂崩れ。高速道路松山自動車道を土砂が越えて住宅を直撃し、4名が犠牲になった当時の様子、そして新居浜市郷など。郷には知人がいたので現地にうかがったのですが、土砂災害がこんなに酷いものなのかと恐ろしさで体が震えました。(なお、その際に記録用にと各地の被災写真をデジカメで撮って、「16年災害」とパソコンでファイル管理していたのですが、平成19年にパソコンが故障して、データがダメになりました。自分の管理不足でバックアップをとっていなかったこともあり、その時の記録が失われわたの残念です。)

平成16年災害のときに西条市大保木にも現地に足を運ぼうかと思ったのですが、それは困難でした。その数年後から、大保木、特に西之川には石鎚信仰に関する聞き書きを行い、それと同時に16年災害についてもいろいろお話をうかがいました。愛媛県の災害に関する「安全神話」で、「石鎚山があるので、高知県では大雨は降っても、石鎚山が楯になって、愛媛側では豪雨災害は少ない」とよくいわれます。しかし、それは事実ではない、いや気象条件によっては事実の場合もあるかもしれませんが、「石鎚山が守ってくれる」説は危険な「安全神話」であることが平成16年災害で証明されたのです。

ここで、愛媛県での平成16年災害の状況を簡単にまとめておきたいと思います。

7月31日から8月2日 台風10号
死者1名、住宅全半壊、一部損壊9棟、床上床下浸水190棟

8月17日から18日 台風15号
死者4名、住宅全半壊、一部損壊144棟、床上床下浸水1409棟

8月30日から31日
死者1名、行方不明者3名、負傷者13名、住宅全半壊、一部損壊334棟、床上床下浸水1939棟

9月6日から7日 台風18号
死者1名、負傷者25名、住宅全半壊、一部損壊724棟、床上床下浸水149棟

9月29日から30日 台風21号
死者14名、負傷者15名、住宅全半壊、一部損壊591棟、床上床下浸水6055棟

10月19日から20日 台風23号
死者5名、負傷者5名、住宅全半壊、一部損壊66棟、床上床下浸水925棟

私が平成16年水害で印象に残っているのが各所で山から大量の流木が流されていた光景。山の恐ろしさ、これは山の管理とも結びつくのかとも思います。私が住んでいるのは植林での林業が盛んな西予市。西予市に限りませんが、植林、植樹を重ねた昭和30年代からの山。それが間伐されず、人工林が放置されていことの危険性、つまり急傾斜地での表層崩壊の危険性が高まっている地点がかなりあるのではないか、そう心配しています。

あと、今回の広島市での「まさ土」地帯。これは愛媛県でも高縄半島つまり松山市や今治市付近では同じ地質です。愛媛は地質が南北にそれぞれ異なっているので、地域ごとの災害危険度を知っておく必要があると思いました。南予では砂岩が多いです。砂岩とは「砂」の「岩」と書きますので、土砂災害に強いとは思えません。科学的にどうなのか私もわからない部分があるのですが、この点については、当地が四国西予ジオパークということもあり、いろいろ詳しい方がいますので、お話をうかがっていこうかと思っています。

災害は忘れた頃にやってくる。

平成16年災害から10年目の秋。災害の事実が忘却されることなく、そしてこの9月、10月、水害が起こらない事を祈るのみです。

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日本民具学会高知大会まであと2ヶ月!

