愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

冬至の民俗

2000年12月21日 | 八幡浜民俗誌
冬至の民俗

(原稿ファイルを探索中・・・。)

2000/12/21 南海日日新聞掲載

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「だんだん」という方言

2000年12月07日 | 八幡浜民俗誌
「だんだん」という方言

 八幡浜地方のみならず、愛媛県内各地に「ありがとう」を表す方言として「だんだん」がある。現在では日常で用いられることはないが、昭和20年代以前生まれであれば多くの人が聞いたことのある方言である。私は、語源として「だんだん」のどこに感謝の意味が読みとれるのか、かねてから不思議に思っていたのだが、全国の方言「だんだん」を集めてみると、納得するところがあったので、それを紹介してみたい。 「ありがとう」の意で「だんだん」を方言として用いる地域は西日本各地にある。列挙してみると、鳥取県西伯郡、島根県、山口県大島、高知県幡多郡、福岡県博多、熊本県、大分県直入郡、宮崎県高千穂などである。
 ところが、「ありがとう」の意味ではなく、「いろいろ、重ね重ね」といった意味で「だんだん」が用いられる地域もある。山形県米沢市では「いろいろご馳走になりました」を「だんだんご馳走になって」という。このような用例は新潟県中頸城郡、富山県、石川県、滋賀県彦根、島根県、高知県檮原、熊本県、宮崎県などで見られる。長崎県壱岐では「だんだんお世話になりました」というが、「いろいろとお世話になりました」の意味である。これらの地域では感謝語として「だんだんありがとう」と言うが、愛媛県内各地で聞くことのできる「だんだん」は、もともと「いろいろと」の意味であって、「だんだんありがとう」が省略されて「だんだん」だけで感謝語となってしまったものと思われる。
 そもそも、「だんだんありがとう」の表現は、『日本国語大辞典』によると、天明年間(1781~89)頃から京都の遊里にはじまった挨拶語ということである。つまり、「だんだん」は、江戸時代中期に京都に派生した挨拶語「だんだんありがとう」が全国に伝播し、日本海側、中国、四国、九州において方言として定着した。定着する際に、西日本各地では「ありがとう」が省略されて「だんだん」のみで感謝の意を示す言葉になったと言えるのである。
 なお、この言葉の派生した京都をはじめとする近畿地方では、現在方言として「だんだん」を使うところはほとんどなく、廃れてしまっている。分布も、近畿地方の空白域をはさんで東西に同心円状に広がっている。京都など、上方で使われた言葉が周囲に伝播し、上方ではさらに新しい言葉が創出されて古い言葉は使われなくなる。そのかわりに上方から離れた地域にかつての上方で使用された言葉が方言として残る。「だんだん」は、こういった事例の一つなのである。

2000/12/07 南海日日新聞掲載

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