午前中なんとか天気が持ちそうだったので、わたしは遣り残している麦刈りに出かけた。きょうの東岩木山に向かう「やまなみロード」は風が強く吹いて、松林からはクマゼミの鳴き声が合唱となって聞こえていた。
農場に着いてオーナーときょうの天気予報と作業予定を相談してみると、どうもきょうは麦刈りには向きそうもない天候であることを確認していた。結局にんにく畑の草と収穫後のにんにくの茎を車に積んで集めた。そしてボカシと呼ばれるオカラと米ぬか、籾の燻炭を混ぜたものをウーファーのヤマチャンと行なった。弘前市内からかよさんも援農にやって来て、オーナー夫人と一緒に、きゅうり、ピーマン、ナス、万願寺トウガラシなどを根間に蒔いて行く作業を行なった。その後をオーナーが草刈をして地面に草を敷き詰めて水の保水性を良くする作業を行なっていた。雨が降らないために、すっかり草のない土の道路はカラカラに乾燥していた。オーナーがきゅうりの畝の蔓の絡んだ棚を歩く時、外側の棚30センチくらいにはキュウリの根が張っているので、歩かないように注意を促していた。見えない場所に成長しようとする野菜たちの姿を感じていた。しばらく作業で汗を流していると、オーナー夫人が大きな声で何かに向かって叱るような声を聞いた。愛犬トーベがまた叱られたのかと思いきや、今回はウコッケイがトマトの実をついばんでいたのだった。それにしても、愛犬トーべもこの間から収穫したばかりのキュウリをぼりぼり食べては叱られていたし、動物がこんなに野菜を食べるというのもしらとり農場ならではの特徴なのだろうかと不思議に思った。
この作業を始めた頃からますます風は強まり、土ぼこりが突風となってわたし達を襲った。目も開けられないような、強い風でしばしば作業は中断した。黒沢明監督の映画のシーンにこんな強風の場面があったなあと思いながら、それにしてもこれは強すぎる風だと思い始めていた。ボカシを蒔き終えた頃雨が降り出して、ようやく一段楽して休憩をすることになった。オーナーハウスに近づいた頃に一瞬のことだったが突風が吹き、目の前にあった鶏小屋が吹き飛んで一回転した。声も出ないくらいの瞬間に、突風はトウモロコシ畑の数列もなぎ倒して去って行ったのだ。これ以上風が強まらなければと思いつつ建物の中に入った。
オーナー夫人が真っ赤なスイカを切ってみんなにふるまった。甘さもあり、夏の楽しみの一つがまたやって来た。
休憩時のきょうの話題は「座敷童子」だった。カレンダー作者のアーティストはせくらみゆきさんから昨日電話をいただいて、9月の末に青森入りして岩手県二戸市の「座敷童子大祭」というイベントを見に行くのだという。そこでこの話が展開したのだった。私の下北半島下風呂温泉M旅館での金縛り体験に続き、かよさんの幽霊対面の恐怖体験の話しなどで盛り上がったのである。そしてオーナーを売り出すためのアイデアが色々出され、野菜に語りかけることによって野菜が元気になる話から発展した、オーナーの特技を生かして野菜にチェロを演奏して聞かせると元気のなかった野菜が回復するなどが確認できれば一躍オーナーは有名になって、日本チェロ協会から野菜栽培用のチェロなどがどんどん売れて表彰されるかもしれない。ニンジン用のチェロ、キャベツ用のチェロ、ジャージ牛用のチェロなどが出るだろうなどと、夢は果て知らずで続いたのであった
しばらくすると今度は、野菜会員のお二人の女性が援農にやって来たという。自分達が配達される野菜をひたすら待つというだけではなく、直接こうして畑に来訪して畑の野菜の管理状況や生育の状態を確認し、自然農の特徴でもある草を地面に敷く作業をすることによって保水性を高めることを実地体験するなど、安心感をお土産に帰っていくのはとても大切なことだと思った。
援農に来たお二人のご夫人とともに、わたしとヤマチャンは野菜畑の草を、稲刈り用の鎌で刈って、野菜の周囲に敷き詰める「軟白法」を行なった。この周辺の野菜は「シャンツァイという中華風の料理に適する野菜や、ツルムラサキ、シソ、オクラ、ハーブのバジルなどが植えられていた。いつも思うのだが、野菜の形状に良く似た草が、どうしてこうもその野菜の傍に集まって繁茂するのだろうかということである。まるで動物が擬態をして、自分を守るのと良く似ているなあと思った。だから時々「アッ」と思ったときには本物の野菜を刈り取って冷や汗をかくことになる。これはオーナー夫妻も作業中にたまに「アッ」と声を出すのだから、わたしやウーファーもホッとする瞬間かもしれない。
午後12時を過ぎると今度は本降りになった。お二人のご夫人は、そのまま作業を終えて帰宅した。
