夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

キタアカリの収穫作業

2007-09-28 07:01:44 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 岩木山は澄み切った空に、その稜線をくっきりと浮かべている。やまなみロードは延々とりんご畑が両側に並んで、いまや収穫作業の真っ最中である。夏の喧騒さを競ったあの夏ゼミの声は今はしない。
 農場の入り口はオーナーの奥ゆかしさというのかシャイな気持ちがあって、未だにわかりづらいりんご畑にはさまれた車一台がやっと通れる細い農道である。オーナーの父親がそれでもせめてもの目印にと、入り口に茶色のビニール手袋を棒に差し込んで手招きをしているように見える。電柱の電線が県道から一気に農場のオーナーハウスに向かって農道を走るので、この電線を目印に入ることを学んだ。オーナーは「ほんとうに来たければ探してでも来るさ」と、看板などは出したがらない。それはそれで、オーナーの生き方を示しているようだ。
 農場に着くと、農場では入り口そばのジャガイモ畑で最後のキタアカリを収穫しているところだった。オーナーの父親と夫妻、それに舞い戻ってきた屋久島のヤッシ―、それに岩木山自然学校から来たと言う女性の5人である。軍手をはめての手作業でのジャガイモ堀りが進んでいた。オーナーが今年はジャガイモの出来がよいとご満悦である。それでもネズミが立派なジャガイモを、ちょこっとかじっているのが目につく。
 来月の27日に「しらとり農場・あうん収穫祭」を計画したいこと、オーナー夫妻とヤッシ―の演奏もお願いして、夜は高知県で自動車免許に挑戦中のウーファーの冬ちゃんも駆けつけると張り切っている。久しぶりの「飲んだくれコンサート」をすることにした。みんなそれぞれの楽器でのセッションと、自分流の唄や音楽の演奏をし、そして飲んで語って、食う、これが伝統だ。
 休憩の時に新潟県三条市からオーダーメイドの「くるぎんばさみ」が届いたので、披露した。農場の沢沿いに鬼ぐるみの木が生えていて、今盛んに実を落し始めている。それがまた殻が硬くてなかなか割れない。それでこの鋏を注文したわけだ。でも鬼ぐるみの実はとても濃厚で、美味しいと聞いているので、それを使ってなんとかくるみ餅を作ってみたいと思っている。ちなみにくるぎんのぎんとは、銀杏も割れるという意味なのである。
 その頃あうんのメンバーも農場に来てにぎやかに畑作業をしていた。あうんの畑では、残ったかぼちゃと、毛豆を収穫し、枝から実を外す作業をしていた。6人くらいのメンバーが、遠慮もてらいもなくごく自然な心をお互いに風のように交流させて、時には大声で叫び、そして無邪気に大笑いしている。それを聞きながら、オーナーもまた笑っている。
 ノーマライゼーションの風がここには吹いているのだ。

老母との旅

2007-09-28 00:13:42 | つれづれなるままに
 秋に母と兄弟妹の三人で旅行をしようかと、母に言った。義姉から聞いたところによれば母は喜んでいたそうだ。しかし、あっという間に10月の予定が埋まっていた。止む無く11月の2日からの旅行を計画している。それも、兄弟と妹の3加族全員がうちそろっての旅だ。兄は母とともに長岡市、妹は滋賀県、そして弟の私は青森県だ。思い切って飛行機で札幌にみんながそろうというプランを提案しようと思っている。おそらくみんながそろっての旅はこれが最後だろう。ことに満82歳の母にとってはなおのこと、その思いは強いだろう。25年以上前に佐渡島をみんなで旅をしたことがあったが、それ以来のことだ。今は私が55歳で兄が58歳、妹だって52歳だ。三人しかいない兄弟妹が、よくもこう全国離れ離れになったものだと思う。それでも妹が一時ガンに冒されそうになったが、回復しているくらいで、皆元気にやってこれたのだ。父が死んでもう13年が経った。生きていれば85歳か。9月25日が命日だ。親父もさすがに最後まで記憶に残る死に方をしたものだと思う。自動車事故で兄の息子の誕生日、そしてしゃれのように自分の妻の名前国子を文字って9月25日に死んだのだ。昨年のこの9月25日、私は自転車で事故って空を飛んだ。未だに右肩に違和感があり、そのたびに父親の命日を思い出す。
 みんなが元気でいれば、それが親孝行だとつくづく思うこの頃である。