2014年09月11日 | 日々雑記
11月8日(土)、9日(日)に、高知県香美市の旧物部村大栃で、日本民具学会の年1回の大会が行われます。

私も大会実行委員に名を連ねています。

主に裏方で、高知大会の運営をお手伝いしようかと思っている、というか、いま随時、準備を進めています。

来週には、第二回サーキュラーを参加者には発送する予定で、鋭意、準備しております。

先日は、日本民具学会会長の佐野賢治先生が高知に来訪されて、地元関係者を挨拶まわりしていただきました。

お忙しい中、本当にありがたいことです。感謝申し上げます。

初日シンポジウムの内容は主に四国の民具研究者が準備しています。

研究発表は、ほぼエントリーが揃って、あと最後の確認をしているところ。

大学とか、都市部の大きなホールを使っての全国大会ではないので、

参加者には、交通の便、移動の負担などご足労をおかけしますが、

会場は、いざなぎ流の旧物部村。

民俗学、民具研究者にとっては、行ってみたいと思う、思わせる場所。

ご来場をお待ちしております。

実際、香美市の中心(JR土佐山田駅)は、高知市からも近い。龍馬空港からも近いので、

四国の他の山間地に比べると、交通の便は良い方です。

JR土佐山田駅から、大会主会場の旧物部村大栃まで、JRバスも本数が多いので、

予想(先入観)よりは移動もスムーズです(そうなるようにきちんとしたご案内をしないといけないですね。)


実行委員会は、主に高知のUさん、Nさんが中心になって、

四国民具研究会の会員でサポートしている(ほんとにサポートできてるかは若干、いや多いに心配・・・)のですが、

気づいてみれば、開催日までもう2ヶ月切ったではないか!


当日は会員外の一般参加、特に高知県内の方々にはご参加いだだけるようになっています。

その広報も、もうしばらくで開始することになります。



【参考】日本民具学会ホームページ
http://www.mingu-gakkai.com/












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「おもてなし」の語源

2014年09月10日 | 口頭伝承

2020年の東京オリンピックの開催決定からはや一年が経ちます。滝川クリステルさんのプレゼンで放たれた「お・も・て・な・し」の言葉。「おもてなし」って四国遍路のお接待とかでよく使われていたので、四国の人間として、四国遍路道沿いに住む人間として、東京にやられたぜ!と勝手に思ったわけですが、「おもてなし」や「お接待」が四国独自のものではなく、日本文化の中に深く刻まれた行為であり、贈与、交換に関する人間関係や社会関係の中で普遍化しながら考えるべき問題であり、「おもてなし」は四国のものだ!これぞ四国へんろ道文化の世界遺産化の重要要素の一つだと決めつけて、他(プレゼンの「お・も・て・な・し」)を排除する気持ち(一種のジェラシーですね)が心の隅にあったことに、ちょっと反省したのでありました。

さて、その「おもてなし」。漢字で書いたらどうなるん?

まずは「表無し」説。これじゃあ、表のない裏ばかりの行為で、何か怪しげ・・・。表は繕った姿であり、裏(中身、本質)を見せてあげよう!という意味に取れなくもないが、やはりこれは語源や表記としては違うよなあ。「表無し」=「裏有り」ですからね。

「もてなし」「もてなす」ということは饗応することだから、飲食物、ごちそうを「持って為す」でおもてなし。これはちょっと一理ありそうだ。

ところがどっこい。『和訓栞』をみてみると「持成の義」とあるではないか。『日本国語大辞典』もそれを踏襲している。つまり、「おもてなし」を漢字で書けば「お持て成し」ということになる。

ただ、『日本国語大辞典』では「もてなす」にはいろんな意味があることが紹介されている。

第一に、意図的に、ある態度をとってみせる。わが身を処するという意味。これは他者に対して何か饗応するというわけではなくて、自分自身の態度、行為の問題。他者の存在、関係性が前提ではない使い方。これは蜻蛉日記とか源氏物語が引用されているので、平安時代にはこの用例があったわけである。

第二に、見せかけの態度をとる。みせかけるという意味。第一の意味に似ているが、「見せかけ」というのが引っ掛かる。流行語になった「おもてなし」は決して「みせかけ」ではない。そうであってほしい。無欲で私欲のない他者に対する行為なのだから(と思いたい)。この第二の意味には邪心、私心を感じてしまいます。これは今昔物語集が引用されているから、平安時代末期の用例として出て来る。

第三に、何とか処置する。対応してとりさばく、の意味。これも源氏物語に出ている用例。何か自分を取り繕うような意味で、違和感がある。これも他者との関係ではなくて、自分個人の行為で完結している用例。古語としての「もてなす」は個人完結で、取り繕うというちょっとネガティブな雰囲気が漂う。

さて、第四の意味。ここから他者との関係性の中で用いられる用例だ。意味としては、相手を取り扱う、待遇する、あしらう、とある。「あしらう」ってまたネガティブな意味じゃないか。源氏物語や落窪物語の用例が紹介されている。これはやばいですね。あまり「お・も・て・な・し」の語源、起源、歴史を解明しようとすると、待遇しつつ、あしらう。したたかでもあり、自分本意。第二の意味の「見せかけ」に通じるところがある。「もてなし」って結構自分勝手な意味で用いられていたのか?

