夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

Autism パターン2

2007-07-26 07:15:53 | 創作(etude)
 少年Aは繰り返しが好き
 パンを切る機械や
 ペンキ塗りの上下動
 上から下へ上から下へ
 それが気になってしまう

 きょは草刈機で
 草を刈る人の刃先に注目している
 左から右左から右に草刈機が
 草をリズム良くなぎ倒す
 そのリズムがたまらない

 でも草刈り機の音は嫌な音
 だから彼は両耳をふさぎながら
 それでもその場所から離れられない
 気になって気になって仕方がない
 終えるまでついていくしかない

 左から右左から右
 レフトアンドライトレフトアンドライト
 上から下上から下
 アップアンドダウンアップアンドダウン
 繰り返すことの興味は尽きない
 

 

 

詩・POEM 「Autism パターン」

2007-07-26 06:56:09 | 創作(etude)
 少年A君は
 昼食のテーブルで
 ぼくの手を引いた
 その澄んだ眼で
 わたしをその招待席に
 誘った

 これで二度目になるのだが
 彼の食事は変わっている
 まるで鏡でも見るかのように
 わたしの動作を確認して
 それを繰り返す

 ぼくは少しでも
 彼の食事のパターンが
 適正に保てるように
 ゆっくりとした時間の中に
 食事動作を考えてしまう

 はじめにおかずのちくわの竜田揚げ
 そして次はご飯を食べる
 味噌汁を飲む
 野菜サラダを食べて
 ご飯茶碗を持って食べる

 彼はわたしの後について
 食事を続けるのだが
 どうしても
 おかずが足りなくなったり
 順序が合わなくなる

 彼はその足りないおかずを差し出して
 「ア、ア,ア?」と「これどうする?」
 そう確認している
 「ゆっくりと食べなさい」そう言うと
 彼は安心してそれをいただくのだ

 ご飯つぶが手につくと
 それを彼は私にとってくれとせがむ
 食べられない魚の骨やトマトのヘタを
 彼はわたしの茶碗やお皿に入れている
 こうして食事が終決しようとしている

 最後に「ごちそうさまでした」と
 わたしが手を合わせて言うと
 彼もまた「ごちそうさまでした」と
 同じく繰り返す
 完食した皿には何も残っていない

 彼が最後にする行為は
 わたしのトレーの中に
 自分と同じ食器を重ねること
 そうして全てがそろった時
 彼はそのトレーを下膳してくれるのだった

 お母さんとの食事も 
 その繰り返しだという
 彼が必要なのは
 そうすることでの
 安心なのかもしれない
 
 いつか自分の意志だけで
 食事をする時が来るのだろうか
 その時彼の脳裏には
 対面する人の食事風景が
 模範となるのだろうか
 
 

 

プールがやってきた

2007-07-26 02:04:37 | つれづれなるままに
 ある自閉症のお子さんを持つシングルマザーからの一言「夏休みに息子をプールで遊ばせられないでしょうか」という願いが耳に残った。
 あうんのプールは大雪の日に壊れて使えなくなっていた。聞けば母親は水泳の好きな息子にプール遊びをさせたいと思うが、女性と男性という更衣室でのバリアーがあって、願いを叶えることは出来なかった。
 長い夏休みであり、なおかつ猛暑の夏が現実的になっていた。何とかしてあげたいと思ってインターネットで一つのこれはいいという商品に出会った。思っていたよりも安く、そして大きいプールがあることを知った。そして注文してきょうそれが届いた。組み立てをしている最中にも、たくさんの子ども達がそのプールを取り巻いた。水を入れている最中にも我慢できない子ども達がプールの中に入って出ようとしなかった。こんなにも水の好きな子ども達のために、このプール購入は価値のあることだったと感じた。いよいよ明日からこのプールが活躍するかと思えば、その代金の多寡は気にならなかった。

心理学者・河合隼雄氏を悼む

2007-07-26 01:48:48 | つれづれなるままに
 ★河合隼雄さんが19日に逝去された。2,3日前に東奥日報「天地人」に彼の追悼文が掲載された。私も彼の書籍を幾度となく読み返すことがあり、ここにその追悼文を掲載してその死を悼みたい。

