夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

であいの家あうん作品展開催

2007-09-16 17:57:09 | つれづれなるままに
 16日(日)~17日(月)の連休を利用しての、「であいの家あうん利用者作品展」が弘前市立百石町展示館で開催されている。この会場はもともとは呉服屋さんで、その後青森銀行が買い取って百石町店として使っていたものだが、今はNPO法人が指定管理者制度で管理運営している。フランス料理のレストラン山崎の支店も同じ建物の中で営業を行なっている。
 木造の黒光りのする太い柱やカウンターは、何となく重厚さを感じさせて落ち着いた雰囲気をかもし出している。
 あうんでは開設以来7年間、独自の作品展を開催してきた。総合福祉作品展などでの作品出品は、出品スペースが狭くて作品数が限られるほか、個別の作品の良さが充分に表現できないのが嫌だったからだ。障害者福祉などというエリアの中で作品を見て欲しくないことも、もう一つの大きな理由かもしれない。
 今回も絵画指導や押し花指導を外部講師に来ていただいて、結構な作品がそろった。一人一人の自己主張がそこに充分に表されていてとても気持ちがよい。色の使い方もとても豊かになってきたような気がする。なんにしても一人ひとりが楽しんでいる様子が、展示写真を通してもよくわかる。
 しらとり農場で収穫されたジャガイモやかぼちゃ、ズッキーニ、万願寺トウガラシなども出店された。これも作品には違いない。実りの秋である。たくさんの出会いが二日間であればよいなと願っている。
 

Poem 岩木山と雲

2007-09-16 17:37:31 | 創作(etude)
 
 雲は岩木山の健康トレーナーのようだ
 お山の肩がこればこうして
 背後からお山を包んで
 まるで按摩でもしているようだ
 暑くなれば帽子になったり
 風邪を引けばマスクになったり
 熱を出せば布団になっている
 みんなの岩木山は
 こうして美しくいられるのだ
 

マザーテレサ

2007-09-16 08:16:40 | こころに残る言葉
 「今日の最大の病気は癩(らい)でも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、誰もかまってくれない、みんなから見捨てられていると感じることである」

 私たちは与えるから受け
 ゆるすからゆるされ
 自分を捨てて死に
 永遠のいのちをいただくのですから

(「あふれる愛」)

 人間は自分が必要とされていると感じるとき、生きている実感を味わい、存在が輝くのだ、という。「孤児の家」や「死を待つ人の家」で栄養失調に苦しむ子、病気で死を待つ人々の世話に明け暮れるシスターたちこそ「与えることによって自分の存在を実感し、輝きを受けている」ことになり、「与えるから受け」を享受させてもらっている人たちなのであろう。
 
 1997年9月6日マザーテレサは逝去した。

 「であいの家あうん」がまだ「生活リズムセンターノーム」という無認可の施設だった頃、岩木山の4合目付近の嶽温泉のエリアに、へき地保育所の老朽化した建物を間借りしていた。その建物は古く寒かったが、制約が重たくてどこにも行く当てのない人たちが集まって来た。運営費もどこからも補助されることもない時代に、70代の高齢ボランティアがその人たちを支援してくれた。初めは私たちが何かをその人たちに与えることができるという役割何の中にいた人たちだが、通い続けふれあう中で、次第にその思いが変わっていく自分に気がついていく。「私が毎日こうして暦の中に予定を書けるのは、あの人たちがいるからである。生きる日をつないでくれていると思うと、あの制約者によって私たちが生きる希望をいただいているもののなんと多いことだろうか。そう思えば制約者たちに感謝しなければならないのはむしろこちらである」
 建物の立派さや、豊かな運営費を保障されても、その貧しく質素な環境にこそ生じる豊かさに叶わないものもあるのだと、最近つくづく思い返している。