お昼をオーナー夫人とかよさんが準備をして、ナスやにんにく、ニンジンの葉を油で揚げて、煮浸しにしたものやキュウリの浅漬け、おにぎりがきょうの昼食メニューだった。それにしてもなんという美味しさだろうか。野菜だけでもこんなに楽しめる日々はないと思った。会員を招いての野菜のレシピを学ぶ試食会などがあれば、きっと会員の野菜への楽しみは増えるのではないかと思った。
雨が降り止まないために休憩時間が1時間後半にずれ込み、午後2時にようやく、作業を再開することが出来た。キャベツの苗を鉢に植え込む作業をビニールハウス内で全員で行なった。
種まきをしたキャベツの苗が10センチくらいに成長しているのをビニールで出来たポットに植え替えて、定植前の準備段階に入っている。品種は「青春」とか「ミニキャベツ」「柳生」などの名前だった。ヤマチャンやかよさんが外国旅行をしたときの話をしてくれた。ヤマチャンはインド旅行をしたという。かよさんはハワイやフイリッピン、ネーティブアメリカインディアンの居留地に行った時の話し、ジャックマイヨールとであったこともある素潜りの話など貴重な話を語ってみんなは思わず聞き入っていた。
オーナーと話が盛り上がったのは、「ボカシ」作りのことであった。七戸町の福祉施設が豆腐工場で豆腐を商品化して販売しているが、あうんではその際に出るオカラをいただけることになったのだが、そのオカラでボカシを創ることが出来れば、我があうんメンバーの作業がもう一つ固まるのだ。課題はオカラの仕入れにあるのではなく、究極は自分達で自然農で行なえる畑を1町部ほど借り入れして、そこで自前の豆を栽培し、さらにそれで豆腐を生産し、そこから出てくるオカラをぼかしにするという一連の作業工程に持っていくことが出来そうな気がして来たのであった。安全な自然食品作りの環境整備はこれからのわたし達にはなくてはならないラインかもしれないと思った。
鉢植え作業がほぼ終了した後、わたしとオーナーはあうんの畑の野菜を見に行ってキュウリとバジルを収穫した。その後開墾畑のうさぎの食害防止用の網を取り付ける作業を行なった。まだ伸びきっていない豆の若葉を中心に、かなりうさぎに食い荒らされていた。
自然の中での畑作りでは、どうしても避けて通れない災難が多いことも覚悟しなければならないのだろう。
帰りの車の中にはバジルの独特の香りが広がり、なんだかきょう一日の作業とそこで展開した内容の充実感や、そこから得られた安らぎの中で農場を後にすることができた。
農場に着いてオーナーときょうの天気予報と作業予定を相談してみると、どうもきょうは麦刈りには向きそうもない天候であることを確認していた。結局にんにく畑の草と収穫後のにんにくの茎を車に積んで集めた。そしてボカシと呼ばれるオカラと米ぬか、籾の燻炭を混ぜたものをウーファーのヤマチャンと行なった。弘前市内からかよさんも援農にやって来て、オーナー夫人と一緒に、きゅうり、ピーマン、ナス、万願寺トウガラシなどを根間に蒔いて行く作業を行なった。その後をオーナーが草刈をして地面に草を敷き詰めて水の保水性を良くする作業を行なっていた。雨が降らないために、すっかり草のない土の道路はカラカラに乾燥していた。オーナーがきゅうりの畝の蔓の絡んだ棚を歩く時、外側の棚30センチくらいにはキュウリの根が張っているので、歩かないように注意を促していた。見えない場所に成長しようとする野菜たちの姿を感じていた。しばらく作業で汗を流していると、オーナー夫人が大きな声で何かに向かって叱るような声を聞いた。愛犬トーベがまた叱られたのかと思いきや、今回はウコッケイがトマトの実をついばんでいたのだった。それにしても、愛犬トーべもこの間から収穫したばかりのキュウリをぼりぼり食べては叱られていたし、動物がこんなに野菜を食べるというのもしらとり農場ならではの特徴なのだろうかと不思議に思った。
この作業を始めた頃からますます風は強まり、土ぼこりが突風となってわたし達を襲った。目も開けられないような、強い風でしばしば作業は中断した。黒沢明監督の映画のシーンにこんな強風の場面があったなあと思いながら、それにしてもこれは強すぎる風だと思い始めていた。ボカシを蒔き終えた頃雨が降り出して、ようやく一段楽して休憩をすることになった。オーナーハウスに近づいた頃に一瞬のことだったが突風が吹き、目の前にあった鶏小屋が吹き飛んで一回転した。声も出ないくらいの瞬間に、突風はトウモロコシ畑の数列もなぎ倒して去って行ったのだ。これ以上風が強まらなければと思いつつ建物の中に入った。
オーナー夫人が真っ赤なスイカを切ってみんなにふるまった。甘さもあり、夏の楽しみの一つがまたやって来た。
