夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

「一人の子どもの涙は、人類全ての悲しみよりも重い」

2007-09-23 14:49:29 | こころに残る言葉
 「一人の子どもの涙は、人類全ての悲しみよりも重い」

 (ドストエフスキー)

 柳田 邦男「雪のパイナップル」より

 ★「チェルノブイリのアンドレイ」
 1986年4月、ウクライナ北部にあるチェルノブイリ原子力発電所で大規模な事故が起きたとき、大気中に噴出したヒロシマ原爆の500倍といわれる大量の放射性物質が南風に乗って、北隣のベラルーシに広範囲にわたってまき散らされた。人口の5分の1にあたる約200万人が被爆し、全国土の22%が人体に有害な影響を与える危険性のある放射能汚染地域に指定された。子ども達の白血病と甲状腺がんが急増した。
 日本の医師・鎌田實さんを初めとする医療専門家グループが、ベラルーシの癌になった子ども達を救う活動をはじめたのは、1991年からであった。
 再三の救援要請にモスクワのソ連科学アカデミーを訪ねると、応対に出たクズネソフ教授がドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中にある言葉を引いて、こう言ったという。
「一人の子どもの涙は、人類全ての悲しみより重いと、ドストエフスキーが言っているが、チェルノブイリの子ども達は今、泣いています。しかし悲しいことに、私たちロシアの大人たちは、この子たちを救えません。日本の人に期待しています。助けてください」
 それから長野県に本部を置く日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)という国際ボランティア団体が立ち上げられた。
 医療スタッフの水準は高いのに財政難で、白血病のための治療設備も薬もなく、日本でなら救える子も救うことができないという悲しい現実がそこにあった。
 それから「雪とパイナップル」が書かれるまでの14年間に、JCFは、会員を募っての会費や一般からの寄付を資金にして、白血病に必要な抗がん剤や各種の薬、輸血バッグ、無菌装置など約6億円分を、ゴメリ州立病院などに送り続けるとともに、医療チームを70回以上も派遣して来たという。これによって、白血病の子ども達の生存率は、飛躍的に向上したのだった。
 しかし悲劇の主人公アンドレイは、病状はいったん良くなったのだが、やがて悪化し抵抗力がなくなって2000年7月になくなった。
 彼の死後に明らかになったのは、母親のエレーナからの感動的なアンドレイの最期のお話である。
 骨髄移植をアンドレイは受けた後、熱と口内炎のために、まったく食事がとれなくなった。日本から移植療法の看護を指導するために来ていた若い看護師ヤヨイさんが、少しでも食べさせようと食事に工夫したが、それでもアンドレイは食べられなかった。
「何なら食べられる?」
 ヤヨイさんが何度も聞くと、アンドレイは小さい声で答えた。
「パイナップル」
 寒い雪の国で一度だけ家族で楽しくパイナップルを食べたのが忘れられない記憶になっていたのだろうか。ヤヨイさんはなんとかアンドレイにパイナップルを食べさせてあげたいと思い、オーバーコートを着て、氷点下二十度の雪と氷の町へ出かけた。極寒の二月だった。しかし見つけることができなかったが、その話を聞いた市民の中で缶詰を持っている人がいて、三日目の朝病院に届けられた。
 アンドレイはパイナップルを食べられたことがきっかけとなって、食事を取れるようになり、日増しに元気を取り戻していった。一時的なこととはいえ不思議なことだった。
 鎌田さんと再会したエレーナさんは、その時のことを回想して次のように語った。
 あるはずのない、パイナップルを探して雪の町を歩き回ってくれた彼女のことを考えると、私は人間てあったかいなあと思いました」「私はアンドレイが病気になってから、なぜ、私たちだけが苦しむのかって、人生をうらみました。生きている意味が見えなくなりました。でも、ヤヨイさんのおかげで、わたしの中に、忘れていたものがよみがえってきました。それは感謝する心でした。私たち家族の中に、新しい希望がよみがえってきました」
 このお母さんの言葉を聞いた鎌田さんは、この叙事詩に美しい言葉を添えた。

 (人間の命を支えているものが何か、少し見えた。
 少なくとも、最先端の技術だけで人間の命は支えられていないのだと思った。
 人間ってすごい。
 あふれる悲しみのなかで、人間は感謝することができる。
 人間は国境を越えて、民族が違っていても、宗教が違っていても、文化が違っていても、歴史が違っていても、、理解しあえる。)
 (「雪の国のパイナップル」鎌田 實)

 国家が国家に対しての支援するのと違って、こうした意識あるボランティア団体が自由に動いて、国家を超えていのちを救うという行為を組織することのできることは素晴らしいことである。とかく我々は自分の子どものことだけの幸せや自分が暮らしている地域については懸命になるが、こうした温かな国境を越えた支援は、決して目立たなくても多くの信頼と感謝、そして伝説となって長い間語り継がれていくことだろう。