次に第五の意味。大切に扱う、大事にする。この意味が出てきてよかった。ようやくプラス思考になってきた。これは枕草子が引用されている。じゃあ平安時代にも「見せかけ」「あしらう」と「大事にする」っていうのが併存していたということか。

第六の意味。手厚く歓待する。饗応する。ご馳走する。この意味が現代の「おもてなし」に近いであろう。用例は平家物語が引用されている。

第七の意味。取り上げて問題にする。もてはやす。これは他者との関係でいけば行き過ぎの感もある。「もてはやす」ことと「もてなす」ことは異なると思うのだが、古語ではそうはいかない。徒然草にそう書いてあるのだ。鎌倉の海の鰹が珍しいからもてはやす。これを「もてなす」と表現している。他者との人間関係ではなくて、何か珍しい「もの」や「こと」を、「持って成す」つまり俎上にあげるというニュアンスもあるだろう。

以上、『日本国語大辞典』の「もてなす」を眺めてみたら、私心なく、邪心なく、他者を饗応するという意味がもともとではなかったようだ。「持って成す」ということで、良き方にも悪き方にも、「自己の行為」とでもいうべきだろうか。行為という言葉も「行って為す」の意味だから、良き行為もあれば、悪い行為もある。どちらでも使われる言葉。「持って成す」も自己の行為のあらわれ方であり、「見せかけたり」「あしらったり」「もてはやしたり」「大事にしたり」と多義で用いられるのだ。

そうなると、「もてなす」の語源に何か深い哲学のようなものが含まれているかというとそうでもないようだ。他者との関係の上で語られる際に「他者に対する態度の一つの現れ方」とでも言っていいのではないか。

「お・も・て・な・し」は、心のこもったお接待だと定義したいが、古代からの用例を見て行くと、他者の存在、そして前提としての私心、邪心の無さ、これが条件となる。この条件は「もてなし」の言葉自体や語源からは導き出せない。

類義語を挙げるとすれば「とりなし(執り成し)」だろうか。「取り繕う」のような意味が垣間見えて、ちょっとマイナスイメージではあるが。

という具合に、「おもてなし」の古い用例から、お接待の文化なども含めていろいろ考えてみたいと思ったが、すっきりしない結果になってしまったのでありました。





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【講演】生老病死の民俗ー現代の葬儀と墓を考えるー

2014年09月08日 | 日々雑記


9月4日は、松山市のひめぎんホールで、愛媛県老人クラブ連合会の年一度の大会講演がありました。

この会で講演をするのは平成17年以来、2回目です。来場者が1000人という大規模な大会。愛媛県内の各地域の老人クラブの関係者が集う場であり、前回、愛媛の民俗に伝わる知恵についてお話させていただいたあと、民俗調査に各地域にうかがう場合に老人クラブの関係者にお願いすると、快くお世話していただいたりしたこともありました。また、前回の講演のあと、市町村レベルでの老人クラブ連合会の会合に呼んでいただき、各地域の民俗についてお話しする機会を多くいただきました。その縁で、地域の民俗調査が進んだこともありました。今回、県老人クラブ連合会事務局から再び講師依頼が来たときには、「これは受けねばならぬ」と即、思ったものです。




そして、今回は「生老病死の民俗―現代の葬儀と墓を考える―」という演題で話をしました。

「死」をテーマの一つとしているので、会場の雰囲気が暗くならないように、明るく楽しく、60分、生と死(お産、育児、葬送、墓、先祖祭祀など)の地域文化を紹介しました。

さっそく、講演ののちに、聴講された方から感想と、某公民館での講演依頼のお電話をいただきました。ありがたいことです。



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