4 地域における戦争と神社
ここでは、実際に神社で行われた戦争関係祭祀を見ていきたい。内務省令など国家により制定・施行されたものについては、長谷晴男編『神社祭祀関係法令規定類纂』(国書刊行会、1986年)が参考となる。昭和10~21年までの神社祭祀関係法令を抜き出すと以下のようになる。(ただし、神社関係法令集については、その他に『最新神社法令要覧』(神祇院総務局監輯)、『神社法令要覧追録 改正神社法令集』、『明治以降神社関係法令史料』(神社本庁)もあるが、未読である。)
昭和10年3月16日 内務省令第十五号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和12年2月3日 内務省令第四号「官幣大社氷川神社官幣大社熱田神宮官幣大社出雲大社官幣大社橿原神宮及官幣大社明治神宮例祭祭式及祝詞制定ノ件」
昭和13年4月12日 内務省令第十五号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和14年3月14日 勅令第五十八号「官国幣社以下神社祭祀令改正ノ件」
昭和14年3月15日 内務省令第十二号「招魂社ヲ護国神社ト改称スルノ件」
昭和14年3月15日 内務省令第十三号「護国神社例祭、鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞制定ノ件」
昭和15年11月15日 内務省令第三十五号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和15年11月15日 内務省令第三十六号「官幣大社氷川神社官幣大社熱田神宮官幣大社出雲大社官幣大社橿原神宮及官幣大社明治神宮例祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和16年12月13日 内務省令第三十五号「宣戦奉告ノ為官国幣社ニ於テ行ハルヘキ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
昭和16年12月13日 内務省令第三十六号「宣戦奉告ノ為府県社以下神社ニ於テ行フ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
昭和17年1月14日 内務省令第一号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和17年1月14日 内務省令第二号「官幣大社氷川神社官幣大社熱田神宮官幣大社出雲大社官幣大社橿原神宮及官幣大社明治神宮例祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和17年10月3日 内務省令第二十九号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和17年10月3日 内務省令第三十号「官幣大社氷川神社官幣大社熱田神宮官幣大社出雲大社官幣大社橿原神宮官幣大社明治神宮官幣大社香取神宮及官幣大社鹿島神宮例祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和17年10月3日 内務省令第三十一号「護国神社例祭、鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和17年10月5日 内務省告示第六百八号「神社祭式行事作法改正ノ件」
昭和17年10月5日 神祇院十七発教第六十四号教務局長依命通牒「神社祭式行事作法改正ノ件」
昭和17年12月10日 神祇院十七発教第八十三号教務局長依命通牒「日拝、祈願、祈祷ニ当リ祭典執行ノ場合ニ於ケル作法ニ関スル件」
昭和17年12月15日 内務省令第三十八号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和18年3月26日 内務省令第十九号「護国神社例祭、鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和20年5月12日 勅令第二百八十四号「寇敵撃攘必勝祈願ノ為官国幣社以下神社ニ於テ行フ祭祀ニ関スル件」
昭和20年5月12日 内務省令第十二号「寇敵撃攘必勝祈願ノ為官国幣社以下神社ニ於テ行フ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
昭和20年9月15日 内務省令第二十二号「戦争終熄奉告ノ為官国幣社ニ於テ行ハルヘキ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
昭和20年9月15日 内務省令第二十三号「戦争終熄奉告ノ為府県社以下神社ニ於テ行フ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
以上であるが、『官報』や『皇国時報』の中には上記以外の法令も確認できると思われるが、その確認作業は今後行う予定である。
また、上記では、法令関係資料から戦争関係祭祀関連のものを抽出したが、これが一般の神社においてどのように実施されていたのかが問題となる。その事例紹介として、現在、愛媛県南予地方の某神社資料からその実施状況を分析作業中であるが、昭和12年度について、社務所日誌・受付文書綴・及び地元の尋常高等小学校日誌をもとにまとめたものがある。昭和12年における神社祭祀と地域との関係の変化を挙げると、まずは児童生徒の神社祭祀への参拝の機会の増加がある。なお、日中戦争関係の祈願祭に学校行事として児童が参列するのは昭和12年9月5日に行われた「国威宣揚祈願武運長久祈願祭」であり、それ以降、児童の参加が増加する。また、神社で行われる早天修養会への地域住民の参加者が増加しており、昭和12年を境に神社祭祀への参加人数の変化がわかる。その他、先の戦時祝詞でも紹介したように、「辞別」として戦争関係祈願の祝詞文が加えられているが、「恒例祭」つまり神社例祭や霜月祭、歳旦祭など、従来、戦争祭祀とは直接関係の無かった祭祀に、戦争祭祀が付加されていく状況も見てとれる。戦争関係祭祀は「臨時祭」としての位置付けだけでなく、次第に「恒例祭」にまで浸透していっている。これは、神社祭祀への地域住民(氏子、国民)の参加人数の増加と関連しており、また、国民の抱く神社観を変容させていく要因にもなったと思われる。以上、地域資料から見た戦争観を明らかにする上で、村々の神社資料は有用であり、その所在確認作業、調査、分析が行われる必要がある。