POEM/かぼちゃん

2007-09-23 10:27:07 | 創作(etude)
 かぼちゃん
 ぼくは君が好きだ
 見てくれは決してよくはないけど
 自分らしさを主張している
 名前も少しどうかと思うけれども
 カンボジアから伝わったというから仕方ない
 もとはといえばその生まれは
 アメリカ大陸はメキシコの洞窟で
 紀元前7000~5500年の地層から
 種が発見されたんだってね

 かぼちゃん
 ぼくは日本人の生活にこんなに
 親しみを持たれてなじんでいる君はすごいと思う
 江戸の昔から冬至の日にきみを食べると
 かぜや中風にかからないとか、
 福が来るなどといわれてきたんだよね
 太陽の恵みをたっぷり受けて完熟し
 緑黄色野菜の少ない冬場に役立った
 粘膜や皮膚の抵抗力も強くする
 カロテンもたっぷりの君はすごい

 君の生命力は逞しく
 そして自由奔放な生き方は憧れ
 無農薬で無肥料でも
 君は畑の中を縦横無尽に
 蔓をたくさん伸ばして
 黄色くて大きく美しい花を咲かせる
 畑の中のソフィアローレンかもしれない
 太陽を一身に受けて
 カンツォーネかオペラでも
 高らかにうたっているようさえ見える

 かぼちゃんの呼び方も
 日本ではなんばんうり、ぼうぶら、なんきん、とうなす、
 欧米ではパンプキン、スクワッシュ、マロー、カショーだってさ
 さまざまな形と色が君の人柄を表しているかもしれない
 世界各地で多くの人々に親しまれている
 君はなかなかの世界的な人気者なんだよね
 外国ではシンデレラの馬車に使われたり
 ハロインなどではなくてはならない存在だし
 大きなオレンジ色ランタンに
 ろうそくをともして飾られてるんだよね
 
 豊臣秀吉が九州に行った時に
 甘味のある君を見出して
 以来ファンになったとか
 料理も主婦の味の煮付けから
 かぼちゃサラダ、プリン、スープなど
 君のクリ―ミーな美味しさは
 一躍若い人たちの憧れだってさ
 いよいよこれから冬にかけて
 君を味わえる季節だね
 かぼちゃん万歳!
 
 


 
 
 

バリアフリーとユニバーサルデザイン

2007-09-23 08:02:41 | 福祉について
バリアフリー(Barrier free)とは?
高齢者等の社会生活弱者、障害者が社会生活に参加する上で生活の支障となる物理的な障害や精神的な障壁を取り除くための施策、障壁を取り除いた状態をいう。一般的には障害者が利用する上での障壁が取り除かれた状態として広く使われている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ユニバーサルデザイン
ユニバーサルデザイン(Universal Design、UDと略記することもある)とは、文化・言語の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン)をいう。

具体的には、以下のようなデザイン例がある。
「安全」に配慮された自動ドア、エレベータ、ホームドアなど
外国人などのために、文字の代わりに絵文字(ピクトグラム)を使っての各種表示を行う
パソコンの操作を、キーボードやマウスだけでなく、他の入力手段に対応させる
パソコンの画面表示を見やすく工夫する
音声での出力に配慮した画面表示、構成にする
頭を洗っているときは目が見えないので、シャンプーのボトルに印をつけ、リンスその他のボトルと区別する

ユニバーサルデザインの7原則
The Center for Universal Design, NC State Universityによる原文 だれでも公平に使えること(Equitable use)
使う上で自由度が高いこと(Flexibility in use)
使い方が簡単で、すぐに分かること(Simple and intuitive)
必要な情報がすぐに分かること(Perceptible information)
うっかりミスが危険につながらないこと(Tolerance for error)
身体への負担が少ないこと(Low physical effort)
接近や利用するための十分な大きさと空間を確保すること
(Size and space for approach and use)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ユニバーサルデザインは物だけではなく、言葉やこころ(価値観)でも必要な考え方ではないかと思う。
 宮沢賢治が世界共通の言葉として、エスペラント語なるものを提案していたことを思い出す。日本は島国だということや、民族的にも少ない民族国家ということが、今日の英語などの国際語を話す必要性がないために、義務教育として根付かないことは、自分自身が最近特に感じる障壁でもある。お互いに関心を持ちながらも、なかなか心開いて理解しあえないところは歯がゆさを感じる。

 《エスペラント語で、希望する人の意》ポーランドの眼科医ザメンホフが考案し、1887年に発表した人工の国際語。ラテン系の語彙(ごい)を根幹とし、母音5、子音23を使用する。基礎単語数は1900ほどで、造語法もあり、文法的構造はきわめて簡単である。日本では、明治39年(1906)日本エスペラント協会を設立。エス語。