夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

弘前城「植物園」

2007-09-24 22:23:48 | 一歩二歩、散歩~横道
 弘前城植物園は弘前市弘前公園内(弘前城)三の丸にあり、昭和63年5月31日 開園しました。面積は76,500平方メートルあり、散策所要時間は約40分~1時間
 
 快晴の朝、弘前市民会館に車を停め、カミサンと一緒に小一時間弘前城植物園を歩きました。きょうは秋晴れでカラッとしているのですが、結構日差しは強く暑く感じました。
 入園料は300円で、白神山地の植物と同じ植生の林からの散策です。今は初秋なので、春から夏にかけての花々はほとんど姿を消していて、今盛りなのは萩の花、それに写真のスモークツリーです。不思議な花です。全体がぼんやりとしていて、これが花?という感じでしょうか。それと彼岸花(曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。死人花(しびとばな)。捨て子花。石蒜(せきさん)。天蓋花(てんがいばな)。天涯花。幽霊花。かみそりばな。)が今を盛りに咲いていました。季節ごとの花々や、万葉の花々(ムラサキシキブ)など珍しい花、あらためてあーこれがそうかと気づくような花々があり、楽しむことができました。いちいの木には赤い実がついていて、つまんで食べましたが甘くて懐かしい感じでした。ちなみに実は食べることは可能ですが、種は毒なのだそうです。弘前城植物園はもとは弘前大学の附属中学校や職業安定所などがあったのですが、今は移転してその跡形もありません。これから10月になればいよいよ菊と紅葉祭が始まるので、場内にはその準備作業が進んでいました。日頃運動不足の夫婦にはとても気持ちのよい時間を過ごすことができました。
 

津軽の標準語」赤だんぶり

2007-09-24 08:24:36 | 私の本棚
 2007年8月15日初版の「津軽の標準語」という622ページの本が目の前にある。著者は農家の方だそうで、久米田いさおさん。いわゆる私家本というものなのかもしれない。新聞に掲載されたものを家内が見て、購入したのだそうである。
「赤だんぶり」とは秋空を群がって飛ぶ「赤とんぼ」のことである。青色の布地の表紙に赤いトンボが二匹銀色の岩木山に向かって飛んでいる。
 トンボや美しい環境、そして津軽弁もみな無形文化財である。つまり今はあって当たり前のものがいつか亡くなっていくものである。なくなって欲しくないものがある。しかし時代や文明は流行り廃れを繰り返してきた。今は亡きものもたくさんあるのだ。つい先日の新聞に出ていたが、弘前の繁華街を流れる土淵川に幻の羽黒トンボが写真撮影された。一度は絶滅したかと騒がれたものがまた復活したりもあるが、二度と見えない、聞こえない、味わえないものもあるのだ。
 私が老人ホームでお年よりに夏食べたいものを聞いたところ、「マグァ」と答えた人がいた。わたしは若い寮母さんに聞いたが誰もわからなかった。年配の人(50代)に聞くと、「あーっ!それはマクワ瓜のことだね」と教えてくれた。私の子どもの頃は筋のついてフットボールのような形をした売瓜が美味しかったし、当時は皆それであった。今は品種改良が進んで、お宅的な人でないと作らない果物である。
 私が青森に来てからの試練はまさに言葉「津軽弁」であったし、それは長く住んでいればクリアできるものでもないことがよくわかった。もう津軽人として認めて欲しいくらいの30年の生活で、未だによそ者を意識させられるのはまさに津軽弁は聞けても、「しゃべらえね」(話せない)のだ。それくらいに津軽弁は難しい。
 ずいぶん前の話だが、近所で亡くなった方があり、おばあさんが我が家に来て「ダミするはんで、○○日の○○時に集会所サ集まってケロって、口ズシコで頼みス」と言われた。それがわかるまで、長い時間がかかった。「「ダミ(葬式)するはんで(しますので)、○○日の○○時に集会所サ集まってケロ(ください)って、口ズシコ(口伝え)で頼みス(お願いします)」だった。通常回覧版など紙に書いて伝えるのだが、急ぐ場合には口伝えでの連絡方法があるというのだった。
 津軽弁は「訛り(なまり)」と「方言」の二種類がある。訛りとは標準となる言葉があって、それが変形したものだ。「アベ」とは「歩け」とか「来い」という意味だ。方言は「どんず」のように「尻」を言う。「かちゃくちゃね」は「いらいらする」など気持ちを表わす言葉だ。「あずましい」は「ここちよい」「とぺかぺ」は軽率でおっちょこちょいなこと。ゴミは「投げる」が「捨てる」ということ。自動車は「ふっぱる」が「運転する」などだ。
 津軽弁には濁りがある。そして名詞にはお尻に「コ」がつく。「ネコッコノコッコ」とは「猫の子」のことである。そして中にはとてつもなく短縮する会話もある。有名なものには「ドサ?ユサ」がある。「これからどちらに行くのですか?」「お風呂に入りに行くのです」が「どさ?湯さ」なのだ。奥行きが深い津軽弁であり、繊細なこころを絶妙に表現することができるのも津軽弁なのだ。
 文化や言葉は、後世に伝えていく人がなければ消えていくものである。どのように残していくのかは、日常の価値観を人々がどこに置くのかにかかっているような気がする。人と人の関わり方が濃厚でさえあれば、それは守って行くことができる気がしている。