ここでは、実際に神社で行われた戦争関係祭祀を見ていきたい。内務省令など国家により制定・施行されたものについては、長谷晴男編『神社祭祀関係法令規定類纂』(国書刊行会、1986年)が参考となる。昭和10~21年までの神社祭祀関係法令を抜き出すと以下のようになる。(ただし、神社関係法令集については、その他に『最新神社法令要覧』(神祇院総務局監輯)、『神社法令要覧追録 改正神社法令集』、『明治以降神社関係法令史料』(神社本庁)もあるが、未読である。)
昭和10年3月16日 内務省令第十五号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和12年2月3日 内務省令第四号「官幣大社氷川神社官幣大社熱田神宮官幣大社出雲大社官幣大社橿原神宮及官幣大社明治神宮例祭祭式及祝詞制定ノ件」
昭和13年4月12日 内務省令第十五号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和14年3月14日 勅令第五十八号「官国幣社以下神社祭祀令改正ノ件」
昭和14年3月15日 内務省令第十二号「招魂社ヲ護国神社ト改称スルノ件」
昭和14年3月15日 内務省令第十三号「護国神社例祭、鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞制定ノ件」
昭和15年11月15日 内務省令第三十五号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和15年11月15日 内務省令第三十六号「官幣大社氷川神社官幣大社熱田神宮官幣大社出雲大社官幣大社橿原神宮及官幣大社明治神宮例祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和16年12月13日 内務省令第三十五号「宣戦奉告ノ為官国幣社ニ於テ行ハルヘキ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
昭和16年12月13日 内務省令第三十六号「宣戦奉告ノ為府県社以下神社ニ於テ行フ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
昭和17年1月14日 内務省令第一号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和17年1月14日 内務省令第二号「官幣大社氷川神社官幣大社熱田神宮官幣大社出雲大社官幣大社橿原神宮及官幣大社明治神宮例祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和17年10月3日 内務省令第二十九号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和17年10月3日 内務省令第三十号「官幣大社氷川神社官幣大社熱田神宮官幣大社出雲大社官幣大社橿原神宮官幣大社明治神宮官幣大社香取神宮及官幣大社鹿島神宮例祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和17年10月3日 内務省令第三十一号「護国神社例祭、鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和17年10月5日 内務省告示第六百八号「神社祭式行事作法改正ノ件」
昭和17年10月5日 神祇院十七発教第六十四号教務局長依命通牒「神社祭式行事作法改正ノ件」
昭和17年12月10日 神祇院十七発教第八十三号教務局長依命通牒「日拝、祈願、祈祷ニ当リ祭典執行ノ場合ニ於ケル作法ニ関スル件」
昭和17年12月15日 内務省令第三十八号「官国幣社以下神社祭式改正ノ件」
昭和18年3月26日 内務省令第十九号「護国神社例祭、鎮座祭及合祀祭祭式及祝詞改正ノ件」
昭和20年5月12日 勅令第二百八十四号「寇敵撃攘必勝祈願ノ為官国幣社以下神社ニ於テ行フ祭祀ニ関スル件」
昭和20年5月12日 内務省令第十二号「寇敵撃攘必勝祈願ノ為官国幣社以下神社ニ於テ行フ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
昭和20年9月15日 内務省令第二十二号「戦争終熄奉告ノ為官国幣社ニ於テ行ハルヘキ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
昭和20年9月15日 内務省令第二十三号「戦争終熄奉告ノ為府県社以下神社ニ於テ行フ祭祀ノ祭式及祝詞制定ノ件」
以上であるが、『官報』や『皇国時報』の中には上記以外の法令も確認できると思われるが、その確認作業は今後行う予定である。
また、上記では、法令関係資料から戦争関係祭祀関連のものを抽出したが、これが一般の神社においてどのように実施されていたのかが問題となる。その事例紹介として、現在、愛媛県南予地方の某神社資料からその実施状況を分析作業中であるが、昭和12年度について、社務所日誌・受付文書綴・及び地元の尋常高等小学校日誌をもとにまとめたものがある。昭和12年における神社祭祀と地域との関係の変化を挙げると、まずは児童生徒の神社祭祀への参拝の機会の増加がある。なお、日中戦争関係の祈願祭に学校行事として児童が参列するのは昭和12年9月5日に行われた「国威宣揚祈願武運長久祈願祭」であり、それ以降、児童の参加が増加する。また、神社で行われる早天修養会への地域住民の参加者が増加しており、昭和12年を境に神社祭祀への参加人数の変化がわかる。その他、先の戦時祝詞でも紹介したように、「辞別」として戦争関係祈願の祝詞文が加えられているが、「恒例祭」つまり神社例祭や霜月祭、歳旦祭など、従来、戦争祭祀とは直接関係の無かった祭祀に、戦争祭祀が付加されていく状況も見てとれる。戦争関係祭祀は「臨時祭」としての位置付けだけでなく、次第に「恒例祭」にまで浸透していっている。これは、神社祭祀への地域住民(氏子、国民)の参加人数の増加と関連しており、また、国民の抱く神社観を変容させていく要因にもなったと思われる。以上、地域資料から見た戦争観を明らかにする上で、村々の神社資料は有用であり、その所在確認作業、調査、分析が行われる必要がある。