 昔話によく出てくる主題に「見るなの座敷」がある。禁じられた部屋をのぞくことによて、いまある暮らしが失われたり、罰を受ける話だ。
 西洋の場合は、見た側の多くがいのちを奪われる。対して日本では、本性を知られた方がただ悲しげに去っていく。罰はない。例えば「うぐいすの里」「鶴女房」などだ。
 亡くなった臨床心理学者の河合隼雄さんは、こうした違いに着目し、日本人の心の真相を探った。「昔話と日本人の心」(岩波現代文庫)は、その優れた結晶だろう。ユング派の分析家として治療現場に立ち、やがて根っこの問題に突き当たる。それが右の書のテーマとなり、ユニークな日本文化論を生み出した。
 昔話を読み解く方法として、河合さんは女性像に焦点を当てた。人間の世界に心を残しつつ去っていく異類の女性、家や兄弟を助けるために耐える女性、自らの意志で周囲を幸福にして行く女性たち。そんな物語の構造は、男性が主役となって新たな地平を開いていく西洋の昔話とは大きく異なる。
 では、それらの女性たちの姿は何を語っているのか。自然と人間を切断することなく、ともにあるという感覚。父権的で厳しい自我意識とは違う、何ものをも取り入れていこうとする調和の意識。河合さんはそう指摘し、母系制にさかのぼる日本社会の深層を描き出した。
 かつて柳田國男が書いた「妹の力」を受け継ぎ、さらに深めた考察だろう。「もの」から「こころ」へ模索が続く時代に、多くのヒントを与えてくれる。

 ★次に同じく東奥日報7月25日に「黄金のメス万障を説く」と題して、中西進氏(奈良県文化館館長)が追悼文を書いていたので一部抜粋して紹介したい。

 (前述省略)近代日本における自我の位置付けはエゴと呼ぶ概念への疑問を、人々に抱かせた。それをセルフとよぶべきものに転換させた功績は、氏に負うところが大きい。この思考はみごとに日本的なるものを言い当てることになる。
 またユング以来の無意識の構造の重視も、私の眼から鱗(うろこ)を落とさせた。私は先立って、わずかにウォルター・ぺベイターの所説に導かれて、リアルな認識の素朴さを脱却しようとしていたに過ぎなかったのに、氏の無意識論による解明は、広範囲の事象の深層をわたしに教えてくれた。
 しかも氏はこの独自のスタンスをもって、神話を語り、物語を分析し、「明恵」に基づいて大きな業績を上げたように、夢を解析しようとした。神話における「中空構造」の指摘も、その最たるものの一つだろう。
 恐らく氏はユングから黄金のメスを密かに授けられていたのだろう。このきらきらしいメスによって、万障の真相を説いた。
 実は世の中が物と心から成り立っているとすると、すべての学問は物理学と心理学に要約されてしまう。
 この究極的な心理学を、氏は試みたことになる。それが可能だったのは、唯一、メスの裁き方による。わたしは先に氏の「超域的飛翔力」を述べたが、正しくは「普遍的集中力」と言うべきであったかもしれない。学が普遍に達し、便宜的な学問分野の区別を超えたというべきだろう。
 はからずもユングの心理学は、心の境界領域を重視する。学問の境界を蝋化(ろうか)させることも、極めて普遍的な河合心理学の本質だったに違いない。
 黄金のメスによって万障が宿す霧を切り払い、明澄な真相を取り出してきた河合氏だのに、そのメスで病魔を切り刻むことは出来なかったのか。残念でならない。
 しかし三十年間を通して常に微笑をたたえ、冗談の中に人々を優しく誘って、ついに世俗の欺瞞や汚辱などひとかけらもみせなかった氏の残像は、おびただしい人々の心に生き続けて消えることはないだろう。
 その面影は、得意としたフルートの音色に包まれて、一層美しく輝きつづけるに違いない。人間にとっては、むしろそのことの方が、大事な生き方だろうか。今後も氏の微笑に向かって、わたしも多くの問いかけをしていきたいと思う。