夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

家の改修工事

2007-09-03 07:02:14 | つれづれなるままに
 我が家は14年前に新築した。以前は2階建てで、玄関からトイレ、浴室と段差が当たり前の家で、娘達が小さい頃はなんとか対応できたが、それでも障害のある子ども達にとって危険なことは変わりなかった。北国の冬の昔の家といえば、台所は北側に配置され、女性しか台所に立たない家では、寒い場所での家事は評判が悪かった。更に冬の二階家は雪下ろしも大変で、これはもちろん男の仕事でもあり、トタン屋根は滑ることもあり危険が多かった。
 桜咲く春に義父が白血病で倒れ、三ヶ月で急逝した。その翌年の夏家を新築しようということになった。当時私は老人ホームのソーシャルワーカーとして15年間働き、家内から「娘達が養護学校中学部を卒業すればもうどこにも行く場所がないので何とかして欲しい」という訴えを聞いていた。家内は毎日二人の娘の肢体不自由児養護学校の送迎担当で、終日を暮らしていた。施設といえば入所施設は岩木山麓の2合目付近に集中してあり、通所施設は弘前市内に一ヶ所あるのみであった。長女は辛うじてその通所施設に通い始めていたが、そこはクリスチャン系の通所施設で、建物も老朽化した古いもので、何よりも重度の障害者への支援体制がまだ成熟していないために、お客様的な扱いを受けていた。長女はお祈りの時間にはいつも夢心地で眠っており、家内はそれが不満でもあったようだ。自宅から山手の養護学校まで約25km、そしてそこから長女の通う施設まで30キロだから、一日100km近くも送迎にかかる生活はかなり負担もあったかも知れない。
 老人ホーム職員をリタイヤし、この家の新築により介護負担を軽減できれば、障害者福祉や地域福祉に貢献できる力も湧いてくるのではないかという期待で、思い切って新築のための準備を始めた。設計屋に依頼すれば設計料が10畳間一つ分の費用がかかることがわかって、普通の家を作るのならそれもやむをえないが、娘二人の障害特性を一番知っている自分が設計した方がより住みやすく、使い勝手も良いはずだと考えて、あちこちの新築の家を写真で取ったり、観察をし、建築関係の本も読み漁りながら、設計図を書き始めた。
 40坪以上になると固定資産税も高くなるということで、なんとか39畳に抑えた平屋の建物で、冬場は雪が自然に落ちるよう高屋根式にし、台所も居間と一体型で娘達が遊んでいるのを見ながら調理できるように30畳のスペースを確保し、いつも明るいスペースを考えて吹き抜けをつけた。廊下にも明かりが差し込むように屋根に明り取りを配置し、全ての床をバリアフリーにした。玄関から車椅子が入れるように犬走りという屋根つきのスロープで玄関まで濡れずに移動可能とした。娘たちが移動に制約を感じないで安全に移動できるようにしたことにより、今では娘達もそれぞれの方法で家の中を自由に動き回れるようになった。トイレや浴室、脱衣場も車椅子で自由に入出できるように空間を確保し、こうして我が家はいつの間にやら、廊下も含めてかなり施設っぽい建物となってしまった。私は老人ホームの職を辞し、通所の小規模多機能施設を計画していたので、場所を確保できなければこの家を当面は使おうと考えていたこともその結果に反映された。幸いなことに町から無認可の保育所を無償で借上げて、通えるようになったので我が家が施設ということにはならなかった。
 その家がもう築14年ともなれば、あちこち改修の必要なところが目立ち始めた。私が設計した家は、それでもまだ築14年とは見えない外観ではあるが、壁紙がはげたり、トイレの便座が匂ったりなど修理の必要な場所が10ヶ所くらいになった。家内がリーダーとなって、改修工事が進められる運びとなった。最初に水道管に水漏れがあるということで、配管を修理し、先日出張から帰宅したら、トイレの便座が入れ替わっていた。以前も洋式でお尻の洗浄機能がついていたのだが、今度のタイプはセンサーがついていて、水を流し忘れのないタイプのものとなった。高齢化する我が家では忘れることの頻度が高くなりつつあり、これはなかなか便利なものとなった。室内の改修工事もあるが、トタン屋根のペンキ塗りが残っている。これがまた普通の屋根と違って二階家分くらいはある高さで鋭角的になっているために足場を組まないと塗れないので、これがかなり費用がかかりそうである。それでもようやく地を這うようにして始めた無認可施設も、今は法人化されて従業員が30人くらいに増えて、なんとか人並みの暮らしができるようになったことを思うと夢のような暮らしを行なっていることになる。残るはこの改修工事が終えれば、娘達の地域生活の可能なケアホームの準備が待っているのだ。自分は今55歳だからあと10年間は健康であり続けなければならないことになりそうである。