休憩時のきょうの話題は「座敷童子」だった。カレンダー作者のアーティストはせくらみゆきさんから昨日電話をいただいて、9月の末に青森入りして岩手県二戸市の「座敷童子大祭」というイベントを見に行くのだという。そこでこの話が展開したのだった。私の下北半島下風呂温泉M旅館での金縛り体験に続き、かよさんの幽霊対面の恐怖体験の話しなどで盛り上がったのである。そしてオーナーを売り出すためのアイデアが色々出され、野菜に語りかけることによって野菜が元気になる話から発展した、オーナーの特技を生かして野菜にチェロを演奏して聞かせると元気のなかった野菜が回復するなどが確認できれば一躍オーナーは有名になって、日本チェロ協会から野菜栽培用のチェロなどがどんどん売れて表彰されるかもしれない。ニンジン用のチェロ、キャベツ用のチェロ、ジャージ牛用のチェロなどが出るだろうなどと、夢は果て知らずで続いたのであった
しばらくすると今度は、野菜会員のお二人の女性が援農にやって来たという。自分達が配達される野菜をひたすら待つというだけではなく、直接こうして畑に来訪して畑の野菜の管理状況や生育の状態を確認し、自然農の特徴でもある草を地面に敷く作業をすることによって保水性を高めることを実地体験するなど、安心感をお土産に帰っていくのはとても大切なことだと思った。
援農に来たお二人のご夫人とともに、わたしとヤマチャンは野菜畑の草を、稲刈り用の鎌で刈って、野菜の周囲に敷き詰める「軟白法」を行なった。この周辺の野菜は「シャンツァイという中華風の料理に適する野菜や、ツルムラサキ、シソ、オクラ、ハーブのバジルなどが植えられていた。いつも思うのだが、野菜の形状に良く似た草が、どうしてこうもその野菜の傍に集まって繁茂するのだろうかということである。まるで動物が擬態をして、自分を守るのと良く似ているなあと思った。だから時々「アッ」と思ったときには本物の野菜を刈り取って冷や汗をかくことになる。これはオーナー夫妻も作業中にたまに「アッ」と声を出すのだから、わたしやウーファーもホッとする瞬間かもしれない。
午後12時を過ぎると今度は本降りになった。お二人のご夫人は、そのまま作業を終えて帰宅した。
お昼をオーナー夫人とかよさんが準備をして、ナスやにんにく、ニンジンの葉を油で揚げて、煮浸しにしたものやキュウリの浅漬け、おにぎりがきょうの昼食メニューだった。それにしてもなんという美味しさだろうか。野菜だけでもこんなに楽しめる日々はないと思った。会員を招いての野菜のレシピを学ぶ試食会などがあれば、きっと会員の野菜への楽しみは増えるのではないかと思った。
雨が降り止まないために休憩時間が1時間後半にずれ込み、午後2時にようやく、作業を再開することが出来た。キャベツの苗を鉢に植え込む作業をビニールハウス内で全員で行なった。
種まきをしたキャベツの苗が10センチくらいに成長しているのをビニールで出来たポットに植え替えて、定植前の準備段階に入っている。品種は「青春」とか「ミニキャベツ」「柳生」などの名前だった。ヤマチャンやかよさんが外国旅行をしたときの話をしてくれた。ヤマチャンはインド旅行をしたという。かよさんはハワイやフイリッピン、ネーティブアメリカインディアンの居留地に行った時の話し、ジャックマイヨールとであったこともある素潜りの話など貴重な話を語ってみんなは思わず聞き入っていた。
オーナーと話が盛り上がったのは、「ボカシ」作りのことであった。七戸町の福祉施設が豆腐工場で豆腐を商品化して販売しているが、あうんではその際に出るオカラをいただけることになったのだが、そのオカラでボカシを創ることが出来れば、我があうんメンバーの作業がもう一つ固まるのだ。課題はオカラの仕入れにあるのではなく、究極は自分達で自然農で行なえる畑を1町部ほど借り入れして、そこで自前の豆を栽培し、さらにそれで豆腐を生産し、そこから出てくるオカラをぼかしにするという一連の作業工程に持っていくことが出来そうな気がして来たのであった。安全な自然食品作りの環境整備はこれからのわたし達にはなくてはならないラインかもしれないと思った。
鉢植え作業がほぼ終了した後、わたしとオーナーはあうんの畑の野菜を見に行ってキュウリとバジルを収穫した。その後開墾畑のうさぎの食害防止用の網を取り付ける作業を行なった。まだ伸びきっていない豆の若葉を中心に、かなりうさぎに食い荒らされていた。
自然の中での畑作りでは、どうしても避けて通れない災難が多いことも覚悟しなければならないのだろう。
帰りの車の中にはバジルの独特の香りが広がり、なんだかきょう一日の作業とそこで展開した内容の充実感や、そこから得られた安らぎの中で農場を後にすることができた。