愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

古代の南海地震と伊予国 白鳳南海地震

2015年08月22日 | 災害の歴史・伝承
『日本書紀』天武天皇13(684)年10月壬辰条

「壬辰。逮于人定、大地震。挙国男女叺唱、不知東西。則山崩河涌。諸国郡官舍及百姓倉屋。寺塔。神社。破壌之類、不可勝数。由是人民及六畜多死傷之。時伊予湯泉没而不出。土左国田苑五十余万頃。没為海。古老曰。若是地動未曾有也。是夕。有鳴声。如鼓聞于東方。有人曰。伊豆嶋西北二面。自然増益三百余丈。更為一嶋。則如鼓音者。神造是嶋響也。」(出典『新訂増補国史大系〔普及版〕 日本書紀 後篇』(吉川弘文館、昭和46年発行)373頁)


この日本書紀の記述は、南海地震に関する文字の記録としては最も古いものです。ここに壬辰、10月14日に、大きく地なゐ。要するに地震があった。国々の男女が叫び、よばいて云々。山が崩れて川はわいて、国々の郡の官舎、つまり役所です。役所とか「おおみたからのくら」、要するに一般庶民の家とか寺とか神社が破損していると。これによって、人々や動物たちが損傷している。そしてこの日本で最古の南海地震の史料にて、実は、最初に出てくる地名は伊予国なのです。「伊予温泉」と書かれている。これ伊予の湯泉、埋もれて出ずとあります。つまり今の松山市の道後温泉なのです。道後温泉が潰れて出なくなった。お湯が出なくなったとあります。実は道後温泉は、歴代の南海地震が起きるたびに必ずと湯の涌出に支障がでています。ただその後に必ず復旧はするのです。一ヶ月後に復旧する場合もあります。三ヶ月後の場合もあります。三年後の場合もあります。恐らく近い将来、南海トラフ地震が発生したときには、やはり道後の湯は止まる可能性は大きいと思います。そして『日本書紀』の記述では伊予の湯が埋もれて出でず、土佐の国の田畑が五〇万代埋もれて海となるとあります。五〇万代は計算すると、大体12平方キロメートルなのです。つまり一辺3キロメートル×4キロメートル程の地域に海水が侵食したのです。これは津波が襲来したのか、それとも地盤が沈下してそこに海潮が入ってきて、そのまま陸地に戻らなくなったのか判断はつきませんが、津波の被害だけではなく、歴代の南海地震での地盤の隆起や沈降の状況を考えると後者の可能性もあると思います。684年の白鳳南海地震の記録が以上のように記されています。また、この『日本書紀』には当時の古老の人曰く、「かくのごとく地が動くことは、今だかってあらず」とも言っているのですから、飛鳥、白鳳期においても被害は未曽有のものだったいうことです。






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